『普遍の再生―リベラリズムの現代世界論」 井上達夫教授


「東京大学の社会倫理学研究室」
2001年秋、東京大学大学院人文社会系研究科(文学部)の社会倫理学研究室(講座)の教授は、**井上達夫(いのうえ たつお)**先生でした。
井上先生は、1983年に東京大学法学部助教授に着任後、1992年に「法学部教授」となり、2000年からは大学院人文社会系研究科教授を兼任(または担当変更)されていました。
「社会倫理学研究室」は、哲学・倫理学分野の一つとして位置付けられています。
2001年(42歳)に、知り合いの「全国弁護士会の会長」だった弁護士から電話が来て、「面白い奴の講演会が札幌市内であるので来いよ!」と連絡が来たので参加することにしました。
そこに来たゲストは、「東京大学社会倫理学の井上達雄教授」で、北海道中を回って市長や町長たちに「21世紀の未来の北海道」についての講演会を終えた帰りでした。
そこに呼ばれた人たちは、知り合いの弁護士が自分の知人を集めた個人的な知り合いばかりで、当時、2001年(平成13年)9月に民事再生法をで問題になっていた北海道企業の「はるやまチェーン」の社長一族も来ていました。

東京大学社会倫理学の井上達雄教授の講演内容
いやあ、北海道中を回って疲れているのに、このしつこい弁護士のせいで、もう一泊することになりました。
「お前は本当に北海道の美味しいものを食べてないから俺がご馳走してやる。だから少しだけ話をしてから飯を食いに行こう」と誘われたんです。
強引な人だけど、うまく人の気持ちを持っていくので、さすが有名な弁護士だと思いました。
日本の弁護士でこの人の名前を出すと、ほとんどの弁護士は訴訟を引き下げるほど言葉巧みに相手に勝つので、日本中から仕事が来るのに「自分が気に入った仕事しかしない」というわがままな弁護士の依頼なので、今日ここに来てしまいました。
北海道のどこの市町村に行っても聞かれることは同じです。
1、どうやったら北海道経済は大きくなりますか?
2、北海道の企業が大きくなる秘訣を教えて下さい。
3、各市町村の赤字が多いのですが、赤字を減らして黒字になるような市町村の経営を教えて下さい。
僕は経済学者ではないので「経済」については答えられませんし、皆さんの方が実際に経営をしている人たちなので、企業を大きくする方法も知っていると思います。
「各市町村の赤字」は国から借りた借金の結果なので、今後一切、国からお金を借りなければいつか黒字になりますよ、と教えても何度もしつこく聞くので疲れました。
まあ、行政の仕事をしている人たちは全国どこでも同じようなレベルの人たちばかりなので、いつも同じ質問をされるので私はいつも持論を展開して煙に巻くようにしています。
皆さんは、「東京大学の社会倫理学研究室」がどういう仕事をしているのかご存知ですか?
「法哲学」いう言葉も聞いたことがない人が多いと思います。
「法哲学」とは、戦争で国が壊れたところや侵略されて再生できない国を再生させるための学問なので、日本では私一人だけ「社会倫理学研究室」をしているので、よく国際問題のあとに呼ばれて世界中の社会倫理学の研究者たちと話をします。
「戦争で秩序が壊れた国」を再生させる方法は簡単で、「宗教思想」で再生させるか、食料や工業などの「基幹産業」で再生させるか、「経済的に成長」させることが可能な産業に重点を置いて伸ばすしかありません。
珍しいケースは、「強いリーダーシップ」を持った人がいれば再生も可能ですが、「戦争になった原因」がその強いリーダーなので、これはあまり有効な方法ではありません。
つまり、希望を失った「国民意識」を動かすためには「伸びる地元の産業経済を伸ばす」か、それとも外部の力を借りて原料を輸入して製品化して伸ばすしか新しい産業を大きくする方法がありません。
私たち社会倫理学の人間は、「人間が存在している理由」を調べて論理的に学ぶ学問なので、「人間の本能性」を学び、今ある知恵や技術や原料をどう活かすのかを学ぶ学問です。
私は普通に異性や食べ物にとても興味ある大阪人なので、北海道まで来てしまいました。
私に何か聞きたいことがありますか?
数名の人が馬鹿みたいに先ほど井上教授が話した内容と同じ質問をしたので、「本当にバカな大人」は人の話をきちんと聞いていないと思いガッカリしました。
バカな質問をする人間と一緒にいると、「自分も同じバカ」だと思われるので大嫌いな時間でした。
そんな時間を一緒にいるのが嫌だったので、私が質問することにしました。
私)井上教授は、どうして「法哲学」というマニアな学問を選んだのですか?
