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損して徳とれ! (得ではなく徳)

損して徳とれ
 
 
 
 
「損して得とれ(そんしてとくとれ)」とは、

目先の小さな利益にとらわれず、一時的な損をしても、将来的な大きな利益や信頼、信用、そして人間的な成長(徳)を得るために行動せよという、長期的な視点と誠実さを説く教え・格言です。

ビジネスでは「今、お金にならなくても顧客へのサービスを重ね、ファンになってもらうことで長期的な関係を築く」こと、人間関係では「相手の立場に立って尽くすことで、巡り巡って自分に良い結果が返ってくる」といった考え方です。

 
主な意味と解釈
  • 長期的な視点: 短期的な損得勘定に囚われず、将来的なリターンを見据えて行動する。
  • 「徳」の獲得: 「得」は金銭的な利益、「徳」は人からの信頼や感謝、功徳(くどく)を指す。
  • サービス精神: 相手の立場に立って誠実に対応し、顧客や周囲を喜ばせることで、結果的に大きな利益(ファン化、リピート)につながる。
  • 投資の考え方: 最初の損失を「投資」と捉え、それが大きな利益となって返ってくることを期待する姿勢。
  • 自己成長: 困難な状況でも謙虚に努力を続けることで、自己の成長と信頼を築く。
 
具体例
    • ビジネス:
      顧客の期待を超える無料サービスを提供し、リピーターを増やす
  • 人間関係: 辞めるスタッフに対し、心で泣いても笑顔で送り出すことで、将来の顧客になってもらう。
  • 経営: 予防医療や従業員への教育など、すぐに効果が出なくても将来への投資として行う。
 
 
 
 
この言葉は、「渋沢栄一」や「松下幸之助」といった偉大な経営者も重視し、現代のビジネスや人間関係においても重要な指針とされています
 

誕生:1894年11月27日, 和歌山県 和歌山市        死去: 1989年4月27日(95歳)

 
 
幸之助さんとは、ダイエーに入社した1982年4月1日から、亡くなる1989年4月まで12年間、毎月、お会いしていた素晴らしい人でした。
 
私は23歳、幸之助さんは83歳から12年間、しょっちゅう電話はくるし、毎月お会いしたほど私を大好きだと言ってくれる人だったので、
 
 
「東海道新幹線の駅ごとに女がいると聞いていますが、こんなに札幌まで来て大丈夫ですか?」と言うと、
 
「もう俺はあそこも立たんので、毎月、お手当を渡すのが仕事さ。たまに膝まくらで寝るくらいで十分、満足してくれるのさ。」という男で、時々、幸之助さんの女にお金を渡しに行きましたが、私のタイプはいなかったので玄関で金を渡して逃げました。
 
 
最初の頃は私のダイエーの仕事が忙しいので、遠慮して「月に1度札幌」まで私に会いに来てくれましたが、体調が悪くなったある時から「俺もお先が短い」と言うので「毎週会う」ようになったので、
 
「幸之助さんは社長なのに、仕事はしなくていいのですか?」と聞くと、
 
「自分が好きな時に、好きに動けるように高い金を払って部下を雇っているので、俺なんかいないほうがいいのさ。夫、元気で留守が良い!のと同じよ!」と笑って言う人でした。
 
 
 
「兵庫県西宮の自宅(光雲荘)」にも泊めてもらい、奥様の手料理をご家族と一緒に食事をしたし、ご自宅の部屋を全て見せてもらったあと、「この部屋が吉岡さんの部屋になるんだぞ!」と言われて「自分の書斎」を見せてくれましたが、本が多すぎたので「どこかの図書館に寄付したほうがいいですよ」とだけアドバイスしておきました。
 
 
 

「孫のヒロ松下」がアメリカに行く前にもわざわざ札幌まで連れてきて「何かアドバイスを!」と言われたので、
 
「好きなことをとことんやって悔いが残らないほど頑張ったあとは、日本に戻ってきてパナソニックグループのどこかの社長をやりなさい。」とだけ伝えておきました。
 
 
 
「札幌の社長会」の経営アドバイスにも行きたいが、ワシが行くとみんなが気を遣うので、東京に来た時に銀座でパナソニックグループの経営アドバイスを頼みます。」
 
とお願いされたので私が作った「100年続く会社全体の事業計画」を見せながら、リストラした人の処遇アドバイスも同時にやりました。
 
 
そのあと、すぐに電話が来て東京のホテルを指定されてので行ってみると、
「パナソニックグループの全ての会社の社長」として「代表取締役会」で承認されたぞ!」と幸之助さんに言われましたが、
 
 
「皆さんが勝手に承認して決めたことなので全ての会社の社長をやるのはいいのですが、給料は一円も要りません。それに、もし私が社長になればここにいる取締役全員をクビにして若い社員に変えますよ!」言って部屋を出ました。
 
 
 
幸之助さんと会うと、いつもボイスレコーダーで録音しているのに、さらに「ノートにメモ」を取りながら、自分が話したことのように「社員向けのスピーチ」と「テレビの対談のネタ」を教えて欲しいという人だったので、「経営の神様と呼ばれる人にアドバイスするのは気が引けます。」と伝えたほど腰が低く頭の良い人でした。
 

 
 
 
「だって、日銀の三重野泰総裁にもいろんなアドバイスをしたと本人から聞いたので、俺だけアドバイスしないなんてズルい!」
 
と言って「嘘泣き」をする関西人だったので、私はいつも「白いハンカチ」を持っていて、涙が出ていない目を拭いてあげる役目でしたし、そのあと「堀ちえみの白いハンカチーフ」を一緒に歌うのが二人の慣わしでした。
 
 

 

 
 
 

 
 
最後の電話は、亡くなる前日に病院から私に電話がかかってきて、「松下財団もグループ全ての財産を吉岡さんに渡すし、妻も娘も好きにしていいので、どうか最後の一生のお願いだから俺の跡を継いでくれ!!」と言う人だったので、携帯電話をスピーカーにしてもらってからこう言いました。
 
 
今、幸之助さんは亡くなる前の「まだらぼけ状態」なので、皆さん、今の言葉は忘れて下さい。「亡くなる前の年寄りのたわごと」だと思って、いい思い出にして下さい。ご愁傷様です。
 
 
 
俺はまだ生きているぞ!!それに頭もまだぼけてはいないぞ!
 
