バブル崩壊を止めるために「1990年札幌の社長会」が始まった



- 栄光の時代(1980年代〜1990年代前半): ダイエー苫小牧店(のちのサンプラザ、苫小牧駅前プラザegao)の玩具売場は、単一店舗の売上高において日本一を誇っていました。
- 驚異的な売上の背景: クリスマスシーズンや正月を中心に、周辺地域だけでなく北海道各地から多数の買い物客が訪れていました。当時のダイエーの強力な仕入れ力と、近隣競合の少なさから爆発的な販売数を記録したと言われています。
▶️【ダイエー】最も売上が悪い「おもちゃ売り場」を日本一にした方法




- 第三次産業:約63%
- 卸売・小売業(商業)注)トップはダイエー1兆9,000億円規模
- 不動産業・金融・保険業
- サービス業・運輸・通信・政府サービスなど
注)卸売・小売業(商業のトップはダイエーなので、当然、「日本中の労働組合のトップ」でもあるので、「全ての労働組合の委員長」とも名刺交換しました。
- 第二次産業:約34%
- 製造業(自動車、電機などが大きく貢献)
- 建設業(ゼネコン)
- 電気・ガス・水道
- 第一次産業:約3%
- 農林水産業
しかし、日本経済全体としては「ゼネコンの売上利益」が「国の税収」に大きな影響があるので、まずは、「本州のゼネコン対策」をしながら「北海道のゼネコン対策」を同時にしたので、私のスケジュールは「15分刻み」でした。
1990年:バブルでものづくりも復権
バブル経済がピークを迎え、崩壊過程に入った1990年度(1991年3月期)のランキングは、まだ「日本の製造業」が輝いていた。
トップのトヨタ自動車を筆頭に、松下電器産業(2位)、日立製作所(4位)、東芝(5位)など、上位の多くを大手製造業が占めた。
1985年のランキングで上位だった「電力会社」は順位を落とし、電機メーカーが上位に並んだ。
ソニーの記事には「全部門、全地域で快走。AV業界で一人勝ち。最高益更新」と景気のいい記述が書かれていた。

1995年:半導体の好調と震災の影響
バブル崩壊後の停滞感が漂う中で迎えた1995年度、電機メーカーでは「半導体部門」が牽引していて、大きな利益を上げていた。
ランキングでは日立製作所(3位)、三菱重工業(4位)、東芝(5位)、NEC(8位)と、電機大手が再び上位を占めた。
当時の「四季報」記事は、半導体で好調であることを明確に伝える。
NECの記事によると「メモリ中心に半導体が内外とも予想以上。PCも低価格化を数量大幅増で吸収」とあり、半導体メモリやPCの普及による利益で、高利益を上げていたことがわかる。

