大切な人の死に向き合う心を学ぶ
私が尊敬した義父は、大正8年生まれ 満88歳 そして、2007/5/31の朝8:08にこの世を去り、全てが”末広がり”の無限転生の証と神のサポートの中、家族へ完璧な準備を施して天に召されました。
義父の葬儀準備をしている時に、他人を看取った時のことを想い出しました。
生きている人間は、常に、家族に一日でも永く生きることを望みますが、自らの命の灯火が消える時期は、実は、ご本人が一番よく知っていますが、実は、ご本人が死を受け入れるときには、神との契約 があるからです。
15歳の男の子の場合、苦しい闘病生活の最後に神と契約を交わして、自らが神となって家族を守る役目に付く事を受け入れ、目の前で肉体を離れていく瞬間を残された家族と共に見送りました。
83歳の老人の命を半年間延命している時には、数十年ぶりに親子が本音で話し合うことができた貴重な時間の最後に言った言葉が、「幸せすぎて、死ぬのを忘れていた」でした。
この老人も、神との契約を終え、数時間以内に亡くなることを私自身は知ることになりましたが、何十年ぶりに親子3人の心が通い合い、子供達が一日でも生きてくれることを哀願しているなか、そのことをお伝えすることはできませんでした。
翌早朝、病院へ行き、魂が肉体を離れる瞬間まで、家族と一緒に過ごさせていただきました。
また、家族に自殺された方がいる場合、亡くなったご本人よりも、残された家族が周りの人に自分の心の辛さや苦しみをぶつけることが出来ずに、大きな苦しみを抱えてしまいます。
そういう家族を支える役目の人は、誰よりも心が強く、どんな批判をされても受け止めるだけの勇気がなければ、一緒に、自分の生気まで失ってしまいます。
人はみな、頭のなかで”魂の循環”について受け入れても、家族や大切な人の命の灯火が消えることを完全に受け入れるには、相当な心の強さと、それを癒してくれる人とのやすらぎの時間が必要です。
”生きていることを感謝する”ように、”死を受け入れて感謝”できる心の強さを日々、身につけていかないと、常に、自分の心の奥底の苦しみのせいで、周りの誰かを自分の苦しみに誘いこむことになりかねません。
今回の葬儀でも、義父の孫の中に霊媒体質の男の子がいたことで、仮通夜のときに、義父からメッセージ受け取ってくれました。
おかげで棺の中に親族全員でその花札をまき、天命を生ききった義父を見送ることができました。
私の役目は、「今、父はどこにいるの?」と魂の居場所を聞かれるたびに、義父の様子やメッセージを細かく伝えてあげることと、影ながら、心の支えをしてあげることだけでした。
仏教であれ、神道であれ、どんな宗教でも、亡くなった御霊を送る時には、残された家族をサポートする人が必要です。
それはその故人をよく知っている知り合いがいい場合と、他人であっても、誰よりもその人が強く生きることを願い、強く支えることができる人が必要な場合があります。
先祖を大切にしている沖縄では、神人(かみんちゅう)の方々のように、自分の辛い霊媒体質を「人の為に使う」ことを神に命じられた人は、その役目をまっとうするために三年間、社会から非難されても、強い信念を持ち続け、乗り越えることができるように多くの困難や苦悩の経験を魂の学びとして神から教わっています。
私は、生まれながら与えられたこういうすばらしい役目と能力を持った方たちと同じように、自らに与えられた役目を、喜んでその道へすすめるようにサポートしながら、”魂を守る役目”が歓びとして働ける社会を創ることをライフワークにしています。
自分が人の為に役に立ちたいという欲求からではなく、神に選ばれて人の為に生きる道を選んだ人たちは、命を差し出す”本気の決断”が神との契約になり、それ以降、すべての時・人・場所を問わず、24時間そのための準備と学びが始まります。
それが人間に与えられている神性を生かすことそのものですし、肉体が魂を持って生きることの最大の喜びであることを本当は皆さんも知っているはずだと思います。
医療は、”延命”はできても、本当の意味で、命を与えたり、魂を輝かせることはできません。
でも、私達のような普通の人が、一人で強く生きる決断をすることで、たくさんの魂を救うことができると信じています。だからこそ・・・
“一切、他人を非難せず、一切、他人の行いを否定しない生き方”
をして下さいとお願いしていますし、それが、義父の生き方でした。心から今世のお役目ご苦労様でした。