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【宮古諸島】 伊良部島700年前に伊良部島に住んだ最初の人たち

丸10年間、伊良部島に通い続けてこの日、初めて、伊良部島に民族が入ってきた足取りを追いながら神の思いを聞く拝みを神オジーと一緒に行いました。

伊良部島の民族ルーツは、宮古島の久松にある久貝という場所から700年前に移住した記録がありますが、当時、伊良部島に渡った最初の港が、長山港とされています。

長山港には「長山御嶽」があり、祭神はアカラトモガネとされ、神役目の人しか拝まない場所なので神オジーに案内してもらいました。

神オジーが私達を紹介してくれたあと、私が祈ると、左右に男が1名づつ立ち、中央に背が高い男性と、その後ろに小太りの男が出てきて言葉を下さいました。※あとで、神オジーから後ろにいる小太りの男性があからともがね(赤良友金)だと判明しました。

あからともがね(赤良友金の神言葉
いいか、お前達が守ろうとしているものは何なのか、それが、お前達だけの事ではなく、我々が守ってきたものが引き継がれてきたはずなのに、それを守れないとはどういう事か!!!
しかしながら、わからぬ事もないわな。
島の人も減り、金も確かにかかる。
そして、島を離れる者の多くなっておる。
しかし、神を大事にする者は、わしらはいつも見ておる。
そして、人の心を問う事はせぬが、神の心だけは見ておる。
だからこそ、神の心を持つ者がどうすれば良いかを、自分達で知恵を出して欲しいと、わしは思う。
人の心を変える事は出来ぬぞ。
ただ、神の心を持つ者は必ず話し合えば神の思いを感じて、自分達だけで出来る事があると思う。
その事をどうか気付いて欲しいと思う。
一人一人、全てが違うかもしれぬが、必ずや、その思いをわかってくれる者がいると思い、その者達がまたここに挨拶に来る事を待っておるぞ。
よろしく頼んだぞ。よろしく頼むぞ。

あからともがね(赤良友金は、神代に久米島(もしくは沖永良部島)から兄弟で伊良部島へ渡ってきて、弟神は豊見親比屋地の神となり、兄神は八重山おもと御嶽の神となったと伝えられています。(宮古史伝:慶世村 恒任 著)

(重要なこと)
1、私が初めて石垣島を訪れた時に、於茂登岳(おもとだけ)の頂上に神様がいるのを感じたのは、この兄神だと思います。
2、あからともがね(赤良友金は、鉄の鋳造技術を持っていたため農業を発展させた人として有名ですが、沖縄本島で言う「カニマン」と同じ鉄器鋳造技術を持つ民族のルーツは朝鮮の「高句麗」だとこれまでの地球創生神事では解明されています。
3、沖縄全体を考えると島の祭祀のトップを男が務めているのは伊良部島の皿主(さらのしゅ)だけですので、伊良部島の男性の祭祀が琉球王朝に認められた理由も、きっと、鉄器鋳造技術を持つ民族だったからではないかと思われます。
4、また、伊良部部落の中に「大和御嶽(やまとうたき)」がある理由は、伊良部部落の先祖に大和の血のつながりがあったと考えられますので、大和と深く繋がりを持つ伊良部島には琉球王朝でさえ、手を出せない理由があったのかもしれません。
5、首里城の命令で宮古島から八重山に船で攻め入る前(オヤケアカハチの乱)までは、八重山と宮古島の交流が盛んであったことは、鉄の技術を伝えた兄と弟が両島の民のために働いたとされる言い伝えで表されていると思います。

(歴史資料)ウイキペディアより
※沖縄貝塚文化・・・縄文文化の影響が強かった沖縄諸島に対し、先島諸島・宮古諸島ではかなり違った様相が見られ、縄文時代に当たる古い時期には、厚手平底の牛角状突起がある下田原(しもたばる)式土器などが見られる。
これらは縄文土器よりも台湾先史時代の土器との共通点が指摘されており、この時期には縄文文化と異なる東南アジア系の文化があったとも考えられる。
その後、約2500年前から先島諸島は無土器文化の時代に入るが、この時代もシャコガイを用いた貝斧など東南アジアとの関連性を示唆する遺物がみられる。
約800年前ごろになると朝鮮様式窯によって焼かれた徳之島産のカムイヤキや長崎産石鍋やそれを模倣した鍋形土器などがみられるようになり、本島地方と近しい文化をもつようになる。
古代史では、『続日本紀』の記録として、714年和銅7年)に「信覚・球美」などの人々が来朝したと記されている。
新井白石は「信覚」は石垣島、「球美」は久米島に比定している。また753年天平勝宝5年)には鑑真が渡航の途中「阿児奈波島」に漂着したとされ、これは沖縄本島のこととされる。
これ以後の沖縄の名称は長らく記録から消える。これらの古代史料から、7世紀から8世紀にかけての南西諸島社会は身分が形成され階級社会へ向かっていたとする説や政治的社会が形成されつつある社会との説が出されている。1429年から1879年の450年間、琉球国として奄美群島沖縄諸島先島諸島までを統治

