【兵庫県】伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)の神々へ宣言したこと
もう一ヶ月も前の話しになりますが、四国神事の最後にご報告した淡路島の伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)の神々と対話した内容をやっと公開できる時期がきましたので本日、お伝えします。
四国神事を終えて思う事 2011.10.5 天無神人メモより
今回の四国神事は、私たち人間に「新しく神の扱いを学びなさい」という意味があると思いました。
理由は、一番大切な命を産み出す神を「男神と女神だけで表している事」が大きな原因だと思われます。
確かに全ての命は男女の営みで産まれますが、祀っている神を男神か?女神か?で揉める事があるくらい、男女にこだわって質問する多くの女性たちは、数万年前から続く「男尊女卑」に強い不満をも持ち続けていることが原因だと思われます。
次に、今回の四国神事の目的は、日本に渡ってきた民族の魂統一による「天皇家の命種繋ぎ」でしたが、男種を守る為に多くの命の犠牲があったからこそ、この思いは単純ではありません。
淡路島の伊弉諾神宮の神々に問われたあと、最終的に、神に宣言した内容をここでご紹介しましょう。
これまで男神、女神が命を産み出す最も尊い神として扱われていましたが、そこに同列で「子神」を揃えて、三つの神を同等に守って下さいと私は神々に伝えました。
この言葉を聞いた瞬間、神々は大きな声で「承認」と全員が納得してくれたことを覚えています。
この結論に至るまでとても長い時間のやり取りがあり、自分自身の気づきも含めて大きな意味で神の働きが変わることを気づかせてもらいました。
この宣言は、私自身が単に家長制にこだわっていたというより、過去の男御霊たちがこだわってきた「家長制」という制度が多くの女性を苦しめる原因にもなっていましたし、次男以降は家督を引き継ぐ役目が無いという、とても問題が残る制度であることは知っているからです。※ちなみに、私も次男です。
現代の日本社会を見れば一人っ子が多くなり、子供を産まない夫婦も増えましたし、結婚しないだけで妻や母として経験がないからと、「人間として欠陥があるかのように扱われている人たち」の辛い気持ちもよく知っています。
逆に言えば、子供をたくさん産み育てた女性は、女性たちの中で尊敬の地位にあるからこそ、子供がいない女性たちにとっては身の置き場がないことも周知の事実でしょう。
結婚しない?出来ない?人たちは、子供を産めば親になれるとばかりに、結婚しなくても子供だけを欲しがる人がいるほどです。
実際問題、子育てをしていない人を考えた時、親になって子供から学ぶべきことを学んでいないければ、本当の意味で「親の気持ちがわからない」と言われても仕方がないことだとは思います。
この言葉を言われ続ける人たちは、「死ぬまであきらめるしなかい」という心になってしまいます。
しかし、この人たちに神心は無いのでしょうか?
人間として神の子である世の中の子孫繁栄を願い、一緒に手を取り合って祈る事さえしてはいけないのでしょうか?
