1. HOME
  2. 天無神人ブログ
  3. 【天無神人の地球創生神事】
  4. 【愛知県】 三河国一之宮 砥鹿神社

【愛知県】 三河国一之宮 砥鹿神社

2012年3月12日(月)、愛知県豊田市がある三河国の一之宮、砥鹿神社へ行く前に、仲間たちに教えた神事の心構えをお伝えします。

(神事の心構え)

神事というのは、自分の願いを叶えるためにやっているのではありません。自分の中の神を信じて、自分の神の力をみんなと合わせて、土地の神と繋いで大きな神の役目を人としてやることです。

自分を掴んでいると神役目はできません。自分という思いを外すことだし、一人の神として入ることが大切です。人として入るなら、普通の参拝と同じです。 

神人(かみひと)として、みんなができない願いを叶える行動が神事なので、神の意志に感応して、感じながら神の願いを叶える行動をすることです。結果的に、人の願いを叶えることにもなります。

神事は、人としての学びの面と、神人(かみひと)としての学びの両方の面を持っています。ある意味、神としての位置を知るには、自分の思いを下げなければできません。

我心ではだめなんです。でも、遠慮しすぎもダメです。神として、同じ神意識にならなきゃいけないからです。だからこそ、みんなと思いを合わせて、同じに動くことが大切なのです。

心が合っていると、自然に柏手も行動も同じになってきます。自分という思いは、絶対に、はずさなければだめのが、神事なんです。

1、砥鹿神社 里宮  愛知県豊田市一宮町西垣内2

 

 

神様の歓待の光が、細かく出てます!!

ご本殿と末社は、とても静かに私たちを祝福して下さいましたので、駐車場の端にある小さな「護国神社」へ参拝しました。

 

1)護国神社メッセージ

国を守るということは自ずの心、魂、親、先祖を、そして、関わる全ての者たちの命、御霊をお守りする役目と同じぞ。

そのことがわからねば、国を守ることはできず、そのことを守るために神、人神がいらっしゃり、そのための先祖が多くいることを学び唱えたまいて国護りの願いといたわす。

それぞれ国を守る心の中にわが身をおき、その身ひとつでこの国に守る思い、ひとつとなせたまえ。

わが身、立て守り、この国護りしこと、国家安泰、泰平の世、願いたがわくば、自らの心の中に国家泰平、安泰の心を願いはせたまえ、させたまえ。よろしく申し上げたてまつる。

(天無神人の説明)

「戦没慰霊碑が無い、この地に、よくぞお越し下さいました。」とおっしゃってましたが、ただ出兵をした人たちはたくさんいると思います。

その方々に対しての思いもあると思いますが、あえて戦没慰霊は祀っていないようですね。供養塔を創るかどうかは地元の人たちの思いですが、大きい護国神社の場合は亡くなった方への思いがすごくあるものです。

本来、国を護る=亡くなった方々への感謝、詫び、その方々がいるおかげで先祖の命がつながったということを教え導く場所の意味が、護国神社にはあります。

そのことを、なかなか今は正しく伝えていないですね。※日教組のせいでしょうね。

本来は、戦いがあって、負けて学んだ経験があって、今、なんです。

今をどう生きるか、そのことばかりを考えている人が多いと思いますが、この国を守る為に亡くなった方たちが多くいたからこそ、「今」が護られているということこそ伝えなければいけない思いなんですが、今は、学校教育でも家庭教育でも足らないところがありますね。

一之宮の敷地の中で守っているということは、国を護る本殿の神と、国を護った人たちを祀った護国神社が同じ位置にいるという意味なので、本殿の祈りから通して護国神社に繋がる思いがあるともいえます。

でも、この場所はなかなか気づかないので、参拝しない人が多いと思います。それでも、誰かがわかってあげればいいんです。

正式な言葉が降りた後に、こそっと、我々の行動を「うれしいです」と言ってきましたよ。

反対側の道路沿いに、いくつかお宮があるというので、行ってみました。

2)末社:荒羽々気神社 (あらはばきじんじゃ) 祭神:大己貴命の荒魂(あらみたま)

