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芦別市常磐町の1月10日の「大新年会」の出来事

1月10日は私の誕生日ですが、毎年、実家の「町内新年会の飲み会」も、「1月10日」と決まっていました。

しかし、数年に一度だけ、「大新年会」という特別な会が行われました。

新年会を「1月10日」に行う理由は、元旦は家を一歩も出てはいけないし、1月2日は「親戚周り」をしないといけないし、1月3日は近所の人たちが家にやっきて「挨拶周り」に来るので、家にいないといけないからです。

私の実家の「先祖ルーツ」は、富山県からたくさんの農家を連れてやってきた「武士」なので、最初は近所に住む「小作農」の農家たちが作ってくれたお米を食べて生活していました。

しかし、大東亜戦争に負けたあと、GHQの指導で「武士が所有する土地を小作農に分け与えよ!」と強制的に資産を奪い取られ、「小作農」に田畑が分け与えられました。

昨日まで「小作農」だった人たちが、自分でお米を作って食べられることは喜んでいましたが、今までお世話になっていた「武士」に対して、毎年、お正月に家族全員で「武士の家」に挨拶に来るのが、当時の「小作農」たちにとっては常識だった時代です。

👉農地改革と小作地解放

私が中学生になっても、小作農家の家長が「挨拶に行く」と言えば、家族全員で真冬の外に座り込んで、「今年も一年、どうぞ、よろしくお願いいたします」と正月の挨拶に来る列が並んだ時代です。

私の実家は、「分家」なのでまだ人数は少ない方ですが、「本家」の家の前には、100mも貧乏な小作農の家族が冬空に並び、家族全員が「玄関の外」に土下座していたのを見たことがあります。

その挨拶が終わって家族とゆっくり過ごしたあとの、毎年1月10日は、家族全員で町内会館に集合して、お互いに「今年もどうぞよろしくお願いします」のご挨拶を「家族単位」で行うのが常識でした。

私の兄は「次の家長」ですので、どこの家も自分の家の「次の家長」を紹介し合い、「もし、何かあった時は、残った家族をよろしくお願いします」と、元武士も、元小作農の家族同士も土下座し合います。

戦争でたくさん家族や兄弟姉妹を失った家族ほど、「武士の家系」には深々と「土下座」していました。

こんな光景を高校生になるまで見続けましが、中学卒業で家を出て働きに出る人間たちは、一番、前へ出て、これから社会でお世話になる大人たちに、自分の言葉で「どうぞ、よろしくお願いします」と挨拶できないと大人たちは許してくれませんでした。

頭が良くても、こういう「社会的な挨拶」ができない家の子供は、嫁も夫ももらえないので、どの家も「お正月の挨拶」を真剣に教えて、「子供たちが社会の大人たちに迷惑をかけない教育」と、嫁や夫になる子供たちを見て、どの家の娘をもらうのか、どの家の息子と結婚させるかの「話し合い」が行われました。

今の言葉で言えば、「集団お見合い」みたいなものですが、その時に挨拶が上手にできて、大人たちが気に入れば、そのまま「結婚の日取り」が決まり、嫁をもらう家と、結婚する息子の親が前へ出て、町内の皆様に「これから子供たちが家族となり、皆さんのお世話になるので、どうぞ、よろしくお願いします」と両親が深々と挨拶をしていました。

結婚式の最後にスピーチするのと同じですが、実は、昔の「結婚」はこの「1月10日」の挨拶次第で家柄と、「親たちと子供の態度」まで見られますので、家族全員が最高に綺麗な洋服や和服を着て、「大新年会」に出席します。

新年会に「大」がつく理由は、近所だけでなく、常磐町全ての親族・家族が集まる場であり、早く結婚させたい親たちにとっては、人生で「一回だけのお見合いのチャンス」なので、真剣でした。

次の年初めの新年会を「大新年会」にするかどうかは、年末に、父親たちが集まる月例会で、自分の娘をもらって欲しい父親がお願いして、結婚させても良い年齢の男たちと、嫁がいない息子の父親たちで決めるそうです。

昔は、「娘二八か、二九からず」と言われたほど、「結婚適齢期」が早かったので、どの家の親たちも真剣でした。

※「娘二八か、二九からず」とは、二八=16歳、二九=18歳が「結婚適齢期」で、18歳を超えた女は「行き遅れ」と呼ばれ、どの家も嫁にもらってもらえない「行き遅れ」の女と呼ばれました。そういう家の親たちは、隣町や親族にお願いして、何とか20歳までに嫁に行かせますので、子供を産むための「母体年齢」を最も大事にした親たちがいた時代です。