※<1500年、オヤケアカハチの乱(中山王の命令で宮古島のが石垣島へ侵略した戦い)
1500年当時の宮古の最有力豪族は空広(ソラビー)、いわゆる仲宗根豊見親(ナカソネトウミャー)は、中山王の命令に従わなければ制圧されることを危惧し、中山王の船団の先頭に宮古島の船が立ち、石垣島の豪族オヤケアカハチを攻撃しました。
「球陽」163号によれば、首里神なる神の「八重山の神と久米山の神とは、元々姉妹なので、もし君南風(チンペー)が官軍に従って八重山にいって諭せば、必ずや信服するであろう」というお告げにより、久米島の巫女・君南風も従軍し攻めたとされているので、私は2009年11月に石垣島の大浜海岸で戦いのお詫びと、2007年3月に君南風殿内で御霊鎮魂を祈りました。
※伊良部島の民族ルーツや神ルーツは14世紀以前の物が一切残っていないため、色々な方が調査していますが、私は日本に神を運んだ人たちの重要な思いが隠れていると感じていますので、今後もじっくり神々との対話をすすめながら詳しい調査を進めていく予定です。

次に向かった場所は、長山港に着いた人たちが最初に住んだ場所ですが、そこへ行く道が閉ざされていたので、神オジーが子供の頃に木や草を馬で運んでいた手掘りの洞窟を通って下りる場所へ案内してもらいました。

数十年前まで伊良部島の回りを走る一周道路はありませんでしたので、どれほど生活が厳しかったか皆さんは想像がつかないと思いますが、主食は芋だけで、野菜も育たない上に、飲み水は海水が混じった水か雨水で、ランプ生活だったことを想像してみて下さい。




この洞窟を抜けて垂直の数メートルの岩場を下りるとコンクリートの階段がある理由は、この場所を観光で紹介しようと行政が工事を行ったのですが、現在では管理もされておらず立ち入る事はままなりません。






ジャングルのような植物群のなか大きな岩と岩の間で生活したり、岩を積み上げて木や植物で家にしていた石の塀の跡も残っていますが、ここには飲み水がないため大変な生活をしていた事がすぐにわかりました。
岩の間で生活していた人たちの霊がたくさん見えましたので、その方達に話しを聞いてみました。

(最初に生活した場所の御霊たちの言葉)
吉岡:伊良部島の始まりを作った方々、ありがとうございます。何か伝えたい事があったら、教えて下さい。
言い伝えたい事は山ほどあるが、生きる事が精一杯だったからこそ、神を拝む、先祖を拝む事もあまりできず、その事を大事にしたい人達がどうすれば良いかを考えていて悩んでいたぞ。
でも、自分の故郷(ふるさと)に向けて、拝む事ができる事が一番、有り難い事だ。
父母(ちちはは)がいる土地に拝む事が、一番嬉しい事だ。
そして、この中の生活は厳しかったが、皆、助け合っていた。
皆、仲間で、家族であった。
その事だけは、皆にわかって欲しいのう。よろしく頼むぞ。

この言葉を聞いている時に見えた映像は、男も女も裸に腰ミノだけ付けている裸族のような人たちでしたので、裸世(はだかゆー)の時代の人たちが文化を持った人たちと行動したとしても、とても古い時代で貧しい生活をしていた人たちだということはハッキリわかりました。

この場所で神オジーが教えてくれたことは、「この場所に長い髪の女性が座って、髪をすいている姿を何人もの人が見ている」という話しをしてくれましたが、その女性は、たぶん、相当霊力が強い女性で民の結束を守る祈り巫女だと思われます。その長い髪の女性だけが、他の人たちと何か、違う人のような感じが私にはしました。
もしかすると、日本に神を運んだ巫女達に関連しているのではないかと思われます。

伊良部島の東側に「さしば」の形をした展望台がありますが、そこへ登ると、当時、宮古島から渡って来た人たちが住んでいた場所も左下の岩場に見えるというので行ってみました。


