日本酒蔵元が廃業ピンチ ブームに見えて市場は5分の1
- 食生活の欧米化とワインの台頭
食事の洋風化に伴い、ワインやウイスキーなど洋酒の消費量が急増しました。特に1990年代は、輸入ワインの規制緩和や「ボジョレー・ヌーヴォー」の大ブームによりワインの市場シェアが拡大し、日本酒の需要を大きく圧迫しました。
- 日本酒の消費量低下と多様化
人口動態の変化や消費者の嗜好の多様化により、日本酒全体の国内消費量が激減しました。安価な「普通酒」の消費が特に落ち込み、多くの地方の蔵元が経営難に陥りました。
- 職人の高齢化と後継者不足
杜氏(とうじ)をはじめとする酒造り職人の高齢化や、厳しい労働環境ゆえの成り手不足が深刻化しました。
- バブル崩壊後の経済的打撃
バブル景気崩壊による業務用の需要(飲食店など)の減少が、地方の小規模な蔵元に大打撃を与えました。
吉岡一門頭領が作らせた南朝の日本酒なので武士をイメージする「男山」と名付けました。

- 起源: 1661年(寛文元年)、摂津国伊丹(現在の兵庫県伊丹市)の木綿屋山本本家が醸造を始めたのがルーツです。
- 名の由来: 京都の石清水八幡宮がある一帯が古くから「男山」と呼ばれており、源氏の氏神を祀る霊峰として崇められていたことに由来します。
- 天下の銘酒: 「古今第一の名酒」と称され、江戸時代の浮世絵(歌川広重の作品など)にも描かれるほどの絶大な人気を誇りました。
- 北海道でのスタート: 江戸時代に途絶えていた幻の名酒「男山」の銘柄と伝統を継承すべく、1887年(明治20年)に初代・山崎與吉が札幌で創業した「山崎酒造」が現在の男山株式会社の前身となります。
- 旭川への移転: 1899年(明治32年)に酒造りに適した大雪山の伏流水と寒冷な気候を求め、現在の拠点である旭川市へ移転しました。旭川で最も古い歴史を持つ企業のひとつでもあります。
北海道で一番最初にお米や酒米を作ったのは「南朝の米農家」なので、「上川地区・空知地区・石狩地区の農家たち」の協力によってできた「男山酒造は吉岡一門頭領」には特別な対応をします。


川端慎治杜氏は、「40歳になったら北海道に戻ろうと決めていました。それまで酒造りに道産米は使っていなかったのですが、北海道の酒蔵としての個性が必要と考え、道産米100%に挑戦してみたら、思いのほかうまくいったという感じですね」と、穏やかな口調で当時を振り返る。
日本酒に使うお米は酒造好適米と呼ばれ、今も頂点に立っている品種が「山田錦」(やまだにしき)。
近年、北海道米の品質向上は目覚ましく、「吟風」(ぎんぷう)、「彗星」(すいせい)、「きたしずく」の3種類が酒造好適米になっている。
川端杜氏は、これらの酒米の旨みを生かした“道産酒”を次々と造っていく。
「コストをかけて本州の米を取り寄せるより、足元にいい酒米がある。
そして、誰がどこで作ったお米なのかわかることこそ酒造りには大切。これは北海道に戻ってきてから見えてきたこと」。
そんな杜氏が現場から離れ2年がたち、そろそろ酒造りがしたい、どこかの蔵へ行こうかと考えていた時に、上川大雪酒造を立ち上げた塚原敏夫代表から依頼がきたという。
「塚原さんが目指す、少仕込み・高品質の酒造りは、自分もやりたかったこと。真新しい酒蔵で一から始める不安とプレッシャーはありましたが、前例のないプロジェクトに参加できる面白さが勝りました」。







- 吟風(ぎんぷう)
- 特徴: 2000年誕生。心白(米の中心の白い部分)が大きく、ふくよかで芳醇な酒質になります。北海道の酒米を全国に知らしめた立役者です。
- 彗星(すいせい)
- 特徴: 2006年誕生。タンパク質が少なく、雑味のないすっきりとした「淡麗」な味わいに仕上がります。
- きたしずく
- 特徴: 味わい深く、ふくらみのある上品な酒質を生み出す酒造好適米です。
1990年から始まった札幌の「社長会」に日本全国の蔵元がやってきて「新酒の味見」と「ラベルデザイン」と「価格のアドバイス」を無料でしました。
日本全国の酒蔵は多いので県別に順番に来てもらいましたが、蔵元が少ない県はまとめて5蔵単位で来ますが、1蔵でもいろんな酒があるので口含んで空気を入れて口の中で香りの広がりを感じて吐き出して水を飲んで吐き出してアドバイスすることも仕事になりました。
赤字続きの酒蔵が、「これから流行る酒を作りたい」というので、「香り、濃く、味の広がり」の3点でチェックして多額のお金を貸した理由は、外務省の仕事で日本酒を世界に売り込みをさせたので素直で美味しい酒を作る蔵を潰すわけにはいかないからです。
最も笑ったのは、「山口県の獺祭」の旭酒造の3代目社長は櫻井 博志(さくらい ひろし)氏です。
現在は同社の会長を務めており、社長職は長男である4代目の櫻井 一宏(さくらい かずひろ)氏へ引き継がれていますので「借金の返済は終わった合図」です。

