【大阪府】日本に大切な神心を繋いだ物部守屋のメッセージ
旧正月(新暦2月10日)に行われた関西読み取りワークは、前回の秦河勝のメッセージに次いで、関西にたどり着いた古い民族の長として名を残した物部守屋から愛溢れるメッセージを頂きました。
旧正月が明けましたので、まず神棚にお供えする神水を地元の聖地から頂く沖縄の風習にならって、河内国の一宮 枚岡神社に全員で神事用のご神水を頂きにあがりました。
鳥居の前で新たに参加した人の前世記憶が出たり、無念な思いをした御霊たちが巫女にのしかかりましたが、全員で支えながら目的の場所へ向かいました。
■物部守屋氏からのメッセージ
ときに、この時代まであなた方で言う、蘇我氏たちとの争いについてのことだが、それまでにたくさんの者たちが私達の民族の糧となり、力を貸し、共に手を組み、共に移動してきた者達がたくさんいるからこそ、その者たちの想いも含めていえば、それはそれは多くの人たちの想いを背負っているのだということをまずわかっておくれ。
私達がこの地に来た時には、まだそれほど多くの争いが起きていたわけではなく、ただ、その地域ごとに豪族・氏族と呼ばれる者達が小さなエリアで力をふるっていた時代だったからこそ、そこにおける生きるうえで一番大切なものを教え、そして、自然や宇宙の力を借りる方法・考え方・生き方において大切な物事を教え、導いてきた集団であると言っておこう。
そこにおける最も重要なこととして、木の皮を剥ぎ、その皮を編み、布を織り、衣服を作ることや、それ以外の魚の皮や、骨や、石や、いろいろなものを組み合わせて、生命のエネルギーを生み出す知恵をたくさん持っていたからこそ、この地上天国と言われる地球において、最も大切なものを守り継ぐ意志として、いくつかの剣があったが、それは戦いのための剣ではなく、その時代、その時代における大切な神の意志を繋ぐために、時には、山の上に剣を立て守り、山の神と意志を繋ぐ方法も使ったが、時には、土地の山河の流れをうまく使うために、神の力を動かすこともしてきたが、それは多くの者達が言うように力任せにしたのではなく、物事の摂理や道理において、しかるべき流れの上で命を守る方法を学びながら、人間がどう生きるかを教え導いてきた民族だからこそ、そのことについては、正しく伝えおいて欲しいと思う。
我々を守ろうとする者達がたくさん増えたからといって、それが我々の武力闘争が目的ではなかったからこそ、その者達が守ろうとして、たくさんの者達と戦ったことも事実ではあるが、常に我々の想いの中には、十字架(クロス)があるからこそ、どんなことが起きても、そのすべてを受け入れ、戦いではなく、それを受け入れ、胸に刻み、母となる神の元へ、血を、想いを繋ぐ祈りをしてきた民族だからこそ、一部分の戦いだけに囚われて言われることは、とても寂しく思うぞ。
お前達が、何を、その想いを繋ぐかは、剣における神の意志を束ねるその力こそが、多くの者達の想いを重ね合わせたものだからこそ、剣にかかる多くの者達の想いこそが、自らの心の中にあり、それが神軸となり、神のもとへ繋がる意志であるというをわかっているのならば、自らの中に戦いではなく、神と繋ぐための剣を立て祀ることを常に心に入れ、どこにおいても、何に向き合ってでも、その想いをしっかり立てることさえすれば、多くの者達の歴史の陰に隠れた草葉の想いさえも、神のもとへ返すことができるし、そのことを知り、守り伝えてきた者達が言うまでもなく、自らの魂と連動し、その力を動かすことができるからこそ、常に、我々は消滅という道を選ぶことさえも、ひとつの形であると受け止めてきた者達なのだ。
それは、新しく物事をつくり納め、統合しようとする時に、どちらかが正しいかではなく、どの想いに向けてその心を合わせるのか、そのことを学ぶ心がなければ、どちらでもなければ、ひとつの答えに結び付けることはできず、その頂点に、十字架(クロス)があるからこそ、その中心となる想いが、自らの胸に、身体に、刻み込まれているように、正しく天へ向けた拝みをすることができれば、お前達の御霊や肉体や先祖やそして戦ってきた者達の想いさえも、すべて昇天させあげることができるであろう。
