伊良部島の歴史から大神の意思に気づく

2010年10月25日、新しく建て替えた乗瀬御嶽(ヌーシウタキ)の前で、伊良部島の中心神事を取り仕切る伊良部部落の神役目の方と、弟格の仲地部落の神役目の方たちが一堂に並んで下さいました。
前列右端の黒紋付を着ている男性が伊良部島最高祭祀役の皿主(サラノシュ)、その左隣の背広姿の男性は一年間の全ての神行事の日取りを決める帳主(チョーノシュ)、その左隣の男性が仲地部落の神司(カミツカサ)・ツカサンマです。
三名の神男を支える六名の女性は二つの部落から選ばれ、担当する御嶽の名前が付いたユー(裕・豊)のオバー乗瀬(ヌーシ)のオバー仲地のオバーは年間42回の厳しい神行事があり、選出方法は伝統的なルールで皿主が選び任期は3年です。
他の三名のオバーは、ウパルサー、パナフィ、ウプカニと呼ばれ、5年任期で任命は部落内で選ばれます。

2011年には4名が交代するということで、一同が揃った最後の記念写真を取らせて頂きました。
今年の伊良部部落のユークイは、10月25日の朝7時に「元(もと)」と呼ばれる個人の家から祭事が始まり、公民館、ナハドゥ御嶽、アダンニャ御嶽、乗瀬(ヌーシ)御嶽、パイヌフツムトゥ(南の入り口の元)、カー(井戸)の6ヶ所を回ってから最後に「元(もと)」の家に戻り、男たちだけの締めくくりの儀式を行います。
伊良部部落と仲地部落だけはユークイの当日一日しか御嶽に入らないルールになっていますが、他の5部落(佐和田・国仲・長浜・池間・前里)は前夜祭を行うようになった為に年間2日間だけ御嶽の中に入る事が許されています。
御嶽(ウタキ)がどういう意味の場所かを皿主(サラノシュ)に尋ねると、骨を納めるお墓とは別に、部落全ての御先祖御霊が集まる場所として700年前から大切に守られている場所で、伊良部部落では島の人たちでさえ年にユークイの一日だけ入る事が許されている神聖な場所だと言います。
このことを考えても、いかに島の人たちが御嶽(ウタキ)を大切にしているかがわかると思いますし、5年前に私たちを受け入れてくれた事のお礼を伝える為に今年は伺いましたので、全ての御嶽にお酒2本と神役目をしている全員と区長へ「白龍の神導き」の本も奉納させて頂きました。
中国から渡ってきた民族が三山(北山・中山・南山)統一をして沖縄・奄美全土を統一した琉球王府(琉球国)時代(1429年-1879年)には、宮古島にも祈女(ノロ)が配置されていましたが、それ以前の歴史書に今回触れることができました。
伊良部島の歴史を記録した「伊良部町史」を詳しく調べると、伊良部島に7つの部落があり言語も7つある理由がわかりますが、町史の作成が40年前なのを考えると、いかに戦いによって過去の記録が消された土地なのかがわかります。
1370年頃には久米島から鉄を加工してクワやスキの技術と農法を伝えた赤良朝金(アカラトモガネ)兄弟の弟が伊良部島に残って島を発展させた為に、島の英雄として牧山にある比屋地(ピャーズ)御嶽に祀られています。
現在も「比屋地(ピャーズ)御嶽」から神が大切なものを広めた事に感謝して、神役目の方だけで「前ユークイの祈り」が行われています。※正式名称は「豊見親比屋地(トゥンピャーズ)御嶽」
1350年頃に伊良部島に初めて渡った伊良部部落のルーツをたどると、宮古島の久松・松原地区から移住していますが、ユークイは1310年から行われていた記録もあり今年「700年祭」が乗瀬(ヌーシ)御嶽で盛大に行われました。
伊良部部落の民族ルーツが「久米島」から鉄を持ってきた民族である事はわかっていますし、住みついた最初の人たちの名字が仲地、川満、狩俣という名字である事も皿主(サラノシュ)から教わりました。
また久米島にルーツを持つ鉄文化民族が移住した島には、島の名前に「伊」という漢字が付くのが特徴で、「伊良部島・伊是名島・伊平屋島」が同じ民族の入植を表していることになります。沖縄本島の聖地には鉄文化を運び入れた民族を神様と祭り「カニマン」という名前で地元の神人(カミンチュ)たちは感謝の祈りを捧げています。
それまで伊良部島に住んでいた先住民族は、首や足に丸い玉を付けたり手にイレズミを入れていた南方系民族だった事まではわかっていますが、1150年頃に動物の骨や木を削って農耕をする知恵を与えた人たちが居たこともわかりました。
西暦1000年以前の歴史は日本でも重要な部分が消されていますが、黒潮の流れに乗って南方から小さな木の船で与那国島・八重山諸島・宮古諸島・沖縄諸島・奄美諸島に移住した民族に「鉄の文化」を伝えた人たちが南方や中国から入った歴史は色々な書物に残っています。
また九州を経由して大和朝廷との交流も盛んだった時代や中国・韓国・台湾との交流も多くありましたが、過去の色々な戦いによって分断された思いだけに囚われている方が多い事はとても残念に思います。
北海道生まれの私がなぜ、伊良部島の白龍の神に導かれて沖縄の神ごとを学び、古い沖縄の歴史を学ぶ必要があったのかは、やはり現在の日本人の大切な精神性の根っこが伊良部島に守られているからと言えるでしょう。
これまでの行動全てが古い地球を支えた「ムー文明」の宇宙意思に繋がり、天空から見守るアトランティス文明の宇宙の意思との統合がテーマだったのかもしれませんが、今回のユークイに参加してわかったことは確実に「新しい次のステージに入った」ことだけは感じ取りました。
日本の南を守る民族の根幹的な思想や神ルーツは、大きな地球規模の民族移動や文明に影響を受けて沖縄の地までたどり着いていますが、反対に、北方から渡ってきた民族については詳しい歴史は残されていません。
唯一、北海道のアイヌ民族を束ねた最高の酋長(エカシ)が口述で残した記録の中に、宇宙の大神が地球へ降臨した時の話や人間を地球へおろした時の話しが載っています。
北と南から日本に渡った民族の宇宙意思を正しく理解し、本州・九州・四国へ渡った民族の歴史を深く紐解く事で地球へ人間を降ろした宇宙の大神の意思を実践する時期に入ったと言えるでしょう。
だからこそ、今、住んでいる土地や生まれた土地の歴史を早く調べて、いかに人為的に操作された歴史書や一面だけの情報に振り回されている人が多いのかに気づいて下さい。
地球を創造した宇宙の大神は、私たち人類を戦わせようとはしていません。反対に、一日も早く過去経験した全ての記憶やカルマを一掃して、人間として生まれた本質的な意味に目覚める事を願っているのです。
命を頂き、魂が与えられ、限りある肉体の時間の中でどう生きるのかを一人一人が気づかなければいけない時期が来たとお伝えしておきます。
だからこそ、あなたが今、こだわっているテーマを早く乗り越えて、自分が思い込んでいる「自分らしさ」を見直して下さい。まもなく、「新しいあなた」が生まれる為の準備が整います。

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