普通の人なら「相手に理解されやすい学問」を身をおく人が多いと思いますし、きっと東大に入るくらいなので「法学部で弁護士」になってもいいし、「哲学者」になって哲学を教えてもいいと思いますが、どうしてそんな「法哲学」というマニアな学問を選んだのかに興味があります。
私は「生まれつきの霊能者」なので、現在は「スピ系の仕事」を無料でしていますので、当然、世界の宗教のことや哲学のことや精神世界のことを勉強しましたので質問させて下さい。
井上教授)あなたが自分で「哲学」を学んでわかったことは何ですか?
世界中の哲学者の本を読むと答えは簡単で、一番最初に「哲学」という学問を作った「人の教え」にあわせて解説している内容ばかりだったので全く面白くありませんでした。
哲学の最初は「人間の存在理由を問うこと」から始まるし、その悩みを勝手に「神概念」を作って教えたものが「宗教」なので、どの宗教の本を読んでも嘘ばかりで呆れました。
井上さん)ほう、面白い人ですね、大学はどこですか?
私は「岡山理科大学の数学科」の人間ですが、「情報処理課」のほうが面白かったので、教授に頼んでタダで二つの学科を学ばせてもらった人間です。
でも就職先は、「スーパーのダイエー」に入って14年間も物を売っていた人間です。
本当は私は北海道に最初に入った「小作農家の次男坊」なので、美味しい米や野菜を多くの人に広めたいと思ってダイエーに入りました。
私が「良いものをより安く」というキャッチフレーズを中内功社長に伝えた結果、自分が考えたように偉そうに話す中内社長は嫌いですが、上司なので仕方なく14年間も勤めてしまいました。
ダイエーは2004年に「産業再生法」を申請したので、どんどん縮小していますが、「イオングループ」にダイエーの借金を肩代わりさせて、「リースバック」で「土地の使用料」をイオンから返すよう私がアドバイスしたので、今でもダイエーは数店舗は残っています。
企業というものは「絶頂期」があれば必ず不調な時が来るのに、大きな会社ほど方向転換ができないうえに「大企業病」という病いに犯されているので、自分で何とかしようという覚悟がある社員はほとんどいません。
たただ給料が高いとか、休みが多いとかで会社を決めた人間ほど、「楽して給料をもらおう」と思っている人間ばかりなので、一緒に仕事をしていても疲れます。
入社した時から私が筆頭取締役に頼まれて、「お前は数字が得意なのだからダイエーの利益を出し続ける役目」をタダで頼まれたので「物流システムで利益を出す仕組み」を考えたし、働く人が楽になるように▶️「オリコンやカゴ台車」を自分のお金で作ってタダで日本中に広めるように中内功社長に伝えました。
だから、荷物を運ぶ「ヤマト急便」や「佐川急便」にもダイエーと同じ「物流システムのノウハウ」をタダで教えたし、使っているコンピューターやピッキング機能も私が考えた特許をタダで教えてあげました。
結果的に、日本中の物流に関わる全ての会社の作業が楽になったのでとても喜ばれましたが、お礼のお金は一円ももらっていません。
「ダイエーは100円売っても1円しか儲からない会社」だったので、筆頭取締役を含めて取締役全てが「橋にも棒にも使いものにならないバカばかり」なので、14年間決算のたびに利益を生み出すアドバイスをしたのに何も学ばない中内功社長にけじめをつけて自分で会社を辞めました。
会社を辞めてすぐに始めた仕事は、洗剤や鍋や健康食品を売る「Amway」というアメリカのビジネスですが、借金をしなくていいとわかったし、辞める時に自分が買った商品を「100%返品できる」とわかったので1年間考えて「ダイエーを辞めて本業」にすることを決めました。
私は「自給自足の米農家出身」なので野菜も無農薬で食べていたので、アメリカまで行って「健康食品の農場」を見学しに行きましたが、農場の匂いと土を食べてみて「これは本物だ」とわかったので自分の仕事にしましたが、3年間で年商3000万円のビジネスになったので、金儲けに飽きて今は「スピ系の仕事」を本業にしました。
井上さん)面白い!今後、東京へ来たらぜひ、うちのゼミの生徒にあなたの体験談を話して下さい。
大阪のダイエーも大好きなのでよく行きますが、そうですか、あなたのような人が販売していたから1兆円という大きな売り上げと利益を上げたんですね。
私はダイエーが大好きだし、妻も安くていいものがあるのでよく買い物に行きます。あとで名刺交換して下さい。
30分くらいの時間でしたが、最後に井上教授が言葉にした言葉だけが記憶に残りました。
北海道だけは、独立できます!
だって食物自給率が190%以上だし、広い北海道の大地を有効に使えばもっと大きな産業を成長させることも可能だと思います。
私なら絶対に、北海道は独立させますね!