人間を産み出した大神の意思を考えれば、単に子供を産んだ産まないという肉体のことだけではなく、産まれた全ての命を平等に扱う心を望んでいることに気づいたのです。
たしかに自分の睡眠時間を削り、やりたいことを我慢し、経済的にも子供を第一優先に生きることはとても堪え難い事だと思いますが、実際に、お金で子供たちは満足するのではなく、親の愛が伝わった時に与えてもらったものの大きさに感謝するものです。
最近のおじいちゃん、おばあちゃんを見ていると、物はたくさん与えるけど感謝する心を教えない人たちをよく見かけますし、嫌われたくないからと叱らない年配者も増えています。
若い親も、おじいちゃんやおばあちゃんをお財布担当のように、自分たちの望みを孫を使って叶えてもらうくらい依存関係を作り出した結果、お金が最も大切なものだと子供にも教えてしまっています。
自分のやりたい事を我慢して産んだ子供を育てた経験が無い人から言われたくないとは思いますが、一概に「親の感謝を学んでいない人」と決めつける人がもしいるとしたら、それが良いとか悪いとかではなく、それも子供が居ない人たちの役割だと思っています。
だからこそ、私は子供を作らないと決めた時に、自分の子供から学ぶべき事を社会の多くの人から学ぼうとたくさんのお母さんたちの問題解決に時間を注いできたのです。
自分のように子供が居ない夫婦であっても、子供がいる夫婦より、愛する事や命をかけることを学んで教えられる大人にならなければ、日本の少子化はさらに進む事は明確だからです。
子供が居ない女性たちは、男性と同じ様に朝から晩まで責任を問われながら仕事に没頭し、恋愛もできずに体調を崩す人たちがとても今、増えています。
これもたくさんの子供を育てた女性たちの悩みと同じく、時代が変わった環境の変化によって起きている女性たちの悩みなのだと思います。
どこに幸せを設定するか、どこに喜びを設定するかをとても多くの女性たちが迷っています。
日本経済を考えれば、こういう女性たちの社会進出によってハードな仕事がどんどんソフト化に進み、そのおかげで日本経済は発展しましたし、さらにこれから子供が増える可能性は日本はありませんので、子育てを終えたお母さんたちもいずれ同じ悩みにたどり着きます。
例外的なケースを考えれば、突然、自分の子供たちが亡くなった夫婦の人生の生き甲斐も同じです。
今、まだ若くて元気に働けるからいいのではなくて、いずれ同じ状況になることを考えれば、あなたも一緒にこのことを考える必要があると思います。
最も大きな視点から考えると、
自分が親や人に頂いた「恩」をどう社会に返すべきなのか?
子を持つ親と、子を持たない大人たち、結婚している人としていない人たち・・・
これからますます日本は、多様化したライフスタイルが増えてきます。
その中で女性としての喜び、男としての喜びをどこに設定するか、とても難しい時代になってきたのは、生活スタイルや価値観があまりに大きく多様化したからですが、これほど色々な人たちが増えると、ただ単に少数派の意見だとは言えなくなってきています。
実際問題、最近、私に相談する方たちの多くは、先祖のお墓や仏壇、神様の道具や先祖の土地をどう扱えば一番、ご先祖や神仏が喜ぶのかを聞きに来られます。
離婚や子供がいるいない、兄弟姉妹の人数など、ケースによって対応は多様化しているからこそ、宗教家の一辺倒な教えでは対応できないくらいに名字も夫婦別姓ありですし、昔から続いた「男女のあり方」が不明確になってきているのは事実です。
これらの多くの問題を知っているからこそ、皆で税金を払って日本国籍を持つ人たちが、日本という国家を支える精神性、つまり、神心を見直す時期なのではないかと思い悩みました。
これから1000年続く神心とは、何か?
人間の命の存続が最も大切な事だからこそ、どうすれば誰もが同じ心で神仏に心を合わせる事ができるのか?
その為には、全ての家族が自分の家の垣根(ルール)を越えて、互いに助け合う心を持つ中で、出来る人たちが、出来ることをする社会にしていかなければいけないと思います。
その為に大神は、男神、女神、子神の三神を同一列の神として扱う心を気づかせてくれました。
命をつなぐ最も重要な三つの神を祀る意味は、それぞれの神役目の違いを正しく学びながら、互いを尊重し合う心を学ぶ必要があるからです。
では、視点を変えて考えてみましょう。
子供が欲しくて出来ない夫婦、子供に死なれた夫婦、片親になった子供、両親を失った子供・・・この人たちに、親子愛はないと言えるのでしょうか?
私たち人間は、与えられた全ての愛の結晶を最後は必ず、失うことが決まっています。
自分の肉体、家族の死、友人知人の死、愛する人を失う事で何を私たちは気づかなければいけないのでしょうか?
命が最も大切ならば、生きている間に、不足してる何かを気づく必要があるのでないしょうか?