2025年8月2日 札幌ban.K 花火大会に参加しました
1989年から「札幌の社長会」に来られた社長が主催している「札幌 ばんけい花火祭り」に参加した時に、昔のことをたくさん思い出しました。

パチンコ太陽グループの子会社である札幌ばんけいが運営している。「さっぽろばんけいスキー場」
太陽グループ https://taiyogroup.jp/about-company/overview/

東原 俊郎(ひがしはら としろう、1946年(昭和21年) – )は、日本の実業家。東原興産代表取締役社長、札幌ばんけい代表取締役社長、太陽育成会理事長。

平成10年4月より「即応予備自衛官」によって構成された警備隊を組織し、安全確保に正面から取り組んでいます。

日常、一般の方と同じように生活しながら有事の防衛出動はもとより東日本大震災のような災害時に常備の自衛隊とともに第一線に立って活躍する非常勤の自衛官です。
身分としては「非常勤特別国家公務員」で、1年以上の自衛官勤務経験が必要とされています。
年間30日の訓練招集が定められており、1回に2日~4日に分割されて自衛隊に出頭し、厳しい訓練を定期的に受けています。
東原 俊郎社長談
私の「パチンコ屋人生」を語るには学生時代まで遡らなければなりません。
当時、私はトランペットに夢中で、卒業したらトランペットで身を立てようと本気で決心したほどでした。
しかし、22歳の時に父が急逝し、父が経営していた「土建業」を継ぐことになったのです。
建設に関して素人だったため、懸命に学びながら働きましたが、2年後に会社は倒産。
その後は昼間はダンプの運転、夜はススキノでトランペットを吹き、夜中にはまたダンプで土砂運びなど、必死で働きました。
そんな生活は30代後半まで続き、これで人生を終えていいのか、と思ったほどです。
そんな時でした。パチンコ店の経営建て直しをしてくれないかという話が私のもとに舞い込んできたのです。
当時の世間一般のパチンコに対する偏見と同じく、
私自身も偏見を持っていたのが正直なところです。
まだ幼い我が子に、親がパチンコ屋で働いているなんて言えやしない。
しかし、この子を立派に育て上げたい…父親として苦しい選択を迫られました。
こんな男が私の「社長会」にやってきたら話を聞くし、「東原俊朗さんのwikipeia」に会えばアドバイスしたくなるのも当然の人です。
プロフィールを聞くと、私の実家が近い深川市なので、「南朝」だとわかります。
北海道の上川地方、空知地方、石狩地方」の農家は全て吉岡一門の南朝の武士と小作なので、士農工商の全ての人を連れて移住した一族なので当然、助けます。
「お金を稼ぎたいがトランペットもしたい、そして家族も養いたい、他の欲望はない」と言うほど素直な人だったのでいろんなアドバイスをしたし、「自衛隊予備軍」も採用してくれたので、戦争対応準備としてとてもありがたい社長です。
私は高校生からダイエーを辞めるまでは、パチンコ、麻雀をよくしていましたが、自営業になった37歳の時に全ての博打は辞めました。
14年間もダイエーで働いてダイエーの利益を出してやったし、倒産しないようにしてやったのに、「680万円という安い退職金」だったので、1年間でAmwayビジネスで結果を出すために女以外の欲望は全て捨てた人間です。
「20種類の国の仕事の給料」はいつかもらう予定だったのに、防衛省も官僚の仕事もタダだったし、「年金も月5万円」しかないとわかった時に「いつかもらいます」としか言ってなかったので新しい日本になってからゆっくり日本国に請求する予定です。
「ばんけい」という文字を「Ban.K」に変更させたのは私だし、若い人や外人にインパクトを与えることが「本業はパチンコ業」と言うイメージを払拭すると考えたからです。


1990年当時に、パチンコをしているお母さんが車に子供を放置した事件があったので、パチンコ店に併設して「託児所」を作ってくれたし、野球が好きだったので「野球場」も自費で3つも作ってくれたほどいい人です。
札幌人図鑑
今回の花火大会は「日南」という会社の花火を打ち上げましたが、この社長も「札幌の社長会」に来た人です。
「花火会社 日南(ひなみ)」という名前の花火製造会社は、日本の花火業界では一般的ではありません、とwikipediaに出る理由は、花火屋は職人なので「自営業でいい」という社長だったので私が紹介しました。
「花火会社 日南(ひなみ)」は、花火の製造・販売・貯蔵・消費を扱う総合会社として、おもちゃ花火の分野でトップシェアを誇る会社は存在します。
いろんな小さな花火を作る職人たちをまとめていた人ですが、「バブル崩壊で余った花火の処理」は、大東亜連合をまとめているインドのモディ首相に電話すると、「ぜひ、日本の花火を見たいです!」と言うので、日本中の余った花火を全部安く持って行って売りました。
私のプライベートジェット機で職人と一緒に打ち上げに行ってくれたので、「毎年の仕事」になったとても大東亜連合の国王たちにも側室たちにも喜ばれました。
面白い日南社長だったので「花火を作る現場」も見せてもらい、職人2名と花火を作ってみると、私は手が器用なので「自分だけのオリジナル3尺玉の花火」を作らせてもらい、「日本三代花火大会で特別賞」をもらいました。

「日本三代花火大会」は、新潟県長岡市で「長岡まつり大花火大会(長岡花火)」、 秋田県の「全国花火競技大会(大曲の花火)」、茨城県土浦市の「土浦全国花火競技大会」。

「手先が器用なので花火職人にならんか?」と言われましたが、「仕事をタダでたくさんしていて忙しいので無理です」とお断りしました。
「3尺玉の特別賞もいらないし、名前も出してほしくない、それに大東亜連合からのお礼も一切、いりません」と言ったので、そのお礼として「ばんけい花火大会はタダで花火を上げてやる代わりに新しい新作を発表する場にする!」と言った社長のことも思い出しましたが、知り合いが多いし私は記憶を消したので誰にも挨拶せずに帰りました。
ダイエーの東京本社に勤めた時に「東京の江戸川花火大会を見に来い!」と日南の社長に呼ばれていくと、「作業を手伝ってくれ!」と言うので、花火のリレーの配線を全部チェックして、「予備花火の配線」も組んでおいた結果、途中で1個の花火が火花を受けて加熱したので数名で大玉を抱えて川に捨てました。
もし爆発したら誰から死ぬか大怪我をするので、花火を打ち上げる現場は大変緊張する仕事が夢があります。
花火は、「音楽のタイミング」で打ち上げる「タイマーどおりの配線図」なので、私が配線図を組み直して、曲の途中で花火が止まらないようにして無事に終えたという体験もしました。お礼は、飲み会だけで十分でした。

「北海道の1企業」のことですが、北海道中、日本中の全ての企業は私のことを知っているので、全て記憶を消したし、「絶対に挨拶もしないで下さい」と伝えてあります。
理由は、吉岡一門頭領として日本国を守るためです。
表に出て騒がれるといろんな仕事がやりづらいし、邪魔をする奴も出るし、金をせびる人間も来るし、命を狙う人間も来るので、一切、関わって欲しくないと全国の社長たちにはお願いしました。
日本を無事に生き残る国にすることも私の責任だと思っていますが、やり方は普通じゃないので、誰も知らないうちにいろんなことが変わっていくように日本は変わりますので私のことは気にしないで下さい。

