小学校のほぼ3年間の授業がなかった理由 3
「翌日の授業が楽しみ」なんて、考えたこともないほど、みんなが「自分達の授業」を期待してワクワクしていました。
国語の授業で「朗読をします!」と言った女子は、読み始めると「漢字が読めない・・・」と詰まり詰まりなので、頭の良い女子を2名サポーターに付けて、3名で国語の教科書の朗読をしてから、みんながどう感じたかを話し合いました。
人によってこれだけ意味が違って感じるのかを理解した私たちは、「少人数のグループ」に分かれて、「なぜ、そう思うのか?」を徹底的に話し合い、発表し合いました。
日本人の基本となる「文字を読む・文字を書く・言葉の理解」の三つのポイントで徹底的に話し合い、休み時間を潰すほど、白熱した授業になりました。
揉め事が起きると、すぐに私が出ていって、
問題を解決することが重要なのに、なぜ、喧嘩腰で話すのか!!!
感情的な言葉で話すのは、やめれ!!!
特に、女子たち!!!
と、何度もクラス全員にを叱り飛ばしました。
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幼稚園時代から問題が起きれば、いつも、私が「まとめ役」なので、誰も、私を否定する人はいないくらい「信頼の仲間達」でした。
一度で問題が解決しない場合は、次の授業の時間を潰してでも、「全員が納得いくまで」徹底的に意見を言い合い、「物事の捉え方」から「違いの理由」を徹底的に話し合いました。
100%全員が納得するまで話しあった最初の「国語の授業」は、結局、丸一日、時間を使うほど、「親の教育基準の違い」や、「親の正しい間違いの基準の違い」を家族ごとに違うことも確認し合い、納得できました。
一つの言葉の意味を全く逆にとって、感情的になった男女がいた場合は、黒板の前に二人で立たせて、徹底的に「自分の意見」の言い合いさせて、それを全員が聞いているので「おかしい!」と思ったらすぐに手を上げて、意見を言い合う時間も作りました。
感情的になりすぎて相手を罵倒する言葉を言った時は、その場で私が静止して、「言いすぎて、ごめんなさい!」と相手にお詫びする「ルール」も作りました。
頭の悪いバカな奴は、「じゃあ、言いたいことを言ってから、ごめんなさいと言えば、最後は許してくれるのか?」と聞いたので、このことを全員で話し合いました。
世の中に出て大人になった時、そんな態度で通用するのかを話し合い、全員が、
「子供の甘えだから、大人になったら通用しない!」
と理解できたので、バカな奴が賢くなったと思ったのに、また、バカな質問をしてきました。
「じゃあ、俺たちはまだ小学生の子供だから、甘えても許されるんじゃないか?」と言ったので、私はこう怒りました。
いいか、俺の母親たちの時代は、小学校が終わると、次の「尋常小学校」が2年間あるだけで、すぐ「社会人」だったんだぞ!
「尋常小学校」の2年間も学校へ行けずに、そのまま結婚したり、どこかへ「丁稚奉公」に出される奴もいたし、すぐに戦争へ行って死んだ人もいた時代だ。
今、俺たちの時代はすぐに戦争にはならないと思うが、この3年間が終わって中学生になれば、体は大人になるので、女は子供を産めるし、男はオチンチンが立って、セックスもできる。
そうなれば、すぐ子供ができて「親」になるかもしれないのに、いつまで甘えた子供をやっているんだ!!!おい!!
いいのか!、小学生の大事な残りの3年間をバカなガキみたいに過ごして、本当にいのか???
年を食って大人になれば、大人らしい言葉使いや考え方ができるのか????
今の大人たちを見ろよ!!
年は食ってるのに、バカみたいな子供じみた感情だけで物事を言うバカ女やバカ男がたくさんいるだろ!
お前も、そういう「バカな大人」になりたいのか???
今でもバカなのに、そのまま年を食ったら、お前を毎日、殴る親父やお袋と同じような人間にしかならないぞ!!
それで、本当にいいのか!!!!
お前の親父と同じような人間にしか、なれないんだぞ!!!!
