【奈良県】石上神宮は、天之御中主神の降臨地・龍王山
3月9日の三輪山登山で神巫女の重要な神言葉を降ろせたことで、この地域に人間がやってきて何が起きたかわかりましたので、これまで以上に出雲神と伊勢神の意味合いが深く理解できるようになりました。これまでの気付きに感謝する思いで、「石上神宮(いそのかみじんぐう)」へ行きました。
(石上神宮の歴史)
石上神宮は、大和盆地の中央東寄り、龍王山(りゅうおうざん)の西の麓、布留山(ふるやま・標高266メートル)の北西麓の高台に鎮座し、境内はうっそうとした常緑樹に囲まれ、神さびた自然の姿を今に残しています。北方には布留川が流れ、周辺は古墳密集地帯として知られています。
当神宮は、日本最古の神社の一つで、武門の棟梁たる物部氏の総氏神として古代信仰の中でも特に異彩を放ち、健康長寿・病気平癒・除災招福・百事成就の守護神として信仰されてきました。
総称して石上大神(いそのかみのおおかみ)と仰がれる御祭神は、第10代崇神天皇7年に現地、石上布留(ふる)の高庭(たかにわ)に祀られました。古典には「石上神宮」「石上振神宮(いそのかみふるじんぐう)」「石上坐布都御魂神社(いそのかみにますふつのみたまじんじゃ)」等と記され、この他「石上社」「布留社」とも呼ばれていました。
平安時代後期、白河天皇は当神宮を殊に崇敬され、現在の拝殿(国宝)は天皇が宮中の神嘉殿(しんかでん)を寄進されたものと伝えています。
中世に入ると、興福寺の荘園拡大・守護権力の強大化により、布留川を挟み南北二郷からなる布留郷を中心とした氏人は、同寺とたびたび抗争しました。戦国時代に至り、織田尾張勢の乱入により社頭は破却され、壱千石と称した神領も没収され衰微していきました。しかし、氏人たちの力強い信仰に支えられて明治を迎え、神祇の国家管理が行われるに伴い、明治4年官幣大社に列し、同16年には神宮号復称が許されました。
当神宮にはかつては本殿がなく、拝殿後方の禁足地(きんそくち)を御本地(ごほんち)と称し、その中央に主祭神が埋斎され、諸神は拝殿に配祀されていました。
明治7年菅政友(かんまさとも)大宮司により禁足地が発掘され、御神体の出御を仰ぎ、大正2年御本殿が造営されました。
禁足地は現在も「布留社」と刻まれた剣先状石瑞垣で囲まれ、昔の佇まいを残しています。
◎石上神宮 出雲建雄神社メッセージ
「本殿で聞いてくれ」
◎猿田彦神社メッセージ
「お世話させていただきます。ついていきます。」
※ここで戸川さんの身体に猿田彦様が入りました。
◎七座社メッセージ
たまみむすび、かみむすび、たまむすび、人の命の御霊結び、 それこそが宇天の神が守るものなり。
その計らい給えば、その役割持つもの神、これ我々の役目なりとて、その意味図らずや、何をするものぞと我申す。
その思い1つなればこそ、1から7までの力を1つに合わせてこそ、本来の神の働きなすものなり。
どれ1つ取っても、神の働きなせず。
それ全てのものの計らいとなり、 その仕組みを理解し、その働きを上手に使うよう心がけよ。
それ以降、現世の神々の人間の望みのように合わせた神の名前は色々あるが、本来はこの7神により全ての元 始まりの雛形を作っておる。
この事を理解せずに、神の仕組みを建前変える事は出来ぬと我申しておく。
よろしく頼みます。よろしゅうお願い申し上げます。
我々が喜ぶような、また、皆が喜ぶような新しい雛形作りをして下さいませ。よろしくお願いいたします。
◎天神社メッセージ
天むすび、神むすび、人むすび、その話をするのであれば、こちらで良いかと思います。
我々が成すべき事は、天上界が作ったこの世の仕組み、その始まりの事を意味しております。
つまり、天上界の神仕組みをこの世に降ろすべく、その仕組みを表したその雛形が、この始まりでございます。
その始まりがあってこそ、この始まりはアメノミナカヌシ含め、造化三神から全てが始まり、三が雛形になり、その裾野を広げるがごとく七神のまとまりがございます。
これが本来の「3と7の働き」でございます。
これによりて、裾野広がりて祀り上げまするは全ての神々の図り給いての事、それ我が意図とは関係無く、神の名を変え、意味を変えておりまするが、本来の神の力は、この仕組みでできております。
そのことを理解し、三神の意味、そこから始めれば良いのでは無いかと思います。どうぞ、よろしくお願い致します。
◎本殿右手奥にある禁足地(神域)の祈りメッセージ
八百奉る、神奉る、金奉る、この御柱給え奉る事、 おわしまする神々の控え給えて繋がりまする神の元の神籬を、おろし給えてこの地に集まりし神々の参集し場所、その「納め護りの所」となりましてございまする。
大元の働き給いてこの地祀りますれば、この「十の色の十種の元の民の元集まりの会議の場所」となりましてございまする。
