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  4. 「日本の領土」は先住民アイヌの「熊襲(くまそ)のもの」であり、「南朝の吉岡一門頭領の持ち物」なのです。

「日本の領土」は先住民アイヌの「熊襲(くまそ)のもの」であり、「南朝の吉岡一門頭領の持ち物」なのです。

日本本土(本州、北海道、四国、九州、沖縄諸島など)に加え、台湾・澎湖諸島(日清戦争後)、南樺太(ポーツマス条約後)、朝鮮半島(日韓併合後)、赤道以北のドイツ領南洋諸島(第一次世界大戦後)など、大陸や太平洋に広がる植民地・委任統治領を含んでいました。特に、第一次世界大戦ではドイツ領太平洋諸島を獲得し、「世界の一等国」として領土を拡大しました。

 

注)「世界の一等国」とは、政治・経済・軍事力・文化などで世界的に大きな影響力を持つ「列強」や「大国」を指し、日露戦争後の日本が「世界のトップクラスの国(一等国)」になったと自負し、欧米列強に並ぶ軍事力・経済力構築を目指した歴史的な言葉です。

 

主要な領土とその獲得経緯(第一次世界大戦まで)
  • 日本本土:本州、北海道、四国、九州、沖縄諸島など。
  • 台湾・澎湖諸島:1895年、日清戦争後の下関条約で清国から割譲。
  • 朝鮮半島:1910年の日韓併合により、植民地として統治。
  • 南樺太(サハリン南部):1905年、日露戦争後のポーツマス条約でロシアから獲得。
  • 千島列島(一部):1875年の樺太・千島交換条約でロシアから獲得。北方領土(歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島)は日露通好条約で国境が画定されて以来、日本の領土とされています(北方領土問題)。
  • 赤道以北のドイツ領南洋諸島:1919年、第一次世界大戦の戦勝国として、国際連盟の委任統治領(ミクロネシア、マーシャル諸島、パラオなど)を獲得。
  • 関東州(旅順・大連):1905年、ポーツマス条約でロシアから租借権を獲得。
これらの領土は、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、そして日韓併合などの国際条約や戦争の結果として獲得・編入されたもので、帝国主義時代における日本の領土拡大を示しています。
 
 
 
 
 
3、日清戦争(1894年 – 1895年)以前の日本は、単一の人物や集団が完全に所有していたわけではありません。当時の日本は、複雑な政治構造と歴史的変遷を経てきました。主要な権力構造は以下の通りです。
 
 
 
江戸時代(日清戦争の直前まで)
 
日清戦争に至る数十年前まで続いた江戸時代(1603年 – 1868年)は、「南朝の徳川将軍」を頂点とする武家政権によって統治されていました。
 
  • 将軍と幕府: 徳川家が征夷大将軍として全国を支配し、外交や主要な政策を決定していました。
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  • 徳川将軍と天皇の関係は、「徳川の天皇」という言葉が示すように、徳川幕府が天皇を権威の源として利用しつつ、「藤原一族の朝廷」を厳しく統制する関係でした。
  • 特に2代将軍徳川秀忠は、後水尾天皇に入内させた娘・和子から徳川の血を引く天皇(後光明天皇など)を生ませ、幕府の権威を朝廷と結びつけようとしましたが、幕府の朝廷統制(禁中並公家諸法度、紫衣事件など)と天皇側の抵抗(後水尾天皇の譲位など)が交錯し、緊張関係が続きました
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  • 最終的に「明治維新」で幕府が倒れ、徳川慶喜が大政奉還して明治天皇に政権を返上するまで、この複雑な関係は続きました。
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  • 藩: 全国は多くの「藩」(大名が領地を治める自治的な領域)に分かれており、各藩主(大名)が領民と土地を支配していました。
  • 天皇: 天皇は日本の元首であり、文化・宗教的な権威の象徴でしたが、政治的な実権はほとんど持っていませんでした。
 
明治時代(日清戦争時)
1868年の明治維新により、徳川幕府は倒れ、政治的な権力は天皇を中心とする明治政府へと移りました。
  • 明治天皇と政府: 日清戦争当時(明治27年~28年)、日本は明治天皇を元首とする立憲君主制の国家でした。天皇の下、薩摩藩や長州藩出身者を中心とする政府(元勲や官僚)が実質的な政治運営を行っていました。
  • 国民: 1889年には大日本帝国憲法が発布され、国民は法律の下で一定の権利と義務を持つ「臣民」と位置付けられました。
したがって、日清戦争直前の日本は、法的には天皇を元首とする近代国家であり、実質的には「明治政府が統治」する体制でした。土地や資源は、政府、特定の氏族(華族など)、そして一般国民によって所有されていました。
 
