中村天風から学んだこと
中村 天風(なかむら てんぷう、1876年7月30日 – 1968年12月1日)は、日本の自己啓発講演家、思想家、ヨーガ行者。実業家、大日本帝国陸軍諜報員、玄洋社社員。
孫文の友人であり、中華民国最高顧問の称号も持った。天風会を創始し心身統一法を広めた。本名は三郎(さぶろう)。
学生時代に喧嘩で相手を刺殺。
日清日露戦争当時は軍事探偵として活動する。
戦後、結核にかかり、ニューソート作家の著作に感銘を受けて渡米し、世界を遍歴。
インドでのヨーガ修行を経て健康を回復し悟りを得たとされる。日本に帰国後、一時は実業界で成功を収めるも、自身の経験と悟りを伝えるために講演活動を開始。
その教えを学んだ各界の著名人の中には、松下幸之助など日本を代表する実業家も含まれる。現在は公益財団法人天風会(中村天風財団)が著作などを管理している。
中村天風さんは、自分で5つの会社の社長をしていた人ですが、「日本はこのままではいかん!もっと精神性が高い経営者を日本に増やさなければ2000年続いた日本国のご先祖たちに申し訳ない」と気づいて欲しくて行動した有名な人です。
「経営哲学」ではなく、自分が失敗や挫折からどう考えて生き方や結果を変えたのかを毎日、上野公園の西郷隆盛像の前で一人で講演を始めた人です。
未来を変えるのはたった一人の人間が本気で動けば良い。ただそれだけで日本は変わる!!
「人生の出来事は車窓の風景」
私が最も苦しんでいた20代の時、東京のダイエーの本社の1階に売っていた「中村天風さんの本」の中にこの1行を見つけたことので、それまで経験した全ての良い悪いことの意味を大きく発想転換して生き方を変えるキッカケになった言葉です。

1989年4月27日に亡くなった松下幸之助さん本人にも「中村天風さんが教えてくれたことはどういうことだったのですか?よければぜひ、教えて下さい。」と私が質問したことがあります。
幸之助さんは、一言だけこう教えてくれました。
「学さんが、中村天風の本を今頃読んだとは驚きました。
もうとっくに中村天風の本を読んだことを実際に体験していると思っていましたよ。
では私が印象の残ったことのひとつだけ教えておきますので、参考になるなら嬉しいです。
天風さんは、私たちがお話を聞いてから「さあ、質問したい奴はいるか?」と聞くんですよ。
でも、そこで実際に質問した奴は、怒鳴られて殴られました。
私も質問したい気持ちを抑えていたので、なぜ殴るのか天風さんの言葉を待っていたのに、何も理由は教えてくれませんでした。
ただ一言、こう言われました。
「俺が今、こいつを殴った理由は、こいつの顔を見ていると腹が立ったからだ!
それ以外に、人を殴る理由はあるか?」
私はこの人は頭がいいのか、人をおちょくっているのか考えましたが、今の自分がやっとわかったことは、「自分が行動したことへの理由づけほどくだらんものはない」、と気づきました。
中村天風さんは、ただ自分が殴りたい時は殴ればいい。
自分の「行動の責任」は、全て自分に返ってくるだけなので、「生きる覚悟と根性がない人間はこれからの時代には必要ないぞ!」と私は思ったんです。
でも、きっと学さんは違う意味にとらえると思うので、ぜひ、一言、人を殴る意味を教えて下さい。
私は喧嘩が弱いので子供の頃から殴られてばかりだし、そんな自分が嫌なので、必死に手先が器用なことを生かして物を作ることで生計を立てました。
でも、きっと学さんは違うと思うので、今の対話で気づいたことを教えて下さい。
私ですか?私が今思ったことは、こうです。
私は子供の頃から喧嘩で負けたことはないし、本気で喧嘩すると相手を殺すことは簡単なほど自分で訓練した人間なので、相手を殺す手前で止めるようにと自分に言い聞かせて生きてきました。
ヤクザに命を狙われた時だけは別です。ヤクザは社会のゴミですが、そのゴミも社会には必要だと思うので、必要がないヤクザは全て殺しました。
でも、今、幸之助さんの気づきを聞くと、こう思いました。
やっぱり、腹が立った時は相手構わず、時を選ばず、「思ったことはすぐにやろう!」です。