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頭の悪い同級生は、言い返そうとしたのに、毎日、親父に殴られていることを思い出してこう言いました。
毎日、家に帰ると、親父が帰ってきた瞬間、兄貴や姉ちゃんをまず、ビンタするし、それでも気がすまないと、俺も妹もビンタされるんだ。
たまに、理由もなくビンタじゃなくて、ゲンコツで殴る時もあるので、兄弟姉妹の誰かが顔から血を出している毎日なので、俺はああいう大人にはなりたいくない!!!
こういう勉強をすれば、俺もそういう大人にならなくなるのか?
俺みたいいなバカでも、「まともな人間」になれるのか・・・・?
俺がもし、結婚して大好きな妻や子供たちを殴るような人間にだけはなりたくない!!
そのために、何をすればいいのか、みんな、教えてくれ!!!!
俺は自分で何も考えられないバカだから、みんなの力を借りないと、きっと、俺、親父みたいな人間になってしまうのが、ずっと、怖かったんだ!!!
だから、頼む!!!
みんな、教えてくれ!!!!
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そう言うと「バカな同級生」は、土下座しようとしたので、俺が止めました。
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おい!いいか!「土下座」だけは、何があってもするな!!
お前みたいに、首を下に下げた土下座は、「首を切って下さい」の土下座なので、絶対にしてはいけない土下座なんだぞ!知らないのか??
そうなのか???
俺の家では、親父が怒ると、「飯抜き」だし、さらに、「兄弟姉妹全員の責任」と言われて、親父がご飯を食べ終わるまで、ずっと、土下座させられるのが普通なんだぞ!
みんなの家は、違うのか???
さすがに、この言葉には全員が、驚きました。
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どの家の子供も、多少のビンタやゲンコツをもらう時はあるけど、それは誰が見ても「やってはいけないことをした時」だと言うと、他の家でも毎日、ビンタされる女子が数名いたし、その中の一人は、ビンタされたあと、親父が「せっかんだ!」と言って、布団に入ってきて、「セックス」されている事実を知りました。
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この事実を全員が聞いたので、どうやって「親父のせっかんセックス」を回避するかを話し合いました。
「親父のせっかんセックス」を拒否すれば、ご飯を食べさせてもらえないし、もっとひどくなると、小学校3年生の妹にも手を出そうとするので、妹を守るために、毎日のように、「親父のせっかんセックス」を受け入れていると教えてくれました。
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子供たちだけでは問題解決できないことだし、家族のことには先生は口を出せないので、「自分達の親」を通して聞いてみることにしましたが、反対に、他の親たちを怒らせてしまい、数名の親たちがその子の家に殴り込みに行ったほど、問題が大きくなりました。
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「家族の問題」は、どこの家も隠すのは同じですが、あまりにひどい問題の場合は、「親の力」を借りようと話しあいで決まりました。
それから毎日、自分達の授業に必ず、「一人の親」が見に来るようになり、「親の体験」を聞いたり、一緒に話しあいに参加したりと、「僕らの授業」は親たちの間でも有名になりました。
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僕らのクラス以外の小1から中3までの「8クラス全部」の授業に一切、出てこない先生たちなので、親たちが「小学校4年生みたいに自分達で授業をしなさい!」と言い出したので、いろんなクラスの先輩や後輩たちが毎日、僕らのクラスにやってきて、どうやって問題を解決するのか、どうやって話し合うのかを一緒に学びあいました。
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さすがに、「小1から小3」の授業を毎日は指導できないので、校長先生に頼んで、「3クラスだけは授業をして下さい」とお願いしましたが、長い間、授業をしていない校長先生の授業が面白くないし、お兄ちゃんやお姉ちゃんみたいに、明日の学校の授業のことで盛り上がれないと頼まれたので、小2と小3の授業は、この学校にお兄ちゃんやお姉ちゃんがいる人にお願いしました。
