【奈良県】「命を産み出すシステム」を創った倭姫命・磐余神社

三輪山(奈良県)の東側にある鳥見山で神武天皇のお言葉を頂いたあと、その手前にある山から女性っぽいエネルギーと一緒に言葉が降りましたので対話してみると、重要なことがわかりました。
山からのメッセージ
私達に出来る事はあまりありません。 何も出来ないかも知れませんが、でも知ってる事はお話しますよ。
(質問)三輪山の力を山々につなぎとめたり、 それをいろいろな所につないでネットワークを作ったのは誰の指示ですか?
それは、出雲族です。 大国主です。
それが誰かをわかっているのはあなたたちだと思いますが、その力を繋ぐ前に私達が拝んでいたのは、「命を産み出すためのシステム」を作ろうとがんばっていました。
よいですか、 これは、女性達はとくによく覚えておいて下さい。
この世に命が生まれるためにはさまざまなシステムがあり、 それは、宇宙の仕組みが成り立っているからですが、それをこの地上界でも組み立てなければ、本来の命は生まれないのですよ。
そのことを世界中の色々な場所でいろいろな民がやってきていますが、その祈りのシステムを作り上げた者達は、皆こういう形で、女達の中に男の精子を繋ぐ事で命を作り出すシステムを作りました。
命の繋がりは山と山を繋いだり、山と水を繋いだり、湖の天鏡の力をもらったり、宇宙、もしくは、自然界の龍の生気を頂いたり、地中の中からエネルギーをいただく場合もありますし、大きな岩肌を使う場合もありますし、時には、火を焚く場合もございまする。
しかしながら、その1つ1つの方法よりも大切なのは、女性達が行う「命を産み出すシステム」を作り上げる事なのです。
国造りをする前に、まず、納めなければいけないのは、土地・大地・海、荒ぶる自然界の神々を鎮め治めながら静かな循環が流れるように、命が生まれる仕組み作りをしなければ人間は住めません。
人間の都合でものごとを変えるのではなく、自然の摂理以上の宇宙の摂理を理解した上で、その「システム磁場」を作り上げる事が、私達の役目でした。
その磁場は、目に見えぬものではありますが、確実に「命を産み出すシステム」を作り上げていました。
遠くの大切な水を運んでくる時もございます。
遠く離れた場所の山の植物を運んでくる事もございます。
時には、海の中の命を捧げる事もございます。
時には、人の命・魂・屍を供える事もあります。
命には常に生と死があるからこそ、その場所には、必ず「生の祈り」と「死の祈り」をする者達がいます。
日本中に、「命を産み出すシステム」の場所を作りました。
そのネットワーク稼働がまだ動いている間ならばあなた達にもまだそれを使う事が出来るでしょうが、今から1から作り上げるのは、もう無理だと言っておきましょう。
それは、あなた達にその記憶が無いからです。
いくら思い出そうとしても1人ではできません。
1人1人違う役目を持った者達が、同じ目的で力を合わせない限り、このシステムは出来ません。
民族ではありません。親子の縁でもありません。
その1人1人の魂の力で行う神事なのです。
誰がその事をどういう意味で伝えるかは、もう私達でさえ、伝える事が難しくなってきています。
(質問)命を繋ぐ儀式は、今は誰がやってるんですか?
命を受け入れる儀式は、誰がってるんですか?
命をささげ、看取り、見送る儀式は、誰がやってるんですか?
