救難飛行艇US2 「辛坊治郎」も救った世界最高峰の国産装備 2015年4月22日
辛坊さんの太平洋横断・振り返り①/2013年の失敗、漂流の顛末

2013年の4月9日に大阪を出航し、念願の太平洋横断航海を成功させ、アメリカ・サンディエゴに到着した辛坊治郎さん(65歳)。
なんと復路も単独無寄港の航海を成功させ、8月24日に大阪に帰還した。
挑戦の準備段階から辛坊さんを取材してきた記者が、前代未聞の太平洋往復航海を、数回に分けて振り返る。
■2012年に動き出した時計
辛坊さんにとって今回の太平洋横断は2回目の挑戦。
1回目の挑戦は2013年で、失敗している。
まずはその挑戦の顛末に触れておこう。
きっかけは『Kazi』誌2012年1月号の記事。
それは、28ftのクルージング艇、ブリストルチャネルカッター28〈エオラス〉を紹介した記事だった。
この船は、お笑いタレントの間 寛平さんが2008年から2011年にかけて成功させた、ランニングとセーリングだけで地球を一周するという冒険「アースマラソン」で使われた艇だった。
ヨットでの航程には、間さんの元マネージャーで〈エオラス〉のオーナー、比企啓之さんが同乗した。
そんな有名艇を紹介した記事の最後には、「大洋クルーズに出る夢を持っている人に〈エオラス〉を貸し出したい」という比企さんの意向が紹介されていた。
申し出に対する反応は、思いがけない人物からあった。アメリカ・サンディエゴ在住の全盲のセーラー、岩本光弘さん(以下、ヒロさん)からだった。
16歳で視力を失ってからセーリングに出合い、その魅力にのめり込んでいたヒロさんは、音声で『Kazi』を“聞いて”いた。
ヒロさんは、あの有名な〈エオラス〉が借りられるという話に心を躍らせ、比企さんと連絡を取る。目的は太平洋横断だった。
全盲のセーラーからのオファーがあるとは想像もしていなかった比企さんが、断るべきかどうか悩んでいると、ヒロさんは思いがけないことを口にする。
「二人乗りならでどうですか。『Kazi』で連載をしている、辛坊さんという人はどうだろう」
当時『Kazi』に1ページコラムを連載していた辛坊さんのプロフィール欄には、「いつかは太平洋横断を目指すヨットマン」とあり、そのことをヒロさんは“聞いて”知っていたのだ。

2013年に岩本光弘さんとの二人乗りで太平洋横断を目指して出航。この6日後に艇体を放棄せざるをえない大惨事に遭遇。
■クジラに衝突して漂流
その唐突ともいえるオファーを、なんと辛坊さんは承諾する。ヨットでの太平洋横断を数十年来の夢として心の中に持ちながらも、当時、週6日の生放送テレビ番組に出演していた辛坊さんには、その実現に向けて準備すらできる状況ではなかった。
それを実現する方法として、この太平洋横断を読売テレビのドキュメンタリー番組にするという条件で、3カ月の休みへの道筋をつけたのだ。
ヒロさんと辛坊さんの夢はテレビ局らによるプロジェクトになり、2013年6月15日に出航する。
しかしわずか6日後の6月21日。大荒れの海況下で〈エオラス〉はクジラと衝突。
船底の亀裂から浸水し、辛坊さんとヒロさんはライフラフト(救命用いかだ)に乗り移って漂流した後、「海上自衛隊」に救助される。
ライフラフトに乗り移る際に、衛星携帯電話と国際VHF無線機を持ち出すことができたため、海上自衛隊の救難飛行艇によって二人は無事に救助される。
〈エオラス〉は太平洋の底に沈んだ。海難審判では、「船長責任なし。不可抗力」をいう裁決が下ったが、スケジュール的に無理があったかもしれない。

2019年に発行された辛坊さんの著書『自己責任~わずか1週間~』(KADOKAWA 刊)。沈みゆくフネからの手に汗握る脱出劇が克明に記されている。
■失敗直後に決めていた再挑戦
漂流するライフラフトの中で、辛坊さんとヒロさんの気持ちは、すでに再挑戦へと向かっていた。
「二人で漂流中に、『次はいつ行こうか』と話していました。それを話すことが、生きる希望になっていたところがありますね」(辛坊さん)
辛坊さんは再挑戦に向けて、その失敗から3カ月もたたない2013年9月に中古のクルージング艇、「ハルベルグ・ラッシー39」を手に入れる。これが、8年後の2021年に太平洋横断を成功させることになる相棒〈カオリンV〉だ。

太平洋横断再挑戦のために2013年に手に入れた愛艇〈カオリンV〉(ハルベルグラッシー39)。艇名は奥様の名前に由来
photo by Jun Nakajima(文=Kazi編集部/中島 淳)
「救難飛行艇US2」 「辛坊治郎」も救った世界最高峰の国産装備

