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自分の事ばかり考えて

「自分の事ばかり考えて一生が終わる」ような人が、もし、居たとしたら、その人は「幸せ」の本当の意味が一生わからないまま死んでいく人かも知れません。

本当の幸せは、いくら自分から求めても得られない事を悟った時から人生を生きる意味が大きく変わります。「本当の幸せ」を知る為には、まず「本当の不幸」も知らないと幸せを理解することはできません。

お金がない苦しみ、人にいじめられる辛さ、食べるものがない苦しみ、寝る場所がない辛さ、そして、自分の選んだ結果が全て失敗した時の苦しみ・・・不幸と思える場面は人生の中で何度もありますが、同じ場面を経験しても、人によって感じる事が違うという事をまず理解しましょう。

他人の不幸をネタに同情を引き出すテレビ番組は、心の奥底にある優越感という自我を満足させる部分がある事にも気づきましょう。事実の報道でさえ、制作意図によって番組のメッセージ性は大きく違うものです。

自分より苦しんでいる人を見て「かわいそう」と言葉をかける事が、どれほど相手を傷つけ場合があるかも知りましょう。人はどんな苦しい番面でも、今より一歩幸せになる努力をしています。だからそういう人を見た時には「何かできる事はありますか?」と声をかけてあげるようにしましょう。

皆さんの心の中に悪魔と天使がいる事は、あなた自身も知っているはずです。でもほとんどの人は、自分の天使(いい部分)だけを見て欲しいと主張します。そういう人ほど不思議に他人の悪魔(悪いところ)を指摘しがちです。誰もが持っている悪魔(見せたくない部分)なのに、他人の悪魔は見てるくせに、自分の悪魔は見せたくないと言う勝手な心なのです。他人の影口や悪口を言っている時、あなた自身も悪魔になっている事にも気づきましょう。

一生の人生で「善行」と「悪行」を半分づつした人がいたとしたら、その人の人生は、どういう結果になると思いますか?答えは、決して相殺してゼロにはならないという事を知って下さい。つまり、罪滅ぼしの人生では幸せにならないという事です。

「善行」という行動エネルギーは、他人に喜ばれて、それがお礼の言葉や態度になって回り回って自分に戻ってきてから感じる循環エネルギーですから、なかなか結果を確認する事が難しい行いですが、悪行というエネルギーだけは、すぐ自分自身に戻るようになっています。その理由は、自分の行いが善行か悪行かは、実は、全員の人が知っているからです。

それは自分の心の内側に神様というか、仏様というか、「本当の自分」が居るおかげでわかるようになっています。この「本当の自分」の事を昔の人は「お天道様はいつもあなたを見ているからね」と教えたものです。

「本当の自分」の事を「真我・神我」と言いますが、今これほど物に溢れた生活をしているのに「真我」の望む生き方をしていない人が多いように感じます。本当に「真我で生きる!」と決断すると、社会の善悪よりもっと厳しい自分の真我と向き合う日々が続きます。

この「真我・神我」は、宗教的な神の意味ではなく、社会の決めた善悪を超える自分の本質に向き合い続けた結果で感じる悟りであり、またそれが人間本来の存在意味にも気づく瞬間です。

この「真我」=自分自身を信じられない人ほど、信仰している対象に対して弱い心をお詫びしますし、宗教的にこのお詫びの行為を「善行」と呼んでいます。しかし、犠牲や義理の心の上に成り立つ「愛や真」は無い事にも、どうぞ気づいて下さい。自分の外側に信仰の対象を持つ心は、依存心の始まりだということを学んで欲しいと思います。

これは既存の宗教を批判している訳ではありません。弱い心を強くする為に学びの場としてはいいと思いますが、人生の永い時間を修行の為だけに費やしては、父母に産んで頂いた肉体の意味も、神に与えられた魂の道を生きる意味も気づけません。宗教的には人を神の子、仏の子と呼びますが、だからこそ、親(神)を喜ばせるくらいに、自分の人生を喜び溢れる自分らしい生き方に努力する事が大切な「善行」なのです。

私は宗教の存在は否定しませんが、宗教は人間の弱い心が望んだ願望の実現であり、組織化した事によって思想を広める最高の手段として政治に使われている事に誰もが気づいています。宗教に依存し続けている人や心の仕事をしている人に厳しく言う事は、人の心を導く人はその責任の重要性を問います。

でも、私を含めて人を導く仕事をしている人に完全な人は、誰一人いないとも思っています。理由は、共に学ぶと決めたからこそ、そういう職業についているのが、生まれる前からの魂の約束なのです。

学校でいえば先生が職業的に偉いのではなく、子供たちと一緒に学ぶ日々の姿勢が素晴らしいのです。親でも投げだす様なわがままな子供を叱咤激励し続ける先生は、その指導に対して批判が出ても仕方がないと思います。

誰もが子供の頃の先生全員を好きな人はいなかったように、その学校や先生を選んだのも親の責任なのですから、細かい出来事を指摘するのではなく、相手の先生を信じて尊重する心で向き合う親の姿勢を子供たちに見せましょう。

親と共に同じ目線で、子供の人生を真剣に考えている先生もいらしゃいます。親の個人的な視点より、もっと大きな集団で生きる視点で物事を教えてくれる大切な先生たちですから、負債を抱えて倒産した社長のように頭を下げさせて満足している場合ではありません。

親は、先生以上に子供たちに大切な考え方を教える役目なのに、今の学校教育の現場の問題は、親が望む教育をして欲しいと勝手な要望が多すぎる事で先生たちは困っています。

子供は自立心を芽生えさせる為にも、わがままも必要ですが、親たちの反応を見て「これはしていいこと、これはしてはいけない」を学ぶようになっています。

もし親が自分の幸せばかりを考える親だとすると、子供の価値観や倫理観も、すべて親の生き写しのような子供に育ちます。

私の尊敬する母が昔「結婚する相手はその親を見なさい」と教えてくれました。年をとって老けた時の姿を見なさいという意味では無くて、生き方や考え方の先生が「親」だからです。

夫婦は一生の付き合う人だからこそ、好き嫌いで選ぶよりも、もっと大切な事がたくさんあります。

そのことを教えべき人が、親のはず・・・・・です。

人生で自分の幸せだけを第一に考えている間は、本当の幸せを心から感じ続けるのは、難しいという事を学んで下さい。

幸せは、いつも皆さんの周りにたくさんありますが、その幸せを感じられる心を育てなければ、いつまでたっても「足りない足りない」「私が辛いから助けて!」という呪縛に振り回されます。

人生で嫌な経験をしたり、都合の悪い時こそ、笑顔で「ありがとうございます」と言い、幸せな時は「おかげ様」と朝、自分自身に声をかけてあげるようにしてみましょう。

自分の事ばかりを考えている人の周りには、同じような人が集まるものです。反対に自分の事より、他人の幸せを一番に考えている人にも、同じような人が集まります。自分がどっちの人間かを知りたければ、自分の周りの人たちを見るとすぐわかるはずです。それが、今のあなたなのです。

人は、都合のいい関係同士を「友達」と呼びます。自分にとって都合が悪い人でも一緒に居てくれたら、それはある意味「仲間」なのです。お互いの成長の為にいてくれる「仲間」を大切にしながら、尊敬するような仲間を増やして下さい。仲間を増やす方法は、どんな方法をとっても、必ず今のあなたに必要な人しか集まらない事をも覚えておいて下さい。その仲間と一緒に成長するからこそ「魂の仲間」なのです。

 

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