天子天命、無二無視

「尊厳無ニ無視の言葉」  2012.5.19 千歳上空

大いなる存在達は、いつも皆さんを見守っています。
大きな空の上から、そして、大いなる地球の内部から。
ヤンバル(北・沖縄)の神たちは見守ることしかできないからこそ、「お前達の守護の声を聞け!」と言っています。


◎「尊宮天子」・・・
大いなる存在達がいるところを守る志のある者たちのことを私たちはこう呼びます。

◎「天子天命、無二無視」とは、天の御心を持つ者達が動く行い全て神の所存であり、それは、視ることが出来ないからこそ、忘れてはいけない大切な心であることを教えている言葉です。
「尊厳」を忘れて生きる者は迷宮に迷い込み、心愚かに自らのことしか考えられなくなるからこそ、互いを信じ、救う心を持つ者達が手を貸し合い心を合わせて、その子らを支えなければいけないことを忘れないで下さい。
「尊厳」は、志です。
志が本意であれば、問う事が起きようとも、今という現実が辛くても、必ず、信じた道へ物事全てが進む事を覚えておいて下さい。
忘れる事よりも愚かなことは「恐れること」だと気づいたら、自らの内側の心にある恐れの理由をしっかり見つめて下さい。
あなたたちは、お互いに乗り越えられなかったカルマを持って地球に産まれてきたからこそ、互いを信じ憎しみではなく、愛で距離を保ちなさい。
人と人が大切に生き合うために必要な距離を「尊厳の距離」と呼びますが、それはつまり,互いを信じ合いながら互いを尊重しあう為の大切な距離のことです。
人として愚か人は、いつも相手の心の距離を内側へ内側へ入れようとしますが、自分以外の人を信じた時は、必ず、都合が悪い部分があるからこそ、人と人の間には、必要な心の距離が必要なのです。
それは、私たちがあなたたちの心の中に入り込まず、ずっと、見守り続けている距離だからこそ、信頼して、信じて、愛しているのなら、その大切な人との距離を保って下さい。
心がひとつになることを望む人達も多いですが、本来、人間の魂はひとつだからこそ、その人自身の心の成長の為に、愛の距離を感じるように創っているのです。
そこには時に、淋しさも感じますし、孤独も感じます。果てしない奈落の底と感じる時もあるでしょう。
人生の多くをこの「愛の距離」の中で過した人は、闇の心を持っていると思われますが、本来、愛は、この「闇」から産まれたものなのです。
あなたたちが「闇と」感じる部分こそ、多くの深い愛情の壷のように情や感情が渦巻いていますが、それは、悪ではなく、光、つまり、神の存在に気づく為の経験なのです。
光を信じている方は多いと思いますが、闇の神を崇める人はあまりいません。
それは女性が、「なぜ女性に産まれたか?」を悩むのと同じように、自らの問いの答えは「自ら自身」だと気づくことが難しいからです。
真実の愛を気づくために、何が必要かを教えましょう。
それは、あなたが疑った事が全て「闇」として現実化し、回りの人の心を動かしているからこそ、愛は、あなたが疑った分の神との距離だと言えるでしょう。
あなたが信じる現実は、この闇と光のバランスで出来ているからこそ、他人の闇を問うよりも、自らの闇を見極めることが最も早い愛の道だと教えておきます。


◎「神を癒しの道具に使わないで下さい」
本来、神はあなたが幸せと感じていても不安と感じている時でも、同じように愛の心で見守っています。
気づいて欲しい時でも伝える事ができないからこそ、神の声が聞こえる人達の口を通してメッセージを伝えています。
ただその言葉が、あなたに都合が良ければ愛が神と思い、不都合であれば、偽り・悪魔とレッテルを貼りますが、あなたたちの都合で我々神の位置を変えることはやめて下さい。
神は常に、どんな時でもどこにでも居ますし、信じる人達の心の中で常に、成長を感じながら見守っています。

人の役に立つ事をすると人は歓びますが、それが、愛の行いだとすれば、自分勝手、人を苦しめる人を愛の人ではないと決めつけるのも、あなたたちの勝手です。

あなたたちの言う愛は、常に、自分たちの都合で変え続けてきたからこそ、神を天まで上げたり、地の底まで落としてきたはずです。

神社の扱いを見れば、すぐに、それがわかります。

私たちは、そんな愚かな人間であっても、私たちが産んだ神の子として、いづれ、神となる日を信じて見守っていますので、自分たちだけの都合の良い勝手な扱いの道具のように神を扱わないで下さい。

ひとつひとつの神は、全て我々の子供達だからこそ、互いを信じ、同等に扱う心を学んで下さい。我々神は、物を望まず、金を望まず、形にこだわらないからこそ、人は神の子として、自らの心に従って生きて欲しいと思います。

最後に、ひとつだけお伝えします。

神の子、人間が創り出した物は、全て神の道具だからこそ、その道具をどう使うか、自らの心を問い正して下さい。

「利」が一人に集まれば、必ず、欲が生まれ、支配となりますが、我々神は支配をしません。

総合調和、共和の心で生きるように、一人一人の違いを知恵として分け与える歓びと、頂く歓びを享受しあって下さい。

私たちは、ただ皆さんの心の思いに触れている時こそ、愛を感じる時間なのです。いつも大きな愛のエネルギーを発信して下さる皆様、ありがとうございます。

◎「自らが自らを愛することでしたか、真実の愛はわか
りません」
 2012.5.19 大阪上空

誰かを愛する事よりも、誰かに愛される事よりも、最も難しいことは、自らを愛することでしょう。

自らを愛するとは、一切の妥協なく、一切の甘えもなく、ただただ、全てを受け入れ愛し続ける事でしか得られないからこそ、愛ではない全ての行いや思いの全てを許す事でしか感じられません。
愛を確信する為に人は人を試しますが、それは、我々、神に対する愛を試すのと同じ行為なのです。
愛を試すと、必ず、裏切りや切なさを学びますが、愛の享受には、絶対に無限がないことを知れば、本当の愛を感受することができるでしょう。
愛を光と致しましょう。誰かの愛を確信したければ、まず、自らの愛を確信する為に、自らの全てを光と認めなければ、どんな愛を頂いたとしても満足できないことでしょう。
あなたはもともと、闇から産まれた光なのです。 
だからこそ、自らの闇も光も、全てを愛して下さい。
真実の愛は、全て、あなたが、あなたの中にあるものを気づくことなのです。

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