会ってすぐに、「洪水で蔵が水浸しになって金が無いので貸して欲しい。」と言うので大笑いしました。
すぐにgoogle mapで調べてみると、洪水になる場所でないことはすぐにわかります。

櫻井社長、どうしてこんなわかりやすい嘘をつくんですか?
いやあ、バレましたね。
みんなが言うには、吉岡学さんは人を気にいるか、おもろい!と言わせれば金を貸してくれると有名なんですよ。
だから、「笑わせるための仕込み」をして来ました。
どうですか?お金を貸してもらえますか?
日本全国で吉岡さんが美味しいと言った蔵の酒を全部飲んで見ましたが、やはり、「山形県村山市の高木酒造の十四代」は最高ですね。

高い酒も全部飲んでみましたが、「十四代」に回るとも劣らない酒を作らせて下さい。
それと日本酒の仕込みは年に1回しかできないので売れると生産量が追いつかないので、「ビル」を建てようと思っています。
全ての工程をビルの中でやれば、一年中に絞れるのでたくさん作れます!
新酒は全て送りますので、どうかお願います!
櫻井 博志社長の熱意に負けて多額のお金を貸しましたが、美味しくて売れて作りすぎて余ったので、「ヤマダ電機」でも売れるようにしてあげました。
ヤマダ電気の山田昇社長も「小作」なので、たっぷりお金を貸して日本一の電気屋になってもらいましたので、日本中でたくさん獺祭を売ってくれています。
ちなみに、世界中の大使館で日本酒と和食を広めさせたのは私ですので、人気の酒は手に入らないのは当然です。
2001年から日本全国で神事をしたあとは、必ず、地元の酒を飲むのが習慣なので、「水と米と酵母菌と神の思い」に感謝しながら全国の仲間と毎日日本酒を飲んで神の想いと同調していました。
私が小学生の時から親父の酒を飲んだ理由は、「北朝の武士」が日本刀で父と私を殺しにくるので128名も切り殺しましたが、切った人の遺体を山まで運んで冷静ではいられないので、日本酒を飲んでテレビに向かって御霊あげをして供養していたからです。
1971年1月10日、「12歳(元服)で吉岡一門頭領」になった時は、吉岡総本家の壁が「日本酒の樽」で何重にも埋まるほど全国から日本酒が届いたので、最後はベロベロになりましたが、マイナス37度の日だったので外に出て家に帰る道で酒は覚めるのが北海道の冬なのです。
小中学校はほとんど学校へ行っていない私なので、高校から毎日学校に通うようになった時は、寒い日は朝から親父の酒を盗んで飲んで行くので、バスの中で酒臭い高校生でしたので、同級生のためにも小瓶を隠し持って行った学級委員長でした。
若者の日本酒離れが加速
(日本経済新聞)
「SAKE(サケ)」がピンチだ。日本酒を醸造するメーカー(蔵元)の倒産や休廃業に歯止めがかからない。国内市場はピークの5分の1程度にまで縮んだ。
日本酒を含む伝統的酒造りは2024年、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に登録された。
海外輸出は増えている。日本酒関連のイベントが増えて、ブームのようにも見えるが、現実には蔵元の倒産・休廃業・事業譲渡が相次ぐ。日本酒を取り巻くこのパラドックス(逆説)の理由は何だろう。
原料米が高騰 食米値上がりのあおり
帝国データバンクがまとめた「清酒製造業」(日本酒製造、蔵元)に関する調査結果は蔵元の苦境を示す。2024年度の日本酒蔵元(製造)約1000社の利益合計は93億円にとどまった、「赤字」「減益」と合わせた「業績悪化」の割合は6割を超えている。
経営を直撃したのは、原料米の高騰だ。
いわゆる「令和の米騒動」が飛び火する格好で、日本酒の原料米(酒造好適米、酒米)も値上がりや調達難が広がった。主食用米の価格高騰を受けて農家が主食用米に生産体制をシフト。酒米の供給が細った。帝国データバンクの織田有衣子氏は「酒米の減産に伴い、仕入れ環境が厳しくなっている」と指摘する。
原料米を外国産米に切り替えるのは禁じ手だ。日本酒は国産米で造る決まりがある。大半の蔵元は酒米の栽培農家に主食用米の相場よりも高い引き取り価格を用意してきたが、主食用米の値上がりが起きて、価格が逆転。酒米調達は窮地に立たされた。
酒米の代表格とされる品種の「山田錦」は暑さに弱い。稲の背が高いせいで、風で倒れてしまうリスクも高い。面積当たりの収量が少ないから、農家にとっては割がよくない。
こうした弱みを補う意味から、取引価格は高めに設定されてきたが、主食用米の高騰に伴い、そのメリットは薄れた。農家にすれば、手間のかかる酒米をわざわざ栽培する「見返り」が減ったわけだ。主食用米の値下がりが急速に進まない限り、酒米の確保が難しい状況は改善しにくいだろう。