ここにはお社が二つあって、中央に男神二人、左側に女性二人で祈りました。

大己貴命の母元の魂、神の元神様の繋がりがここにあるんだけど、神様が言ってた事は、まあ、こんな形でしか祀られていないのも現状で、本来、「荒魂」ってすごい大事なものなんだけど、わざと外に出しているのが、今の現状だと教えてくれました。

母元とすると女なんだけど、そうなると、名前も書いてないもう一社は、従者になりますね。

本殿の神を支えるために一番大事な元の荒魂ってすごく大事なんですが、ここはまあ神社内といえばそうだけど、境内図にも書いてない社でしょ。あえて、後ろにされているっていう部分の思いが、ちょっとありますね。

 

4)末社:八束穂神社 (やつかほじんじゃ) 祭神:天穂日命(あめのほひのみこと)

(神言葉)

移り世の、契りたまいて志し、気高く思いたてはせたまいて試み立て直し。 

御身心の宿祢(すくね)の中にある神玉、御霊繋ぎたまいて神の祈りのせたまえと我申す。

御身、御心、神玉繋がりしこと、これすべての神の力の繋がりましてのこと、思いはせたまいて神のこと、思いのせたまいて神の心となせば、それ神の心、つまりは神であると我が申す。

神の心持つ者、それ神の思いそのものなれば、我の思いを掴まず、神の思いと知らせたまえ。思わせたまえ、思いたまえと唱えますれば、賜れますれば、唱えたまいて神玉申しつけまする。

神玉はらいたまえて清めたまいて、御自ら神の繋がり身に繋ぎ、玉の根、底(すく)の根繋がりまして、この地を守る神の思い、御御霊に繋がりまして、たまいまして心手あわしまするは神の荒魂おさまり静まります。

(天無神人の説明)

いつでも、お越し下さいって言ってるよ。すごい力があるわ、ここ!

さっき話した巫女役の人の魂の繋がりを神元ラインと守護神に今、繋いでくれたんですが、すごい力でしたよ。皆さんの人としての神ラインを全部、一気に繋いでくれたんですよ。

神の思いの御柱を自分の魂に繋いで、神の心となり、神となってお働き下さいと言っています。

その大きな神ラインも繋いでくれました。私も一緒に祈ったのですが、とてもすばらしいことです。

今回は、この場所を知らずに間違った順番でまわってしまいましたが、本来は、絶対にここに先に挨拶をして思いを汲み上げてから、本殿に行かないといけませんね。

しかし、大きな看板(境内図)にこの社を書いていないのは、本当に、失礼だよなあー。

いつも、出雲神の扱いは、そうなんだよよね。熱田神宮も、そうでしょ。鳥居の外に、出雲系のお宮を出しているでしょ。

なぜか、愛知県ははっきり出雲神を下げる社の作り方をしていますよね。もともと出雲の人たちが創ったところに、伊勢系の人たちが入ってきたので、出雲系の神を外に出したようですね。

以前の神を無くす訳にはいかないからこそ、扱いとしては気づかないように外に祀ってるようです。

一般の方は、あまり参拝する人が少ないかもしれないけど、すごい力を持ってる大事な場所です。

出雲神を守っている素戔嗚尊、この神力にはちょっとびっくりしたなあー。

本殿の神といってもいいぐらいの神力があります。

ここに、大きなひとつの神社があるくらいに強い神力です、すばらしい・・・。

だって、あれだけたくさんの力を一気に繋ぐんですよ。

これは全然違う・・・末社レベルではない神の力です。

社は小さく祀っていても、周りの木の成長が素晴らしいでしょ。

それは神気が強いからなんです。この挨拶の手順をわかっていれば、多分、本殿の神は何も言わないし言えないので、いろいろなことがここで出来ますよ。

きちんと、こちらの社にご挨拶してから本殿に行った人が感じることは違うと思います。

本殿の神の後ろには、この出雲神の力が合わさっていますからね。

昔の先人たちの神が全部合わさって、今の本殿の神力になっていると思って下さい。

名前を出せない神たちもいるし、民族もいるし、その思いを末社で祀ってはいるけども、その思いを全部束ねているのが本殿神とすると、その後ろに全部の神の力が入っているんですよ。

そういうことがわからないからこそ、こうやってひとつひとつ末社を回るんだけど、一番強い、神力の場所を見つけられてうれしいです。

多分、心迷いした人なら、この場所で土下座して参拝したら良い神気に守られると思いますよ!