娘や息子の意思など関係なく、結婚は、「親同士が親族」になるので、決して、子供が勝手に結婚することを許されない時代でもありました。

私の母も20歳で結婚したので、「行き遅れ組」だからこそ、母の父親が写真を見て決めて、吉岡家の六男の嫁になりました。

つまり、「大町内会」は綺麗で健康的な「嫁とり合戦」だったからこそ、食事は全て母親が娘と手作りで準備して、近所の大人たちに食べてもらい「この漬物は娘がつけたんですよ!」と母親が娘を売り込む時間でもあったのです。

そんな「大新年会」の時に、父が家に隠してあった飾りが付いた最高にかっこいい「日本刀」を手にして、「大新年会」に参加していました。

なぜ、「大新年会」に日本刀を持っていくのかを父に聞いてみると、

お前の兄貴は、もうすぐ18歳になるので、どこの嫁でももらえるからこそ、父親同士は、自分の家の「家柄」を示すために「元武士」の家は全員、「日本刀」を持って「大新年会」に出るものなんだ。

 

一度、嫁にもらっても、3年以内に男の子を産まない家の女は離婚されるし、嫁に死なれた男もいるので、そういう男たち同士が「若い嫁」を取り合うのが「大新年会」だからこそ、武士の「家長」は全員、「日本刀」を持って会に参加するのが、昔からのしきたりなんだ。

 

だから、この「大新年会」の時に「日本刀」を持って歩いていても、誰も文句は言わないし、警察官になった親の家系が「元武士」なら、必ず、私服に着替えて「日本刀」を持って会に参加するものなのさ。

 

そうしないと、いつまで経っても嫁は勝手にやってこないからな。

 

つまり、大新年会は、「男たちの戦い」でもあるのさ。

 

お前は次男だから、自分で外で働いて嫁を見つけないといけないが、長男を産んだ親たちは、真剣なんだぞ!

 

そうしない親たちの家督も資産も無くなるし、娘たちが全部出て行った後は、誰も「家督や資産」も守ってくれる人はいないのさ。

 

そういう家は、最後は国に資産を没収されるから、惨めなものだぞ!

 

つまりな、この「大新年会」は、自分の一族を守るための大事な会だからこそ、みんな、「真剣」なのよ。

 

「日本刀」を持って、真剣に戦うから「真剣」というんだぞ!

思えておけよ!!

もし、20歳を超えても結婚できない女は、どうなの?

そういう女がいる家は、もう町内同士では無理だから、隣町に引っ越して、誰かにもらってもらうか、金持ちの2号さんになって、生きる場所を手に入れるしかないのさ。

 

俺たち家長の男たちはな、自分の娘を「嫁にも出せないような家の母親や父親」を絶対に、信じないと決めているのさ。

 

だってな、自分の家の「苗字」を守るためには、娘に子供を産ませるしかないし、その娘を嫁に出すために、いろんな手を使って娘を売り込むのさ。

 

中にはよお、母親が若い相手の男とセックスして、「自分みたいに気持ちいい娘だから嫁にもらって下さい」とまでやる母親もいるのさ。

 

でもな、男たちはそういう「バカ母親」でも、娘が子供を産めば、家督と資産は守れるので、ある意味、「男と女の生き残り合戦」だなあ。

 

だから、見てみろよ!

 

30過ぎの嫁に出せない女がいる家には、誰も近づかないし、近所付き合いもする必要がないのさ。

 

そういう女は、都会に出て、自分で「好きな男」を捕まえないと、ただのババアになるだけなのさ。

 

「近所付き合いの意味」もわからん娘や母親たちは、最後は女だけでババアになるしかないし、親族も誰も助けてはくれないんだぞ!

 

だから、昔から若いうちに結婚させるか、子供を先に産ませることができた家は「賢い家だ」と言われるのさ。

 

美人でも、頭が良くても、こういう人と人の付き合いがわからん女たちは、絶対にワガママだし、自分のことばかり口にするから、そういう女とは付き合うなよ!

 

あとな、娘をもらった武士の家は、娘の実家に米3俵(180kg)を持っていくのが、慣わしなんだ。

 

だから、娘を産んだ家は、早く娘を嫁に出せば、家族のお米が手に入るので、12歳くらいから嫁に出す準備をするんだぞ!

 

「生理」さえくれば、どんなバカでブスでも子供は産めるので、親は必死に、娘を嫁にもらってもらえそうな男親たちにツバをつけるわけよ!

 

だから、男も女もこの日だけは戦いなのさ。

 

さあ、お前の兄貴の最初で最後の「晴れ舞台」だから、お前も一緒について来い!

