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日清戦争・日露戦争・第一次大戦で日本が勝った理由

日清戦争で日本が勝った理由
 
 
日清戦争(1894年〜1895年)で日本が勝利した最大の理由は、明治維新によっていち早く近代的な国家体制と軍隊を構築していたからです。 
 
 
 
当時、大国である清(中国)の方が有利と見られていましたが、日本の徹底した近代化と清の内部崩壊が勝敗を分けました。主な理由は以下の4点です。
 
 
1. 近代的な国民軍と高度な訓練
 
  • 徴兵制の導入: 日本は四民平等の徴兵制により、国家のために戦う「国民軍」を組織していました。兵士の教育水準や士気が非常に高かったです。
  • 西洋式の戦術: イギリス式(海軍)やドイツ式(陸軍)の最新の軍事戦術を学び、近代的な指揮系統と兵站(補給)システムを確立していました。
 
2. 清の「近代化の遅れ」と分裂
  • 地方軍の集まり: 清は「洋務運動」で近代的な武器を導入していましたが、軍隊は国全体のインフラではなく、地方の有力者(李鴻章など)の私兵集団(北洋軍など)の集まりでした。そのため、国一丸となって戦う意識が希薄でした。
  • 汚職と横領: 清の宮廷や軍の内部では汚職が蔓延していました。有名なエピソードとして、西太后が自分の庭園(頤和園)を作るために海軍の予算を流用し、その結果、清の最新鋭戦艦の弾薬が不足していたり、砲弾に火薬ではなく砂が入っていたりしたと言われています。
 
3. 海戦での圧倒的な技術・戦術差
  • 連合艦隊の快速と速射砲: 黄海海戦などで、日本の「連合艦隊」は清の「北洋艦隊」と激突しました。清は巨大な装甲艦(定遠・鎮遠)を持っていましたが、日本は船の「スピード」と、短時間に大量の砲弾を撃ち込める「速射砲」の数を重視する戦略をとり、これが的中して清の艦隊を壊滅させました。
 
4. 制海権の奪取と兵站(補給)の成功
  • 陸戦において、日本軍は朝鮮半島から中国東北部へと進撃しました。海戦で清の海軍を圧倒して「制海権」を握ったため、日本から前線への兵士や食料、武器の補給がスムーズに行われ、これが勝敗を決定づけました。
 
 
 
 
日露戦争で日本が勝った理由
 
 
日露戦争(1904年〜1905年)で日本が勝利できた最大の理由は、国力を無視した短期決戦戦略と、イギリス・アメリカによる外交・資金面での強力なバックアップが噛み合ったからです。
 
 
 
世界最強と評された大国ロシアに対し、日本は総力戦を挑み、奇跡的とも言える綱渡りの勝利を収めました。主な理由は以下の4点です。
 
1. イギリス・アメリカの「強力な経済・外交支援」
  • 戦費の調達: 日本は国家予算の数倍にのぼる巨額の戦費を自国だけで賄えず、高橋是清が英米で外債を発行して資金を集めました。英米の金融界が日本を財政的に支えたことが勝因の土台です。
  • 情報・外交戦: 日英同盟(1902年締結)により、イギリスはロシアのバルチック艦隊が日本に向かう際、同盟国の特権を使ってスエズ運河の通行を拒否させ、石炭補給を妨害するなど徹底的に足止めしました。
 
2. 連合艦隊による「制海権の完全奪取」
  • 日本海海戦の圧勝: 東郷平八郎率いる連合艦隊は、地球を半周して疲弊しきっていたロシアのバルチック艦隊を対馬海峡で迎え撃ち、歴史的な大勝利(T字戦法など)を収めました。
  • 補給線の遮断: 海の戦いで勝利したことでロシアの海上補給線を断ち切り、満洲(中国東北部)にいる陸軍の前線へ日本軍が安全に兵力を送り続けることが可能になりました。
 