いつでも、いらっしゃいって言ってましたよねー。

本当に心が迷ったら、ここに来て、きちんと塩、水、酒を出して、参拝をするだけで相当、神軸が立つと思いますよ。

今、神事として祈りをしたけど、きちんと挨拶をする人間には、きちんと支えてくれてるし、ビシッと一人で自分で正座して参拝するだけでと違うと思うなー。

それほど、素晴らしい場所ですよ、ここは!

お客さんゾロゾロ来ない場所だから、お仕事のことでも、自分個人のことでも、神と向き合うと大切な気づきが必ずくるから仲間に教えてあげて下さいね。

 

2、砥鹿神社 奥宮

奥宮は789mの本宮山頂上にあります。祭神は里宮と同じく、大己貴命(おおなむちのみこと)。

素晴らしい光のシャワーで、歓待されました!

1)守見殿神社(もりみでんじんじゃ)  祭神:大己貴命の和魂(にぎみたま)

守見殿神社を過ぎると、すぐに「富士山遥拝所」がありました。遠くに霞んでいましたが、なんと!富士山がハッキリ見えました。

美しい!

ありがたく拝ませて頂きました。

2)荒羽々気神社(あらはばきじんじゃ)  祭神:大己貴命の荒魂(あらみたま)

この連なる山々を、山々の神を繋いでる役目です。すべての山の神たちを繋ぎ守る神様の役ですね。

 

3)八柱神社   祭神:・湍津姫命(たぎつひめのみこと)・杵島姫命(いちきしまひめのみこと) ・天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)・天穂日命(あめのほひのみこと) ・天津彦根命(あまつひこねのみこと)・活津彦根命(いくつひこねのみこと)・熊野櫲日命(くまのくすひのみこと)

〈神言葉〉

神の御柱うち立て祀るは この神山の命の元、繋ぎ守りてたまいて神守りしこと、これ神守りの岩となし、神の鎮座する石となし、この地守りしことの大神の繋がりの御霊、ここにあらんこと、これ神魂の元の地となすこと、大元の地と繋がりまする。

この神の地のエネルギーをたっぷりと身の中に入れ、この神の玉の思いを繋ぎてたまいて、裾野の山神繋がりし思いとなせ。それたまいて、神のもとに繋ぎ賜れば、人の縁、ご縁、すべての生類の恵みたまわり繋がりますること、これ神の願いと人の願いと共に、ひとつになればと思いて、ここにおわします御神々様、唱えまして、神たまいて御願い奉りまおす。

山津、川津、海津の神守りし繋ぎて守り、大元神の命の元、繋ぎ守りて神守り、おわしまするは神の地守り人となしたまえて、おわしますること感謝たてまつり申し上げまおす。

 

(天無神人の説明)

あ~、ここは宇宙に繋がっていますねー。そのラインが、この石に入ってます。

そこに、八柱神を置くのもすばらしいけど、それぞれの強い神を守っているので、すばらしい場所です。

このお社は、とてつもなく大きなひとつの岩の上にありました。高い山の頂上付近にあるこういう大岩というのは、実は、神の意志として天が置いたんです。

だから、ここも、結構、違うところに繋がってるんですよ、宇宙とかね。

天狗さん(修験者)が、こういうところに立って色々なことをやったりしてましたね。

地球を作った神の意志として、こういう場所は自然界の中にはあるんですよ。

普通は、噴火で吹っ飛んで落ちてしまいそうな石なんだけど、さっきの社は、この大岩の上にあるでしょ。これが、神石の印なんですよ。すごいな~。

4)本 殿   祭神:大己貴命(おおなむちのみこと)