でも、教えるはずのお兄ちゃんとお姉ちゃんは、自分がわかっていても、下級生にわかりやすく教えられないと言われ、私が「小1年生の授業」を受け持っている時に、小2と小3のクラスで教えているお兄ちゃん、お姉ちゃんから呼ばれるので、三つのクラスをを行ったり来たりしていました。
自分の小学4年生のクラスの授業は、頭の良い男と女で作った「賢い人間チーム」が、クラスの中の職員室みたいになり、「先生同士が協力して生徒を教え合う体制」を作ったので、私がいなくても全然、問題なく授業は進みました。
だから、私は家に帰ると、自分のクラスの授業の他に、小1から小3までの教科書全部に目を通し、大事だと思った箇所に赤線で棒を引いて、その教科書を教えるお兄ちゃんたちに渡しました。
そこには、教えるコツも書いておき、現実でもわかるような「例え話」や、お饅頭や食べれる豆をたくさん持ってきて、授業が終わるとみんなで食べるよう教えました。
小1から小三の子供の中にも、賢い子がいたので、「すいません。もう、自分で教科書全部を勉強したので、上のクラスの授業に出ても良いですか?」と聞かれたので、校長先生の個人テストを受けさせてから「内部進級」させて、私の4年生のクラスに1名、小学3年生の下級生がやってきました。
そんな下級生がクラスにいると、馬鹿なことを言えないので、俄然、みんなが真剣になり、「絶対に下級生には負けないぞ!」と予習と復習を家でするようになりました。
結局、小学6年生の最後まで、その「飛び級の生徒」は一緒にクラスで勉強したので、同級生ですが、中学生に進級する資格に「年齢制限」が加わったため、その子は泣く泣くクラスを出ていき、1年間、我慢して自分で勉強していました。
その子が一生懸命だったので、先輩たちの中学生の古い教科書を持って行き、「自分で高校を受けれるくらいになりなさい」と教えた理由は、親が貧乏だったので、「通信教育の道」を目指して欲しかったからです。
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中学生になっても、この体制はクラスの中で続けたので、私のクラスで高校に入れなかった同級生は一人もいませんが、「2名だけ」、親がお金を出したくないと言われたので、中学を卒業してすぐに土建業に就職しました。
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小学1年生の最初の授業の話に戻りますが、私が校長先生の代わりに授業をすることになったので、学校が何をする場所かも知らないで、ビクビクしてている入学まもない子供たちには、最初に「学校で何をするのか?」を教えました。
一つ目!まず、毎日、学校に、遅れないで来ること!
二つ目!学校に来たら、靴を上履きに履き替えて、下駄箱に入れること!!
すいません、上履きが無いので、どうしたらいいの?
そうか、「上履き」も、ない家があるのか?
じゃあ、今日は、靴の底を綺麗に洗って「上履きの代わり」にしなさい。
数日で、みんなの「お下がり」が余って無いかを聞いて回るので、きっと、君が履ける靴が見つかると思うよ!
もし、見つからなかったら、僕が母に頼んで縫ってもらうわ!
だから、泣かないでいいからね!
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次!教室に入る前に、必ず、頭を下げて、「おはようございます!」と大きな声で言うこと!!
さあ、この三つだけは最低の決まりなので、毎日、できる人!!!
はーーーーい!!できます!!!
じゃあ、今日は、「体育の授業」から始めましょう!!
みんな、体育館へ集合!!!
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いいかい、これから「休み時間」になるたびに、9クラス全員が体育館の「場所取り」をして遊ぶので、君たちみたいに小さい子供は、「遊び場所」を与えてもらえないと思うので、「特別スペース」を僕が作るから、一緒に手伝ってね!
体育館の隅に、跳び箱を並べて、平均台も並べて、マットやボールをそこにおいて、「小学1年生の専用スペース」を作りました。
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こんな感じで毎日、小学1年生の授業をしていると、子供たちは僕のことを「先生」と呼ぶので、「お兄ちゃん!」と呼びなさいと教えました。
長女や長男の子供は、お兄ちゃんがいない人もいたので、「お兄ちゃんと呼べることがとても嬉しい!」と言ってくれました。
得意な「算数」を教える時は、家にあったお饅頭を持ってきて、どうやって二人で分けるのか?
どうやって、三人で分けるのか?