一方、1995年1月に発生した阪神・淡路大震災の影響もみられた。6位に入った「神戸製鋼所」は、被災により「震災被害総額約740億円」という甚大な損害を受けた。


その後の秋号の記事によると「株、土地各500億円売却」を実施。
震災特損を資産売却益で埋めることで、会計上は巨額の純利益を計上した。これは資産売却という特殊要因によるランクインと言える。
「失われた30年」以前を振り返ると、日本企業がプラザ合意後の円高に適応し、「バブル経済」でピークを迎えた。崩壊後もしばらくは、電機や自動車など一部の製造業が国際市場で強い存在感を示していた。
ただ、売上高の上昇に対して「純利益の上昇」は限られていて、上位企業でも数千億円規模となっている。
現在に比べて、利益率はけっして高くなかったが、その分、働く従業員への還元は今より手厚かったという側面もあるかもしれない。
注)日本の労働組合のトップのダイエー労働組合の「妥結率」は、日本全国の企業の妥結率に大きな影響を与えるので、1年目だけはまともに団体交渉をしましたが、12月から3月まで何度も「労働組合の緊急呼び出し」がかかるので忙しくてたまりませんので、「売り場の仕事」は指示命令だけで結果を出させる「軍隊方式」を採用しました。
私の命令に文句を言う「部下」は、殴り合いか、喧嘩か、理論武装で相手に勝つので、不満はあっても「売上利益の12ヶ月間予算連続達成」をさせたので、上司や役員から金をせびってみんなを飲みに連れて行きました。
2年目からは、ダイエーの中内功社長に直接直訴しました。
今年から労働組合との団体交渉は「1発回答で満額」でよろしいですよね?
もし、嫌だというならもう二度と私が「ダイエーの利益」を出す手伝いをやめにします。
黙ってないで、イエスかノーで答えて下さい。
まだ、答えを口にしないのなら、すぐに私はイトーヨーカドーに行きますよ!
いいんですが、こんな優秀な人材を失っても。
あとから泣いても私は一度口にしたことは絶対に変えませんよ!
と電話で伝えた結果は、中内功社長に「イエス・分かった」と言わせたので、翌年からは、ダイエー労働組合も日本中の労働組合も「一発回答で妥結」した結果、「全ての会社の従業員の給料」は毎年上がるようにしておきました。
今も普通に会社に勤められて「定年を迎えられた人」は、私に感謝してもいいはずなのに、「労働組合の仕事」を理解していない人が多すぎて呆れます。
日本の一部上場企業は「ユニオンショップ制度」と言われる「入社した人は自動的に組合員になる仕組み」があるおかげで、バカでもチョンでもサボっていても「給料はもらえる仕組み」があるのに、労働組合に感謝する人は稀なのでとても残念です。
アメリカにはユニオンショップ制度はないので、「能力主義でレイオフあり」なので、多分、ほとんどの日本の労働者はクビになります。
日本でアメリカの外資系で働いている人の話を聞けばよくわかると思います。
バカな社長は、小さな会社で従業員を安く使い、残業代も払わず、有給休暇も取らせないうえに、「休日出勤もタダ働き」なので、くさって仕事をサボり、会社の文句を言いたくなる気持ちははよくわかります。
だからこそ、「労働組合三法」に守られている日本の素晴らしさを勉強しない労働者が多くてとても疲れます。
「労働三法」とは、労働者の権利を守るために制定された「労働基準法」「労働組合法」「労働関係調整法」の3つの法律の総称です。
日本国憲法第28条で保障される「労働三権(団結権・団体交渉権・団体行動権)」を具体化し、労使間の対等な関係を実現しています。
私が北海道ダイエー労働組合の委員長に聞いた「質問の答え」が明確すぎて笑えます。
「労働組合とヤクザの仕組み」は、部下から金を取るし、酒ばかり飲んでいるので似ていると思いますが、どこが違うのか教えて下さい。
それは簡単よ、「あい」があるか、ないかだけの違いさ。
「あい?」・・あ!!
「組合」から「合(あい)」を取れば、「組」か!!
うまい!!座布団3枚!!
「定昇とベアの違い」もわからないバカな社長もいますが、バカはバカで使い道を探せばいくらでも仕事はあるので、従業員も社長も同じように、「私の絶対命令」に背く人間は誰もいませんでした。
だって、「日本中の大企業に4京円を裏から貸した人間」なので、誰も文句を言えるはずはないし、「日本企業をアメリカに買収されてたまるか!」の意気込みで「札幌の社長会」を続けながら、「アメリカの優秀な企業」を手玉に取っていた人間です。
「頭が悪い団塊世代の後始末」を1990年代に自分一人でやりながら、さらに「頭が悪い団塊世代ジュニアのバカどもの対策」もしておきましたので、「新しい日本」になった時をどうぞお楽しみに!

1990年から「ダイエー札幌店の日用品の仕事」をしながら「休みは全て労働組合の仕事」をしていたし、時々、「首相から電話」が来て相談されるし、ダイエーの決算期には筆頭取締役から「中間決算ができないので何とかして下さい」と電話が来るので、私のお店まで来て資料を見ながら「ダイエーの経営アドバイス」と同時に「都銀融資の資金繰り」をしていた30代でした。

そんな私が全ての省庁の「キャリア官僚の仕事」で世界を飛び回れば、忙しいなんて言ってられません。
「移動は睡眠時間」と割り切って、「15分刻みで仕事」をして、「15分刻みで寝て」、あらゆる人を動かしながら日本経済を裏から守っていた30代のサラリーマンです。
- 売上と利益の動向: グループ全体の売上拡大は続いていたものの、ダイエー単体では本業の収益性が低下し、経常減益などの業績課題が顕在化し始めました。
- 拡大・多角化路線: 本業のスーパー事業に加え、後に経営危機の要因となる大型投資(福岡ドーム周辺の開発計画など)や、異業種への多角化を積極的に推進していました。
- バブル崩壊とその後: 1990年はバブル経済の転換点であり、この時期の巨額の借入と不動産・地価上昇を前提とした経営モデルが、のちのバブル崩壊後に多額の有利子負債(約2兆円規模)となってダイエーを苦しめることになります。
大手スーパーのダイエーは、1988年秋に南海電気鉄道からプロ野球球団「南海ホークス」を約60億円で買収しました。これにより、チームは大阪から福岡へ本拠地を移転し、「福岡ダイエーホークス」が誕生しました。
「長期的展望もない頭が悪い中内功社長」が勝手に「南海ホークス」を買収したので、また借金が増えてしまい、長期借入金と短期借入金のやりくりをするのが大変でした。