家族四人で町内会館に行ってみると、父の説明通りにいろんな家族が挨拶するし、結婚が決まった家族同士が出ると「大太鼓」を叩いて、みんな「日本酒の樽酒の一合枡」を酌み交わしてお祝いしていましたし、外には、「四斗樽」が山積みでした。

四斗樽(72Lサイズ)

私は当時、中学2年生ですので、最初はお酒は遠慮していましたが、「お祝い酒」はその場にいる全員が飲まなければいけない「ルール」があるので飲みましたが、後半の時間になると、私以外の母や兄たちは、そっと、会場を出て家に帰りました。

どうして自分一人だけ残っているのか不思議でしたが、父は、「お前だけは残っていろ!」と命令されたので、家に帰ることもできません。

一通りの「嫁とり合戦」が終了すると、今度は、武士のお父さんたちだけで「日本刀の自慢大会」が始まりました。

一人が自分の家の日本刀を自慢すると、他の家の家長も自分の刀を抜いて振り回し、俺の家の刀のほうが由緒があると自慢します。

そういう「酒に酔った男たちの自慢」が始まると、小作農家の家長たちも妻と子供を家に帰し、自分一人で、お世話になった「元武士の家長」を見守っています。

ベロベロになった武士の家長を家に送り届けるのが、役目だと座っていたオジサンが教えてくれました。

酒を飲んで暴れる人もいるし、大声を出す人が続出するので、もう、会場が「戦場か?」と思うほど、日本刀を振り回しながら大酒を飲む男たちで大変でした。

部屋の隅で小さくなってコッソリ日本酒を飲んでいると、

おい!次男坊!お前、そうだよな!

いつも、俺の子供をいじめてくれてありがとうな!

今日はお前を成敗してくれる!

さあ、刀を抜け!

 

と言って、私に小刀を渡しました。

こんな酔っ払い親父を切っても意味がないので、黙って座っていると・・・

おい!どうして、刀を抜かないんだ!

お前が抜かないと、俺たちは切れないんだぞ!

 

「俺たち???」と思って、そのオジサンの後ろを見ると、後ろに刀を持って並んでいるお父さんたち数名が見えたので、父の顔を見ると、知らない顔をして横を向いていました。

ははーん、これは父が、仕組んだんだな。

どうしようかな、このオジサンを切ろうかな?刺そうかな?

でも、目の前にいるオジサンを切ると、後ろのオジサンが次に来るし、その後ろにも刀を持って、真剣な目で私を殺そうとしている人たちがいるので、少しだけ考えて、こう言いました。

ねえ、「お父さん」、あなた僕の同級生の「お父さん」ですよね?

刀を振り回して切るのは、いつでもできるので、まず、「お酒」で勝負しましょうよ!

「駆けつけ3杯」、さあ、先輩!どうぞ!

 

この言葉を言われると、男は引き下がれないのを知っていたので、1号枡の日本酒を私の前と、オジサンの前に三つづつ並べて、「ヨーイドン!」の掛け声で一気に飲みました。

もう、オジサンたちは十分、日本酒を飲んでいるので、定量まであと少しだと思ったからこそ、先に、「お酒で戦う戦法」に切り替えたのです。

最初のオジサンは、2杯目で倒れたし、次のオジサンも1杯半、その次のオジサンも一杯半と、次々、倒れたので私は自分の日本酒を持って、横に移動しながら「日本酒合戦」を勝ち続けました。

 

5人目は、なんと、「本家のオジさん」だったの、さすがに躊躇しましたが、片手に刀を持って離さないので、これは負けたら即、切られるとわかったので、真剣に日本酒を飲みました。

3杯勝負で引き分け、次に、5杯づつ並べて勝負しても引き分けでした。

 

私もフラフラですが、まだ、目は回っていないので、人は切れます。

 

本家のオジサンが合計8杯(8号)を飲んだまま、目がいってしまって立てなくなったので、「私の勝ち」となりました。

 

私の右手にいた父は立ちがあって、「次は、俺だ!」と言うので、「本気の1杯勝負」を挑みました。

もう、量は飲めないので、勝った方が「次の戦い方」を決めるのは、武士のルールなのです。

「1杯勝負」の場合、1秒でも早く一気に飲み干したほうが勝ちなので、勝ったほうは刀を抜いて一気に相手を斬り殺して良いのが、「武士同士のルール」にあるのです。

父と真剣に睨み合っていると、「ヨーイ、始め!!」と掛け声がかかったので、一気飲みして、1秒先に私が早く飲み干したので、刀に手をかけて、父が抜くのを待っていました。