どうやって、四人で分けるのかを、みんな一緒に考えました。
お勉強で使ったお饅頭を最後は食べるので、誰もが「算数の時間」が大好きになり、割り算や掛け算も一気に覚えてくれました。
頂き物の饅頭がない時は、母に頼んで「おはぎ」を作ってもらいましたが、この味がうますぎて、子供たちは泣いていました。
どうして、うちの「おはぎ」は、こんなに綺麗な色じゃないんだろう?どうして、うちの「おはぎ」は、こんなに甘くないんだろう?
すぐに「高価な砂糖」が買えないからだとわかりましたが、これは親を苦しめることになるので砂糖の代わりになる甘いものがないかを母に聞くと、こう教えてくれました。
新鮮な野菜の汁に味付けをして甘くしてからご飯に混ぜると、結構、美味しくなるから今度、お母さんたちの集まりの時に、私が教えておくわ!
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「自分がこう教えてくれたらわかるだろ」と思ってやってもダメな場合は、頭のいい子に「子供がわかる方法」を聞いて、一緒に授業を進めました。
最初は、ものすごく進みは遅かったのに、結局、1年間が終わる前に、全ての授業が終わってしまい、校長先生の最後のテストをしてもらった時、
「お前、よくここまで生徒を手名付けたな?」
と言うので、手名付けたんじゃなくて、自分が子供になって素直に聞くと、子供たちが自分で考えてくれましたと、答えました。
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家に帰れば、兄弟姉妹でも、学校に行けば「自分の先生」になるので、それから兄弟喧嘩はしなくなるし、兄弟姉妹で「問題を解決する能力」が身についたので、誰も、頭ごなしに怒る親たちもいなくなりました。
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一番、驚いたのは、自分の子供を犯していたお父さんたちがクラスにやってきて、
「自分は、まともな授業を受けたこともないし、問題を一緒に話し合いで解決したことがないので、どうか、一緒に学ばせてくれ!」
とやってきたことです。
これには「クラス全員」で決めなければいけないことなので、一人一人の意見を言ってもらいました。
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最終的に決まったことは、教室にいてもいいけど、絶対に、発言や質問は禁止!
そして、授業で聞いたことは、絶対にノートに書いて、復習すること。
それを必ず、毎日、実践することを約束してもらって、「教室にいる許可」を出しました。
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自分を犯していた父親に見られている娘は緊張のあまり、泣き出しそうになりましたが、あえて「国語の先生」をやってもらい、2名の漢字を読むサポーターがつくので、どんどん漢字もすらすら読めるようになり、最後は、「自分一人」で朗読を最後まで読めるようになりました。
それを聞いていたお父さんは、一番後ろの席で、涙を流して、
こんないい娘になったんだなあ・・・。
と泣きながら、大声で、
今ままで、本当にすまんかった!!!
と謝って、首を下げた「土下座」をしました。
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僕は、その「土下座」を見た瞬間、ここまで耐えてきた女の子の思いが溢れて許せなくなり、教室にあった「木の棒」を持ってきて、本当に、この人を殴り殺そうかと思いましたが、思いっきり棒を振り上げて、首のところで「寸止め」しました。
今はこの棒しかないので、あなたを殴りませんが、もし、このあと、1回でも娘に手を出したら、僕は、吉岡家の本家に行って、「日本刀」を持ってきて、あなたの首をはねますが、それでもいいですか?」と聞きました。
それでもいい、それでもいい、だから、これまでのことは水に流して許してくれ!!!!
