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【沖縄本島】「護佐丸・阿麻和利の乱の因縁解消」 沖縄本島村建て神事 

2009年1月11日に降りた神メッセージをお知らせして沖縄本島に集まった仲間は全国から総勢11名にもなりましたが、私たち北海道メンバーの乗った1便の飛行機以降、すべて欠航になったことを聞いて、今回の神事の神計らいを強く感じました。

この日までに沖縄本島に住む仲間たちは神事の準備の祈りもしてくれていましたが、那覇に到着した2月20日は先祖の霊界が開く日に当たっていた為、沖縄本島を守ってきた首里城にご挨拶だけして、翌日の祈りの打ち合わせと参加者の交流の場を作りました。

◎2月21日(土)土地の因縁解消の祈り

祈り場所:大石毛公園・森の川・勝連城・中城

首里城がまっすぐ見える大石公園の階段の小山の頂上には、大切な神様がいらっしゃいますので、その場所から祈りを捧げると大きな神様が現われて、数名の方に大切なメッセージを伝えてくれました。

私の神事では、ひとつの場所の祈りの後に必ず全員でその意味取りを確認し合います。

理由はお互いの魂の成長も神事の目的に含まれている事と、一人が聞いた神メッセージには実は幾つものキーワードが隠されているからです。

このメッセージからU神人は、河の神様に行く必要を感じたようです。場所と場所を繋いだり、人と人を繋ぐ場合、川の神様のエネルギーはとても大切な働きをしてくれるからです。

向かった場所は、皆さんも聞いた事があると思いますが、羽衣を隠された天女が人間の時間を過ごし、二人の子供を産んだ天女伝説が伝わる「森の川」へ行きました。
神人と女性たちを先頭に祈っていると、この土地を守っていた昔の王様が私の前に現われて、天女の羽衣を隠した男によって人間社会に「嘘や人をだます」事が始まった事をお詫びをして欲しいと言います。
男性たち全員に、そのことを告げて、全員でお詫びをしました。祈りは、女性たちだけに、お願いしました。
次は「クガニミヤ」と呼ばれている「黄金の森」です。
昔、この場所から金が採掘できたおかげで農耕具用の鉄が交易で手に入り、大きな農業の繁栄を与えてくれた土地神様に感謝する場所です。

手を合わせてみると、碑の横に生えている樹の上に大きな神様がいらっしゃる事を教えてくれました。土地の恵みに感謝する自然神信仰も、昔から沖縄の人たちが大切にしている信仰の基本です。

「村建て」のように新しい事を始める時は、必ずその土地で起きた過去の争い事の和合祈りをしておかないと、土地の人たちに御霊の思いが乗りやすくなりますので、この地域で最も大きな因縁は何があったかを神人に聞くと、「護佐丸・阿麻和利の乱」だと教えてくれました。
<護佐丸・阿麻和利の乱>
計らずも王位継承者となり首里にやってきた尚泰久(しょう・たいきゅう)は、早速首里城の再建にとりかかりました。財政を担当したのは尚泰久のブレーンである金丸(かなまる)でした。また、仏教の発展にも力を注ぎ、このころ万国津梁(ばんこくしんりょう)の鐘を作らせています。
王国の再建に取り組む尚泰久の耳に、不穏な動きがあるとの情報が入ります。
中城城(なかぐすくじょう)の城主護佐丸(ごさまる)が謀反を企てているというのです。
情報をもたらしたのは、勝連城主阿麻和利(あまわり)でした。
これは琉球王国にとっても、尚泰久にとっても大事件でした。
というのも、護佐丸は父、尚巴志が北山攻略の際に一軍を率いて共に戦った功労者であり、琉球王国の用心棒とも言うべき最高実力者だったのです。
しかも、座喜味城主であった護佐丸を北部勢力の脅威から王国を守るために、わざわざ中城城に居城させたのは首里王府の意向でした。
護佐丸は、王府に忠誠を尽くす最も信頼できる忠臣の鏡だったのです。
一方の阿麻和利は、勝連城を拠点とする按司で、貿易によって勝連を繁栄させ日増しに勢力を伸ばしてきた首里王府が最も警戒する要注意人物です。
実は、護佐丸を防衛線である中城城に配置したのも、阿麻和利の脅威を意識してのことでした。
その阿麻和利の情報を何故、尚泰久が信じたのか?そこには複雑な事情がありました。
度重なる政権交代によって首里王府の権力は次第に弱まり、地方按司への統率力は衰えてゆきました。
そして、権力基盤の衰退は志魯・布里の乱で決定的となり、その間に地方の按司は力を蓄え、ついには護佐丸や阿麻和利のように王府にとって無視できない存在にまで成長したのです。
そこで首里王府はこれらの有力按司を抑えるために彼らと婚姻関係を結ぶことで解決を図りました。
尚泰久の妻は護佐丸の娘であり、阿麻和利の妻は尚泰久の娘でした。つまり、尚泰久にとって護佐丸は義父、阿麻和利は娘婿になります。
ですから、忠臣護佐丸は安心で、阿麻和利は危険、という単純な構図ではなかったのです。
首里王府にとってはどちらも勢力を拡大してきた警戒すべき相手だったのかもしれません。