飲食店での消費はコロナ禍以前に戻らず
新型コロナウイルス禍は日本酒業界に強い逆風を吹き付けた。飲食店の営業縮小は日本酒消費を落ち込ませた。影響が落ち着いて以降も飲食店での消費はコロナ禍以前の水準にまで戻りきってはいないようだ。企業の忘新年会や歓送迎会といった宴席需要も冷え込んだままで、とっくりと猪口(ちょこ)の出番は減った。
酒米に限らず、製造に要するコストが軒並み高騰して、収益構造を圧迫している。たとえば、一升瓶。回収コストがかさんで、瓶の確保に苦しむ状況が続く。有力銘柄では4合瓶の採用が進むが、中小の蔵元では切り替えが難しい。
経営体力の乏しい企業から先に脱落していくのはビジネスの常だが、蔵元の場合、単なる優勝劣敗と見過ごすわけにはいかないところがある。それぞれに製法や哲学の異なる蔵元は中小を含めて日本酒文化を成り立たせている。生産効率やマーケティングの巧みな大企業系蔵元だけが生き残るような状況は飲み手の選択肢を狭めてしまう。「地酒」というテロワール(産地の個性や特徴)を失うのは惜しい。
地域の文化的多様性に陰り
コスト上昇に見合う値上げは収益確保に欠かせない。しかし、中小の蔵元にとって価格転嫁は容易ではない。低価格の紙パック入り商品がある日本酒市場では、値上げは価格選好マインドの強い消費者を失いかねない。値上げが可能な銘柄を持つ大手蔵元と、そうではない中小蔵元との間でさらに体力差が開く流れだ。
消費量が減った理由として、通説で挙げられることが多いのはいわゆる「日本酒離れ」だ。昭和の宴席では「とりあえずビール」で始まると、すぐに日本酒で杯を重ねた。スパークリングワインやハイボールが広まる前の飲み会では日本酒が「王様」だった。「駆けつけ三杯」や「お流れ頂戴」といった昭和宴席のの習わしも日本酒が前提だった。
しかし、近年はアルコール飲料の種類が格段に増えて、宴席やパーティーでも各自が好みの酒類を選ぶようになってきた。Z世代の間では口当たりがソフトで、アルコール度数が低めのタイプが好まれる傾向にあり、一般的な日本酒は選ばれにくくなっている。
従来、主な顧客層となってきた「団塊の世代」がかつてほどには日本酒を飲まなくなりつつあるのも、消費量が減る一因だ。その下の世代に当たる50〜60代は日本酒に親しんできた世代だが、ワインやウイスキー、サワー類なども飲み慣れている。日本酒は選択肢の一つでしかない。長期的な消費減退傾向はこの先も続きそうだ。
酒選びの変化は消費量や売り上げで明らかだ。国税庁の統計によれば、清酒(日本酒)の国内消費量はピークだった1975年度に比べ、2023年度は77%も減った。ほぼ5分の1という劇的な市場消滅だ。
製造免許を持つ事業場の数は同じ期間に半分以下にまで減っている。