3. ロシア国内の混乱(ロシア革命の芽)
  • 血の日曜日事件: 戦争が長期化するにつれ、ロシア国内では皇帝への不満が爆発し、1905年1月に大規模な労働者暴動が発生しました。
  • 明石元二郎の工作: 日本陸軍の明石元二郎が欧州でロシアの反政府勢力や革命家に巨額の資金を援助し、ロシア国内の暴動・ストライキを扇動。ロシア政府は戦争どころではなくなりました。
 
4. 戦略目標を絞った「短期決戦」
  • 日本は最初からロシアを完全に滅ぼすことは不可能だと分かっていました。そのため「旅順港のロシア艦隊を全滅させる」「奉天の陸戦で勝つ」といった明確な局地目標を立て、それが達成された絶妙なタイミングで、アメリカ(セオドア・ルーズベルト大統領)に仲介を頼み、講和条約(ポーツマス条約)へ持ち込みました。 
 
 
 
 
 
第一次大戦で日本が勝った理由
 
 
 
第一次世界大戦(1914年〜1918年)で日本が勝利(戦勝国)となった最大の理由は、主戦場であるヨーロッパから遠く離れたアジアにおいて、圧倒的に有利な立場で局地戦を展開できたからです。
 
日本は日英同盟を理由にイギリス(連合国側)として参戦し、ヨーロッパの戦乱でアジアに手が回らなくなったドイツの拠点を狙い撃ちにしました。日本が勝者となった主な理由は以下の4点です。 
 
1. 地理的優位性と「漁夫の利」
  • ヨーロッパの泥沼化: ドイツ、フランス、イギリスなどの列強は、ヨーロッパ本国で人類史上初の大規模な消耗戦(塹壕戦)に全力を注いでいました。
  • 孤立したドイツ拠点の攻略: 日本はアジア・太平洋地域に孤立していたドイツの拠点(中国の青島や、南洋諸島)だけをターゲットにしました。敵の補給が途絶えた状態だったため、日本軍は比較的少ない被害で短期間にこれらの地域を占領できました。
 
2. 日英同盟を大義名分とした機敏な参戦
  • 大隈重信内閣の決断: 1914年8月の開戦後、日本はイギリスからの要請を受ける形で、日英同盟を根拠に即座に参戦を決定しました。これにより、アジアにおけるドイツの利権を一挙に奪い取る正当性を得ました。
 
3. 圧倒的な戦力差(青島の戦い)
  • 物量での包囲網: 中国の山東半島にあるドイツの要塞「青島(チンタオ)」の戦いでは、日本軍はイギリス軍と協力し、ドイツ軍の数倍におよぶ大軍と最新の重砲、さらには日本初となる航空機による爆撃を投入しました。完全に孤立無援だったドイツ軍を圧倒し、数ヶ月で降伏させました。
 
4. 海軍による海上封鎖と護衛作戦の成功
  • 太平洋・インド洋の制海権: 日本海軍は太平洋とインド洋からドイツ艦隊を駆逐し、連合国側の安全な海上補給線を確保しました。
  • 地中海への派遣: 大戦後半には、イギリスからの強い要請で「第二特務艦隊」を地中海へ派遣しました。ドイツの潜水艦(Uボート)から連合国の輸送船を命がけで護衛し、多くのイギリス・フランス兵を救ったことで、国際的な信頼と発言権を大きく高めました。
 

 
結果:経済的な大勝利(大戦景気)
 
この戦争で日本は「戦勝国」となり、ドイツが持っていた中国の権益や南洋諸島を獲得しました。
 
さらに、ヨーロッパの国々が物品を作れなくなったため、日本に注文が殺到。
 
日本は巨額の利益を得て、債務国(借金国)から一躍債権国(貸付国)へとバブル的な経済成長(大戦景気)を遂げ、世界五大大国の一角としての地位を不動のものにしました。
 
 
 
 
ここまでの戦争に日本が勝った理由は、「吉岡一門頭領」が資金を渡し、「全ての采配を指揮」したからです。
 
戦争で戦うのは「武士と小作」なので、日々の訓練の賜物でした。
 
 
日本刀を持った武士は拳銃を5発打たれも倒れない精神力を鍛えているし、家族を守るための戦う小作たちには「多くの俸禄金を与えた」ので、貧乏な小作の長男以外はみんな戦いに自分から進んででた時代です。
 
