アイヌは土地を所有しない民族
1804年当時、北海道(蝦夷地)や北方領土は、まだ世界のどの国にも所属していない無所属の大陸でした。
そこには先住民族であるアイヌ民族が狩猟生活で暮らしていましたが、日本や世界の舟が物々交換を名目にこの土地に乗り込んできていました。
この諸外国の侵略に不安を感じた幕府は、有珠の善光寺、様似の等樹院、厚岸の国泰寺という三つのお寺を建造し「蝦夷三官寺」の名で100万石の大名と同じ権力資産を与えて幕府直轄で蝦夷地を守る布陣をひきました。
しかしその目的には、仏教の布教に合わせてアイヌ民族の管理・制圧によって蝦夷地を日本の領土とすることが目的でした。
つい先日、国会で北海道の先住民族として認められた”アイヌ民族”のルーツをたどると、もともとは現代のようにコタン(村)で生活していたわけではなく定住をしない狩猟民族でした。
狩猟民族の特徴は厳しい北海道の四季の中、木の実や山の動物を狩り、海から魚などを得て生活をします。
海や山の生活は弱肉強食の世界ですから生きる力の無いものは淘汰されますし、自然界の大きな循環の中で風雪を耐えながら恵みを分け合う生活ですから、獲物が移動すると住む場所も移動していたのです。
こういう理由からアイヌ民族は、土地を所有するという概念を持たなかった民族は、自然界のバランスや変化に合わせて生きる知恵をたくさん身につけていました。
アイヌ民族のもうひとつの特徴は、オホーツクアイヌに代表される北方圏・西洋圏まで広域に物々交換をしていた事実です。
シベリアのイヌイット、アメリカのインディアン、中国民族から手に入れた当時の着物などが、北海道道東のアイヌ資料館に現代も残されています。
また大きな木をくりぬいた舟(チプ)で川を下り、海を渡って東北地方まで往来し、食料や生活必需品などを交換していた商人としての一面もあります。
北海道では商人として活躍したアイヌ民族のことを知らない人たちが愚弄するような言い方をする方も中にはいますが、相手がだましていることを知りながら何も言わず受け入れたほど、知恵のある民族であることを理解して欲しいと思います。
蝦夷三官寺の二つの場所(善光寺・等樹院)に手を合わせてわかったことは、先住民族アイヌから厳しい北海道の冬を越す知恵を学べなかった人たちは、身体を壊して多くの人が亡くなっている事実です。
蝦夷三官寺の最後のひとつ、厚岸にある国泰寺を事前に調査した仲間の報告を聞いて驚きました。
国泰寺だけが守る住職も居なくなり、博物館として歴史の記録を保存するところになっているとのことです。
権力を持った人間が作った大切な建物にはたくさんの人たちが集まります。
そこで亡くなった人たちは肉体を失っても同じようにその土地を守り、自らが授かった役目を果たそうと今も残っています。
その御霊たちの思いは、根室国(ねむろのくに)として北方領土を含めた広いエリアをロシアの侵略から守ったたくさんの人の思いとして感じます。
今も人が土地を守り、神が人を守っている事実は変わりません。
その意志を受け継いでいる御霊たちと対話してこれまでの大きな働きに感謝し、この土地に生かされている事や日本や地球全体の調和へ向けた祈りを仲間と行います。
事前調査をしてくれた仲間は、そこに数千体の御霊がいたといいます。9月22日からその祈りに出かけます。
私のご先祖たちもこういう安全を確保された明治30年前後に北海道に入植していますので、それまでに起きたさまざまな北海道の出来事を学び、先住民族や諸外国から守ってくれた人たちに感謝する心を後世に伝えていかなければ、大切なものを守る意味を教えることはできないと感じます。
それは皆さんの住む土地においても同じでしょう。日本の各地で起きたさまざまな戦さの勝ち負けの裏側には、多くの命の犠牲があった事を感じて下さい。あなたの住む大地にはそのたくさんの命が眠っている上に生かされているのです。
地球上の土地は、もともと誰のものでもありませんでした。その土地にどれだけ地図上の線を引いて自分のものと主張しても、それは人間が決めたルールであって、自然界には今も、国境は無いのです。
私たちの肉体を含めてこの世にある全ての物や人は、尊い借り物だということを学んでください。
「所有の喜び」の反対にあるさまざまな生きる苦悩こそ、死ぬまでに人間が気づくべき、「愛の悟り」の時間なのです。