 
と叫ぶ最後の声を聞きながら、
 
私は仕事が忙しいのでこれで電話を切ります。
 
幸之助さん、今まで本当にありがとうございます。
 
私は幸之助さんが大好きですよ!!!
 
 
(涙声)俺もまなぶちゃんが大好きだぞ!!いつ、エッチする??
 
 
と言う最後まで関西人でした。
 
 
 
「自分より賢いと思った人間」から素直に学べる人は、幾つになっても成長するので瞳に輝きがあります。
 
「困った時は電話で相談には乗ります」とスタッフには言ってあるので、今は「私の分身」がパナソニックグループをサポートしていると思います。
 
日本の電化製品全メーカーも販売店のトップも私の知り合いなので、「パナソニック製品だけは値引き禁止」にしました。裏から指示なので「独占禁止法」には引っかかりません。
 
 
 
 
 
 
 
渋沢栄一は、2024年7月から発行された新しい一万円札の肖像に採用された人物です。
 
 
 
「日本資本主義の父」と呼ばれ、約500もの企業の設立や社会事業に貢献した実業家です。裏面には東京駅(丸の内駅舎)が描かれ、これは渋沢が設立した日本煉瓦製造のレンガが使われていることにも関連しています。

 
 
渋沢栄一が新一万円札の顔になった理由
    • 日本の近代化への貢献:
      「一国の経済は、民間の事業活動によって発展する」という考えのもと、数多くの企業や金融機関の設立・育成に携わり、日本の産業発展と経済の近代化をリードしました。
  • 日本初の国立銀行である第一国立銀行(現在のみずほ銀行)の創設者であり、実業家が紙幣の肖像になるのは初めてのケースです。
  • 東京駅との繋がり:
    裏面の東京駅丸の内駅舎に使われているレンガは、渋沢が設立した日本煉瓦製造の工場で作られたもので、ゆかりが深いとされています。

     
新一万円札の特徴
  • 発行開始日:2024年7月3日。
    デザイン:表面に渋沢栄一、裏面に東京駅丸の内駅舎。
  • 偽造防止技術:世界初の3Dホログラム(ストライプ型)や高精細すき入れなど、最先端技術が導入されています。(私の特許がたくさん入っています)
渋沢栄一は、1840年生まれ、1931年没。

幕末から明治・大正・昭和にかけて活躍。「道徳経済合一説」を唱え、私利私欲のためでなく、公益のために事業を行うことを重視しました。

 
 
 
「新しい一万円札の肖像」を渋沢栄一を採用したのは、日本銀行の三重野泰総裁です。
 
五千円札に津田梅子、千円札に北里柴三郎も三重野泰総裁が勝手に決めたことです。
 
 
 

日銀総裁の部屋で私が写した写真

 
 
 
私と三重野康総裁との対話
 
 
「良いんですかねえ、「吉岡一門頭領の許可」がないと「紙幣の肖像画」は決めてはいけないルールがあるのに、私は聞いていませんよ!」と言うと三重野泰総裁は、
 
「私の趣味で決めていいと前の日銀総裁の澄田智が言ったので勝手に決めてしまいました。知らないとはいえ、大変失礼しました。今、承認していただけますか?」と頭を下げました。
 

第25代総裁 澄田智の写真
就任: 昭和59年12月17日 退任:平成1年12月16日
出身地 群馬県

 

 
澄田智総裁の名前を出して責任逃れですか・・・。
 
やっぱり自分の「田んぼのゴミ」を全部取ってしまって「透明で澄んだ水」にした「澄田という苗字」は、田んぼの中の「微生物のぬめりの意味」もわからないバカで貧乏な小作だったので「金貸し業の日銀」に入ったんですね。
 
 
 
「三重野という苗字」も原っぱに小さな三重の塔を作って、遠くから客に見せて金を稼いでいた人間なので、やっぱり日銀はもうダメかな?
 
 
さらに、「ヤクザ経営のサラ金」に金を貸しているのは「銀行」だし、その銀行に金を貸しているのは「日銀」なので、どうやってこの責任を取るつもりです?
 
 
調子こいて、アメリカの動きに乗せられて「バブル」は起こすし、しまいには三重帳簿まである日銀が全ての責任者なので、俺、自分で「新しい銀行」を作って世界に金を貸して儲けるかな?
 
「新しい銀行」ができたら、今の日銀にある「吉岡一門資産」を全部、移そうかな??
 
いいでしょ!全部、俺のものなんだから・・・。
 
 
 
 
注)新紙幣の発行時期は、「日本経済が活発化するための動機づけ」なので、日本経済が活発化した2024年7月3日に「新紙幣の発行」を植田総裁が決めました。
 
 
 
 
三重野泰総裁)返す言葉がないので、お詫びに、「吉岡さんの肖像画の写真」を撮らせ下さい。いずれ、時期が来たら「新紙幣」として出しますから・・・。」
 
 
と言ってましたが、いつ出るのでしょうか?
 
 
 

「家のタンス預金」がたくさんある人はかさばるし、しまっておく「金庫」も大きなものが必要で高くて邪魔なので、「10万円札を作ればいい」と言っておいたので楽しみに待ってます。

 
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