この切り立った岩の下に、伊良部島に最初に住んだ人たちの場所があります。
そして、現在、牧山から宮古島へ向けて大橋の工事が進んでいますが、この橋の工事のせいで、渡口の浜の白い砂が減り続けていますし、反対に、宮古島側の海に白い砂が流れ込んでいます。
海の中の流れを変えてしまうのも、便利になるための犠牲なのでしょうね。


展望台を降りて大橋の工事現場を横目にしながら、牧山の上に祀られている「ウズヌシュ」と「豊見親比屋地(トウンピャーズウタキ)」にご挨拶しました。


◎豊見親比屋地(トウンピャーズウタキ)の神言葉
みなさんが来てくれた事は、感謝します。
しかしながら、この島の事はこの島のルールにおいて運用されるべき事であり、それが外部の者が口を挟む事ではないので、その事はどうぞ、心得て下さいませ。
そして、あなたが今までしてきた事もよく見ております。
そして、あなた方が支えようとしてくれている気持ちも十分有り難いと思っております。
だからこそ、島の人達のこれからの動きを影ながら支えて見守ってあげて下さい。
どうぞよろしくお願いします。

このあと、伊良部島の中心部に水が湧き出ているガー(井戸)があり、昔はここまで水を毎日、運びに来ていたことを教えてもらいましたので、命を繋いでくれた水の神様に感謝の拝みをしました。
※史跡を管理しているのは、宮古島市教育委員会です。

◎アブガーNO1の神言葉
沢山、いろんな方達が、ここの水を汲みに来ましたが、私達がこの水を産み出したのは、もっと古い時代であり、ここにある水がどれほど大事なものかは、あまりその意味を知られておりませんが、ここには、その「水を守る妖精」がおりまする。

その水を産む妖精がこの島に入った事によって、水が生まれておりまする。
その妖精の拝みをしてくれる方がなかなかおりませんので、どうぞよろしくお願いします。
※妖精に感謝する祈りを行う。

(吉岡の説明)
人間が来る前に、この場所に、水の妖精が降りたんです。その妖精がいるから、ここに水が発生しています。
その拝みをしてくれる人がいないから、やって欲しいという事で、今やりました。
龍とも繋がっているので、自然神の方ですね。

これで、自然神の繋がりが出来ました。そういう意味で、ここには神様はいらっしゃいます。
沖縄の方たちは、「ガー」といって、命の水に感謝します。

でも、それは人間を生かしてくれた感謝祈りであって、自然神祈りとはまた違った意味なのであまりする方がいないのです。

「龍」という存在の意味があまりわからないからでしょうね。
でも命の水を出すという事は、特にこんな山もない平地ではすごい事なんです。
そういう場所には、神がいると思った方がいいですよ。



◎アブガーNO2


◎ウスバリアブの神祈り

(吉岡の解説)
宮古島にも、鍾乳洞の中に人が住んでいたところがあって、そこと同じ感じがします。
ごそごそっと、沢山人が住んでいたのが見えました。
結構、古い時代で大和が来る前の、もっともっと前の時代です。
ホントに陸に上がって来た最初の頃の人達が、ここに水があるからと、ここで細々と住んでいた人がいたみたいです。
神オジー:「アブ」というのは、「深い」という意味。
吉岡:オジー、人間がいるので、感謝祈りをして頂いていいですか?
※神オジーが、感謝の祈りを行う。
吉岡:オジーが手を合わせたという事を御霊たちはとてもうれしく喜んでいますよ。自分の血や命が繋がっている事をやっとわかってくれたととても喜ばれています。
はっきり見えたのは、5~6人。また、別に子供達もいます。一家族か、二家族くらいではないかと思います。
ほとんど裸の生活をしていたみたいです。でもこの人たちの血も、必ず、伊良部島の人たちには血が繋がっていますよ。
沖縄の方々ってこういう所、なかなか拝まないですが、でも、血の繋がりはあるんです。
神オジー:ここの力を借りる為に、ユタなんかは廻るわけさ。オジー達は来ないけどな。
吉岡:さっきの二つのガーは自然神ですが、こちらは完全に人格神です。ここは大切だなあ・・・。
神オジー:あと一カ所ある。じゃあ、たぶん、むこうも同じかな。
吉岡:オジーの拝みをものすごく喜んでいましたよ、自分達の血の繋がりをやっとわかってくれた。と。
※御霊たちの歓びの意味は、現在の伊良部島の人たちの血筋の中に血も混じっているという意味ですので、心ある方は、ぜひ、ここで先祖の繋がりに感謝する祈りをお願いします。