しかもこの情報を確かめるために遣わされた王府の密偵は、兵馬の訓練をする中城城の様子を目撃します。

その報告を聞いて、尚泰久は護佐丸を討伐する決断をしてしまいます。

王府軍を任されたのは誰あろう阿麻和利でした。

阿麻和利は王府の大軍を率いて中城城に向かいました。

謀反の疑いをかけられた護佐丸は真意を試されることになりました。
しかし、護佐丸は王府軍に立ち向かうことなく無抵抗で落城、一族と共に自刃しました。
尚巴志と共に琉球統一を成し遂げ、最後まで首里王府に反旗を翻さなかった護佐丸は、今も忠臣として語り継がれています。
王府の力を借りて見事、宿敵 護佐丸を亡き者にした阿麻和利の次のターゲットは首里でした。
計画は、阿麻和利の目論見どおり進んでいました。しかし、ここで一つの誤算が生まれます。
もともと政略結婚で嫁いできた尚泰久の娘、百度踏揚(ももとふみあがり)と付き人の大城賢雄(うふぐすくけんゆう)が、この策略に気付き、勝連城を抜け出したのです。
行き先は、もちろん父尚泰久のいる首里城です。
これを知った阿麻和利は策略の発覚を悟り、急遽、兵を率いて首里へと向かいます。
一足先に首里に到着した百度踏揚たちの報告で王府はあわてて防衛の準備をし、阿麻和利軍に立ち向かいます。
最初は防戦を強いられた王府軍でしたが、次第に劣勢を挽回しました。首里城を攻め落とすことをあきらめた阿麻和利は勝連城にもどり篭城します。
首里王府は体制を立て直し、阿麻和利討伐軍を勝連城に向かわせます。
軍を率いたのは、大城賢雄でした。
勝連城は勝連半島の根元に位置する小高い山の頂上にそびえる難攻不落の城でしたが、奇策を用いて大城賢雄が勝利し、阿麻和利と勝連城は滅亡しました。1458年のことでした。

こうして首里王府は琉球王国最大の危機を脱しました。王府を脅かす二大勢力を一気に排除することに成功したのです。

こう語りつがれている物語の真意は、神事の中で護佐丸と阿麻和利と尚泰久の思いを聞いてわかりましたが、もっとも、苦しんだのは側近と部下達でした。

理由は、互いの王の思い違いによるものだとわかっていたのに、そのことに気付けない尚泰久王に背く事は、王府に背くことになるため、一族を皆殺しにされるとわかったからこそ、護佐丸と阿麻和利の決断は、最後まで側近にも伝えずに、自分の兵たちと共に自害したことです。

全員で過去の思いを和合するために、勝連城(カツレングスク)と中城(ナカグスク)の和合祈りを決めて、勝連城へ向かいました。
第二次大戦時の空襲でほとんど壊された勝連城跡に入ると、全員が空気の重さに言葉を失いました。
勝連城の上に立つと、以前、そこのあった部屋の様子がリアルに見えてきます。

勝連城主阿麻和利(あまわり)王が生活していた部屋が見つかったので、その場所で戦いをした男たちの思いを背負って四方を向いて座り、過去、全ての思いを和合させる男祈りを行いました。

勝連城の祈りを終えて、中城(なかぐすく)へ向かう車中、中城に残っている御霊がものすごい怒りの言葉で私にカカリました。

今でも当時の思いを残して上がれずにいるたくさんの御霊たちの思いを皆さんに伝えると、全員がこの中城で命を失った最後の情景を見ているように、すさまじい霊気を感じて氷りつきましたが、それでもこの思いを上げなければ村建て神事はできないからこそ、本気で全ての御霊を上げる決意をしてお城の階段を上りました。

階段を上ると、階段の横や岩の上で殺された死体の山や、殺される時のシーンが目の前に広がります。

血まみれになった霊たちとも交信できるほど精神力の強い霊能者が数名いたおかげで、最後はこの城に居る御霊たちの思いを全て上げることに成功しました。

この中城の頂上には、首里城に向かって「火の神」を祈る拝所があります。

この場所は本来、王家とノロだけが手を合わせる場所ですので、ご先祖に王家の血筋を引いている沖縄の三名だけで祈りを捧げてもらいました。
大いなる神々は私たちの祈りに対して、光の色でその感謝を表してくれました。

中城城(なかぐすくじょう)の城主護佐丸(ごさまる)と、勝連城主の阿麻和利が、大切なものを守るために失った尊い命に感謝して、新しい心で力を合わせて生きることを御霊達に宣言した日になりました。

今回の神事によって、「護佐丸・阿麻和利・首里城の因縁解消は完全に解消されました」ので、沖縄に生まれた人たちはどうか過去の思いの一片だけに囚われずに、全ての先祖の思いが歓びになるような生き方や考え方を若い方達に伝えて下さることをお願いいたします。

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