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バブル崩壊を止めるために「1990年札幌の社長会」が始まった

1990年の内閣総理大臣は、「海部俊樹」でした。
 
 
第1次海部内閣(1990年2月28日まで)、および第2次海部内閣(1990年2月28日〜)海部俊樹首相(当時)が退陣したのは1991年10月です。
 
自身の肝いり政策であった「政治改革関連法案」が国会で廃案に追い込まれ、窮余の策として衆議院解散を企てたものの、自民党内の最大派閥(竹下派)などの反対に遭い、求心力を失って辞任に追い込まれました。
 
 
つまり、まともに首相の仕事をしていない首相だったので、「首相専用裏番頭」としては、次に期待しかありませんが、しばらくは一期(4年)しかできない首相が続いたので、日本は世界から笑いものでした。
 
 
 
「自民党総裁が首相になる仕組み」なので、金だけ集めて首相になっても自民党内部に足を救われるような人間に次のチャンスはありません。
 
 
 
 
私が個人的に親しくなった人は、「自民党の野中広務さん」です。
 
 
 
頭がよく情報通だったし、私のことも全て調べ上げていた人ですが、余計なことは言わずにいろんな「危ない首相」を裏から支えた人なのに、「自分が首相になることを拒んだ唯一の人」でした。
 
 
「政治家は情報と噂が命」なので、「火のないところに煙は立たない」と言われるほど綺麗に「マスゴミの情報」を操作する力と、金を動かせる人だったので、よく電話でいろんな仕事をお願いした人でした。
 
 
最後は、「吉岡さん、さすがに私でもそこまでは手を出せないので、どうか私以外の人に仕事を振って下さい。命がいくらあっても足りません。」と言ったほど正直な人でした。
 
 
 
私は1990年からキャリ官僚になったので、「インド・大東亜連合」の国王として動かし、「アメリカ」をペンタゴン・NASAを影から動かし、「イギリスとフランス」を思い通りに影から動かしながら、「東西ドイツ統合をした私」なので、「ヨーロッパ」と「大東亜連合国」と「アメリカ」と「キューバ」と「南米諸国」を裏から動かしました。
 
 
 
 
 

 

 
 
私は、1987年4月に「ダイエー苫小牧店玩具売り場のマネージャー」になり、「雛人形・五月人形・ランドセル・学習机・一般玩具・自転車」で「日本一の売上記録」を作った男です。
 
 
ダイエー苫小牧店のおもちゃ売上について、当時の百貨店・GMS業界において「日本一の売上を記録した」という伝説が今も語り継がれています
 
 
 
ダイエー苫小牧店と「一般玩具日本一」の歴史
 
  • 栄光の時代(1980年代〜1990年代前半): ダイエー苫小牧店(のちのサンプラザ、苫小牧駅前プラザegao)の玩具売場は、単一店舗の売上高において日本一を誇っていました。 
  • 驚異的な売上の背景: クリスマスシーズンや正月を中心に、周辺地域だけでなく北海道各地から多数の買い物客が訪れていました。当時のダイエーの強力な仕入れ力と、近隣競合の少なさから爆発的な販売数を記録したと言われています。

 

▶️【ダイエー】最も売上が悪い「おもちゃ売り場」を日本一にした方法

 
 
そんな忙しい私に、1989年10月に北海道ダイエー労働組合の元委員長がやってきて「中央執行委員になれ!」と言われ仕方なくなりましたが、「玩具売り場は年末が大勝負」なので、翌年の1990年1月に「ダイエー札幌店日用品」に転勤させてもらうまでは、毎日働きづくめでした。
 
毎週、「労働組合の会議」が札幌市内であるので、夜中2時3時に車を運転して苫小牧に戻り、翌朝、出勤して売り場のメンテナスと年末商品の在庫発注をする日々なので、睡眠時間は毎日3時間以内が普通でした。
 
 
 
 
 
労働組合の最初の大仕事は、札幌で行われた「全国一部上場企業の社長と労働組合の交流会」だったので、車好きの私は「自動車労連」を担当しました。
 
1990年(平成2年)末時点での東京証券取引所の市場第一部(東証1部)上場企業数は、1,191社です。また、東証全体の全市場(一部・二部など)を合わせた上場会社数の合計は1,752社で、札幌のホテルに集まった社長と役員と労働組合幹部総人数は、6000人。
 
 
労働組合の名刺を300枚持っていったのにすぐに無くなり、ダイエー札幌店の名刺をコピーしてあげたほど、いろんな人が「私の名刺と連絡先」を欲しがりました。
 
 
 
 
 
 
 
1990年 日本の産業別売上 (東洋経済新報社資料)
 
1990年の日本の産業別経済活動は、バブル景気のピークにあたりました。内閣府のデータ(名目GDPベース)によると、全産業の経済活動別国内生産額の構成比は、第三次産業が約63%第二次産業が約34%第一次産業が約3%でした
 
