1. HOME
  2. ブログ
  3. ◯土地のカルマの解消「地球創生神事」
  4. 【愛知県】武内宿禰様のお言葉  若宮八幡社)

【愛知県】武内宿禰様のお言葉  若宮八幡社)

愛知県でもっと重要な熱田神宮に隠された秘密を理解するためには、出雲と伊勢の関係性に加えて、伊勢内宮と外宮の関係を正しく理解する必要があります。

 

伊勢神宮 外宮の祭神である「豊受大神」を守り続けた神職の度会氏(わたらいうじ)の思いを正しく理解しなければ土地に住む人間として失礼になりますので、神事ワークに参加された皆様とどこでお話しを聞くべき探していると、名古屋の総鎮守である「若宮八幡社」で、武内宿禰(たけのうちうすくね)様にお話を伺いましょうということになりました。

武内宿禰(たけのうちうすくね)様は、大和朝廷初期(景行成務仲哀応神仁徳天皇の5代の天皇の時期)に棟梁之臣・大臣として仕え、国政を補佐したとされる伝説的な人物です。

<<若宮八幡社>>

○若宮龍神社  ※微妙に鳥居の外に祀られています

この地を守ることは大変ぞ、この地を守ることは大変ぞ。
この地を守ることは、その人の思いを封じ込める意味だけではなく、この地、自体の岩盤や地の流れがよくない場所だからこそ、強く守れという意味でわしがここにおる。
そのことをわかるものがあまりおらず、残念だがな。
よくぞ来てくれた、ありがとう。

○住吉神社

行く末の世いくばくもなく、終わりの果ての地どこにあるかわからず、その地まで、物、人、神、想いを運ぶが我の役目なり。


その役目なればこの末席に置かれることも仕方がなかろうかとも思うが、それもよしんばなかれ。


おわす神の思いを行く末の世の流れ、また采配によって変わるが故に、その思い理解するべく者は、おわします神々の思い奉らんことよろしく頼みます。

(吉岡の説明)
住吉と呼ばれる人々は元々、関西まで天皇家に関わる方々を運んだ船の技術とお宮のお社を創る技術を持っている方々で、古い時代に関西の土地に天皇家をお運びし、難波宮(なにわのみや)を作ったのが住吉の始まりです。下関と博多にも住吉神社があり、「日本三代住吉」と呼ばれています。

大阪の住吉大社には立派なお社と神気があり、四つの本殿があります。これは住吉三神(第一本宮:底筒男命(そこつつのをのみこと)、第二本宮:中筒男命(なかつつのをのみこと)、第三本宮:表筒男命(うはつつのをのみこと))と第四本宮:息長足姫命 (おきながたらしひめのみこと) = 神功皇后 (じんぐうこうごう)を意味していますが、 住吉と呼ばれる人たちの元々のルーツは天皇家をお守りする、天皇家の非常に近いところにいる方々でしたが、天皇家の序列争いでどんどん下に扱われてしまいました。

だからここの神社でも一番末席です。本来はもっと大事にしても良い神なのですが、神社によって祀る順番は本殿の祭神との兼ね合いがあるということを理解して下さい。

○神御衣神社


(御衣さまの由来)
神御衣神社はもと御衣(みころも)社と称し、明治36年11月25日、現在の愛知県海部郡立田村より若宮八幡社末社津島社に遷し合祀されました。

御衣さまは大国主命の国造りに大変力をつくされ、衣の神さまとして、古来より多くの人々の崇敬篤く世に知られています。昭和20年3月19日戦災により焼失しましたが、昭和32年7月、中部日本和裁教授連合会の発起により、広く崇敬者の寄進を集めて復興造営され、同時に淡島大神を合祀申し上げ、現在の興隆となりました。

(吉岡の説明)
一番知って欲しいことは、御衣、衣類関係、繊維、綿、絹関係の栽培技術、機織り技術を教えたのは、中国から来た秦氏だということです。陶器やカイコ、稲作も秦氏たちが伝えました。これは重要なことなので覚えておいて下さい。

