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【北海道】十勝・帯広神事

北海道十勝 帯広神事

2010年8月7日~8日は、永年の夢だった北海道の中心地 帯広市で地元の方と一緒に神事を行いました。

目的は北海道の中心から日本や地球全体へ光を輝かせる為に大地のご神鏡である「十勝平野」を輝かせる必要があるからです。

しかしその前に、帯広市にはどうしてもしなければいけない問題がありました。

それは7年前の2006年に宇宙アートのイラスト展で帯広市を訪れた時、地元の人たちが口を揃えて「手が付けられないチョマトー」という沼の話しが出ていたからです。

チョマトー」という沼には、アイヌ民族の4つの部族が猟地を巡って争い、亡くなった57名の血で沼の色が真っ赤に染まったという逸話が残っています。

こういうヘビーな逸話の場所をクリーニングする時は、地元に住む人が「本気で自分の土地を守る」と宣言していなければ手が付けられません。

その理由は自分の人生を幸せにする方法と同じで、周りの人があなたの存在に幸せや感謝を感じてくれると幸せを感じるように、土地に住んだ人たちの思いを理解する事で先祖や土地の神様が現在住んでいる人を守護してくれるからです。

まず北海道の先住民として認められたアイヌ民族の前に「コロポックル」という小人の先住民が住んでいたことを覚えておいて下さい。

「コロポックル」は小人なので大きな葺きの葉の下に隠れている絵が昔話でも残っていますが、アイヌ民族に追いやられて絶滅した北海道の先住民族でした。

コロポックル」は美生川から魚を採って暮らしていたという話が残っていますので上流まで行ってみると、それは美しい魚がいる川でした。

コロポックル」の土地へアイヌが入ってきて戦った最後の場所が芽室町の美生という地域ですが、美生一帯の山の中で最も大切な神様の山を「丸山」と地元の人たちは呼んでいました。

丸山が見える最後の戦いの地へ出向いて「コロポックル」の魂たちと会話をすると・・・

「私たちはもう戦いで苦しんだ思いは残していないので安心して下さい。この土地に住む人たちが幸せに暮らせる様いつも見守っています」

天に召された人たちの心は本当に神心と同じになりますので、土地を守護してくれている「コロポックル」の魂がいる場所へ移動して祈りをさせてもらいました。

祈り始めると天から大神様が降りて来られて、「コロポックル」の魂は木や石や植物や川の水となってたくさんの恵みを与えると教えてくれました。

聖地の中にある美しい川を撮影すると、コロポックルの魂は虹色のオーブになってその姿を見せてくれました。

自然界全ての精霊たちは、いつもこうやって私たちに恵みを与えてくれていることを忘れてはいけないと思います。命を与えてくれる自然界の精霊に心から感謝を伝える祈りができました。

自然界の精霊を見て元気が出た後は、帯広市内にある北海道開拓の明治25年に日本中から送られてきた受刑者たちを住まわせた「十勝監獄」の跡地へ行きました。

現在は石碑と建物ひとつだけを残して他は全て大きな公園になっていますが、「十勝監獄」は小さな町ひとつ分くらいの範囲だったことがわかっています。

日本中の受刑者をここに集めた理由は、北海道の大地を開拓をする為の作業員として送られてきました。

明治25年当時、夏は30℃以上になる暑さと冬はマイナス30℃を超える寒さの中で原野を切り開いた人たちがいたからこそ、今の北海道が発展した事を忘れてはいけません。

受刑者全てが大きな犯罪を犯した人たちと言えないのは、時代が廃藩置県によって暮らせなくなった農民や下級武士たちもその中に含まれていたからです。

第三国人やアイヌ人もその中に含まれていたのは当然ですが、北海道の町や道路を走っているとよくそういう人たちの亡骸が埋まっている場所を見つけることがあります。

そういう御霊たちの声に耳を傾けると、「こうするしかなかった・・」と生きる辛さだけを訴えています。

今回の祈りに参加した人たちは

自分の住む土地で亡くなった全ての御霊の思いを受け止めたうえで、
美と歓び溢れる人生を生きると決意しています

ので土地に生きた全ての人の思いをひとつにする祈りをする決意をしました。

翌8月8日は、十勝平野の中心都市である帯広市内の祈りが始まりました。

まず最初は最大のテーマになっている「チョマトー」という沼のある場所へ行きました。

驚いたのは、沼を以前の三分の一以下に埋め立てて道路を作り、その横に真新しいお宮が立っていることでした。

あとから古神道のお宮を守る宮司さんに話を聞きましたが、6年前に市が工事をして道路をまっすぐに直した時に沼を埋めたそうです。

土地は以前からこの宗教団体の持ち物だったようで、工事に合わせてお宮も全て新しく建て直してもらったそうです。

2003年はまだ以前のままだったようですが、、7年後にこういう形でご挨拶に来る意味があるのだと思いました。

チョマトーの沼を守る神様に話を聞いてみると・・・

戦った四つのアイヌ民族の魂は皆、自分の故郷の土地へ帰りたがっている

この気持ちはとてもよくわかります。

だからこそ今回の神事には、アイヌのはちまきである「マタンプシ」を帯広在住のご夫婦にしめて頂き、参加者全員に民族楽器の「ムックリ」をプレゼントしましたが、それは北海道全てのアイヌの気持ちを理解することがとても重要だと感じたからです。

