宗像三女神の秘密 2 志賀海神社・瀬織津姫
筑前国風土記に、神功皇后が三韓征伐(新羅征伐)の際に、志賀島(しかのしま)に立ち寄ったとの記述があり、阿曇氏の祖神である阿曇磯良(あずみのいそら・神道の神)が戦いの舵取りを務めたと記されています。
4、志賀海(しかうみ)神社(福岡県福岡市東区志賀島877)
珍しく、全ての社から言葉を頂きましたのでご紹介します。
うちらが居た時は、もっと田舎だったがのお。
だけんど、いろんな者達が船でやって来て、物は持っていくは、人もさらっていくは、そりゃあ、どうすればいいかわからんがね。
だから村の長に頼んで、どうすれば良いか話したら、こういう事になったのじゃ。
わしらが生き残るには、それしか無かったのじゃ。
だから、どんな事があってもここにいる者達の思いだけはわかっておいておくれ、よろしくな。
一番良く知られているのは、三韓征伐(新羅征伐)の時のことですが、「安曇族が一番早く敵地に向かって行った民族」だという事を覚えておいて下さい。
最初に戦いに出向く事が、最も国家・天皇に忠義を尽くす形、意味であるからこそ、我々はその事を示す意味と理由があったのだという事です。その事だけは解って下さい。よろしくお願い致します。
やっぱり、あなた達が来るのですかね~。
その事がわかれば、もっと用意すべき事もあったのですが、良く考えればもっと奥底にある大きな神の思いもあるのでしょうけれども、まだそこに至るには早いかもしれませぬ。
よく考えられてその事をわかれば、その後ろの後ろの後ろにいる神や人の思いがもっと明らかになるでしょうね。
その時期が来るまで待つのか、それよりもっと早い方法を使ってその思いを引っ張り出すのかは、あなた方の心がけ次第ですが、よくぞ、この地においで下さったという事だけは心から感謝しております。ありがとうございます。
大きな物が運ばれてきたが、それは何かといえばよいか・・・
凧のような天高く上がるものが船から引っ張られて、大きな物を運んでき者達がいるからこそ、その恐れ多き行いに民衆達は驚き、船を持って逃げようとしたが、焼き討ちにあったりした者達が最後に逃げ込んだのがこの山だからこそ、ここにある思いは、あなた達が知るすべも無い程、今では語り継ぐ事も出来ない様な思いが集まっていますが、誰もその口を開けない理由は、誰もがその事を言わぬが故に、子を守り、命を繋ぐ部分もあるという事を知っているからですから、その事だけは、解っておいて下さいませ。
多くの者達が、まだまだ言いたい事がある様ですが、沢山の思いがあるからこそ、それは次から次ぎへと時代が変わり、その上に重ねられた思いをひとまとめに繋ぐために、この場所の意味があり、また、ここに繋がる人の命の繋がりは、よその国から来たばかりではなく、内側の者達の戦い、いざこざもあったからこそ、常にこの地はその玄関、九州の玄関口としていつの時代にも、まず最初に手始めに手を付ける島だからこそ、戦いの場であり、また反対に言えば、民達が生きて行く上で、食うためには必要な物が沢山取る事が出来た場所だからこそ、あまり繁栄はしませんでしたが、多くの食べ物が頂けた事に関して感謝をする者達がいる事だけはわかっておいて下さいませ。ありがとうございます。
※この凧のようなものと言った意味は、凧を上げて風の流れと気流や海流の動きを予測した西洋の帆掛け船の航海技術を表していますので、この船団は、西洋諸国からやって来た民族だとわかります。
祭神:出雲の大国主の別名 大己貴命(おおむなちのみこと)、大国主の国造りに際し波の彼方より天乃羅摩船(アメノカガミノフネ)に乗って来訪した少彦名神
大きなモノが・・・大きな力が運ばれてきましたが、その事をどこに納めるか探したあげくに、この地に納める事にしたからこそ、ここには力があるんです。
その力が大きな力だからこそ、皆さんがこぞってここに願いをかけに来ましたが、その力は本物ではなく、もっと大きなモノが後ろにある事を知らずに祀っている事を誰もが口を挟めない程、大きな力が動いたのだという事だけは解っておくれ。
こんなにも思いが大きなものだとは知らずに、ここに御霊を納めるがごとく、力を使う者達がいたからこそ、ここにはその神力が宿り、力を使う者達がおります。
ところが、その者達は、時代が変わり、いくばくもなく、攻め入れられる事ばかりだったので、この地を離れ、いくばくもなく、さまようようにあちこちに広がって行った者達がいるからこそ、そのルーツの元としてこの地にその魂がある事だけは知っておりまするが故に、その地の魂の繋がりを守る為に私がここにおりまする。よろしくお願い致します。
よくぞお前が来てくれた事を、ワシは喜んでおるぞ。よくぞ来てくれた、よくぞ来てくれた。