 
 
このあとの「大東亜戦争」は、「昭和天皇」が「ポツダム宣言」を勝手に受け入れて「勝てるはずの戦争」を勝手に負けにした結果です。
 
 
「昭和天皇の目的」は、世界の支配者の「WAR GAME」で日本が負ける方に賭けた結果です。
 
さすが、日本の裏切り者(長州藩)が作った「明治政府」だし、「北朝の昭和天皇」なので、誰も日本国民のことを考えてはいない時代でした。
 
 
「1945年8月15日を終戦記念日」に決めたのも「昭和天皇」なので、やはり北朝の人間は、ネジが一本足りない奴らばかりです
 
 
日本は人口が減っているので「徴兵制の復活」をしなければいけない時代になると私は思っています。
 
 
 
まずは、「共産党員」を強制的に敵地へ送り込み、共産党員の家族を拉致して拳銃で脅せば嫌でも戦うと思います。
 
 
「戦争」はどんな手を使っても勝たないといけないので、日本の裏切り者たちは覚悟して下さい。
 
 
 
 

 

日清戦争の日本勝利の「領土」

日清戦争(1894年〜1895年)の結果、日本は下関条約(日清講和条約)によって清国(当時の中国)から以下の領土を割譲されました。 
 
  • 台湾
  • 澎湖諸島(ほうこしょとう)
  • 遼東半島(りょうとうはんとう)
 
これらの領土獲得に加え、条約によって「朝鮮の独立」が確認されました。 
 
なお、獲得した領土のうち「遼東半島」については、ロシア・フランス・ドイツによる「三国干渉」が行われたため、最終的に清へ返還することとなりました。詳細や歴史的背景については、日清戦争 – Wikipedia をご確認ください。
 
 
 
 
日清戦争(1894年〜1895年)の時の天皇は、南朝の明治天皇(めいじてんょう)なので、戦争に必要なお金はすべて「吉岡一門頭領」が出して朝鮮を救いました。
 
 
 
 
 
 
日露戦争の日本勝利の領土
 
 
日露戦争(1904〜1905年)の講和条約であるポーツマス条約により、日本はロシアから「南樺太(樺太の北緯50度以南)」を割譲されました
 
これにより、当時の日本領土は北海道・本州・四国・九州・沖縄に加え、台湾や澎湖諸島、そして南樺太へと拡大しました。
 
 
主な領土・権益の獲得内容は以下の通りです。
 
  • 南樺太(なんからふと): ポーツマス条約により北緯50度以南のサハリン南部が「日本の領土」となりました。
  • 韓国における指導権: ロシアに対し、韓国における日本の政治的・軍事的・経済的優越権を認めさせました。
  • 租借権・鉄道の獲得: ロシアが清国(中国)から得ていた旅順・大連の租借権と、長春〜旅順間の東清鉄道(南満州鉄道)の利権を引き継ぎました。
なお、択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島からなる「北方領土」は、日露戦争以前の1855年(日露通好条約)の時点で平和的に日本の領土と確定しており、これに付随するものではありません。
 
 
 
 
 
 
日露戦争(1904〜1905年)の時も南朝の明治天皇(めいじてんょう)なので、戦争に必要なお金はすべて「吉岡一門頭領」が出して朝鮮を救いました。
 
 
 
 
 
 
 
第一次世界大戦期に拡大した日本勝利の領土
 
 
第一次世界大戦の結果、日本はドイツから中国の山東省(青島など)の旧ドイツ権益と、赤道以北の南洋諸島(マリアナ・カロリン・マーシャル諸島など)を委任統治領として獲得し、領土・影響力を大きく拡大しました。
 
日本は戦勝国として1919年のヴェルサイユ条約に参加し、新たな権益や統治権を獲得しました。 
 
 
  • 新たに獲得した地域(委任統治)
    • 南洋諸島:赤道以北のドイツ領南洋群島(マリアナ諸島、カロリン諸島、マーシャル諸島など)
  • 中国における旧ドイツ権益の継承
    • 山東半島の膠州湾(青島):のちに1922年のワシントン会議で中華民国に返還されるまで日本の勢力圏とされました
  •  
 
