用務員のおじさんと息子さんの話
用務員のおじさんと息子さんの話 50年前の田舎の小学校は、児童数が少ないので、小学1年生から中学3年生まで、全て1クラスしかない小中学校でした。全校生徒は250人。
学校まで2番目に近い家に住んでいた私は、早起きの母のおかげで、毎日、学校に1番乗りでした。
北海道の冬の学校の朝7時は、一人の用務員さんが職員室と9教室全てのストーブに火を付けるのが仕事です。
私は、小学3年生から家のお風呂のストーブに火を付けるのが私の仕事だったので、用務員さんに「僕が自分の教室のストーブに火を付けてもいいですか?」と聞くと、「おー、できるのか?」と聞かれたので、「ハイ!毎日、僕が家のお風呂のストーブ担当なので、大丈夫です」と答えると、「じゃあ、お前に任せるよ」と言って、用務員さんは他の教室に行きました。
当時のストーブは、石炭を燃やす鉄の「だるまストーブ」ですので、新聞紙で薪へ火を付けて上手に石炭へ火を移さないと消えてしまいます。
自分で何度も失敗して覚えたコツは、いつでもどこでも役に立つものです。
そういえば、小学6年生の時に、近くの川の横で6人のグループで飯盒 (はんごう)飯を炊いて食べる炊事遠足がありましたが、みんな上手にご飯を炊けず、「メッコ飯」になったので、私がみんなのご飯を炊き直した思い出があります。
当時の学校の先生も親も、絶対に、そういう時は手も口も出しません。子供たちが自分で考えて、協力しあうことを学ぶ大切な時間だからです。
毎朝、7時から用務員さんがストーブに火を付けて回る大変さがわかったので、私は毎朝6時半にご飯を食べて学校へ直行し、用務員さんのお手伝いをするのが楽しみになりました。
用務員さんの家は学校の中にあり、手洗い場の横の狭い1部屋で息子二人を育てたと用務員さんの奥さんが教えてくれました。
ある日、1m以上も雪が積もっている時期に、自転車を押しながら学校へ歩いていく一人の男性を見つけました。
誰なのかわからず、母に聞くと・・・
「あのバカ息子は、自転車で日本中を歩いているそうで、定職にも付かないとお母さんが嘆いていた長男バカ息子だよ」と教えてくれました。
そんなにバカ息子なのかと思って、そっと様子を覗いていると、用務員さんが珍しく怒って声を荒げていたので、やっぱり、バカ息子だと思いました。
雪が溶けて春になると、その長男バカ息子が自転車で楽しそうに走っている姿を見つけました。
僕も、オンボロ自転車だけど、歩くより遠くに行けるので自転車は大好きでした。
そんな僕が見たバカ息子の自転車は光っていたんです。ピカピカと!
見たこともない形のハンドルだし、荷物バックを五つも積んでいるし、田舎では見たことがない自転車でした。
とっても、ピカピカ自転車に興味があったので、長男バカ息子さんに、話しかけてみました。
「あのう、その自転車、なんでそんなにたくさん荷物が詰めるんですか?重たくないの?」
お兄さん「これはキャンピング専用の自転車なので、相当な重量を積んでも大丈夫なのさ。君も、自転車は好きかい?」
「ハイ、大好きです!」
「じゃあ、今度の日曜日に一緒に走ろうか?」
「はい、お願いします!」
「誰か一緒に行きたい人がいたら連れておいでよ!疲れない上手な乗り方を教えてあげるよ。」
「みんな貧乏なのでボロな自転車しかないけど、大丈夫ですか?」
「大丈夫、僕はどんな自転車でも、どこで壊れてもすぐに直せるんだ。だって、日本を1周半、回ってきたんだから(^^)」
「日本を1周半???嘘だろう、きっと・・・子供だと思ってバカにしてるのかな?」」と思って、お兄さんの太ももと見ると、恐ろしく太くて、真っ黒に日焼けしているのを見ると、まんざら嘘じゃないかもと思えました。
すぐに同級生に、「日本を1周半回ってきたお兄さんと一緒に日曜日、自転車で走らないか?」と聞くと、すぐに3人が参加しました。
本当は、とても行きたい奴がいたんだけど、そいつの家は、うちより貧乏なので、自転車が家に1台もない家なんです。
いつも、家族で重い荷物を背負って何キロも歩いている姿を見ているので、今回は、ゴメンと思って無言で別れました。
日曜日の朝、自転車のお兄さんは、芦別から50km離れた旭川まで行くと言うので、僕らは驚きました。
「行けるはずないよ、そんなに遠くに・・・」
「大丈夫、ちゃんと疲れない走り方を覚えると行けるさ。でもできないと思うなら、やめようか?」と全員の顔を覗き込みました。
お互いに、幼稚園からの同級生なので、よくお互いの性格を知っているからこそ、弱音だけは吐きたくない同士なので、全員、「行きます!」と返事をしました。
そりゃあ、辛いに決まっています。
いろいろお兄さんは教えてくれたけど、やっぱり、辛くて無理だと思っても後ろを振り向くと、同級生も必死に負けたくなくて涙をこらえてペダルを踏んでいました。
旭川の入り口まで来ると、「さあ、ここでUターンだぞ!」と言われ、「えー!休まないの?」と全員が落胆の声でした。
お兄さん「いいか、ここで休んだら芦別まで戻れないぞ!一番、辛い時に休んだ人間は、結局、諦めるんだ。
人生も同じだぞ!
