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8月15日は終戦記念日

日本の「終戦記念日(終戦の日)」は毎年8月15日です。
 
1945年のこの日、昭和天皇による「玉音放送」でポツダム宣言受諾が国民に伝えられ、太平洋戦争が事実上の終結を迎えました。
 
 
 
 
 
の日は「戦没者を追悼し平和を祈念する日」として閣議決定されており、政府主催の「全国戦没者追悼式」が日本武道館で開催されます。 
 
 
国によって終戦を迎えた日は異なり、国際法上は1945年9月2日の「降伏文書調印」をもって第二次世界大戦の終結とされています。
 
詳細な歴史的背景や意味合いについては、Wikipedia 終戦の日 などのページで確認できます。
 
 
 
 
「私の親世代は昭和一桁生まれの戦中派」なので、8月15日は、街の中にいても「大きなサイレンが鳴る」ので、歩道に横たわり「死者の思い」に沿う人がいたり、歩道に正座して西の方角を向いて手を合わせた人がたくさんいた時代ですが、「日本が負けた戦争を忘れている人」は誰もいない世代です。
 
 
 
「戦争を忘れた子供達」は、かつての戦争の悲惨な記憶が風化していく現状や、平和な時代に生まれ育ち戦争を実感できない現代の子供たち(および世代)を指す表現として用いられる言葉です。 
 
 
1970年代に流行した楽曲「戦争を知らない子供たち」(北山修作詞・杉田二郎作曲)のように、戦争を知らない世代が社会の主流となるにつれ、その記憶をどう継承していくかが重要な課題となっています。
 
 
 
 
 
 
 
戦後81年目の日本人が意識するべきこと
 
戦後81年目の日本人が意識するべきことは、戦争体験の風化を防ぎつつ、記憶をどう継承するか、そして遺骨収集などの戦後処理の課題に目を向けることです。
 
 
また、現代のテクノロジーを用いた戦争の形や、世代を超えて続く心の傷に向き合う姿勢が求められています。 
 
 
戦後81年を迎えるにあたり、具体的に意識・行動するべきポイントは以下の通りです。
 
  • 体験者からの「直接の継承」の限界と新たな発信
    • 戦争体験者が年々減少し、直接話を聞くことが難しくなっているのが現実です。手紙や日記、音声などの「記録」から学び、次世代へ伝えていく責任があります。
    • 文藝春秋などが特集しているように、昭和史の受け止め方や伝え方も時代に合わせてアップデートされています。
  • 終わらない戦後と未解決の課題
    • 未だに100万体以上の遺骨が行方不明となっており、戦後処理は終わっていません。
    • 沖縄をはじめとする戦場では、81年を経てもなお癒えない心の傷を抱えて生きる人々がいます。こうした「個人の戦後」に寄り添う想像力が不可欠です。
  • 変化する世界情勢と平和の再定義
    • ドローンやサイバー戦など、私たちが想像するものとは異なる最新の戦争の形が世界各地で起きています。国際協調の重要性や、平和国家としての歩みをどう維持していくかが重要な論点です。

 

一方で、世界を見渡せば「ロシアとウクライナ」や「アメリカとイラン」など各地の紛争により、今も過酷な状況に置かれ日常を奪われている子供たちが存在します。

 

大東亜戦争を正しく学ぶために行くべき場所

第二次世界大戦を深く学ぶには、多角的な視点を得られる場所を訪れることが重要です。まずは歴史の悲惨さと平和の尊さを肌で感じられる日本の代表的な戦跡・資料館へ足を運ぶのがおすすめです。 
 
 
 
1. 広島と長崎:原子爆弾の惨禍を知る
 
 
  • 広島平和記念資料館(広島県広島市)

    世界で初めて被爆した広島市の中心部に位置し、被爆者の遺品や惨状を示す資料を展示しています。核兵器の脅威と平和の重みを世界に発信する中心地です。

    詳細は 広島平和記念資料館 で確認できます。

  • 長崎原爆資料館(長崎県長崎市)

    長崎への原爆投下に関する資料や、当時の被害状況、復興への歩みを展示。被爆の実相を後世に伝えています。
     
 
 
2. 沖縄:激戦地の歴史と住民の被害
 
  • 沖縄県平和祈念資料館(沖縄県糸満市)
  • 沖縄戦における住民の視点に焦点を当て、戦争の悲惨さや命の尊さを伝えている施設です。平和祈念公園内にあります。

    利用案内は 沖縄県平和祈念資料館 から確認できます。
     
 
 
3、知覧特攻平和会館
 
鹿児島県南九州市知覧町郡17881
 
 
 
 
 
 
 
北海道から学ぶ戦争の歴史
 
お住まいの北海道内にも、戦争の歴史を学べる重要なスポットがあります。
 
  • 北鎮記念館(旭川市)

    陸上自衛隊旭川駐屯地に隣接し、かつての旧陸軍第七師団の歴史から屯田兵の活動、防衛の歴史まで幅広い資料(約2500点)を無料で展示・公開しています。
     
  • 北海道ノーモア・ヒバクシャ会館(札幌市白石区)

    道内の被爆者や戦争体験に関する資料を展示しており、地域の歴史の側面から戦争について学ぶことができます。
    (開館日時は 北海道ノーモア・ヒバクシャ会館 で事前確認をおすすめ.

 

 

私は「防衛省の特別統合幕僚長」として二度と日本が戦争で負けないように「吉岡一門資産」を使ってあらゆる武器を日本全土に極秘に設置したし、世界を飛び回って日本を攻撃しない「安全保障条約」を私がたくさん結びました。

 

今のように平和ボケした「日本人に武器を持って戦え!」と怒鳴っても敵兵を殺すのは無理だからこそ、自衛隊員たちには厳しい訓練をたくさんさせたし、5人でやる仕事を3人でできるように改善しました。

 

「極秘ドローン」もたくさん設置したし、あらゆる「極秘の武器」をあちこちに設置しましたし、日本領土を守るためにできることはたくさんやりましたが、どこの国が裏切るかわからないので、「最後は陸自の戦い」になるので、日本国民も戦う覚悟持って命を捧げた英霊たちに感謝の祈りを捧げて下さい。

 

日清戦争(1894年〜1895年)で亡くなった日本人の数は、軍人・軍属の総死者数で約1万3,800人

 

日露戦争(1904年〜1905年)で亡くなった日本軍の軍人・軍属の数は、戦死および病死などを合わせて約8万4千人から8万5千人

 

第一次世界大戦(1914〜1918年)で亡くなった日本人の数は、主に中国の独逸租借地を攻撃した「[青島の戦い](wikipedia.org、戦死者約507人(陸軍236人、海軍271人)、全体での関連死を含めても約1,000人未満(または約千数百人)とされています。

 

第二次世界大戦(太平洋戦争・日中戦争)における日本の死者数は、政府(厚生労働省)の公式発表でおよそ310万人(軍人・軍属約230万人、民間人約80万人)とされています。
 
なお、近年の研究や統計の再推計では、実際の戦時下の超過死亡数はさらに多い約376万人と見積もられることもあります。

 

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