「空飛ぶ船」とも呼ばれる海上自衛隊の救難飛行艇US2が突然スポットライトを浴びたのは、平成25年(2013年)6月21日のことだ。
太平洋をヨットで横断中に遭難したニュースキャスターの辛坊治郎さんら2人を、宮城県金華山沖約1200キロで救助した。
厚木航空基地(神奈川県)で待機していた岩国航空基地(山口県)71飛行隊所属のUS2が飛来したが、現場海域の波の高さは4メートル。
救助活動は困難と判断されたが、2機目のUS2が波高3メートルの瞬間を捉えて救助に成功した。
「この飛行機、なければ私、死んでました」
辛坊さんは後にラジオ番組でこう語った。世界最高峰と称賛される国産救難飛行艇であればこそなせる業だったというわけだ。
新明和工業(兵庫県宝塚市)が製造するUS2の性能で特筆すべきは、世界で唯一、波高3メートルでも海面に降り立つことができる能力だ。
カナダ・ボンバルディア社のCL415が着水可能な波の高さは1.8メートル、ロシア・ベリエフ社のBe200が1.2メートルであることを考えれば、US2の能力の高さが理解できる。
最高速度は時速560キロ。荒波の上に着水するためには速度を落とさなければならない。
しかし、航空機は速度が遅ければ遅いほど浮き上がる力を失ってしまう。US2は主翼から大量の空気を噴き出すことで時速約90キロでも機体姿勢を維持し、330メートルの距離があれば着水できる。
主翼に取り付けられた浮き(フロート)でエンジンやプロペラを水から守り、機体に施された特殊な溝や突起物で着水時の波しぶきを防ぐ高耐波性技術を採用。
電子制御で機体を操る「フライ・バイ・ワイヤ」や自動操縦装置を導入したことで、機敏な動きの中での安定性を確保した。先端技術の粋を結集した救難飛行艇には、海外からも熱視線が注がれる。
インド政府はUS2輸入に意欲を示しており、日印両政府は合同作業部会で具体的な詰めを行っている。
日本は2023年4月に閣議決定された「防衛装備移転三原則」で「武器」も輸出できるようになったため、敵味方識別装置を搭載したままでの輸出も可能になった。
「US2」が活躍するのは海難事故の現場だけではない。
自衛隊の航空機が墜落したときなどに乗員を救助するのが本来の役割と位置付けられている。
特に、海上交通路(シーレーン)防衛に当たる「P3C哨戒機」の乗員を救助する任務では、US2の存在が不可欠だ。
機内に置かれているベッドの数がP3Cの定員と同じ11床であるのも決して偶然ではない。

海自ヘリコプター「UH60」が航続距離約1300キロであるのに対し、US2は約4500キロ。

巡航速度も「UH60」の約2倍で、半径約1900キロの広範な海域へ素早く向かうことができる。
脱出用の内火艇が積まれている艦船と異なり、航空機が大海原に投げ出されれば、乗員は救助を待つしかない。「US2」は自衛隊パイロットを守る命綱となっている。
・・・・・・・・・
この辛坊治郎の船から「SOS」が発信されていましたが、「波の高さは4m、それ加えて風速19m」だったので、「防衛省は救助を断念」と決めたと私の部下から連絡が来ました。
迷いましたが、「US2」を作った新明和工業の社長に電話して「今、緊急事態なので救助に向かうのですが、US2は風速何mまで大丈夫が教えて下さい!」と聞くと、「操縦の腕にもよりますが、30mまでは大丈夫です、」と答えたので、覚悟がある自衛隊員だけを選んで出動命令を私が出しました。
私は読売テレビの「そこまで言って委員会」が大好きだったので、「やしきたかじんの女が札幌のマンション」にいると分かったので、部下に調べさせると体調が悪いのに札幌までやってきた「やしきたかじん」と話しました。

「籍は入れなくてもいいけれど、あなたほど自分勝手な人間を受け入れてくれる女はいないと思うし、最後まであなたを看取る覚悟をしている女なんていないと思うので、十分な金くらいは渡して欲しい。」
と私が頼んだので、最後まで「やしきたかじん」は幸せな顔をして死んだと彼女から報告があり、良かったと思いました。
2014年〈平成26年〉1月3日[5])に亡くなったやしきたかじんのあと、「そこまで言って委員会」を継続させるのには引き継ぐには、読売テレビの社長の許可がいるので「正力亨オーナー(2011年没)」に直接、会いにいき、交渉して番組の継続をさせる許可証を書いてもらっていました。
1990年代に、ダイエーの中内功(2005年死去)と正力亨オーナーは知り合いだったので紹介してもらい、絶対に番組の継続をさせたかったので私がお願いしに行った背景があるからです。