この社の特徴は、スサノオをお祀りする津島社を合祀する際、先に住んでいた秦氏の土地にやってきた出雲神のスサノオを秦氏の社に一緒に入れているという点です。

本来は、文化を伝えてくれた秦氏に対して衣類の感謝をする神社だったはずですが、稲荷社を別に祀っていますので、純粋に繊維技術に関して感謝する社だと思いますが、繊維技術、もしくは綿かカイコを愛知で栽培していたと思われます。大阪にも陶器神社という場所がありますが、陶芸技術を教えた秦氏に対する感謝しています。

通常なら出雲族の津島社は神力が強いので名前を残すはずですが、あえて秦氏を消さないで、津島社の名前を消した理由があるはずです。こうやって何気なく社が並んでいるように見えますが、実はすごく考えられて配置されています。

本殿の左側に全く社を置いていないのも意味があります。

普通は、本殿が1番、向かって左側が2番、右側が3番という序列ですので、2番の左側に社を置かない理由は、側近として守るほどの神はいないという意味になります。

その理由は、祭神が全て天皇関係者なので、右手に置いて添えの意味で守っているという明確な序列関係を示しています。こういう神様の序列の意味を理解しないと、相手に対してとても失礼になるので、よく勉強してから祈りをして下さいね。

(神御衣神社メッセージ)
山たて、神たて、国たて、祀りもうすこと、これ我らの誓い神となりましてございまする。


故に、この地における働き、その力もあれど、それよりさらに改まる力、加わりましてのこと、この所在になりてございまする。


この思い、神の思いとなりて、またその神運びし巫女たちの思いを兼ねまして、お伝えお汲み取り頂ければ感謝申し上げ奉りまおす。

*こちらの神社は女千木ですので、神を運んだ巫女たちが入っています。

○熊野社・日吉社・香良洲社・天神社・秋葉社合殿

そうそうたる神様たち並んでいますが、祈ってみると女性の声で「お花を下さい」と言うので、沖縄の伊良部島にある名主御嶽(ナーヌスウタキ)で神様から頂いたお花をそれぞれの巫女たちが奉納しました。名主御嶽(ナーヌスウタキ)は中国、支那、台湾の血筋に感謝する御嶽で、命を繋いでくれた全ての先祖ルーツに感謝するという意味になりますので、その思いを理解して、争わず心をひとつにして祈りをして下さいという意味になります。

※この若宮神社には珍しく女性と男性の感じがする稲荷社が二つありました。

○連理稲荷社(女性)


ようこそお越し下さいました。お越し下さいました折にお働き下さいますることを楽しみにしておりまする。


思い多くはございまするが、それは、伝えるに足らず、その意味、我の内に秘めたるものでよかれと思います。
(あなたたちが感じ取ってくれたことで良いという意味)

 

重き思い多かれど、その思いひとつなればこそ、それ我らが守る神姫巫女たちの思いなればこそ、ここに連なりまする巫女たち、ここの土地守り、そして神守り、抑え守り、様々な意味がございまするが、ここには5名から6名の神巫女たちが並んでおりまする。

どうぞ、そのこと心に打ちとめまして、心合わせて祈りをして下されば幸いに思いまする。今日はお越し下さいましてありがとうございます。

○連理稲荷社 奥之院(男性)


うちなみ盛えしこと、これ守りしこと、この思いひとつなればこそ、この土地の思いよりも重き大きな神の思いがございまする。


その思ひ守れよと、ここにおりまする。
影の思い、支えし思い、ご理解下さりありがとうございます。よろしくお願いいたしまする 。

○若宮 恵美須神社


国賜えまして、奉りましてお守り、お越し下さいましてありがとうございます。


国守るは、よほどのことがなければ変わることがなく、その思い、束ね纏めるためにわたしがおりまする。

心乱すもの、心ゆらぐもの、心不安なるもの、それ怒りと同じく抑え込みつかみまするぞ。


心穏やかに、神に心を合わせて下さいませ。
信ずるものはひとつでなければいけません。
それがこのわたしの意味でございまする。

よろしくお願いいたしまする。

 

