1996年にNYでビートルズの一人が「ジョン・レノンの死」の真実を教えてくれました。



ジョン・レノン射殺事件(ジョン・レノンしゃさつじけん)とは、1980年12月8日(月)22時50分ごろ、ビートルズのメンバーであったジョン・レノン( John Lennon )がアメリカ・ニューヨーク市にある高級集合住宅ダコタ・ハウスの入口において、マーク・チャップマン(Mark David Chapman)に銃撃され殺害された事件である。



ザ・ビートルズの解散を巡るビジネス上および音楽的な意見の相違から確執が生じましたが、ジョンが亡くなる前に和解し、友情を取り戻していました。
- ビジネス上の対立: ビートルズのマネージャーだったブライアン・エプスタインの死後、バンドの運営方針を巡って意見が対立しました。ポールは自身の義父であるリー・イーストマンを推薦しましたが、ジョン、ジョージ、リンゴはアラン・クレインを支持したことで亀裂が生じました。
- 音楽性の違いと主導権争い: 後期ビートルズでは、バンドを引っ張っていこうとするポールに対し、ジョンは妻のオノ・ヨーコの影響もあり、個人の活動に重点を置くようになっていました。ジョンはポールの「サイドマン(付き人)」であることにうんざりしたと語っています。
- 公の場での批判: 解散後、両者はそれぞれのソロアルバムの楽曲やインタビューでお互いを批判し合いました。特にジョンは、ポールとリンダ夫妻を揶揄するようなアルバムジャケットや楽曲を発表したこともありました。
- 解散の決定的な要因: 長年、ポールの訴訟が解散の原因とされてきましたが、ポール自身は後に、ジョンがバンドからの脱退を宣言したことが解散の本当の始まりだったと明かしています。正式な解散合意書へのサインは1975年1月に行われました。
- 和解の時期: 1970年代半ば、ジョンがニューヨークに滞在していた頃に、二人は再び連絡を取り合い、ビジネス上の問題を乗り越えて友情を取り戻しました。
- 最後の会話: ポールは、ジョンが1980年に亡くなる前に和解できていたことを「ありがたく思っている」と度々語っています。彼らの絆は世間が考えていたよりも固いものだったと振り返っています。
- 追悼: ジョンの死後、ポールは深い悲しみを表明し、ジョージ・ハリスンは追悼曲「過ぎ去りし日々(All Those Years Ago)」を発表しました。この曲では、ポールとリンゴも共演しています。
1980年12月8日午前、ダコタ・ハウス。写真家が見た愛のカタチ

最先端のファッションメディアで斬新なイメージを撮り続けるカメラマン。政治や戦争の代償を切り取るジャーナリストとしてのカメラマン。
そのどれもが彼女の本当の姿であり、世界で最も有名な肖像写真家であることには間違いない。
アニーは1949年10月、大家族の三女としてアメリカのコネチカット州で生まれた。軍人だった父の影響で引越しが多く、そのたびに車に乗って移動した。
時は1960年代後半。シスコの街にはヒッピーが集い、愛の思想を世界に広げようとしていた。アニーは美術学校で写真を学ぶことになり、通りで反戦運動を撮ったり、アパートでロックミュージックに目覚めていった。
ちょうどその頃、シスコではヤン・ウェナーが『ローリング・ストーン』誌を創刊させる。自由な編集方針で書き手たちに好きなことを書かせて、ロック・ジャーナリズムの礎を築こうとしていた。アニーはすぐに編集部を訪れ、自分を売り込んだ。
必死で仕事をしていると、ジョン・レノンのインタビュー撮影の機会に恵まれた。20歳という若さ、無名のカメラマンの自分。そんな不安はすぐに現場で吹き飛んだ。ジョンは彼女を一人の人間として変わらずに扱ってくれたという。
数年後、チーフカメラマンとなったアニーは、『ローリング・ストーン』を舞台にあらゆるミュージシャンたちをフィルムに収めていく。ロック界のスターたちはいつも一緒にいるアニーをそのうち気にしなくなり、空気のような存在になったので、心を許して自由に写真を撮らせた。
しかし、ローリング・ストーンズの1975年のツアー同行は、周囲に猛反対された。そこにはドラッグの誘惑があり、ヤンに言わせれば「みんなヤク中になって帰ってくる」のがオチらしい。この頃のツアー先のホテルでの記憶が一切ないというキース・リチャーズは、アニーが撮った自分の姿を見つめながらこう言った。「俺が見えないものを見てる」。
一方で失敗もある。反核コンサートで意気投合していたブルース・スプリングスティーンやボニー・レイットやジャクソン・ブラウンらがスタジオに集まった時、アニーは平凡な写真しか撮れず、革命的な機会を逃したとベテランに怒られた。以来、被写体である人が何者であるかを伝えることを心掛けるようになり、一度見たら忘れられないような写真を残すことに成功。
例えば、フリートウッド・マックでは世界的な成功の裏でバラバラだったメンバーたちをベッドに上下方向で並べたり、映画『ローズ』の公開があったベット・ミドラーには、バラの花の絨毯を作って(1本1本トゲを抜いた!)寝かせたり、ブルース・ブラザースはベルーシとエイクロイドの顔が青く塗られたりした。
でも、一番有名なのはジョン・レノンとオノ・ヨーコの写真だろう。
それは1980年12月8日午前のこと。二人が住むダコタ・ハウスのベッドでの撮影。脱ぐことに抵抗があったヨーコは服を着たまま横たわった。すると裸になったジョンがキスをして抱きしめる。アニーがその一瞬をとらえる……その夜、ジョンが死んだことを知った。


「ジョン・レノン 失われた週末」場面写真
本作は、
なおジョンは、この期間にメイの助けを借りて長男と再会。商業的にも成功した時期を過ごした。作中には、ジョンによる楽曲の数々やアーカイブ映像、ジョンとメイが互いの姿を捉えたプライベートな写真などが収められている。
私は「芸能界の三面記事」には興味がない人間だし、ビートルズ世代は団塊世代の人たちなので、音楽は聞いてはいますが、本気である人に頼まれたのでやるべきことをしただけです。

あとでオノ・ヨーコのことを教えてくれた人に電話で私の体験を全て正直に話ししましたので、とても感謝してくれて「サイン入りのレコード」を送ってくれましたが、ビートルズファンにプレゼントしました。
だって、私は「ビートルズファン」ではないし、売って金儲けしようとは思わない人間だし、興味があって自分で買った物でもすぐに人にあげてしまう人なので、物にも人にも執着はありません。
私がこだわるのは、「生き方と考え方」だけです。
それさえしっかりした人間と付き合えば、人生で迷っても道は開けます。
ほとんどの人は人生の道を彷徨っているか、それとも辛いことを避けて生きている人が多いので、辛い時はトコトン落ち込んで泣きまくってから堂々と道のど真ん中のを歩いて行けば、「犬も棒に当たります」。人生とは、そういうものです。