〈神言葉〉

厳島の姫、たまいて神の繋ぎをする者たち、おわします神々と共に感謝いたします。

御地の恵み、繋ぎてたまいた者たちの思い、ここにおわします神々支え守りて繋ぎ守りておりまする。

わしらができることは、この地を守ることだけでございまするから、どうか、この神のご神徳や恵みを地の民へ、地の神へ繋ぎたまいておわします神の思い、支え繋ぎたまいて下さいませ。

わしらができることは、行く末までに繋ぎまする命の源の母の地より頂きまする精気をお守りすることだけでございます。どうか、よろしくお力をお貸し下さいませ。よろしく、よろしくお願い申し上げまする。

国玉の、神玉の守りしこと、神玉の宇天のものより祀りし。

これ神玉の願いなればこそ、御身、御玉、御地の神々様、心より感謝申し上げ奉りまおす。

本来は、「奥の院」に先にご挨拶するべきでしたが、間違えた為に、私と巫女の体に痛みが来たので、お詫びしてから入りました。

 

5)奥の院 岩戸神社 祭神:大己貴命(おおなむちのみこと)

足場もない岩の斜面に階段と手すりが付いているおかげで降りれますが、これがなければ修験者以外が来る場所ではありません。

岩の隙間に、お祀りしてあります。

その先の岩と岩の狭い隙間に、お宮があります。体が細い方じゃないと入れません。私は入れました (^^)

最初は、「何しに来た!」という感じで、御霊もたくさんいましたが、祈りで光を入れて、本来の神ラインを繋ぎ直すと、お礼を言って下さいました。

この砥鹿神社の奥宮は、本当に素晴らしい場所ですので、天気の良い日にぜひ、訪れてみて下さい。

このあと、神様からの頼みもありましたので、地元の一社に繋ぎに行きました。

●足助神社 愛知県豊田市足助町宮ノ後12

足助(あすけ)八幡宮の創建は、1300年程前です。

御祭神:品陀和気命(ほんだわけのみこと=応神天皇) 、帯中日子命(たらしなかつひこのみこと=仲哀天皇) 、息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと=神功皇后) 。他に 瀬織津比売命、菊理媛命、日本武尊命が合祀されています。

1)鳥居を入ってすぐ左側のお社(井戸の神様)より

いろいろな話がありまするが、こちらにお越しの節にはその話しの折に触れ、いろいろな話の中でこの地にお越し下さる訳があると思いまするが、それは何でございましょうか?

 

天無神人:この地に伝わる神のいわれ、そして、その神の思いを知りたくてやって来ておりまするがいかがでしょう?

 

いろいろな思いの中にいろいろなものを運んだ者達の思いがありまする 。

この地はその思いを運んだ民たちの思いがたくさん集まっております。

そのものを運ぶことによって命を繋ぐ事ができたことがひとつありまするが、そのものをきちっと運べなければ命が繋がらず、問われ(壊れ?)をするからこそ、とても大切な役目を持った者達の人足、そして、その者達のわらじそのものを作る者たちも大切な役目がございました。

この地にはそういう物を運ぶ時に必要な道具や必要な物を作る職人たちもたくさんおりましたし、そのことを感謝する者たちもおりまするが故に、いろいろなものを祀っておりまするが それは命を繋ぐために必要なものであったからこそ、どうかその事をご理解下さいませ、よろしくお願い致します。 

本殿左手にある末社から順番にご挨拶

2)一番左から金刀比羅社・・・四国から来た人方がいる

 

3)塩釜神社・・・足助は三河湾で採れた三洲塩を信州の山奥に運んだ際、水路と陸路の中継地点でした。 

 

4)秋葉社・・・不思議にここ秋葉社なんだけど女神なんだよね、火の神を女として祀っている。屋根も横切りだし、元々はどうかわからないけど、静岡の秋葉社は男だった気がする。今の言葉は、はやさしい女性の声でした。

 

5)天満宮の神言葉・・・私は知恵を運ぶ神でございまする。

知恵にはいろいろありまするが学ぶ時にこそ、例えば「わらじ」ひとつ編む時にこそ、その締め方縛り方ひとつで、履き心地も長持ち度も違います。知恵をたき出すにも時間、工夫がひとつずつあります。