1989年から無償で行った「札幌の社長会」に「東京のテレビ局すべてが来た」し、私がアドバイスした企業を「テレビで紹介して良い」と許可を出してヒット番組になっているので文句を言うはずはありません。
テレビ東京の「カンブリア宮殿」、「ガイヤの夜明け」は大ヒット番組だし、「毎日放送 情熱大陸」も「札幌の社長会」大ヒットしたし、NHKの「新プロジェクトXも同様なので、NHKにもたくさん文句を言っていろんな番組の編集に関わっている「裏ディレクター」が私です。
「そこまで言って委員会NP」と名前を変えて、頭の回転が早い女の司会者を選び、「うなずくだけの男」を横に置いて番組を継続させた理由は、日本で唯一、本音で政治経済を語る番組だったので、自然に「そこまで言って委員会NP」の影のディレクターも頼まれたので出演者全員に挨拶にも行きました。
関東で「そこまで言って委員会NP」が放送されない理由は、正力オーナー本人にボロクソに言った「やしきたかじん」のせいですが、現在、「そこまで言って委員会NP」は「TVer」で見られるのでぜひ、ご覧下さい。


2011年に安倍晋三総理を「そこまで言って委員会」に出したのは私なので、一緒に「やしきたかじん」と「安倍晋三総理」と3人で温泉に入りました。
すべての段取りは、神戸市議平野章三にさせました。


たかじんさん、安倍元総理、三宅先生、勝谷氏とともに、金 美齢先生と5名での対談が放映されてました。
たかじんさんと安倍元総理は、7年前に一度温泉にてゆっくり過ごそうとの約束が実現したようです。

安倍元総理は以前 垂水駅西口にて、一度応援演説に来られ その時、私は前座を勤めさせて頂きました。
三宅先生も私の講演会の会合に講師としてお招きさせて頂いたことがあり、この度、2月5日に金 美齢先生とともにティー・パーティーの開催予定がありますので、特に安倍元総理を囲んでの政治談話は、 楽しく見させて頂きました。
高度な政治が出来る方々の議論は国会よりはるかに率直なやりとりと、 納得できる内容があり、楽しさの中に心が引きつけられるようなこの番組は、意外と国民の皆様を動かすのではないかと思います。
今、何事にもぶれず決断できるリーダーが求められており、 そして日本を本当に救わなければと多くの国民の皆様は同じ〝おもい〟ではないでしょうか。

ただ私は神戸市の自民党の市会議員ですが、国政において批判体質の自民党には魅力を感じません。
安倍元総理の考え方のように、もっと将来に向かって国民の求めている政策を明確に打ち出す戦いをするべきであります。
そこで、この度の金 美齢氏との懇談の機会では、今の日本の現状について皆さんの〝おもい〟を十分受け止め、厳しい指摘とともに楽しいひとときの会になると思います。