 
 
  • 第三次産業:約63%
    • 卸売・小売業(商業)注)トップはダイエー1兆9,000億円規模
    • 不動産業・金融・保険業
    • サービス業・運輸・通信・政府サービスなど 

注)卸売・小売業(商業のトップはダイエーなので、当然、「日本中の労働組合のトップ」でもあるので、「全ての労働組合の委員長」とも名刺交換しました。

 

  • 第二次産業:約34%
    • 製造業(自動車、電機などが大きく貢献)
    • 建設業(ゼネコン)
    • 電気・ガス・水道 

 

  • 第一次産業:約3%
    • 農林水産業

 

しかし、日本経済全体としては「ゼネコンの売上利益」が「国の税収」に大きな影響があるので、まずは、「本州のゼネコン対策」をしながら「北海道のゼネコン対策」を同時にしたので、私のスケジュールは「15分刻み」でした。

 

1990年:バブルでものづくりも復権

バブル経済がピークを迎え、崩壊過程に入った1990年度(1991年3月期)のランキングは、まだ「日本の製造業」が輝いていた。

トップのトヨタ自動車を筆頭に、松下電器産業(2位)、日立製作所(4位)、東芝(5位)など、上位の多くを大手製造業が占めた。

1985年のランキングで上位だった「電力会社」は順位を落とし、電機メーカーが上位に並んだ。

ソニーの記事には「全部門、全地域で快走。AV業界で一人勝ち。最高益更新」と景気のいい記述が書かれていた。

1995年:半導体の好調と震災の影響

バブル崩壊後の停滞感が漂う中で迎えた1995年度、電機メーカーでは「半導体部門」が牽引していて、大きな利益を上げていた。

ランキングでは日立製作所(3位)、三菱重工業(4位)、東芝(5位)、NEC(8位)と、電機大手が再び上位を占めた。

当時の「四季報」記事は、半導体で好調であることを明確に伝える。

NECの記事によると「メモリ中心に半導体が内外とも予想以上。PCも低価格化を数量大幅増で吸収」とあり、半導体メモリやPCの普及による利益で、高利益を上げていたことがわかる。

一方、1995年1月に発生した阪神・淡路大震災の影響もみられた。6位に入った「神戸製鋼所」は、被災により「震災被害総額約740億円」という甚大な損害を受けた。

その後の秋号の記事によると「株、土地各500億円売却」を実施

震災特損を資産売却益で埋めることで、会計上は巨額の純利益を計上した。これは資産売却という特殊要因によるランクインと言える。

 

「失われた30年」以前を振り返ると、日本企業がプラザ合意後の円高に適応し、「バブル経済」でピークを迎えた。崩壊後もしばらくは、電機や自動車など一部の製造業が国際市場で強い存在感を示していた。

ただ、売上高の上昇に対して「純利益の上昇」は限られていて、上位企業でも数千億円規模となっている。

現在に比べて、利益率はけっして高くなかったが、その分、働く従業員への還元は今より手厚かったという側面もあるかもしれない。

 

注)日本の労働組合のトップのダイエー労働組合の「妥結率」は、日本全国の企業の妥結率に大きな影響を与えるので、1年目だけはまともに団体交渉をしましたが、12月から3月まで何度も「労働組合の緊急呼び出し」がかかるので忙しくてたまりませんので、「売り場の仕事」は指示命令だけで結果を出させる「軍隊方式」を採用しました。

私の命令に文句を言う「部下」は、殴り合いか、喧嘩か、理論武装で相手に勝つので、不満はあっても「売上利益の12ヶ月間予算連続達成」をさせたので、上司や役員から金をせびってみんなを飲みに連れて行きました。

 

2年目からは、ダイエーの中内功社長に直接直訴しました。

 

今年から労働組合との団体交渉は「1発回答で満額」でよろしいですよね?

もし、嫌だというならもう二度と私が「ダイエーの利益」を出す手伝いをやめにします。

 

黙ってないで、イエスかノーで答えて下さい。

 

まだ、答えを口にしないのなら、すぐに私はイトーヨーカドーに行きますよ!

いいんですが、こんな優秀な人材を失っても。

あとから泣いても私は一度口にしたことは絶対に変えませんよ!