○本殿  祭神:仁徳天皇、応神天皇、武内宿禰命


(質問事項)
●熱田に剣とヤマトタケルを祀った理由
●熱田神宮を創った理由
●元伊勢から伊勢に移した理由
●ツクヨミの扱いについて
●豊受大神と天之御中主神について
●熱田の社の後ろにあるものは何か?
●度会氏は物部系か?また、度会氏の役目とは?
熱田に剣とヤマトタケルを祀った理由

いかにも、それはわしらが命令をして祀らせたものである。その意味については三種の神器の意味に関わるものであり、理解しているならばわかるであろう。いずれその紐解きもされると思うが、剣が、神の思いを束ねる思いがひとつ。

そして、天皇家を守る神の思いとしての働きがひとつ。そして、過去の思いを断ち切る神器としての思いがひとつ。


そして、いくつもの剣があることこそが、その多き民たちの争いや煩わしさの思いを束ねるための力であるとしておこう。


そして、そなたたちが聞きたいことの中に、なぜ愛知の地に熱田神宮を置いたのかという意味が聞きたいのであろう。

そのことについては、まずこのことを言っておこう。
度会氏の働きにおいて、どのような流れを組むかがとても大切であった時代があった。


それはひとつに、権力の争いである。それについては、そなたが知っているとおり、九州においての争い、そして、出雲神との和合制約の証、そして、関西の地に入ってからの神、天皇の思い、人神の思いの争いもある。

愚かなことではあるがそれは事実である。そしてそれとは別に、神を運ぶ者たちの思いがある。


その神を運ぶ者たちの神を束ねるルーツの元はどこかといえば、それぞれが違うところがあるからこそ、その神を束ねる方法、場所、神の名前については、誰かがそのことを封じ込めながら守り伝えねばならぬところがある。

だからこそ神社には宮司にしか明かさぬことがあるのだ。


よいか、話を聞けばよいというものではない。聞いたからには、その全ての責任を負う。


そのことをわかっておけ。
だからこそ、女たちにはそのことを知らせず、子を作り、国を守るために命を育む仕事をせよと言うておる。

しかしながら、神の思いを、神の国として戦いで守る場合もあれば、国を守るために、神を立てることの命を捧げ出す者たちがいなければ、神の思いを立ち守ることはできぬからこそ、人間の思いではなく、多くの思いがあったことを知恵として学んでおけ。

よいか、度会氏についてはそのいきさつにおいて質問したいことの中にもあるようだが、「度会氏が、直接、秦氏か」といわれれば少し難しい表現があるが、物部の意図を汲む者であるということはわかっておけ。

よいか、物部が運んできた本来の思想は、「原始キリスト」であろう。


それは、多くの地域にその思いが根付いたからこそ、神という概念が広まっていったのだ。


その地域、地域において、神の概念を伝えた者たちがまずいる。


そのことが大切なことだ。

そして、その神の概念を伝え守る者は、当然ながらその土地の長である者の考え方によって変わるものだ。


言い方を変えれば、物部の血の女との子を産めば、物部の一族の血を引くという意味もないことはないが、それよりも大切なことは血の繋がりよりも、物部一族が守ってきた原始キリスト、それ以上に、この日本という国の国家守りをするために、自らがどのような働きをせねばいかぬかということを理解したのが、度会氏である。

だからこそ、その思いたるや深く、国の、朝廷の、また天皇の争いに紛れることなくその役目を果たすために、いかようにでも身を変えながら、どのように言われてでも、神から裏切り者とさえ言われてでさえもその役目を守ろうとした存在であることは、賢き男であったとわしも思う。


だからこそ、この思いを伝え残すために、ここにその場所を決め、守り運んできたのだということをよくわかっておけ。

よいか、度会氏が血筋ではなく、神の思いを束ねようとしたところには、「世の平安」を第一に考えたからである。
そのために自らがどこにでも出向き、その国の揉め事を纏めるような働きをした知恵者であったということも付け加えておこう。