と言ったので、犯され続けた娘に聞いて、許すことにしました。
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その場にいた数名の親たちは、私の家が「武士」だと知っていますし、「日本刀」を隠し持っていることも知っていたので、とても緊張して何も言いませんでした。
もし、お父さんたちの中で、同じようなことをする人を見つけた時は、私は容赦無く、あなたたちを切り殺しますし、私の父も、母も、きっと同じように刀を振り回すと思うので、どうか、御覚悟下さい、と言ってその日の授業を終えました。
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国語と道徳の授業を一緒にやったような感じですが、このあと、「親に犯されていないか?」を毎日、聞けるようになりましたし、「私のクラスで作った基準」が、中3までの先輩たちに聞こえたようで、毎日、私たちのクラスにやって来る先輩や親たちの数も増えました。
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どんな授業をしているのか?どうして、自分の子供が自信を持って、言葉を話せるようになったのかを見にきたかったようです。
中には、「自分のお昼弁当」を持ってくる親も出てきたので、その時だけは、家族でご飯を一緒に食べてもらいました。
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一人一人のお母さんたちが、自分の家のご飯を持ってやってきますが、持ってくる「お米の量」も少ないし、おかずもほとんどない状態だったので、
毎日のお昼ご飯の時間を「家庭科の授業」と決めて、クラス全員の家にある野菜や米を持ち寄ってもらい、お母さんたちにご飯を炊いて、おかずを作って一緒に食べることにしました。
当然、お米は、米農家の我が家が、たっぷり提供しました。
成長不足の野菜でも、浸けすぎてスッパイ漬物でも、上手に調理できるお母さんがいたので、毎日、腹一杯、美味しいご飯を作ってもらい、全員で美味しい昼ごはんを腹一杯、食べれるようになりました。
僕が「美味しい味噌汁好きなんです!」というと、お母さんたちが順番に、自分の「家の味の味噌汁」を食べさせてくれたので、毎日、白いご飯と味噌汁と、おかずが一品がある食事は、家に帰った時よりいい食事だったようで、たまに、仕事を早く切り上げたお父さんも、一緒にお昼ご飯を食べに来ていました。
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そんな時間が長く続くと、他のクラスも同じようにお昼ご飯を作りたいと言い出したので、全部のクラスに「1名のお母さん」を配置しておかずを作ってもらい、毎日、家で食べられないほど「腹一杯のご飯」を全てのクラスで食べてもらいました。
用務員さんの協力のおかげで、大きな鍋でご飯と味噌汁をうちのクラスで作って、他のクラスの人が取りに来る「決まり」にしたので、今の「給食」の始まりみたいなことを小学生の時に「生徒たちだけ」でやっていました。
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小学1年生から中学3年生までの全員のお米を出してくれた母は、来年の我が家の家族のお米が足りなくなったので、元武士の米農家を回って声をかけて、お米を集めてくれましたが、たった一言、こう言われました。
もし、来年、お米の収穫が今以上に増えなければ、我が家のお米は足りなくなるので、来年からお前のご飯は、半分で我慢しなさいね、と言われましたが、みんなの喜ぶ顔が嬉しくて「我慢します」と言いました。
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小学5年生、6年生になっても、まだ、先生たちは職員室を出てこないので、時々、私は自分の担任の綺麗な女の先生と、校長先生に「おむすび」を自分で作って持っていきました。
涙を流しながらお礼を言ってくれている担任の先生と校長の後ろから鬼のような目をした「共産党の先生」が出てきて、「子供から施しなんて受けるな!」と、僕があげた「おむすび」を床に叩きつけました。
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この時は、「相手を殺す道具」を持っていなかったので、
今回は、許しますが、もし、次に、同じようなことをしたら、あなたを殺しますので、ご注意下さい。
と言葉を吐き捨てて、職員室を出ていきました。
「命を育む食べ物」を粗末にする人間を許すことなどできません。
それは、食べ物を作るために命をかけている父や母の思いを無視することになるし、ましてや、「教育者が食べ物を床に捨てる」なんて、許せるはずがありません。
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もう、無理です・・・。
学校中の先生を監禁して、自分達の意見を通すなんて、大人がやってはいけないことなのは誰でもわかるはずなのに、この「共産党のバカ先生」は、学校だけでなく、空知地方や、北海道中で問題になり、北海道の「北教組」や、全国の先生たちをまとめる「日教組」にまで情報が知れ渡り、東京のマスコミが取材に毎日やってくるほど問題になりましたが、「バカ教師の本人」は、
「どんどん世の中に広まれ!」
と笑顔でいるほど、馬鹿な人間でした。
教育者たる者が、「人間としてやってはいけないこと」をしていることに親たちは何もせず放置していることに頭に来たので、私は、「あと1回」、自分を怒らせた時に、どうするかの「準備」を始めていました。
中学1年生になった時、その「危険な時間」がやってきたので、これは次回にお話しします。
つづく