すると、父はコップを置いて、一歩下がり・・・

「参りました!」と、大声を出して「首を下げた土下座」をしたので、戦いは「私の勝ち」となりました。

家に帰る途中、まだ、刀を抜けるはずの父が抜かなかった理由を聞いて驚きました。

お前がコップを置いて、刀に手をかけた時の「目」を見た瞬間、もうダメだと思ったのさ。

俺がお前に斬り殺されるのは仕方がないと思ったんだが、きっと、あの目になったお前は、「自分を忘れて周りにいる親父たちを全員、斬り殺す」と思ったので、勝負を終わらせたんだ。

だってな、結婚が決まった家もあるし、娘を嫁に出したい親たちがまだいたし、春になれば、親父が一番、働かないと「農家」はできないので、みんなの「農家」のために俺は引くことにしたのさ。

 

お前、本当に、全員、殺そうと思っていたろ?

白状しろ!!

 

さすが、私の父ですねえ・・・、さすがです。

僕はあの時、「手入れした刀」を誰が持っていたのか注意深く見ていたので、それを掴めは何人でも殺せると思って準備をしていました。

でも、さすがに父は切りたくないので、「みねうち」にする体制を作っていました。

だから、「土下座」してくれてありがとうございます。

父を切らずに済んだので、今年もまた、美味しいお米を作って下さい。

楽しみにしています。

・・・・・・・・・

中学2年生の出来事でしたが、翌年からこの「大新年会」に私が呼ばれることはありませんでしたが、高校2年生の時に「長ランリーゼントの学級委員長」になってからの2年間は、いつも学校の先生や生徒たちとバトルしていたし、冬休みに1日だけ登校日があった日に、クラスの仲間たちと「誕生日」のことで揉めたので、思いっきり日本酒を飲みたくなり、父にお願いして「大新年会」の同行をお願いしたことがあります。

嫁取り合戦が終わったあとなら、来ても良いぞ!

と言われたので、母が家に戻ってから一人で町内会館のドアを開けると、会場に来ていた全てのお父さんたちが私を見て、日本刀を後ろに隠して、何気ない顔をして静かにお酒を飲み始めました。

オジサンたち、いつも、この時間は「日本刀の自慢」をする時間のはずでしょ!

面白いからやって下さいよ!

俺、今日、とてもムシャクシャしてるので、面白いことが無いなら、思いっきり酒を飲んで、オジサンたちを斬り殺すけど、それが嫌なら、いつも通り、刀の自慢大会をして下さい。

俺、静かになると、今日は気が狂いそうなので、どうか、お願いします。

会場が一瞬で凍りついたなか、私の父がまず、自分の刀の自慢をして、その相手は、本家のオジサンが自慢をし、次に、隣のオジサンが自慢をするという具合に緊張しながら自慢しているので、全く面白く無いのでこう言いました。

オジサンたち、面白くないわ・・・。

俺、なんか、ハラワタ煮えくりかえって、イライラしてきたので、面白くできないなら、その刀を奪って全員を斬り殺すけど、いいのかな?

来年のお米を作る人たちがいなくなるけど、妻や子供たちは困るんじゃないかなあ〜。

だから、お願いします。もっと、面白くして下さい!!

 

ドン!!!(コップ酒をテーブルに叩きつけた音)

それぞれの大人たちが真剣に芸を見せてくれたけど、全く笑えない気持ちだったので、一升瓶にたくさん日本酒を入れてもらって家に戻り、一人でテレビを見ながら日本酒を飲んでいました。

父が片付けを終えて家に戻ると、「いつもの自分の席」に私が座っているし、日本酒を抱えているので、仕方なく私の後ろに座って「1杯だけ、酒をくれ!」と言ってから寂しそうに私の後ろで飲んでいました。

隣の部屋には兄と母がいましたが、「自分を抑えるのが必死」だったので、一升瓶を飲み干して寝て起きるまでは、夜中中、先祖と霊たちと戦い続けました。

道を歩けば、朝から晩まで「人間のトラブル」に巻き込まれるし、浮遊霊たちが声をかけてくるし、家に帰ると守護存在たちと先祖たちがうるさく頭の中で喋るので、毎日、1時間も寝られない生活を続けていた高校時代でした。

それが、「私の誕生日」の思い出です。

・・・・・・・・・・・・・・・

それでも、私を産んで育ててくれた父と母には感謝ですし、さらに、父と母を産んで育ててくれた祖父母たちも誕生日には手を合わせています。

「命のつながり」で作られた肉体と、「魂のつながり」で出会わされた全ての人たちに、心から感謝申し上げます。

今日まで生かしてくれて、ありがとうございます。

そして、これからも、どうぞ、よろしくお願いいたします。

 

 

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