しかしながら、国の争い、朝廷の争い、天皇たちの争いは紛れもなく事実であり、その争いの火種はあちこちに飛び、源氏平家の戦いもそうであるし、それ以前の戦いも常に、世に、民に知らされるような形で伝わっているが、本来は、何を守るべきか、それがわかっておらぬ者たちが多いからこそ、命を守るだの、我が子を守るだの、食べ物を守るだの、そのような愚かな考えでは国は守れぬ。


本来、国を守るというためには、知恵を出し、多民族の心を束ね纏めるような知恵を持たねば、心を持たねば、犠牲を問わずその力に邁進せねばならぬのだ。

そのことができるものは少なく、その者がおるからこそ、国の平安、安泰は守られるものなのだ。


その働きをした一人が、度会氏であるということをよく覚えておけ。

伊勢の元伊勢からの遷宮についても聞きたいのか。


よいか、それは元伊勢の地に行って聞けばわかることだが、度会氏の地に伊勢神宮の遷宮を勅命したのは、わしでもなく、度会氏でもなく、もっと上の、つまり朝廷もしくは、天皇たちによる支配管理の意味、目的を持っていたからこそである。

そのことについてはまた次回、違うところで話しをする時もあるであろう。


問題としているあなたたちの心の中に、度会氏が何をしようとしていたのか、なぜ熱田神宮を創ろうとしたのかが知りたいわけだな。

そうであるならば、まずその一番後ろの奥にある、宮についての思いを度会氏に聞くべきであろう。


なぜそこにその神を置くのか、ここが最大である。


表に、ヤマトタケルと妻と剣を祀る意味は、体制国家安泰における決め事、祀り事として運んだ意味が大きい。

よいか、この地は体制の流れにおいて関西の天皇の横行に背くことなどできぬ地理であるからこそ、どんなことがあってもその争いに巻き込まれず、纏め守るという力を持たねばならぬ土地であったのだ。

だからこそ、ご新宝の剣を納め守るような形をとり、また東方東征をしたヤマトタケル、もしくは神武天皇より古くからいた土地にその大切なことを繋ぎ守るためにも、天皇に近い、もしくは、天皇を守るために必要な立場に自らの意思を持っていかねば、この土地の民だけではなく、その後ろにいる土地の民たちすべてが争いに巻き込まれる可能性があったからこそ、この地には全ての神の本意に介して、「イエス」としか言えぬ立場であったということを理解しておけ。

度会氏は、知恵者であったぞ。


因縁、さも紐解きのような思いではなく、神の思いをどうするべきか、その知恵を尋ねに来たこともあったな。


よき計らいの民の思いのために、私がどう働けばよいのか、どう立場を立てればよいのかをよくぞ知恵を持ち聞き、伝えしたものだが、その思いが、どこにどう書かれ、繋がっているかは、ほとんどないと言った方がよいであろう。

豊受大神と天之御中主神について、度会氏が豊受の神を祀り上げるには、意味があったことは理解してる通りだ。


だが、その名をアメノミナカヌシとするには、ちと頭が足らぬな。


よいか、よき時代に計らい給う者は、企みをせぬものだ。
この意味がわかるか?
よき時代に物事を納めようとするならば、余計な企みなどはせずに、民衆、民が、その神を大切に拝み、信仰、崇高し、大切にし続けることをまず最初に考えるものだ。


それがまず、豊受大神、母神としての役目である。

すべての思いを受け止め、神を支え、また神を守るための役目である。


そして、その時代の流れにおいて、古い神道の流れを変えざるを得ない新たな動きが、全国各地に動き出した時に、誰かが物事を納めるために、社を創ることがよいのではないか、もしくは神の名を変えることがよいのではないか、もしくは仏教を入れることもよいのではないか、それよりも大きな中国に勝るような、神の参拝場所を創ることがよいのではないかと、色々な知恵を出したものだが、時、場所においてそのやり方は違う。