既に保有していた領土・勢力圏
 
第一次世界大戦開戦時点(1914年)で、日本は以下の地域を領土や勢力圏としていました。
 
  • 領土(外地)
    • 朝鮮(1910年韓国併合)
    • 台湾および澎湖諸島(1895年下関条約)
    • 樺太(南半分)(1905年ポーツマス条約)
    • 関東州(遼東半島南部の租借地)
  • 主な勢力圏
    • 南満洲鉄道(満鉄)の附属地および沿線:日露戦争によりロシアから獲得した権益を基盤としたもの
    •  
関連資料・公式リンク

 

 

第一次世界大戦(1914年〜1918年)時の天皇は、第123代の「南朝の大正天皇(たいしょうてんのう)」なので、戦争に必要なお金はすべて「吉岡一門頭領」が出しました。

 

大東亜戦争以前のアジア・アフリカ諸国のほとんどは、西欧列強諸国により「植民地支配」されていたことや、中南米諸国は大航海時代にスペインやポルトガルに支配されていたので、吉岡一門頭領が頼まれたので「植民地開放に協力」しただけです。

 

日本は一度も「侵略戦争」は行なっていません。

 

日本のマスコミや学校の歴史教育でもっと強調して報道して行くべき事実だと思いますが、「戦後の文部省教育は共産党員ばかり」だし、明治政府は「裏切り者の北朝の武士(薩長連合)」が作ったもの、日本の正しい歴史書のある国立図書館の本は全て焼き払いました。

 

「アメリカGHQから賄賂」をもらい、「中国からも賄賂」をもらう二重スパイの政治家とキャリア官僚のせいで、1945年終戦から80年経ってもいまだに「日本国憲法」を変えようとしない理由は、国民を騙してアメリカと中国から多額の賄賂をもらっていることが理由です。

 

「大東亜戦争」は、1941年12月の対米英宣戦布告から1945年の終戦までに日本が戦った戦争ですが、それまでの戦争はすべて日本が勝利して「植民地開放」をしてあげて感謝された国なのに、自分で正しい歴史を学ぶことをしない愚か者ばかりで呆れます。

 

「北朝の昭和天皇」が世界の支配者の「WAR GAME」に参戦して「日本が負ける方に賭けた」ので、もう少しで日本は勝てそうだった戦争を、勝手に「ポツダム宣言を受諾」して、日本はアメリカの敗戦国になったのです。

1945年8月14日、日本政府は連合国軍からの無条件降伏勧告であるポツダム宣言の受諾を正式に決定し、翌15日の玉音放送で国民に伝えました。

 

1945年8月15日正午、昭和天皇がラジオを通じてポツダム宣言受諾と日本の降伏を国民に直接伝えた肉声の放送が「玉音放送」

  • 放送日時: 1945年8月15日 正午(約5分間)
  • 内容: ポツダム宣言の受諾と戦争の終結(大東亜戦争終結ノ詔書)
  • 録音: 前日である8月14日の深夜、宮内省(現・宮内庁)で昭和天皇の肉声がレコードに録音(玉音盤)されましたが、事前に録音したものを公開しただけです。

 

この事実を12歳で「吉岡一門頭領」になった日に父から教わったので、二度戦争に行き戦って生き残ってきた私の祖父の岩渕安治陸軍中佐・名誉傷痍軍人に詳しい体験談を聞きに毎週通いました。

 

自分の仲間が毎日死んでいく日々を繰り返すなか、「正気を保つことが難しい」ので酒を飲んで酔っ払って寝るしかないが寝れない奴は殴って気絶させて寝させてやったと教えてくれました。

翌朝は「班長」に叩き起こされて出兵するので、最後の最後は「食べ物なんてない」ので、「死んだ仲間の遺体を土に埋めておき、シラミをタンパク源として順番に食べるしかなかった」と教えてくれました。

 

「他の国も同じようなことをしていたので、自分の死んだ家族をカバンに入れて持ち歩いていた」と真実の体験談を教えてくれました。

 

今、日本が戦争に巻き込まれても同じようなことになるので、必死に世界の軍事バランスを私一人で整えていましたが、あとは日本国民の覚悟次第です。

 