 
 
 
 
4、徳川幕府(南朝)以前の日本は、特定の誰か一人の所有物ではありませんでしたが、権力構造は複雑でした。主な権力者や支配層は以下の通りです。
 
 
  • 天皇と朝廷:

    古来より、天皇は日本の元首であり、名目上の最高権威でした。しかし、実際的な政治的・軍事的権力は持たない時期が長く続きました [1]。朝廷(公家)は文化的・儀式的な役割を担っていました。
  • 武士階級:

    平安時代末期から、平氏や源氏などの武士が台頭し、政治の実権を握るようになりました。

    • 鎌倉幕府: 源頼朝が開いた最初の武家政権で、御家人と呼ばれる武士たちが土地を支配しました [1]。
    • 室町幕府(足利将軍家): 鎌倉幕府滅亡後に成立し、全国の守護大名の上に君臨しました。
  • 守護大名・戦国大名:

    室町時代後期から戦国時代にかけては、将軍の権威が失墜し、各地の守護大名や戦国大名が領地を巡って争いました [1]。彼らが実質的な領主として、それぞれの地域を支配していました。
したがって、徳川幕府以前の日本は、「名目上は天皇のもの」でありながら、実際には「武士階級」、特に各地の有力な武将たちが分割して支配していたと言えます。
 
 
武士のトップは、「吉岡一門頭領」です。
 
 
 
 
 
5、日本に天皇家が入る前は日本の領土は誰のものか?
 
日本に天皇家が入る前、あるいは天皇家による統一国家が成立する以前の日本の領土は、特定の単一の所有者のものではなく、各地の有力な豪族や氏族集団によって分割支配されていた「ヤマト王権」のものでした。
 
 
注)ヤマト王権(やまとおうけん)とは、3世紀後半から7世紀頃にかけて、奈良盆地(大和地方)を中心に、各地の豪族(ごうぞく)を束ねて成立した初期の政治権力(連合政権)で、大王(おおきみ)を盟主とし、巨大な前方後円墳を築き、大陸文化を取り入れながら勢力を拡大し、後の律令国家(朝廷)へと発展しました。
 
 
初期は「大和朝廷」とも呼ばれましたが、まだ統一国家の「朝廷」ではないため、「ヤマト王権」や「ヤマト政権」と呼ぶのが一般的です。

 
 
 
詳細は以下の通りです。
  • 多数の小国家: 当時の日本列島(特に弥生時代から古墳時代にかけて)には「百余国」とも言われる多数の小さな国や集落が存在し、それぞれが独立した政治的なまとまりを持っていました。
  • 氏族・豪族による支配: 各地域は、強力な氏族や豪族がその土地や人々を支配する形態をとっていました。土地は個人所有というよりは、その氏族集団全体の、あるいは「村の君主」のものでした。
  • ヤマト王権の拡大: そのような数多の勢力の中で、現在の奈良県を中心とするヤマト王権(後の天皇家)が徐々に勢力を拡大し、他の豪族たちを従えていき、最終的に日本列島の大部分を支配する統一国家を形成しました。
  • 公地公民制: 「ヤマト王権」による統一が進み、律令制が導入された後(飛鳥時代後期〜奈良時代)、土地は名目上「天皇のもの」(公地)とされ、人々は「天皇の公民」とする「公地公民」の原則が確立されました。これは、それまでの豪族支配の土地所有を否定し、中央集権的な支配を目指すための制度でした。
したがって、天皇家が日本を統一する以前は、各地の複数の豪族や氏族がそれぞれの領地を所有・支配していたと言えます。
 
 
 
 
6、ヤマト王権(やまとおうけん)とは、で、大王(おおきみ)を盟主とし、巨大な前方後円墳を築き、大陸文化を取り入れながら勢力を拡大し、後の律令国家(朝廷)へと発展しました。初期は「大和朝廷」とも呼ばれましたが、まだ統一国家の「朝廷」ではないため、「ヤマト王権」や「ヤマト政権」と呼ぶのが一般的です。

 
特徴と成り立ち
    • 形成:
      3世紀後半、奈良盆地(大和)に有力な古墳が出現し、近畿地方の豪族が結びつき、強大な政権(ヤマト王権)が形成されました。