数年後、東京に行く機会があったので井上教授に連絡してゼミの生徒と一緒に飲みましたが、一番、私の話を聞いて面白がっていたのは井上教授でした。
人間は「誰に出会うか?何に出会うか?」だけなので、私の「人生のキーワード」になった人でした。
ダイエーの仕事をしながら「バリバリキャリア官僚の仕事」をしていた30代の時にはたくさん東京大学の教授に会いましたが、みんな記憶だけはいいですが現実的な「応用ができないバカばかり」なので、「官僚」になったり「政治家」になって悪いことばかりしている人間が多いです。
そういうバカな人間ほど、過去に成功した「ワンパターンの仕事」しかできない東大卒の人間で参考になった人は他にあまりいません。
逆に、東大の教授たちにはいくつもの「特許」をあげて自分が発明したかのようにしてあげたし、お金は貰わない約束なので、誰も私の特許だと名前を口にする人はいないと思います。
それほど「私は有名になることが嫌いな人間」だし、庶民と同じように暮らしながら世界中の国王や首相や大統領たちと交渉してきた話などするわけありませんので、ただの「私の妄想」だと思ってくれれば十分です。
しかし、現実的にもう「日本は有事」なので、2026年以降は各自で対策しないと絶対に「国は有事宣言をしない」ので、戦争が始まった時には自己責任で生き残って下さい。
私のアドバイスで日本銀行の大金庫を2004年に「日本製」に新しくさせました。
日本銀行には「吉岡一門資産」があるので、「アメリカ製の扉だとアメリカのスパイが盗みに入る可能性があるので交換して下さい。お金は私出しますから。」と三重野泰総裁に伝えて、新しいものに交換してもらいました。


私が12歳の「吉岡一門頭領就任式」に来た昭和46年(1971年)の日銀総裁は佐々木直だったのですが、「裏切り者の長州藩」だったので、吉岡総本家のあや婆ちゃんに真冬の外で裸で正座させられていました。
この日以降の日銀総裁が変わる時には、必ず、電話が来るので「頑張って下さい」とだけ言っておきました。

三重野泰総裁とは「札幌の社長会」で毎週札幌まで来た人なので、ご家族とも仲良しだったので、2012年4月5日まで長い付き合いをさせてもらいました。
日本銀行の旧館にある古い大金庫



この大金庫の扉は、本館地下1階の地下金庫の入口です。この地下金庫は、明治29年から平成16年(2004年)6月まで、108年間使われました。
この扉(とびら)は、後から地下金庫をひろげた昭和7年に取付けたものです。 米国製で、厚さは90センチ、重さは25トン(扉15トン、外わく10トン)あります。
この扉を製作した米国ヨーク社の社長は、太平洋戦争にむすこが出征(しゅっせい)するときに、次のように言いました。
「おまえは、いずれ日本に上陸するだろう。その時には日本銀行に行って、金庫の扉が円滑(えんかつ)に動いているか見てきてほしい。あれは当社で造ったものであるから、もし故障(こしょう)でもしていたら面目(めんぼく)がない」と。
戦後、社長のむすこは日本銀行をおとずれ、その扉が正確に働いているのを確認(かくにん)し、父に報告したそうですが、同社の責任感の強さには日本銀行の関係者もみな心を打たれたということです。
注)この意味はいつで日銀の金庫を開けられることができるための「確認」だと私はすぐにわかったので対策しました。
「大金庫の扉」を入れ替えるというのは危険なので、大金庫の奥にあった「吉岡一門資産」は全て別な場所に移動しましたので、現在は日本銀行本店にはありません。
日本銀行にあるものは世界中の紙幣や金塊ですが、その資金は全て「吉岡一門資産」から融資したものなので、「日本国の紙幣も金塊も全て吉岡一門資産だ」と言えますが、「国債の担保」なのでそのまま置いてあります。
大金庫に中に入れるのは「日銀総裁と私だけ」なので、私しか知らない暗号も追加したし、コンピュータ制御も加えたので、いつでも遠隔でセキュリティロックできますし、日本銀行の警備は「全員拳銃」を持っているし「撃ち殺す許可」も持っているので狙うのはやめて下さい。
まあ、地下の深い場所にあるのし、旧館とは違う場所にしたので、もし日銀で犯罪が起きたら絶対に日本銀行の銀行員なので家族全員を国家反逆罪で死刑にする書類にサインしています。
だから、日本銀行を狙うのはやめて下さい。
映画で銀行強盗の勉強をしても無駄です。
あらゆる方法で試しても絶対に辿り着けないようにしたのは私なので、「セキュリティは13段階ある金庫」です。

