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【宮古諸島】伊良部島ユークイ(豊年祭)2007

伊良部島の神様と約束した三度目のユークイ(豊年祭)は、島の方たちに名前を覚えていただいている事やそれぞれのウタキの神様からのメッセージなどから、この島の神さまに守られながら受け入れていただいていること強く感じました。

今回は、北海道・宮古島・名古屋・東京から参加された皆さんと、佐和田ウタキ、国仲ウタキ、長浜ウタキ、仲地ウタキ、そして、伊良部島の五部落の神事を司る字伊良部部落の三つのウタキ(アダンヌウタキ・ヌーシウタキ・パイヌフッムトウウタキ)を回りました。

このウタキという聖地は、ユークイの2日間以外に地元の人も近寄ることができないくらい部落の神様が強く守る大切な聖地ですので、観光客や島以外の人が勝手に近づくことは絶対に許されません。

今回はこの時期に、同じく神や先祖を大切にする家族として、この島の大切な歴史を教えてもらうことができました。

伊良部島の佐良浜地区2部落を除く5部落の神事を全て取り仕切る責任者の役職を「村主(そんしゅ)」と呼び、ユークイなどの行事を取り仕切る人を「司(つかさんま)」と呼んで、3年に一度、神様が選びます。

そして、それぞれの部落ごとに、ウタキを守る司(つかさんま)が数名いますが、男性の司がいるのは、字伊良部部落だけですので、村主・司、歴代の司の方々から直接、詳しくこの民族の歴史を教えていただきました。

伊良部島のユークイの歴史は、実は、650年前から続いている伝統的なもので、その民族のルーツは、宮古島市の平良にある久松という所から移住した民族だということです。

さらに、それ以前のルーツは、実は、中国の「唐」から渡ってきた民族であることがわかりました。

沖縄全体ではお祈りのことを別名「ウートウトウ」といいますが、実は、この言葉の意味は、「ウー=御拝(ウガン)、トウトウ=唐、唐」という意味で、唐の中国の神様へ向けての拝みの意味がルーツになっているということです。

近代歴史では、さまざまな日中の問題が取りざたされていますが、実は、日本人にルーツに中国からの血が流れていることの証でもあります。

以前、伊良部島の神人(カミンチュウ)から、この島の人は、中国・シナ・台湾の人たちとの交流のおかげで子種が残り、命を救われた民族だと教わっていましたので、今回の情報は、さらに私たち日本人にルーツにも大きな影響があることを明確にしてくれました。

もうひとつの民族である池間民族は、佐良浜地区の2部落、宮古島の西部部落、そして、池間島の3つに分かれていますが、その民族ルーツは、ポルトガルからの血が流れています。

沖縄の最西端、与那国島へ行ったときに、そこを守る神人から歴史を教わりましたが、農耕の種を運んできた人たちを神と奉り、鉄や鍬などを運んでくれた人たちのことも神と奉っているのが、沖縄の神々の大きな特徴です。

しかし、それ以外の神としても、自然神である龍神、また、海の向こう(ニライカナイ)からやってくる神のことも語り受け継がれています。

日本人の神のルーツは、仏教の以前は神道だと皆さんは信じていますが、実は、この神道のルーツも、この沖縄の神々の影響を大きく受けています。

先住民族と呼ばれている北海道のアイヌ民族や沖縄民族のルーツをたどってみると、現在の「出雲」や「伊勢」に代表される神々の大元が、この琉球民族の神の影響があることがわかります。

「政教分離」を唱えたときから、政治とは区分けして信仰の自由は認められましたが、反対に、この重要な神のルーツが隠されていたことを想い出して下さい。

私たち日本人という種族が、なぜ、この中国大陸から離れた隆起した島に住み、また、なぜその民族の神を守る力が強いのか、その意味を精神性だけではない視点から学ぶことも重要な意味があると感じています。

明日は、この伊良部島にも移住した池間民族のお祭りに初めて手を合わせる機会を得ましたので、神との体験記を含めて、またご報告させていただきます。

※伊良部島のユークイを守る神の部族「字伊良部部落のウタキ」の神様

※長浜ウタキの神様が降りる場所で祈る司(つかさんま)

※神様が写りました(赤い丸いオーブ=エネルギー体)

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