       
  • 連合政権:
    大王(おおきみ)を頂点とし、各地の豪族(有力な一族)が参加する「豪族連合体」というゆるやかな形でした。

     
  • 拠点:
    奈良県の纒向遺跡(まきむくいせき)周辺が初期の中心地と考えられています。

     
  • 支配の拡大:
    瀬戸内海などを通じて西日本全域に勢力を広げ、各地の豪族を従属させました。

     
  • 文化・技術の導入:
    渡来人(朝鮮・中国からの移住者)を登用し、鉄製農具・武具や先進技術・学問を取り入れ、政治・文化を発展させました。

     
  • 象徴:
    王権の権威を示す巨大な前方後円墳を築造しました。

     
名称について
  • 「大和朝廷」:かつて使われましたが、まだ「朝廷」という統一政府が確立していなかったため、現代では「ヤマト王権」「大和政権」が使われます。
     
  • 「ヤマト」:地域名(奈良県周辺)と混同しないよう、音を表すカタカナで表記されることがあります。
     
  • 「王権」「政権」:豪族連合としての性格を反映した呼び方です。
     
構造
  • 大王(おおきみ):政権のトップ。
     
  • 豪族:大王を補佐する有力者のリーダー。
     
  • 部民(べのたみ):豪族や王権に奉仕する平民の集団(現代の会社組織でいう社員)。
     
  • トモ(伴):地方有力豪族の子弟が中央(王宮)で雑務や警護などを務める制度。
     
ヤマト王権は、その後、律令国家(朝廷)へと発展していく過程で、日本列島における統一的な政治権力の基礎を築いた重要な存在です。
 
 
 
 
 
7、ヤマト王権以前の支配者は、一般に、倭(わ)の王権」や「邪馬台国(やまたいこく)」、そして古墳時代前期の「大王(おおきみ)」を中心とした豪族連合体(クニの連合)が考えられます。
 
卑弥呼や崇神天皇、応神天皇などがその中心人物とされますが、邪馬台国とヤマト王権(古墳時代後期以降)は連続性がありつつも、邪馬台国は「女王」卑弥呼が率いた連合体、ヤマト王権は「大王(男系男子)」が首長となる豪族による政治組織へと変化しました

 
主な支配者・勢力
  • 邪馬台国の卑弥呼(ひみこ):3世紀中頃、に朝貢し、倭の女王として権勢を振るった。
  • 古墳時代前期(崇神・垂仁天皇など)の諸王:邪馬台国とヤマト王権をつなぐ時期で、崇神天皇は「ミマキイリヒコ」とも呼ばれ、神話的ながらも実在が有力視される。
  • 大王(おおきみ)(応神天皇など):4世紀後半~5世紀、有力な豪族たちを束ねて「大和政権」(ヤマト王権)を形成し始めた。
時代による変化
  • 卑弥呼の時代(3世紀):邪馬台国を中心とした連合体で、女性の女王が支配し、大陸との交流が始まる。
  • ヤマト王権(4~5世紀):大和(奈良盆地)の豪族連合が強まり、「大王」が首長として君臨し、豪族たち(蘇我氏、物部氏など)との関係を深めながら勢力を拡大。
  • 大和朝廷(6世紀以降)氏姓制度が整備され、大王を頂点とする支配体制が確立し、天皇号が使われるようになるなど、中央集権的な国家へと発展。
つまり、「ヤマト王権以前」は、卑弥呼の時代の倭国から、大王を擁する古墳時代のクニの連合(ヤマト王権の始まり)へと移り変わる過渡期であり、支配者は「女王」から「大王」へと変化していったのです。
 
 
 
中国からやってきた「卑弥呼」、「クマソ」と呼ばれた南九州の長(おさ)の薩摩隼人」の子供が、日の出に生まれた「天照大神(姉)」であり、次に生まれた神の力と武力のトップの「神武天皇」なのです。
 
 
 
「クマソ(熊襲)」とは、古代日本、特に九州南部(現在の熊本県南部〜鹿児島県北東部あたり)にいたとされる、大和朝廷に抵抗した人々の名称で、その地域や勢力自体を指す言葉です。日本書紀などでは勇猛で「熊のように襲いかかる」戦い方をする「まつろわぬ民」として描かれ、日本武尊(ヤマトタケル)の征伐伝説で有名ですが、これは朝廷側の視点からの物語で、現代では伝説的な存在、または後の「隼人」に繋がる人々と考えられています。 

 
 
 
 
 
 
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