 

と電話で伝えた結果は、中内功社長に「イエス・分かった」と言わせたので、翌年からは、ダイエー労働組合も日本中の労働組合も「一発回答で妥結」した結果、「全ての会社の従業員の給料」は毎年上がるようにしておきました。

今も普通に会社に勤められて「定年を迎えられた人」は、私に感謝してもいいはずなのに、「労働組合の仕事」を理解していない人が多すぎて呆れます。

 

日本の一部上場企業は「ユニオンショップ制度」と言われる「入社した人は自動的に組合員になる仕組み」があるおかげで、バカでもチョンでもサボっていても「給料はもらえる仕組み」があるのに、労働組合に感謝する人は稀なのでとても残念です。

アメリカにはユニオンショップ制度はないので、「能力主義でレイオフあり」なので、多分、ほとんどの日本の労働者はクビになります。

日本でアメリカの外資系で働いている人の話を聞けばよくわかると思います。

 

バカな社長は、小さな会社で従業員を安く使い、残業代も払わず、有給休暇も取らせないうえに、「休日出勤もタダ働き」なので、くさって仕事をサボり、会社の文句を言いたくなる気持ちははよくわかります。

 

だからこそ、「労働組合三法」に守られている日本の素晴らしさを勉強しない労働者が多くてとても疲れます。

「労働三法」とは、労働者の権利を守るために制定された「労働基準法」「労働組合法」「労働関係調整法」の3つの法律の総称です。

日本国憲法第28条で保障される「労働三権(団結権・団体交渉権・団体行動権)」を具体化し、労使間の対等な関係を実現しています。

 

 

私が北海道ダイエー労働組合の委員長に聞いた「質問の答え」が明確すぎて笑えます。

 

「労働組合とヤクザの仕組み」は、部下から金を取るし、酒ばかり飲んでいるので似ていると思いますが、どこが違うのか教えて下さい。

 

それは簡単よ、「あい」があるか、ないかだけの違いさ。

 

「あい?」・・あ!!

「組合」から「合(あい)」を取れば、「組」か!!

うまい!!座布団3枚!!

 

 

定昇とベアの違い」もわからないバカな社長もいますが、バカはバカで使い道を探せばいくらでも仕事はあるので、従業員も社長も同じように、「私の絶対命令」に背く人間は誰もいませんでした。

だって、「日本中の大企業に4京円を裏から貸した人間」なので、誰も文句を言えるはずはないし、「日本企業をアメリカに買収されてたまるか!」の意気込みで「札幌の社長会」を続けながら、「アメリカの優秀な企業」を手玉に取っていた人間です。

 

「頭が悪い団塊世代の後始末」を1990年代に自分一人でやりながら、さらに「頭が悪い団塊世代ジュニアのバカどもの対策」もしておきましたので、「新しい日本」になった時をどうぞお楽しみに!

 

団塊ジュニア世代(1971〜1974年生まれ、2026年現在は52〜55歳)は、人口ボリュームが最大である一方、「就職氷河期」と重なったことで非正規雇用や低賃金に陥った人が多く、今後の「定年退職」に伴う所得減少や老後資金不足が深刻な問題となっています。 
 
この世代が「全員65歳以上の高齢者」に達する2040年には、現役世代が激減して社会保障費の負担が限界に達し、医療・介護・インフラが崩壊の危機を迎える社会保障2040年問題が懸念されています。 
 

 

1990年から「ダイエー札幌店の日用品の仕事」をしながら「休みは全て労働組合の仕事」をしていたし、時々、「首相から電話」が来て相談されるし、ダイエーの決算期には筆頭取締役から「中間決算ができないので何とかして下さい」と電話が来るので、私のお店まで来て資料を見ながら「ダイエーの経営アドバイス」と同時に「都銀融資の資金繰り」をしていた30代でした。

 

そんな私が全ての省庁の「キャリア官僚の仕事」で世界を飛び回れば、忙しいなんて言ってられません。

「移動は睡眠時間」と割り切って、「15分刻みで仕事」をして、「15分刻みで寝て」、あらゆる人を動かしながら日本経済を裏から守ってい30代のサラリーマンです。

 

 
1990年2月期のダイエーは、バブル景気による強気の拡大路線で売上高は増加したものの、過剰な多角化と積極投資により利益率の低下(経常減益)を招き、財務の重荷を背負い始めた転換期でした。 
 
 
  • 売上と利益の動向: グループ全体の売上拡大は続いていたものの、ダイエー単体では本業の収益性が低下し、経常減益などの業績課題が顕在化し始めました。 
  • 拡大・多角化路線: 本業のスーパー事業に加え、後に経営危機の要因となる大型投資(福岡ドーム周辺の開発計画など)や、異業種への多角化を積極的に推進していました。 
  • バブル崩壊とその後: 1990年はバブル経済の転換点であり、この時期の巨額の借入と不動産・地価上昇を前提とした経営モデルが、のちのバブル崩壊後に多額の有利子負債(約2兆円規模)となってダイエーを苦しめることになります。

 

大手スーパーのダイエーは、1988年秋に南海電気鉄道からプロ野球球団「南海ホークス」を約60億円で買収しました。これにより、チームは大阪から福岡へ本拠地を移転し、「福岡ダイエーホークス」が誕生しました。