そして、この国における国家神道というべき者たちの集まりは、当時は烏合の衆のような集まりの中で、どう、神をまとめあげるのか?たくさんの会議がなされたが、我々が守るものは人ではなく、その人を守る、命を繋ぐ自然の神たちや、さらにもっと上の、多くの宇宙から来ている者達の意志を繋ぎ守る役目として、自らの身体にその想いを懸け、ひとつの形として対をなすのではなく、形を囚われるのではなく、想いを乗せるのでなく、ただ、その時に拝む形をつくり、また、場所を変えながらも、形を変えながらも、その思いを引き続き次の世代へ繋ぐことを多くの時間をかけてやってきた民族であるといっておこう。
戦いにおける想いは、それぞれの後ろの想いもあるだろうが、我々はこの国における、繋がりができたことが最も喜びだからこそ、形を変え、場所を変え、鳥居という結界を組む者達の想いもわかるが、本来はその上にある神山に降りた力であり、また、水に降りた生気であり、また、川に流れる生命の泉のように湧き出ずるエネルギーであり、その全てをつかさどる力を持つ、智慧の集団だということをわかっておいておくれ。
多くの者達が、そこに形がなく、また書いたものがなく、そしてそれを残す気力が無いからこそ、この神への想いを正しく伝えられないのではないかという意見もあったが、そうではなく、本来は、自らが生きるのならば、ここに必要な物事の優先順位や何に感謝の心を添えれば良いのか、どこに拝めばよいのかは、本来、人間は知っているものだからこそ、その道筋を正しく導くことをし続けてきた民族である。
私が残したものは形ではなく、その心だけなのだ。
だから、人の思いをつかむのではなく、その後ろにある、すべての者達の想いをわかっておくれ。
多く、古く、その時代は、ソロモンの鍵の封印と同様に、我々のことは明かされず、そして、どこから来たかもわからないようにされているようだが、国はシュメールというよりも、その近くにある小さな場所に降りた、星の転生した民族であるからこそ、ユダヤではなく、イスラムよりも少し東の丘の上に降りた地に、一番近く、その守りをした民族だからこそ、常に神を守る役目をし続けた民族であるということをわかっておいておくれ。
私達は神に遣われている者であり、その守り役目をさせていただいてるのも、天皇(テンスメラ)という人間ではなく、そこにおられる、すべての物事の宇宙の摂理の中において、どこに置き、何を守るのかを、道を諭す務めがありまする。
この言葉ではっきりしたことは、物部一族が日本にやってきたおかげで、現在の国家神道よりも古い、古神道の基礎を確立した民族であるということです。
千葉県の外房から入ってきた民族の名前を地名に残した阿波、安房の意味は、四国からやってきた民族と同じだからですが、安房族と物部一族が共に、十字架を背負った民族である事を覚えておいて下さい。
諏訪地方に残る守屋の名前に関連があるのか?九州や日本中に広まったキリシタンとの関連は?など、多くの疑問も出ると思いますが、日本という国家を形成するまでに、日本神道や天皇家の裏になった人たちの思いを繋ぎ合わせて神を統合したおかげで、日本国は天照大神を天皇の守護神として祀られているからこそ国民の意識が統一したのですが、天照大神の後ろに隠されたいくつもの神の思いを正しく理解し、全ての神や人の思いを同列に並べて感謝することで、日本人として産まれた魂に強い力が溢れ、地球の存続を願う皆様の魂の力になることを願って勉強会や神事をしております。
今回の思いを理解してくれた関西の仲間は、今の自分たちが普通に生活できているのも、もっとも一番下を支えてきた人たちが犠牲になってくれたおかげだと気づき、その人たちにお詫びと感謝をしなければいけないと心の底から思ってくれたので、誰もが避けていた部落民族が住んでいた土地を回って、無造作に数千体の遺体が積まれた場所を見つけて、全員で御霊あげを行いました。
神々は、私たちの行いや思いを理解し、全員のカメラに美しい光や神のオーブを写真に写させてくれて、全ての承認を光で見せて
くれました。
関西の皆様、いつも、本当にありがとうございます。