共にこの地の思いを繋ぐ為にはいろいろな力が必要だからこそ、お前が連れて来た者達も含め、その事をどう使うか、その力をどう使うかを、知恵を、しばらくのうちに授けようと思う。
だから、あまり考える事なく、その事についてはまかせておけ。
ワシらが、その事の采配をするべく用意をしておる事だけは解っておけ。よろしくな。
一緒に来られている方達は、いずこからお越しの方々でしょうか?私が持っている台帳には乗っていない名前がありまするが・・・。
その者が持つ魂に書いてある名前は、よその国の名前に登録されていると思いますが、何故、この国の地に足を運ぶのか解りませぬが、まあ、私達はその事についてとやかく言う立場ではないからこそ、その国の改めという意味があるのならば、その国のどちらかが、はてしなく追われ、身を滅ぼし、討ち死にした国の者、民だからこそ、そして、もう一人は、その相手を討ち死ににまで追いやった者の代表のような者だからこそ、よくぞこの地にお越し下さったと、おのずの神の誓いを破る事無く、この地で手を結ぶのならば、よくぞお越し下さったという事だけはお伝えしておきましょう。ありがとうございます。
※この意味は、二人の巫女が前世で、互いに殺し合った敵同士であったことを教えてくれています。
この地には、いろいろな者達がやって来たからこそ、物や、男の人手や、女として必要な物を運び、また食料を置いて次の島へ渡って行った者達が多くいたからこそ、よくぞ、この地まで、魂の元地まで繋がってくれた事を、また繋いでくれた事を感謝するべく、お前達が来た事については、感謝すると言っておく。よろしく頼む。
○遥拝所では、出て行った船が無事に戻る事を祈った人たちの姿が見えました。全ての末社に挨拶を終えたので、やっと、ただならぬ神気が溢れている本殿にご挨拶です。
~このあと、龍球王国十五神を読み上げて宇宙神へ繋ぎました~
夕刻6時の閉門が近づいたので神言葉のサニワは、夕食を取りながら行いました。
色々な思いが巫女の口を通して出てきましたが、前回、ご紹介したように、この九州の地には「住吉の神」を祀った一団が住んでいましたので、福岡県博多市→山口県下関市→大阪府大阪市と移り住み、住吉三神を祀った人たちが天皇の最初のお住まいである難波宮(なにわのみや)を作った人たちだということがわかります。
確か、以前の関西神事で出た神言葉の中には、住吉の一団は建築技術に優れていたので神が住む社を造ったり、祀り事に関わる全ての準備を整える特殊な技術を持っていたことを思い出しました。
天皇家のご神体を関西まで運んだ住吉一族と、九州の土地を大きな神力で守っていた安曇一族の関わりがどういう形であったのか、また、磯崎社や荒神社が教えてくれた大きな神とは何の事を意味しているのか、その問いを抱えながら翌日の神事を続けていると強いカカリが入り、重要な神言葉が大神から降りましたのでご紹介します。
※安曇族の魂の所在と役目に関する重要なメッセージ
※オリンポスの姫の意味は、オリュンポス十二神のことです。
本来、月を、太陽を拝むには、まず、この神の力を借りて、その力を海の神の動きと合わせ、山の水や天の風と力を重ね合わせて、自然界全ての神を動かす力があるからこそ、大切に、そして、密かに運びこまれた神なのだ。
13惑星の長(おさ)の星で、12氏族でさえ手を出せない強力な力を持った一族だからこそ、その神力は強く、いつも影に、そして、命を動かすほどの役目を持って来ている。
宇宙の中で、この役目が与えられた星はそれほど多くはなく、惑星というか・・・無数の星が連なり、命の回転を産み出す為にその力が必要だからこそ、生命根源神を守る一族だと思って下さい。
よくその力を、瀬織津姫(せおりつひめ)とか言いますが、それは宇宙にある時の名前であり、地上に降りれば、イチキシマヒメのように、いくつかに別れて働いております。
「根源神」の力を持つ神のことを明かす時、生命の力が宿る反面、死を意味する力があるからこそ、扱いには十分、気をつけて下さい。
天命天使、浄土無下、天上界と冥界の両方の最高番の守り役が、瀬織津姫(せおりつひめ)であり、その御霊のひとつであるイチキシマヒメは、自然界の命を産み出す神力そのものとして祀られております。
言われなく、由緒なく、但し書きなし、その神の力を明かすことは許されず、守り続けた神官こそ、安曇一族であります。どうぞ、宜しくお願いします。
なお、安曇一族の星については、あまり詳しく明かしてはなりません。
その力を持つ者たちは、今も、影で支える役目をやっていますので、神力を奪うようなことにならない様、十分、注意して情報を公開して下さい。他の姫については、また・・・。
安曇一族の星のルーツまで一気に明かしてくれた大神の言葉に感謝し、宇宙からギリシャに降りて日本まで運んだ大きな神が、九州の天孫降臨にどう関わったのか、また、そのあと日本神道のどういう神になったかを考えました。