そういういろいろな知恵を教え導いた者たちがいたという事を覚えておいて下さい。

それは当然ここにもともと住んでいた者たちではなく、ここまでやって来た者たち、また、その者たちに運ばれた者たちがいるという事です。そういう者たちがいたからこそ、ここの民たちは暮らす事ができたのだという事をわかって下さればありがたく思います、よろしくお願いします。

 

6)稲荷社(倉稲魂命) ・・・本殿の向かって右手。

 

7)御鍬社(豊受大神) ・・・伊勢系のどこかの力をお借りしてる意味の神です。

 

8)津島神社(素戔嗚尊)の神言葉 ・・・こんなにも素晴らしくこの場所の祈りをしてくれる方々が来てくれて嬉しく思います。私はこの土地をこの民を守るためにやって来た者ですが、船でやって来ました。

その時にいろいろな物資を運んできましたが、その時にも多くの民たちが私の事を感謝はしてくれましたが、多くの民たちが混じり合って重なりあったいろいろな思いがある土地だという事をよくご理解下さいませ。

確かに、稲荷社の秦氏や豊受の神を祀る天照一族の知恵、力、農耕の民たちの豊穣を祈願する為に多くの神が運ばれて来ておりまするし、それに関わる鎌(かま)・鋤(すき)・鍬(くわ)などの鉄器を鋳造した職人たちもおりました。なにせ、いろいろな事をして生き延びねばならずと、この土地からいろいろなものを運びました。

生き延びる上での知恵や工夫を必要とするからこそ、いろいろな所からいろいろな神や民や物を運び込む事によって 命を受けながらえて ここまで繋いできておりまするが故に、どうぞ、そのことをご理解下さいませ。

 

9)本殿の神言葉・・・素戔嗚尊の神が申された通り、皆同じではござりまするが、沢山の神がここに同じく並び、ここにその祀られておりまする思いがございまするが故に、この地におわします民たちの中には争いも多くあったからこそ神願い、そして神心合わせる為の場所であったという事をご理解下さいませ。

神は常に何の為に働くかは扱う人の心によって変わりまするが、民の心を和合させる為にも、そして、多くの先人たちの思いをふまえ握りつぶすのではなく、その思いを重ね合わせて生きることで大切な土地の伝承、そして、神話そして思い出が残るものでございます。だからこそ、その民の思いを繋ぐ場所としてこの社が建てられたのでごさいます。そのことをどうぞご理解下さいませ。

 

「足助八幡宮縁起」に登場する、宝飯郡大深山に現れた 「鹿形」、「猿形」、「鬼体」について考察談話

・鹿形は、そこにとどまり 砥賀大菩薩となった話しは、鹿を大切にした民族 奈良の春日大社 → 国を治めた朝廷側の人という意味。

・猿形は、石舟に乗って西へ飛び猿投大明神となるという話しは、猿とは知恵者集団と捉えると秦氏 → 猿投神社は、もしかすると、秦氏が造った可能性が高いかも知れない。

・鬼体は北方へ飛んで足助郷に入り、一夜にして霊山を築き、山の上に住んだ人々が恐れて近づかない為、人身に変化したと伝えられているが、これは先住民が侵略に対して激しく戦った人たちを大体、鬼と呼びますので、その人たちが住んだ土地なのでしょう。

 

◎ここまで説明して降りた神言葉

民を運び、神を守る為に戦った者ではございますが、その背景にはいろいろございます。

私たちはこの地の民を生かす為にどちらに付くか、どの立場に置くかが、とても危うい場所だったからこそ、それは、熱田神宮も同じでございまするが、いろいろな民たちの揉め事で、体制側 か、もしくは、反体制側のどちらに付く者たちもおらっしゃったからこそ、私たちはその選択をせざるべく、この地から多くの民を運ばせ戦さをさせましたが、その後はご存知の通り芳しくないことも起き、また、その扱いもとても厳しい時もございましたが故に、戦わずに民たちが平和に暮らせる時代がくる事を願っておりました。