よいか、この地はお前たちが思うほど狭くなく、大きな土地の親分として、働いていたこの度会の働きは、利権、利害で動いたのではなく、自らの国の民の思いをまず最初に考えた時に、どう立場を立て直すことがよいか、得策かを考えたうえで、必要なことを賢く立ち回った者である。


よき心の奥には、原始キリストの思想を学んだからかもしれぬが、それよりも人格として賢く優れた者であったということだ。

だから因縁や煩わしい思いや、いざこざや色んなことを企んだのは、彼ではないかという思いだけはやめておけ。


社を創る際に、誰が、何を言うかは、それぞれの立場で言ってくるものだ。


それを納め守るのも、またその当時の神官、そしてそこに神官達に関わる血筋により発言が右左となり、立場は苦しく変わるものである。

だからこそ、色々な祀り事をする時の仕方が違うのも、祀る場所の向きが違うのも、社の大きさが違うのも、全てその当時の力のある朝廷系の公家の者たちの口計らいというよりは、災いのような一言により、そうせねばならなかったことは多かったという意味で捉えておけ。


地元の神が、地元の先人を恨むようなことをするわけがなく、その民たちの思いを束ねることのほうが難しかったはずである。

しかしながら朝廷の命には逆らえず、その命を明かすやり方をせねばならぬのも、もとは神の役目として、仕える者の身としては仕方のないことである。


「良きに計らえ」と言う意味で言われた言葉が、自らの命を絶つ者もあり、また自らの信じるものを手放さなければいけない者たちもおる。

それほど国家体制の変化においては、誰もが親、子、兄弟さえも裏切るようなことが起きるほど、苦しき責めを、問いをされるからこそ、その物事を決める立場の者はそのことを伝え残すことは出来ぬ。そのことをわかっておけ。

 

●アメノミナカヌシについて

アメノミナカヌシについては、わしが言うことではないと思う。


それよりも、その物部の思いを汲み取った度会氏の思いを知ってあげる方が、大切であると思うぞ。


さすれば、熱田神宮の中にある、また末社、摂社にある思いの一つ一つの意味が、理解できるかもしれぬな。

 

●ツクヨミの扱いについて

ツクヨミについては、わしが言うことではない。
それは、神官たちが決めたというべきか。


わしは、天皇にお仕えしておる。


つまり、天の方向性、国の方向性、民の方向性を決める役目である。


神の思いをどう扱うかは、それはその神官、親族、そこに力を持つ血筋の者たちが決めることではあるが、出雲の地で紐解いた思いであることは確かであろう。
そこまでしか、わしは言えぬ。


だがあくまで、黒子に、悪い方にものを考えるのではなく、黒子の思いとして働いた度会氏の思いさえ汲み取れぬなら、浅はかな神事になるぞ。


国を守るために働き出す者たちの思いをもっと深く感じ取れ。


それが最初の知恵であるとわしは思う。よろしく頼む。

武内宿禰命様の話しは、以上です。

 

(天無神人談)
なぜ、ここまで詳しく武内宿禰様が私達に話しをしてくれたのか、その理由は2013年に行った北九州神事で天皇家のもっとも重要な秘密に気付いたからですが、その際に、全てのことを納め守った方が武内宿禰様です。

当時、全てのことを教える変わりに、必ず、この日本をまとめた天皇家の思いを壊す事無く神事をする約束をしましたので、全ての神事を終えたあと、許可がおりなければ公開することはできません。

若宮神社の本殿で私が読み取った感覚では、本殿の中心に、武内宿禰命、左側に応神天皇、右側に神功皇后様がお座りになっていらっしゃいました。この序列の意味が、全ての秘密の鍵になっています。

今回、武内宿禰様は、ゆっくりとよくわかるように、私たちに諭すようにお話しして下さいました。三人の天皇にお仕えした、ほんとに凄い方からお話を直接、お伺いすることができましたことを心より感謝いたします。

 

アーカイブ

Translate »