「大東亜戦争時は西はエジプトの手前」まで攻めていたし、「東は太平洋の真ん中」まで攻めていたし、「北のロシアの手前(満州)」まで攻めていたのに、勝手に戦争が終わったことを電報で聞いて驚いたと「名誉傷痍軍人の祖父」教えてくれました。

 

日本から見た南半球は、ほとんど「日本の仲間の大東亜連合」なので「日本軍が強い」のは当然でした。

 

この事実を知っていた私は、一人で大東亜連合を周り、過去のお詫びで土下座して、亡くなった大東亜連合の御霊たちを上げる祈りをさせてもらいました。

 

敗戦後、「明治政府」は「戦争に行った軍人は戦争体験を語るべからず!」と命令を出して、「盗聴器」を家に仕掛けられて政府に都合が悪い人間を「銃殺刑」にしたのです。

 

それが、「裏切り者の北朝の奴らのやり方」なので、天皇を京都から東京に移して、好き勝手に日本を動かし、今も賄賂をたくさん稼いでぬくぬくと暮らしています。

 

「キャリ官僚の年収」は、「裏金」を含めると最低1.5億円で、平均は3億円以上もらっているし、45歳前に「天下り」でまた高額で企業で就職しますが、私は1円も給料も賄賂をもらっていません。

キャリア官僚は「天下り先の企業」も数年ごとに会社を辞めて「退職金」をもらい、次の会社にまた「天下りする」のが普通なので、真面目に働いている「一般官僚」とは違い、「キャリア官僚」だけは自由に好き勝手に遊んで暮らしているので、金さえあれば入れる「裏口入学の東京大学」に誰もが入るのです。

 

「国会議員」になった政治家は「もう一桁ケタ上の裏金が入る仕組みがある」ので、一人150億円から300億円もあれば政治家になれるので、「政治家」になってから注ぎ込んだ金を「裏金で回収」するのが普通です。

 

政治家に「裏金」を渡すのは「企業」なので、日本のほとんどの企業は政治家に裏金を渡して仕事をもらうことが普通になっています。

都道府県知事も、市町村長も同じ仕組みで裏金が飛び交っているので、「談合」は今も普通に行われているし、裏金も飛び交っています。

 

つまり、「国会は国民へのパフォーマンス」で表向きであり、「裏で政治家を動かしている奴ら」のやりたい放題なのです。

悪い政治家を捕まえるはずの「警察も内閣府の組織内」なので、「天下りした上司」から言われればいくらでも見逃しますし、全国の税務署のトップも「法務省の天下り先」なので、賄賂をくれた企業には「目溢し」があるのは当然です。

 

昭和天皇の肉声がレコードに録音(玉音盤)されたと岩渕安治中佐に聞くと、ちゃんと「1枚本物の玉音放送のレコード」を持っていたので二人だけで聞き、意味を祖父に説明してもらい、頭に来たので、コンクリートでぶち割ってからゴミに出しました。

「耐え難きを耐えた」のは、日本国民と軍人だけだし、お前は好き勝手生きただけだろう!!と頭に来たからです。

 

昭和天皇(当時44歳) 終戦の玉音放送

https://www2.nhk.or.jp/archives/articles/?id=C0110556

 

 

私は「昭和天皇」を殺しに行きたかったのですが、

父には「お前ならいつでも昭和天皇を殺すことはできるからやめておけ!俺の親父の種だぞ!」と言われました。

 

祖父の岩渕安治陸軍中佐からは、

「俺も殺してやりたいのは山々だが、二度も表彰されたので俺にはできん。でももし学が殺しに行くなら金と仲間を集めることはできるぞ!」

と言われ「祖父の尊厳」が失われると思い、殺すのを我慢しました

 

昭和天皇は、1989年(昭和64年)1月7日午前6時33分、皇居・吹上御所で崩御されました。御歳87でした。
 
死因は十二指腸乳頭周囲腫瘍(腺癌)で、この崩御に伴い皇位継承が行われ、同日付で新元号「平成」へ改元されました。
 
  • 崩御の日時: 1989年(昭和64年)1月7日 午前6時33分
  • 崩御の場所: 皇居・吹上御所
  • 死因: 十二指腸乳頭周囲腫瘍(腺癌)
  • 御年: 87歳