いつでも、どこにいても、誰といても、辛い時はみんな辛いんだ。
その辛い時に、意地でも頑張り切れるかどうかで、人生が楽しいか、つまらないかが決まるんだ。覚えておけよ!
俺も日本中を自転車で歩いて、お金が無くなったら、その場所でバイトして、お金が溜まったらまた出発するのを繰り返して日本を1周半、回ったんだ。
「どうして、一周でやめなかったの?」
「最初は、日本全国を一周したら、親父が言うようにちゃんと職につこうと思っていたんだけど、日本を一周、回りきった時に、自分が何をしたいのか答えが出なかったのさ。だからもう一周するかと思って、再スタートしたんだ。」
「だって、学校の家に戻ってきたのは冬だったでしょ。なんでなんの?」
お兄さん「秋から東北を北上してたんだけど、大雪に見舞われて、身動きが取れなくなったんだ。
自転車を担いでも雪に埋まるくらいの雪だったので、どうしようか迷っていたら、一軒の農家のお父さんが、ウチに泊まっていけ!と言ってくれたんだ。
お金もないし、お礼をする物もないので、春になったら働いて返しますと言うと、「そんなものはいらん。ちゃんと腹一杯、飯を食って早く寝ろ!」とそのお父さんに言われたんだ。
俺、その晩、布団の中で号泣したんだ。
俺は、何をやっているんだろう?
こんなに優しくしてもらっても、何も返せない人間だと、はっきりわかったんだ。
だから、翌朝から早起きしてご飯を作るお手伝いをしたり、掃除を手伝ったり、薪を切ったり、春までいさせてもらおうと思ったんだけど・・・
その家にいた一人娘と仲良くなったので、嫁にもらいたいと思ったんだ。
でも、お金もないし、定職もないので、親に怒られるのを覚悟して、結婚の報告をするために家に帰って来たんだ。」
だから、2月の寒い時期に、用務員さんのところに戻ったんだね。
用務員のお父さんは、結婚を許してくれたの?
お兄さん「いや、親父は・・・結婚だと!!!お前は俺たちだけじゃなくて、さらに、そのお世話になった人たちにも迷惑をかけるのか!」と怒鳴られて殴られたよ。
親父が許してくれないので、明日、また東北に戻ろうと思ってるんだ。
だから、お前たちと会おうのも、これで最後だ。ありがとうな、話を聞いてくれて。」
涙を溜めた目で中学2年生の男の子4名に自分の辛い思いを正直に話してくれて、お礼まで言ってくれたお兄さんの言葉に、涙で声を詰まらせた4名は、ただ、「ありがとうございます」としか言えませんでした。
後日談)
家を出たあの長男バカ息子さんは、東北に戻って結婚して、子供ができたそうです。
そして、定職について働いていると用務員の奥さんが母に話してくれました。
孫が生まれたので、用務員のお父さんも許す気持ちになったようで、来月、奥さんと東北の家にご挨拶に行くと嬉しそうに母に話してくれました。
※中学2年生の時の体験談です。
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