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【芦別市】炭鉱で亡くなった空知炭田の御霊鎮魂の祈り

ゴールデンウイークに実家の芦別市に帰省しました。

実は、帰省を決める前から石狩炭田(空知炭田・夕張炭田)のひとつの産炭地である芦別市に生まれた責任として、5月15日の夕張神事の前に、地元の炭鉱祈りをしなければいけないと感じていました。

両親を連れて芦別市の炭鉱があった西芦別町と頼城町に向かいますが、芦別市の立坑は全て壊して埋めていますので炭鉱に勤めていた父の知り合いに立坑の場所を教えてもらいました。

●芦別炭鉱

三井芦別炭鉱の第二抗跡地は、立坑の横にあった事務所だけが残っていますが、霊感の無い方でもその建物を見ると悲しい寂しい御霊たちが集まっているのがわかります。

足下から湧き出ている水も、当時の掘削時に水で苦しんだ人たちの気持ちが伝わってきます。あふれ出るその水が溜まった場所こそ、立坑の場所だとわかりましたので、塩・酒・水を供えて御霊の鎮魂を祈りました。

芦別市頼城町 三井芦別炭鉱第二抗跡地

現在の頼城町警察署の前には、当時を偲ぶ「抗夫の像」だけがひっそり残っています。

続いて隣町にある西芦別町の三井芦別炭鉱第一抗跡地に行くと、そこは地元の会社が買い取った社屋の裏側にひっそりと当時の面影を残していました。ここの御霊たちはおとなしく納まっていますが、土地の下で亡くなった御霊の鎮魂祈りをしました。

芦別市頼城町と西芦別町の二つの抗から出た石炭はこの専用列車で、全国の土地に運ばれていました。

芦別には三井芦別炭鉱の他にも、三菱芦別炭鉱、油谷鉱業、高根炭鉱、明治鉱業があり、芦別五社として日本最大の産炭量を誇っていて人口も当時7万人を超えていました。

1977年5月11日に起きたガス爆発事故は、同級生のお父さんを含めて25名のお父さんたちが亡くなった痛ましい事故でしたが、私の高校3年生の記憶に今でも強く残っています。

ご苦労されたご家族の皆様の感謝の気持ちを送ります。

●赤平炭鉱

芦別市の祈りを終えて安心したせいか、翌日は、空知地方にある全ての炭鉱地を巡る事にしました。芦別市の隣町の赤平市にも大きな炭鉱がありました。

「777段のズリ山」として有名な場所のすぐ横の立坑と建物は、その説明書きと共に今でも大切に守られているのがわかります。

立坑の深さは、なんと660m!夕張の立坑のエレベーターに乗った経験がある兄の体験談を聞いて、当時の炭鉱労働者の危険さがますますわかりました。

一番下に降りてから数キロに及ぶ横穴に8時間もの間、出てこれない労働環境は、現在では考えられないくらいに危険な場所だとわかります。ここの御霊たちに鎮魂祈りをすると、太陽が感謝の色を見せてくれました。ありがとうございます。

●歌志内炭鉱

赤平市の次は、歌志内市に向いました。歌志内資料館で当時の生活を知ったあと、一番多くの方が亡くなった北歌志内炭鉱の立坑に向かいました。

映画「昨日、悲別で」の舞台になった悲別ロマン座の真向かいの丘の上にある立坑へ行くと、咳きこむほど御霊たちが集まっています。

今でも土地の奥深くに眠る御霊たちが、その苦しみを訴え続けていました。たっぷりの水とお酒と塩を捧げて鎮魂祈りを捧げました。

忘れてはいけない出来事のおかげで、今、私たちは今、生かされている事に感謝する人たちが増える事を願います。

●三笠市北炭幌内炭鉱

唯一、炭鉱の建物をそのまま残し、風化する姿を見せてたくさんの人に炭鉱の実態を伝えている場所が、三笠市にある北炭幌内炭鉱です。

出荷する炭鉱列車を観て楽しめる「三笠鉄道村」のさらに奥には、コンクリートの残骸と共に当時の思いがその姿と共に残っています。

御霊たちが望む場所で鎮魂祈りを捧げると、太陽がお礼に光の色を変えて感謝を伝えてくれました。ありがとうございます。

自分の魂が選んで生まれた土地の意味をわかり始めたのも、今回の夕張神事を決定したおかげですが、生まれた土地 芦別市に少しだけ恩返しができて本当によかったと思います。

また、今回の空知炭田の祈りの間に、母が育った実家の家を取り壊すと聞いたので、家族全員で祖父母の家と土地に感謝する祈りができたのもおじいちゃんの計らいと感謝でいっぱいです。

父と母、妻と兄夫婦が、私の祈りをそばで見守ってくれた事にも心から感謝しています。

いずれ失う肉体や建物だからこそ、今、生かされている事に感謝できる仲間たちと共に行動したいと思います。

5月15日(金) 夕張神事・全国土地祈り 昼12:00~13:00

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