 

私は1989年(昭和64年)1月7日当時、天皇家を支えている子種の「吉岡一門頭領の命令」には「宮内庁」は当然、従いますので、「お見舞い」と宮内庁に伝えて会いに行き、担当医に 「十二指腸乳頭周囲腫瘍(腺癌)で死亡させるように指示」を出しておきました。

 

過去にも何度も「北朝の皇族」に「南朝の天皇を殺された証拠」を握っているので、「当然の命令」です。

 

私は「厚生労働省のキャリア官僚」なので「医師免許剥奪」をすることもできるし、過去に問題を起こした医者を処分することができる人間なので、自分が手を下さなくてもいくらでも私の指示に従う人間はたくさんいます。

 

これが、日本国を裏から守り続けた「吉岡一門頭領」の仕事です。

「北朝の平成天皇を上皇天皇にする指示」と、「南朝の令和天皇」にする指示は、私だけが「命令できる役目」なのです。

 

「天皇はすべて吉岡一門頭領の男種」だし、新しい「元号」を決めるのも「吉岡一門頭領の仕事」だからです。

 

私が付けた元号は、「平成と令和」です。

 

さらに、現在の令和天皇「徳仁(なるひと)」と「秋篠宮文仁(ふみひと)」は私の父の吉岡忠が、名付け親です。

二人とも「DNA検査で子種が私の父だ」と確認したので「お兄さん」と呼んでくれます。

 

日本国は、「吉岡一門頭領」がいないとあっという間に消えて無くなるほど「愚かで平和ボケした国民の国」なので、「吉岡一門資産」でバブル崩壊を止めたり、日本中の企業に「4京円」を貸したり、「日本国債」を財務省に貸す許可を出せるのも、私の役目なのです。

 

「吉岡一門資産」は、日本国を守るためにたくさん使いましたが、私は貧乏な子作農家の次男坊なので贅沢が好きではありません

 

礼儀作法やマナーや社会常識も知らずに「身分不相応な暮らし」をしている人を見ると、親も子供も「周りの人の目」が見えなくなるので、ドツボに落ちて苦しむようになっているので助ける気はありません。

 

「人生に起きる良いこと悪いことは、すべて死ぬまでに精算される仕組み」なので、世界中のお金持ちを一瞬で路頭に迷わせることも、日本で偉そうにしている政治家や官僚たちを処分することも簡単ですが、全ての準備が整ってから実行に移します。

 

 

文句を言うのは馬鹿でもできますが、「代案を出せない人間は文句を言う資格すらない」と私は思っている人間です。

酒を飲みながら「会社の文句」を言い、「人の愚痴」を言い、楽しくない迷惑な会話を続けている人は、誰だって一緒に時を過ごしたいとは思いません。

自分の不満を他人に巻き散らす人間は愚かな飼い犬と同じように、自分がお金や夫や会社という「鎖」に繋がれていることさえ気づかない愚かな人間です。

「愚痴や不満を言う人間」も、「結果を自分で改善しない人間」も、「料理がまずい女」も同じで、自分を他人目線で見れない人間なので、いくらアドバイスしても変化しません。

 

味覚臭覚の五感感覚、と「第六感が働かない」、タダのドブネズミと同じです。

 

「人間と動物の違い」は、問題を解決できる思考力、考察力、発想、そして「改善行動」ができることです。

そういう人間を助けたい人は誰もいないし、貯金も無い、お金もない貧乏人を支えてくれる人はいるはずないので、「これからの日本の地獄コース」をどう生きるか考えて自分が口にする言葉と行動をよく考えて生きて下さい。

 

現在の日本国を動かしている奴らは、「貧乏人をさらに貧乏」にして自分だけ生き残ろうとする人間ばかりなので、真綿で首を絞められていることにも気づいて下さい。

 

そんなこともわからない人間は、やっぱり「地獄絵図コース」の人生が決定していますので、さようなら!

 

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