◎ヌドクビアブ(喉首洞窟)




ヌドクビアブの入口で拝むと、「どうぞ、中へ入って下さい」と声が聞こえたので奥へ進んでみました。
中の広さは二階建ての家くらいの広さがありますので、戦時中、兵隊さん達が生活していたことも教えてもらいましたが、私にはもっと古い時代に住んでいた人たちの思いを感じました。


左奥に続く切れ目の手前にブロックと珊瑚を置いてあったので、ここで拝みをしている人がいることはわかりましたが、拝み場所に、珊瑚を置く意味は、「龍宮神を拝む」いう意味ですので、そのことを知っているのは神ごとをしている人だけでしょう。
「もっと奥まで来て下さい」と神様は言っていましたが、神オジーの頭が痛くなったので、やめておきました。

神オジーの頭が痛くなる理由は、先祖を拝む人たちとは違う拝みをしている人がいる場所だからですが、拝みをしている人が自分だけの拝みをしている感じが私も感じました。
本来、こういう水や龍に拝む自然神拝みをする場合は、ブロックを置いたりせずに形を残さないように祈るのが正当な祈り方ですので、ブロックを置いた方は外して下さるようにお願いします。
※自然神の祈りをする人は、人間全体の命を守ってくれる拝みをするものですので、個人の拝み場所など一切、作りませんので宜しくお願いいたします。

◎ティーズアブ

◎アダンニ御嶽の神言葉


ここは自然界の神々と、人間の神々が約束をする場所であり、その神々の大切さ、生かさせてもらう、生かしてもらう、その事に感謝する大事な場所です。
それは、人と人が繋がる上で大切なものでもあります。

しかし、元々は、自然の中で生かしてもらう事への感謝をする場所であり、そして、ここが、ナカドリにとって大事な役目を果たす場所であり、そして、地球、土の中の神、そして、人間が産まれる、土の中の恵みに対しても、全ての命が生まれ、そしてまた、その故郷(ふるさと)に戻る、その循環を繰り返す、生命循環の拝みを、感謝する大事な場所であります。

ここには、人の繋がりの縁を結ぶ力もあり、また、その力が、神と神、人と人を結ぶ力がありますので、もめ事、災い事があった場合は、どうか、この前で心を合わせて、繋ぎ合わせをする事も、いかがでしょうか?
※今回のような祭事のルール変更などでもめている同士が、ここで拝みをしてはいかがでしょうか?と神様が提案して下さっていますので、どうぞ、よろしくお願い致しまする。

最後に神オジーが連れて来てくれた場所は、長山地区から次に移動した「東本島(ひがしもとじま)」と呼ばれている場所です。

現在では土地改良が進み、過去にあった建造物も全て取り壊して一面、畑になっていますが、この場所にも、あの長い髪をした女性が座って髪をすいている姿を見た人がいたことから、畑の真ん中に、その女性が座っていた場所へ石を積み上げて現在は大切に守っています。

先ほどの場所と、この場所に現れた長い髪の女性は、何か言いたい事があると感じましたが、どこで聞くべきか場所が決まらなかったので、次回にしました。
きっと、今まで伝えられていない大切なことを伝えてくれる神巫女だと思いますので、見えない存在と対話が出来る方は、どうぞ、試みて下さい。


この「東本島(ひがしもとじま)」にも水が無かったため、先ほど見て来た井戸まで毎日、水を汲みに行くという厳しい生活だったうえに、人口も増えたために現在の集落の場所へ移動したそうです。
「水は命である!」と、宮古島のヤマトガーの神様に言われたことがありますが、伊良部島も同様に、水があるおかげで命が繋がったからこそ、「先祖の拝みと一緒に水の感謝祈り」をしなければ、島の神力は弱まると思います。

私達人間は、自分たちの勝手で祈りのルールを変えたり、土地を壊したりしますが、水を与えてくれた自然界の神に対して感謝の拝みを忘れたせいで一滴の水もでなくなった場所が日本中にたくさんありますので、どうぞ、心ある方は、「水の感謝祈り」をして下さい。

水や火や風や大地という自然界全てを司る最も大きな神が「龍神」だからこそ、この伊良部島の本来の祈りは、「龍神祈り」であり、その祈りをしたうえで、先祖に対して拝みをするのが良いのではないかと思います。

どうぞ、神心がある方達の行動を神々は見ていますので、島人の命を守ってくれている神々に感謝の祈りをお願いいたします。

 



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