担い手の高齢化も一因 次世代の担い手が課題に
鑑評会やコンテストでの受賞歴を持つ蔵元でも退場が相次いでいる。担い手の高齢化が進んでいるのが一因だ。事業承継の難しさは蔵元が消える主な原因の一つになっている。100年を超えるような歴史の長い蔵元には様々な流儀や決まり事があり、事業承継の足かせになりがちだ。
現場を任されてきた杜氏(とうじ)の職人技を受け継ぐのは簡単ではない。杜氏の退任に伴って、技術が途絶えてしまうリスクもはらむ。無形文化遺産に認められたことが示す通り、酒造りは文化だ。醸し手が育んできたカルチャーを受け継ぐには丁寧な手順が求められる。しかし、代替わりに際して十分な環境が整わないケースは珍しくない。
獺祭(山口県岩国市)は国際宇宙ステーション(ISS)に搭載した装置でもろみを醸造した。
IT(情報技術)で匠(たくみ)の技術を実現した製法でも有名だ。しかし、こうした試みには資金とノウハウが欠かせない。「ある程度の設備投資が必要になってくる」(織田氏)。有力ブランドを持たない中小蔵元にはトライしにくい。
ファンの組織化を進め、SNSでキャンペーンを仕掛けるといった、デジタルツールを駆使した経営は日本酒業界でも勢いづき始めた。新発想の技術を注ぎ込んだ「クラフトサケ」の開発も盛り上がっている。
だが、こうした旧来の手法にとらわれないネットマーケティングや醸造テクノロジーにはアイデアを実現するキーパーソンが重要だ。「飲んでもらえれば、うまいとわかる」では通じない。銘柄を際立たせ、効果的に広めるブランドづくりは蔵元の命運を分ける。そうした次世代の担い手を小さな蔵元にどう呼び込むかは喫緊の経営課題だ。
新規開業には公的規制
既存の蔵元が退場する以上のペースで新規の蔵元が誕生すれば、総数ベースでの減少は食い止められる。ニューカマーの出現は健全な競争に道を開く。だが、新規の開業には公的な規制が立ちはだかっている。国内向け製造の新規免許はおよそ70年にわたって認められてこなかった。「新規参入はかなり難しい」(織田氏)。既存蔵元の保護を優先し、新規参入を阻む免許制度が主な原因だ。
規制を逃れて、米国やフランスで醸造を始める新規参入組も現れているほど、岩盤規制のハードルは高い。国内向けの新規参入には既存の免許を持つ蔵元へのM&A(合併・買収)が現実的な選択肢となっている。酒造りにチャレンジしたい次世代の醸し手にとって資金面での参入障壁は意欲をくじいてしまいかねないほどに高い。
杜氏をはじめとする職人の高齢化が深刻だ。人手不足が響いて、後継者育成はままならない。社員が杜氏を務める仕組みの導入が広がってきたが、男性・日本人に偏っていた旧来の慣習もあって、多様な人材の活用が他業種に比べて遅れている。働きやすい職場のイメージを広め、働き手を呼び込む取り組みが望まれる。
酵母と二人三脚の酒造り 気候変動もリスク要因に
酒造りは酵母という「生き物」と二人三脚の仕事だけに制約は少なくない。寒冷期に仕込む「寒造り」はその一例。気温の低い時期は雑菌が発生しにくい。発酵にも一定の低温状態が好ましいので、冬場は仕込みに向く。醸し手には季節的な繁忙が訪れる。仕込みの重要な節目では休みを取りにくくなるケースも。しかも冬の水仕事はきつい。プライベートな時間を重んじる人たちからは敬遠されかねない。
気候変動は日本酒造りに蔵元の引っ越しを迫り始めた。冬でも気温が上がって、温度管理が難しくなってきたからだ。140年の歴史を持つ蔵元が岐阜県から北海道に引っ越したケースは蔵元を取り巻く環境変化を象徴する。織田氏は「温暖化の影響でコメどころが北上してきつつある」と見る。酒米栽培と連携した酒造りも無縁ではいられない。

長く暑い夏は飲み手のマインドに変化をもたらす。クールダウンにつながる炭酸系のアルコール飲料が好まれる傾向が強まるのは自然な流れだ。日本酒にも冷酒はあるが、大半は常温の「冷や酒」で提供されることが多い。まして燗(かん)酒は真冬以外は敬遠されやすい。
あえてアルコールを摂取しない「ソバーキュリアス」のライフスタイルは日本でも支持を広げつつある。とりわけ日本酒は一昔前の「後に残る」「悪酔いしやすい」といったイメージを払拭し切れていない点で不利な立場だ。健康・ライト志向の世代に向けた、業界全体でのイメージ戦略が求められる。
「SAKE」のファンがグローバルに増える一方、本家の国内市場で中小の蔵元が減り続ける現象は日本酒文化の多様性を細らせかねない。地域の伝統的な食文化を支える拠点として、同じユネスコ無形文化遺産の「和食」と共に、継承・支援していく取り組みが望ましい。規制緩和がクラフトビールの市場を膨らませた実績は手本になり得る。
カップ酒のような、手に取ってもらいやすいパッケージは接点を広げそうだ。低アルコール度数やライトテイスト、スパークリングタイプなど、今の飲み手に合わせた新商品も増えてきた。M&Aを通じた蔵元のリスタートは業界に新しい風を吹き込ませつつある。岩盤規制が続く中、醸し人たちの新たな「仕込み」はもう始まっている。