納め守りし会議の立て役目は、神元給えしこと、出雲神の長たる者の使えをしておる者の役目となりしこと、その納めの賜りを頂くことが出来た役目は「猿田彦の神」と名を汚し、自ずの事を明かさずという約束で、全ての民の元神改めの役目なしてございまする。
※戸川さんが猿田彦神が入っておられるので、前に出る。
山奉りまする、神奉る、栄奉る、国奉る。
この計らい給いて、この地の納めのことを大国主の命よりて、神たたえまする纏めの役目、ようこなし下さいましたと天上界の神々、この人の争い元、神纏めとなりまする事、心より、心より、感謝申し上げ奉り申す。
御身のおわします所在の元の名を明かさずは、表の民の争い起こす事なく、その役目を発するがごとく、己が魂さえも、所在を明かさず、務め参りし事、これ我、感謝申し上げ奉り申す。
内山奉ります神元働きまするは、この世の常ならばこそ神の元、「心よ ひとつ」と合わせ給いて、自ずの心の愚かさつかまず、全ての民の事を思い計らいて、神の心を1つとなしませと、我申し上げまする。
「アメノミナカヌシ」と、名をはせたまいて、もの申す。
矢面たかえむし給えて、十五神の思い賜れば、我同じく、その思い発する仲間として神働き致します。宜しくお願い致しまする。
【解説】
ここは、「天之御中主神の降臨地」だとこれでわかりました。
そして、この場所で、「十種の民族」の話し合いをしたのです。
この言葉を言ってくれたのは、天之御中主神です。
そして、天之御中主神が、「十種の民族」をまとめてくれた猿田彦にお礼を言ったんです。
「猿田彦」という名前は後からつけられた名前で、本来は違う名前です。
しかし、本来の名前は出してはいけないみたいです。
民族の争いを起こさないために、自分のルーツ元を出さないという意味です。
猿田彦が男神に乗ってきたので、男神を通して感謝した言葉なのです。
さっきの猿田彦社から男神が神を運んで来たんですよ。
最後に、思いは同じだから「龍球王国の十五神と共に働く」と、言ってくれました。
龍球王国の十五神は、全部、宇宙神に格上げして昇格していますし、全部同格で働くようになっている神々です。
ただひとつの神だけを崇める「一神教」の教えにすると、どうしても自分が信じた神だけが正しいと思って戦うからです。
地球を守る宇宙神として、「地上に降ろさない」というルールで2007年にご降臨下さいましたが、龍球王国の十五神は常に空間に浮かんで地球を守っています。
「天之御中主神」という神は、元々は宇宙神なんですよ。
古神道が最初に降ろした神力のスタートの神ですが、名前を読んだ人間は当然いますし、これは世界の宗教の始まりと同じなのです。
本来の大元の神は宇宙から降りていますので、名前は違っても神力は同じです。あとの神々は、その枝葉となって、色々な役目として神エネルギーが変わります。
2月に訪れた石上神宮の奥宮は、物部の地ですので、この場所の意味は、表看板の地として現世の男達の争いが出来ないようにここでまとめてるのです。
でも、この場所の本当の意味は絶対にわからないと思いますがとても、賢いやり方です。
禁足地の奥から来るエネルギーは、沖縄の御嶽と同じ感じがします。
奥からすごい神力が来ますし、その奥宮の神気を物部に守らせてるという事は、 もしかすると、古神道の天之御中主神の神力も物部、もしくは、強力な巫女が持ってきていて、その守りとして物部が働いているからこそ、「奥宮の護り」をしているかも知れませんね。
でも、その意味さえ、後から来た人たちが他の神力を取ったり変えたりして、変わったと教えてくれました。
元々は、物部が運んで来たからこそ、「奥宮護り」をしているし、とてもシンプルな祀り方なのにすごい神力が残っています。
二度の三輪山で、これほどすごいことがわかるとは思っていませんでしたが、石上神宮は、十種の劔(とくさのつるぎ)に束ねられた民族のご神体や神巫女たちの魂を守っている場所だとわかりましたので、ご本殿にお礼を伝えに向かいました。
◎本殿~繋げた三輪山の神力の使い方を聞こう~
物部の祖についての話は、いつでもお答えしますので聞いて下さい。
では、「三輪山の神力をどう扱うか」という事ですが、それは、あなた達が望むように決めればいいのですが、他の社でも言われたとおり、本来の造化三神の意味、宇宙から降りてきた神々の本来の意思を汲み取りながら、そして、龍球王国十五神の意味も踏まえながら神と話をしながら、本来の「新しい神世の組み立て」をし直す事はいかがでしょうか。
そして、現世に降りている神世のラインをもう一度使うのか?、また新たに作るのか?
それは、あなた達にお任せいたしまするが、私はここまでやってきた神・民族・思いを1つにまとめる役目をしておりますので、全ての事が争いが無くまとまり、その思いが1つとなるよう、その事だけを願っておりまする。 どうぞよろしくお願い申し上げます。
いつまでも、いつまでも、皆様が永遠なる魂の喜びと、そして神が喜ぶ生き方をなさる事を心より願っておりまする。
いつもいつもありがとうございます。本当にありがとうございます。