その事を今も感謝する者たちが来てくれる事を心から感謝しております。いずれにしてもこの民たちは、どちらかに、そして、いずれかに何処かに行かねばならぬ場所も無く、又、帰る故郷もなく、この地で生きねばいかぬ多くの種類の民たちがやって来た地だからこそ、その体制側 もしくはその後に入って来た民族たち、又 その前にいた民族たちの子孫も一緒となってく暮らしておりまする土地だという事をだけはお解り下さいませ、よろしくお願い致します。

 

◎天無神人のまとめ

多分、古い時代に秦氏がいたのは確かでしょう。いろいろな民が何回か来て重なりあっているからこそ、いろいろな思いがある。

しかし、単純に受け入れる訳は無く、激しく抵抗した人方がいたようだね(鬼=先住民) 。

つまり、いろいろな民族の侵略を受けながらも知恵をひとつひとつ、いろいろな技術を教えてもらって食い繋いで生きる事が大変だった場所だということです。

舟で海側から川をさかのぼって、農耕の民たちに必要な物資や技術職人を運んで来て、この山の中でどう生きるかを一生懸命考えたみたいです。

この地域は農耕するには面積が少なく穀量も足らないから、技術的な物とか何かを考えなきゃならない、それに添った民たちがいて・・だから、これだけの末社の意味があるんだよね。

この土地の民を守る親分は、相当大変だったみたいだよ。

三河国全体としては、民族的な順位バランスがあって、そういう神の社の祀り方をしているのが特徴ですね。

 

◎戦略としての神統一について

土地を押さえ込むためには、武力で攻めた後に手を合わせる場所を一緒にするのが一番早いんです。過去に済んでいた神を潰すことはできないので、名前を出せなくても、そこの神はここにいます。もしくは、先人たちが祀った場所に社を建てる方法があります。地域をまとめる為の八柱神社も同じで和合の思いの表れです。※豊田周辺 八柱神社が多いです 。

 

◎祭神の由緒書で、御祭神に応神天皇と神功皇后を祀る理由 関西神事の関連の話しから・・・

白村江の戦いの時、愛知側、静岡側、四国・九州も含めて、そこの民をごそっと戦いに連れて行ってます。

神功皇后は、体制側の百済に対して、絶対戦わない、敵意は無い!という意思を示す必要があった為と、百済と新羅の両方のまとめをする為に、自分の親元地である新羅を攻めに行ったんです。

お陰で、自分たちの新羅の民が殺されずに済んだという実は、すごく悲しい出来事なんです。

神功皇后の実子は、真実は、病弱で亡くなっているので、新羅と百済の血が入っている適任者を捜した結果、応神天皇としました。

応神天皇は、朝廷の元が争うと、全部の民の命が危ないので、その争いをさせない為に、努力された神功皇后の思いを理解して、全ての神たちをまとめる為に「八幡神を八百万の神」としたのです。

八幡神は、全ての神を束ねるための意味なんです。八百万(よあおよろず)は、先住民も含めあらゆる民たちの神を、互いの敵も味方も合わせて「同じ神、同じ民として働きましょう」と云う意味の八幡神なのです。

その代表が、応神天皇なのです。神功皇后と応神天皇の時代から、世の中が安定の方向に流れが変わったわけです。

この三河国や尾張国は、そのおかげで救われた民が多いからこそ、ここに二名の天皇を祀って救って頂いた感謝の思いを示しているのでしょう。

 

◎足助神社  祭神:足助次郎重範公

弓の名手で 元弘の変において後醍醐天皇に味方し、笠置山(京都)に集まった籠城軍の総大将として天皇守護の大任を務めた。戦いに敗れ京都六条河原で斬首された為、永らく賊軍の将として語るのをはばかられてきたが、1891年明治天皇から正四位を送られ名誉を回復、足助神社に祀られるようになったとされています。

最後まで、感謝の光が美しいオーブになって見せてくれました。全ての祈りが終わると、空には、鳳凰の雲が大地に繋がろうとしていました。天空の光や高次元の神の働きが、この土地に繋がったという意味でしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

愛知を愛し、日本を愛し、地球を愛する皆様、いつも、ありがとうございます。

 

アーカイブ

Translate »