「長期的展望もない頭が悪い中内功社長」が勝手に「南海ホークス」を買収したので、また借金が増えてしまい、長期借入金と短期借入金のやりくりをするのが大変でした。

福岡ダイエーホークスの本拠地として建設された福岡ドーム(現在のみずほPayPayドーム福岡)の建設費(総事業費)は、約760億円の借金です。この後始末も「私の仕事」になりました。

野球は好きじゃないのに、「ダイエーホークスの選手の契約金」は私がエクセルで作った資料を元に、横にバッティイングコーチとピッチングコーチが居て、「選手に来年の契約金はダウンします」を告げたり、「トレードに出します」という「選手の人身売買が私の仕事」になったので、野球を素直に楽しめるわけはありません。全て「タダ働きの仕事」です。

 

 

この仕事の噂が漏れた結果、日本ハムが野球球団を買ったので、「北海道を本拠地にする条件」で多額の金を貸しましたし、新庄監督を連れてきたのも私です。

 

「防衛省関連の緊急の仕事」もあるうえに、「キャリア官僚の仕事」が加わり、有給休暇は全て無くなり、忙しい時は「月に2、3度」しか店にはいけず、海外出張と国内出張の合間に「ダイエーの仕事」をしていた時期に「毎週札幌の社長会」を毎週開催していたほど「15分刻みでスケジール管理」をして時間を作っていた30代です。

「札幌の社長会」と同時に「全ての省庁のキャリア官僚」に合わせたのが、キャリ官僚から賄賂を貰おうとしていた「ダイエー労働組合元委員長」でしたが、「私は一円も賄賂をもらわない人間」なので悔しがっていました。

 

王貞治氏が福岡ダイエーホークスの監督に就任したのは1995年(平成7年)シーズンからですが、王監督を説得したのは36歳の私で「タダの仕事」です。

「1995年1月17日阪神・淡路大震災」のあとの「ダイエーの売上利益対策」も、「36歳の私のタダの仕事」です。

 

ダイエーが「ソフトバンク」に球団を200億円で売却した時期は、2004年(平成16年)11月に基本合意・契約が発表され、翌2005年(平成17年)1月28日に株式譲渡が完了しましたが、これも「46歳の私のタダの仕事」です。

孫正義に私は個人的に多額のお金を融資してしたので「借金が増えてもまた貸してやるからダイエーホークスを買え!」と電話して終わりです。

 

「札幌の社長会」に「東洋経済新報社の会社四季報」の担当がやってきて「会社四季報を発売する金がないので貸して下さい。」と言われた時には笑いました。

 

「会社四季報」は、一部上場企業の全ての会社が参考にしている書物だし、株投資の人たちには「必須の参考書」です。

 

私は自費で「会社四季報」を購入して「札幌の社長会」の企業状況を把握していたので、「お金は貸すので半年ごとに会社四季報を送って下さい」と笑って握手してお引き取り願いました。

 

ダイエーを辞めた1996年から始めた「Amwayビジネスのイベント」を札幌でイベント企画した時に、東洋経済新報社の筆頭取締役の篠原勲さんと懇意になり、何度も札幌で「経済講演」をお願いした人だし、鎌倉の自宅まで車で送ったこともありますが、「鳥取大学の教授」になった時に「日銀の情報」を確認したくて電話すると、「日銀は会社四季報の敵だからもう電話をしないでくれ!」と言われてしましました。

 

「そうか、立ち位置が真逆だものなあ」と、あとで分かったほど無知な私でした。

 

「日本中の社長たちからの電話」と「キャリア官僚の仕事」と「防衛省関連の電話」と「アメリカVIP」からの電話も夜中でも来るので、「2001年の解脱後」は、忍者のように「分身」をたくさん増やして対応しました。

 

「日本を裏から守る仕事」は「吉岡一門頭領」にしかできない仕事なので無償でやりますが、それ以外の仕事は給料もボーナスも年金ももらっていないので、いずれまとめて日本国に請求して一括振り込みにして請求します。

 

「18歳から陸将補、「31歳から防衛省のトップ」、「31歳から全ての省庁のキャリア官僚」は一体いくらになるのでしょうね?

 

アメリカにも、「Amazon社の大株主」、「Apple社大株主」、「米国AmwayのCA収入」、「ディズニーのMarbelの売上」、「世界のVIPの売上15%」もあるうえに、「アメリカの全ての資格」もたくさんあるし、「世界特許」も山ほどあるので一気に請求したら日本とアメリカはどうなるのでしょうかね?

 

トランプ大統領は、払えるのかな?

「ババ抜き」でもやってトランプを破り捨てる覚悟で望みます。

 

あ!そうだ、「世界先住民会議の永久議長の給料」と「国連永久議長の給料」も請求しましょ!

暇な人はいくらになるか計算してみて下さい。

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