幸之助さん)そうですか、今の私の気づきを聞いてそんなことまで考えるのですね。
やっぱり、人を殺めることを子供の頃からしてきた学さんにはかないません。
だから、やっぱり、松下グループの経営をぜひ、お願いします。
私はもうすぐ死ぬと思うので、今の学さんの言葉を「冥土の土産」に持っていきますわ。
私)幸之助さんは、死ぬ間際まで喧嘩で負けたことの悔しさを抱えて死ぬんですね。
よほど頭に来たのか、悔しいのか、バカなのかわかりませんが、その悔しさが「経営の神様」と言わせた執念なんですね、感動しました。
もしかすると、もうお会いすることはないかもしれないので、今までお話ししていないことをひとつだけ教えておきますね。
私は18歳で岡山理科大学の「数学科」に入った時に「情報処理課」の授業が面白くて、つい自分でいろいろ作ったプログラムが防衛省のトップの栗栖統合幕僚議長に認められて、「陸将補」の資格をもらって日本の防衛省の全ての防衛プログラムを一人で作りましたが、給料は一円ももらっていません。
いずれ給料もボーナスももらうつもりですが、18歳の学生が月に何十万円も給料をもらっていたら真面目に働く気がなくなるし、せっかく「武士から庶民にまで自分を落として社会勉強をしよう」と思って岡山まで来たのに、たくさんお金があると自分の成長を止めると思ったので、周りのみんなと同じ「貧乏学生」を体験できたのでとてもいい時間でした。
でも、「たった一人の女」に惚れて捨てられた経験で落ち込みまくった結果、大学を5年も行くことになりましたが、それもいい体験の時間になりました。
私が心の底から愛した女は、彼女一人だけです。
だから自分にできることは岡山を離れるまで、ずっと彼女の相談役になって支えてあげました。
「心の底から愛した女」に出会えた経験は最高でしたが、やっぱり失恋の痛みは大きいので、もう人を心の底から愛することは二度としません。
恋愛も人生も、自分が思ったようにならないことがあるからこそ、「面白いんだ」と思いました。
だから、私は死ぬ前には、「ここまでやりたいことをやったのだから人生は面白かったぞ!」と笑って死にたいと思っています。
だから幸之助さんも、どうか、笑って死んで下さいね。
・・・・・
幸之助さんは、言葉に詰まってまた泣き続けていました。
・・・・・
幸之助さん)やっと俺が聞きたい言葉を学さんから聞けたぞ!
俺は、この言葉を聞くために今日まで学さんと付き合ってきたのか・・・。
学さん、ありがとう。
だから、死ぬ前に俺を1発殴ってくれ!!
学さんの本気の喧嘩は見たことはないが、人から話を聞くだけでオシッコちびるので、冥土の土産に1発だけ殴ってくれ!!!頼む!
目を瞑り、歯を食いしばった幸之助さんの顔を軽い平手で軽くビンタしてあげました。
・・・・・
またしばらく幸之助さんは泣きづづけてこう言われました。
幸之助さん)痛くない、痛くない、俺はもう死んだのか?
体の感覚がもう麻痺したのか?
もうすぐ俺は死ぬのか?
私)幸之助さん、最後まで関西人の維持を見せるんですね。
さすが、根っからの関西人!!!
よ!!関西生まれの大統領!!!
幸之助さん)学さんには、いつも叶わないと思ったけど、私の人生の中で最高の時間でした。
これまで一緒に過ごした時間のお礼にキスさせて下さい。
私)またですか?この前も有馬温泉で「女体盛り」して酔っ払った時に私にキスしたでしょ!!
幸之助さんは新幹線の駅ごとに女がいるのに、ホモだったとは・・・。
いよ!!両刀使いの幸之助さんは、いい男ですね!!
さあ、どうぞ、いつでもキスして下さい。
でも舌だけは入れないで下さいね。
そう言って目を瞑っていると、銀座の最高に高級なスナックの一番私がお気に入りの女の子がキスしてくれて、舌を絡ませた舌の中に携帯番号が書いた紙があったので、あとで電話して中出しセックスしました。
さすが、関西人!
この上手な駆け引きが幸之助さんと飲んだ時の最高の気晴らしなので、いつもいろんな仕込みをしてくる上等なツッコミができる関西人でした。
経営の神様の出会いを本当にありがとうございます。