私も自分が住む北海道の土地の歴史を調べて10年以上になりますが、全ての御霊たちは生きている人間が言うような戦いは一切望んでいません。

ただ自分たちの子孫が、健康で元気に生きてくれることだけを望んでいます。

だからこそ何が正しいと主張するのではなく、帯広市内にあるアイヌに関わる土地へお礼とお詫びに行くことを決めました。

まだ正しくアイヌ民族の事を理解していない人の為に説明しますが、アイヌ民族は本州に多い部落民族や朝鮮人問題と同じような辛い差別を子供の頃から受けて育ってきました。

今でも、80歳になっても親から教えられて誤った教育を信じている人たちが多いのが現状です。

北海道でアイヌ文化を受け入れている町は、「コタン」と呼ばれれるアイヌの集落を残して観光に力を注いだ地域くらいなもので、それ以外の地域では今だに言葉にしない差別感情が根強く残っています。

学生時代を岡山県で過ごした私は、四国や関西以南の人たちから部落問題や朝鮮人差別に対して特別な感情がある事を20歳の時に教わりました。

理解出来ない感情の部分もたくさんありましたが、北海道に帰って同じような差別問題が北海道にある事を知らなかった自分を反省した記憶があります。

当時の差別感情は、現代社会の「いじめ問題」とは比べられなほどひどい差別の実体もありましたが、戦後の国家立て直しの裏側にはこういう背景がある事を大人は知らなければいけないと思います。

もしかすると、まだ誤った知識を持っている人がいるかもしれませんのでハッキリ言いますが、こういう「人を差別する心」を持っている人は、差別するほうもされる方も心が歪んだまま大人になります。

歪んだ心の大人が、自分の子供に何を教えるかを考えてみて下さい。

愚かな心の大人は、また愚かな子供を産み育ててしまうのです。

だからこそ、私たちは土地に住んだ人たちの思いに「まずお詫びをしなければいけない」と言い続けているのです。

あなたも今日から、土地に対するお詫びの心を持って祈りを実践して下さい。

本来祈りは「お詫びと感謝しかない」と言ってほど、地球上の人間は愚かなことを繰り返してきていますので一人でも多くの方が自分の心の愚かさに気づいて欲しいと願って事実を伝えています。

帯広市内は、四方全てが川で囲まれた素晴らしい土地ですので、「チョマトー」の神様に言われたとおり西から南、東、北の順番で祈りを行ってから最後にもう一度「チョマトー」の神様にご報告を行いました。

四方の川全てが龍となり、この地を守る事も祈りの中で大神様が教えてくれました。

東の祈りを終えると突然どしゃぶりになり、帯広市内の大浄化も龍が行ってくれました。

最後に北の祈りを終えると、今日の祈りをまとめるように空には大きな太陽が顔を出し美しい虹雲も姿を見せてくれました。土地・風・水・火の神様の祝福の証です。

この8月8日は末広がりの良い日だからこそ、全国的にも色々な祈りやイベントが行われたようです。

偶然にも、この日は帯広神社の100年祭を祝うお祭りの最終日でしたので、北海道開拓の功労者である依田勉三翁にご報告を済ませてから帯広神社へ報告に行きました。

神輿のご神体をお宮に戻すその瞬間に、立ち会いました。

土地の神も私たちの神事を全てを見守っていたという証です。

これで帯広・十勝の土地の災いも外れましたので、地球内部から新しい光が皆様の土地へ届くはずです。ご協力下さいました十勝の皆様、本当にありがとうございます。

<神事行程 一日目>
丸山展望台・・・丸山を通しての祈り
(美生川での戦いのコロポックルとアイヌの和合)
岩内仙境・・・ 美生川で命を落とした御 霊上げ
蝦夷文化考古館・・ 白人コタンがあった所
緑ヶ丘公園(グリーンパーク)内の十勝監獄記念碑

二日目
チョマトー神社 (北門神社)
西:帯広川の支流 大成川
大空団地(公園内の丘のような場所の木の根本に米が置かれてたところ)
南:自衛隊の南側・・・ (ウツベツ川・肋骨)
帯広第八中学校の横の茂み
東:十勝川の堤防(東12条南9丁目の東) ↓
北:平原大橋の下(西17条北4丁目)
チョマトー神社
依田勉三(よだべんぞう)の象
帯広神社

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