誰かが、その役目をしなければ、いけないと思います。
命は循環です・・・取れば減ります。
だからこそ、また、与える必要があるのです。
そのエネルギーは、自然界にも宇宙にも循環させねばなりません。
その為のネットワークというか、繋がりの場所が必要なのも、これでおわかりでしょう。
ただ、宇宙から降ろすのではありません。
こちら(地球)からお返しする事も十分必要な場所であり、その為の祈りをここでしておりました。
よいですか、このことを全て正しく理解すると、今まであなたたちが知っている神や全ての意味が変わるかもしれません。
でも、本来は、その大切な祈りを女性達がやっていたのです。
そして、その時に、男性が必要なのです。
よく思い出して下さい。
倭姫命たちと呼ばれた方達、邪馬台国の巫女と呼ばれた人達、鏡族の巫女と呼ばれた人達、それぞれの民族についてきた巫女たち、皆いろいろな思いがございます。
しかしながら、王制復古や国家平定という大きな仕事をしようとするのは男性だけでございます。
私達(巫女達)は、すべての命の循環さえ守れれば、誰が主(あるじ)であろうが構いません。
そのシステムを起動させる鍵が、この地区では、「三輪山」だという事です。
他にもありますよ、たくさん・・・。
しかしながら、その意味を理解していなければ、何も動かせません。
命の恵みは、水だけではありません。
女性の体の中にある羊水も、濡れる時に出る愛液も、汗も、雫もすべてが与えられるものです。
それが、乾けば、命は繋がりません。
必要な雫を持つものが男であり、その雫から命を繋ぐのが女としての、「宇宙の巫女としての役目」であります。
その事を誰も伝えてくれません。
あまり些細な事にこだわらずに、もっと本来の大きな意味を踏まえて、女性達には祈りをして欲しいですね。
私が願う事はそれだけです。よろしく御願い致します。 ありがとうございます。
◎磐余(いわれ)神社
((巫女メッセージ))
いわれいわれのいわれの意味、携え奉りましてお答えいたしまする。
いわれの流れのその世の繋がり、深く古く繋がりまする。
いわれ世の言霊、つまりそれ文字に残さず、言葉だけで伝える民達がおりました。
その事を伝え申したくとも、その意味わかる者おらず、その読み取りできる者おらず、そしてここに置かれましてございまする。
古い時におわします神の元、その神を運びし者達の民の意図は大いなる意図ではなく、「元さや納め」となるような岩屋の陰に隠り世の神がおわすという名のごとく、遠き地からの運びし民の思いと神の思い、それ、多くの民ならずともこの地まで船で来るもの多かれど、岩屋探しの神の事、それ岩屋繋ぎをするがごとく、山の頂きの石示す、岩屋の力の元なれど、その力、神力ならず、元山の海の果ての力となりまして、山の鏡と海の鏡と水の鏡を運びましてございまする。
海の神の鏡運びし者達、古き民とおわしまして、その流れ由緒所以古かれど、民達の名を残さずという程古く、その思いひとしきりでございました。
山の鏡を運ぶ者達、それ岩屋の神の繋ぎし力を持つ者。
山の神の石を背負い運びし繋元の地は、九州熊襲からやってきた神巫女達でございまする。
水の鏡を運びし者達は、渡来流れの民、南方より来たりし者たりとて、天の月鏡、地の鏡、天鏡の映しよから生まれる朝露の命の水の種元となりし、力これ、水鏡の湖に合わせ給いて、夜露の一雫を入れさえすれば、命の水の鏡となりまするがゆえに、山の鏡と海の鏡と水の鏡を運びし民達が集まりましてございまする。
その名の民を運びし名前を皆さんが知る名前でいうなれば、物部の血筋を持つ者であり、そしてまた、出雲の国の地の元となりし、クマソ・ヤマソの荒れ果てた地の山駆け巡る者達の中で、知恵を持つ民の流れを汲むものであり、その地の流れ合わせ給いて神合わせなりましてございまする。
風の吹く日に風の力を借りまして、雨が降る日に雨の力を借りまして、月夜には、月の力を借りまして、山と鏡の光をささえる全ての元の力となりしこと、鎮めし大地の鏡となりまして、天の鏡を受け給いし、護りし地の鏡の護りし民達がおりましてございまする。
鏡とは、物の鏡も使いまするが、本来は、女性達の真玉鏡を合わせる事で、天鏡の映し鏡巫女となりまして、神働き致しましてございまする。
夜露の雫のごとく、男の子の雫は、それ給いて命の種もとなれど、それよりも、生命を生まれ受け止め、育む力は、大地の地鏡があってこそ、その鏡の働きを作り給いた神達・巫女達がおりましてございます。
その後の流れに組み込まれし時、倭姫達の巫女の中にもその血筋がございまする。
由緒・所以は違えども、思いひとつはこの大地、天鏡 神世の現世(うつしよ)の世とする為の鏡合わせの地なればこそ、これ天に向けて拝みをする場所でございまする。
祭祀場なればこそ、物・社残さず、ここの地、全てが天鏡の一部であったとお思い下さいませ。
どうぞよろしくお願い致しまする。
命の内鏡、護りささえし、女性達の真玉の鏡は「大地の鏡」でございまする。
倭姫命たちの大きな働きがあったからこそ、この日本の地が神の地となったのだとわかりました。
本当にありがとうございます。