福岡ダイエーホークスの本拠地として建設された福岡ドーム(現在のみずほPayPayドーム福岡)の建設費(総事業費)は、約760億円の借金です。この後始末も「私の仕事」になりました。

野球は好きじゃないのに、「ダイエーホークスの選手の契約金」は私がエクセルで作った資料を元に、横にバッティイングコーチとピッチングコーチが居て、「選手に来年の契約金はダウンします」を告げたり、「トレードに出します」という「選手の人身売買が私の仕事」になったので、野球を素直に楽しめるわけはありません。全て「タダ働きの仕事」です。
この仕事の噂が漏れた結果、日本ハムが野球球団を買ったので、「北海道を本拠地にする条件」で多額の金を貸しましたし、新庄監督を連れてきたのも私です。


「防衛省関連の緊急の仕事」もあるうえに、「キャリア官僚の仕事」が加わり、有給休暇は全て無くなり、忙しい時は「月に2、3度」しか店にはいけず、海外出張と国内出張の合間に「ダイエーの仕事」をしていた時期に「毎週札幌の社長会」を毎週開催していたほど「15分刻みでスケジール管理」をして時間を作っていた30代です。
「札幌の社長会」と同時に「全ての省庁のキャリア官僚」に合わせたのが、キャリ官僚から賄賂を貰おうとしていた「ダイエー労働組合元委員長」でしたが、「私は一円も賄賂をもらわない人間」なので悔しがっていました。
王貞治氏が福岡ダイエーホークスの監督に就任したのは1995年(平成7年)シーズンからですが、王監督を説得したのは36歳の私で「タダの仕事」です。

「1995年1月17日阪神・淡路大震災」のあとの「ダイエーの売上利益対策」も、「36歳の私のタダの仕事」です。

ダイエーが「ソフトバンク」に球団を200億円で売却した時期は、2004年(平成16年)11月に基本合意・契約が発表され、翌2005年(平成17年)1月28日に株式譲渡が完了しましたが、これも「46歳の私のタダの仕事」です。
孫正義に私は個人的に多額のお金を融資してしたので「借金が増えてもまた貸してやるからダイエーホークスを買え!」と電話して終わりです。

「札幌の社長会」に「東洋経済新報社の会社四季報」の担当がやってきて、「会社四季報を発売する金がないので貸して下さい。」と言われた時には笑いました。
「会社四季報」は、一部上場企業の全ての会社が参考にしている書物だし、株投資の人たちには「必須の参考書」です。

私は自費で「会社四季報」を購入して「札幌の社長会」の企業状況を把握していたので、「お金は貸すので半年ごとに会社四季報を送って下さい」と笑って握手してお引き取り願いました。
ダイエーを辞めた1996年から始めた「Amwayビジネスのイベント」を札幌でイベント企画した時に、東洋経済新報社の筆頭取締役の篠原勲さんと懇意になり、何度も札幌で「経済講演」をお願いした人だし、鎌倉の自宅まで車で送ったこともありますが、「鳥取大学の教授」になった時に「日銀の情報」を確認したくて電話すると、「日銀は会社四季報の敵だからもう電話をしないでくれ!」と言われてしましました。
「そうか、立ち位置が真逆だものなあ」と、あとで分かったほど無知な私でした。

「日本中の社長たちからの電話」と「キャリア官僚の仕事」と「防衛省関連の電話」と「アメリカVIP」からの電話も夜中でも来るので、「2001年の解脱後」は、忍者のように「分身」をたくさん増やして対応しました。
「日本を裏から守る仕事」は「吉岡一門頭領」にしかできない仕事なので無償でやりますが、それ以外の仕事は給料もボーナスも年金ももらっていないので、いずれまとめて日本国に請求して一括振り込みにして請求します。
「18歳から陸将補、「31歳から防衛省のトップ」、「31歳から全ての省庁のキャリア官僚」は一体いくらになるのでしょうね?
アメリカにも、「Amazon社の大株主」、「Apple社大株主」、「米国AmwayのCA収入」、「ディズニーのMarbelの売上」、「世界のVIPの売上15%」もあるうえに、「アメリカの全ての資格」もたくさんあるし、「世界特許」も山ほどあるので一気に請求したら日本とアメリカはどうなるのでしょうかね?
トランプ大統領は、払えるのかな?
「ババ抜き」でもやってトランプを破り捨てる覚悟で望みます。
あ!そうだ、「世界先住民会議の永久議長の給料」と「国連永久議長の給料」も請求しましょ!
暇な人はいくらになるか計算してみて下さい。