ちなみに、番組にまた出たいと言った辛坊治郎には、こう伝えました。
「今後、一切、絶対にテレビには出るなよ!
お前のせいで自衛隊員が命をかけて救助したのに、お礼のひとつもしないお前を俺が許すわけはないので、テレビに顔を出したら誰かに殺されると思っておけよ!」
【海外の反応】「自衛隊は異常なのか…」5時間漂流した米軍パイロットhttps://youtu.be/_rk-PqraR7Q?si=_5vaiZKtRO1IoitFが涙した理由とは
救難飛行隊(きゅうなんひこうたい 、英語: Rescue Squadron)は、海上自衛隊の航空救難部隊の俗称。
以前は正式な部隊名として存在したものの、度重なる部隊改変により、現在正式には他の飛行隊と同じような「ナンバー飛行隊」となっており、慣習的に以前の呼称が用いられているものである。
概要
海上自衛隊救難飛行隊は、航空自衛隊航空救難団救難隊と同様24時間待機状態にある。
外洋での海難救助に重点を置き、「海難救助最後の砦」とも呼ばれる。
航空自衛隊の航空救難団救難隊と異なり、固定翼捜索機U-125Aを配備していないが、共同での捜索・救難活動を行なっている。
各飛行隊にはUS-2救難飛行艇(第71航空隊)、SH-60K哨戒ヘリコプター(救難仕様)(第21航空隊硫黄島航空分遣隊)が配備されている。
救難飛行艇では、機外に進出して遭難者や傷病者を救助する機上救助員と、これらの要救助者を機内に収容してからの救護を担当する機上救護員が搭乗している。機上救助員は潜水員[1]、機上救護員は衛生員(准看護師や救急救命士)である。
一方、搭乗可能人数に余裕がないUH-60Jでは、機上救護員がHRS(Helicopter Rescue Swimmer)の資格を取得して兼務している[2]。
歴史
- 1960年(昭和35年)に海上自衛隊の捜索救難を担う部隊として編成。
- 2008年(平成20年)3月26日、海上自衛隊体制移行による部隊改編により、第71航空隊(固定翼)、第72・73航空隊(回転翼)に再編。
- 2018年(平成30年)4月2日、航空部隊改編。第72航空隊が廃止となり、第22航空隊に第224飛行隊及び鹿屋航空分遣隊を新編[3]。同日、第73航空隊が廃止、第21航空隊に第213飛行隊及び硫黄島航空分遣隊が新編[4][5]。
- 2022年(令和4年)
- 2023年(令和5年)1月:第22航空群隷下の第22航空隊鹿屋航空分遣隊が廃止[8]。
部隊編成
第71航空隊
第31航空群隷下部隊。岩国航空基地所在。US-2を運用する。厚木航空基地にも1機を分派して救難待機(2時間待機)についてたが、現在は中止されている。
コールサイン:IVOLY/RESCUE RAINBOW(救難任務・災害派遣)[9]
第21航空隊硫黄島航空分遣隊
第21航空群隷下部隊。硫黄島航空基地所在。SH-60K哨戒ヘリコプター(救難仕様)を運用する。
コールサイン:RESCUE LARK(救難任務・災害派遣時、末尾に機体番号下二桁を付する。「RESCUE」は省略する場合がある。)[9]。
航空救難区域
航空救難(捜索救助)では、1960年(昭和35年)12月24日付け「航空救難に関する訓令」(昭和35年防衛庁訓令第56号)により、航空自衛隊と海上自衛隊に日本の領域での航空救難区域(SRR:Search and Rescue Region)が航空自衛隊と海上自衛隊が担当区域を重複しないように区域がに割り当てられ、区域指揮官に航空自衛隊は各航空方面隊司令官が、海上自衛隊は各航空群司令が充てられ、航空救難に対して円滑な共同・協力体制が組まれていたが、2017年(平成29年)3月、26中期防に基づき海上自衛隊及び航空自衛隊が担う陸上配備の航空救難機能が航空自衛隊への一元化されたことにともない海上自衛隊が管轄する救難区域が廃止された。
2017年3月31日以後は、9区域となっていた救難区域が4区域に改定され[10][9]、区域指揮官は航空方面隊司令官が、専任部隊には硫黄島航空分遣隊及び航空自衛隊の救難隊があてられている。
救難飛行隊(第71航空隊、第21航空隊硫黄島・第22航空隊鹿屋航空分遣隊)は、主に外洋や離島などの急患輸送の出動が多い。
- 2017年(平成29年)3月までの海上自衛隊の区域指揮官と担当区域
- 第1航空群司令(鹿屋航空基地)の担当区域
- 第7救難区域(南九州および九州西部の周辺海域)
- 第2航空群司令(八戸航空基地)の担当区域
- 第31航空群司令(岩国航空基地)の担当区域
- 第5救難区域(日本海南部、中国、四国沖)
- 第4航空群司令(厚木航空基地)の担当区域
- 第4救難区域(房総沖、小笠原諸島、硫黄島)
- 第5航空群司令(那覇航空基地)の担当区域
- 第9救難区域(東シナ海、沖縄周辺海域)
脚注
- ^ 山口 2017.
- ^ 岡田 2015.
- ^ 第22航空隊指揮官便り
- ^ 館山航空基地HP トピック
- ^ 館山航空基地HP 編成
- ^ 海上自衛隊 第22航空群 [@JMSDF_22aw] (4 March 2022). “令和4年2月14日に #大村航空基地 所在の第22航空隊が保有するUH-60Jが除籍され、第224飛行隊が解隊されました。”. X(旧Twitter)より2022年3月5日閲覧.
- ^ 海上自衛隊 第21航空群 [@JMSDF_21aw] (1 April 2022). “【第213飛行隊廃止】”. X(旧Twitter)より2022年4月2日閲覧.
- ^ 第22航空隊の概要
- ^ a b c 自衛隊の航空救難に関する達平成30年自衛隊統合達第14号
- ^ 杉山 2019.
参考文献
- 岡田, 真理「MILITARY REPORT 海上自衛隊 第73航空隊 救難・救助の命綱」『MAMOR』第9巻第9号、扶桑社、2015年9月、30-39頁、NAID 40020550361。
- 杉山, 潔「航空救難団活動記録 第80回 航空救難団60年概史(中編の3)」『航空ファン』第68巻第2号、2019年2月、94-95頁。
- 山口, 光宣「救難飛行艇US-1(A)について」『第7巻 固定翼』水交会〈海上自衛隊 苦心の足跡〉、2017年、235-241頁。国立国会図書館書誌ID:028057168。
