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【愛知県】熱田神宮が作られた本当の理由 3 ヤマトタケル

前日のサニワで重要な話しをしましたので、皆様にもご紹介します。

 

(愛知勉強会のサニワ情報)

もし、アメノホアカリが大国主、もしくは出雲系に大きく関わっているとなると、出雲と九州の隠された因縁に関わるので、すご~く納得がいきます。

大国主がツクヨミの巫女を半分、百済系に譲った理由は、百済からきた一団の王が、自分の母の血筋の息子だから殺せなかった訳ですし、相手の神力を認めるしかなかったからですが、本当の神力は「裏の力」で支えられていますし大国主はスサノオもツクヨミの力も持ってるからこそ、関西まで出雲系の巫女達が行く必要があったのです。

これは初めて公開する情報ですが、大国主がすごい力を持っている理由は、もともとは九州から来ている民族で、出雲から始まったわけではないからです。

現在の日本の神力のルーツは大きく三つのルートから入った力で支えられていますが、一番大きな神力は、沖縄経由で九州に入ったルートなのにそのルートが消されているからこそ、私は沖縄ラインの神力を繋ぐ神事を2008年に行いました。

宮古島にいらっしゃる新城定吉さんは数十年前の啓示で、宮古島の大神島にアマテラス様がいらっしゃって修行され、そこから伊平屋島に行き修行され、それから九州(宮崎)の日向に登られて修行され、 それから伊勢に行かれたという啓示を受け取っています。

実際に、新城定吉さんにお会いして詳しい話しを何度も聞きましたが、宮古島にもいくつか大和番(ヤマトに感謝拝みをする場所)の御嶽があるので、宮古島、出雲、伊勢と全部一人で繋ぐ神事をしますと報告すると、「比瀬(びっし)ウタキ」から、金刺の入ったきれいな反物を頂きました。

比瀬(びっし)ウタキの女神様からは、その一本一本の糸にはいろいろな民族の思いが入っているので、どうぞ、その人たちの思いを束ねて下さいという神の思いを教えて下さいました。

出雲と沖縄の繋がりはとても古い時代からつながっていますので、沖縄の古い時代の祈りをする人たちは「出雲の信仰」を勉強している人たちがたくさんいます。

ヤマトタケルが、もし、アメノホアカリ系だとすると、物部、住吉、尾張、津守、綾部の系列に入りますし、物部系は日本全国の西からも東からも入っている民族だということを覚えておいて下さい。

今回の愛知神事のあとに関東の房総半島にある常陸国(ひたちのくに)の神事を行いますが、あの一帯は全て物部系の民族が住んでいた場所ですし、房総半島の外房には物部系の人たちが支えた強力な巫女がいたからこそ、鹿島神宮の巫女が奈良県の春日大社へ行き、神となりました。

春日大社は藤原一族が平安京時代に何百年間も守りましたが、神事のなかで藤原一族のルーツをたどると同じ志しを持つ物部系であることがわかりました。

本来、物部系は原始キリスト意識を学んでいますので平和主義だったはずなのに、関東から入った中臣鎌足を祖とする人たちは権力を持つ朝廷側に入ってしまったからこそ、多くの物部系から恨まれてしまっています。

長野県の諏訪へ行った民族もそうですが、あまりに強力な神力を持っていたために、当時の天皇・公家たちは近くへ置きたくなかったからこそ、諏訪の地に住めといわれた人たちも同じです。

北九州にいた安曇族や穂積族は強力な一族でしたが、ある時期に、急に日本の勢力図が変わったからこそ、裏になってしまった強い神力を守っている人たちであり、「アメノホアカリ系」の人たちだと考えられます。

たぶん、京都の元伊勢外宮を見ると秦氏一族もまとめていたようですので、すばらしい民衆信仰だったのだと思います。 

そのあとに、武力と権力による百済系の勢力がやってきたため、それまでの民衆信仰が全て歴史の裏になってしまいました。
 

朝鮮半島に居た「高句麗民族」のルーツは、ヨーロッパから陸路でやってきた鉄の鋳造技術を持っている一団(沖縄ではカニマン)ですので、当時、武器を作るのに都合が良いからと中国や朝鮮や沖縄や日本を支配したい人たちは、力で支配するか、味方に付けようとしました。

神奈川県や出雲の地にもこのカニマンの血筋がハッキリ残っている神社がありますが、実は、伊良部島の先祖ルーツをたどると、沖縄で唯一、琉球王朝から「男神の神事を許されている特別な土地」だということもわかりました。

伊良部島には700年前から住み始めた民族の歴史が残っていますが、そのルーツは久米島に行き着きますので、たぶん、高句麗のカニマン集団だったからこそ、琉球王朝の王様が「祭祀は男でも良い」と唯一、男神の許可を出したようです。

沖縄の琉球王朝が成立するまでは領土争いが激しかった為、勝ったほうは負けた男たちの首を撥ね続けて、王様を守るため神ごとはすべて女だけにしてしまいましたが、琉球王朝(1429年から1879年の450年間)が成立後、唯一、沖縄全土で男神が許されたのは伊良部だけなのです。

沖縄の神ごとを正しく理解するには大きく別けて三つの時代の影響を受けていることを理解する必要がありますが、そのひとつが、この「カニマン」と呼ばれる錬金術の力を持った人たちの力があります。

もうひとつは、「琉球古神道」と呼ばれている中国の唐時代に入った、「うーとうとう「御唐、御唐)」と呼ぶ拝みをする人たちです。

これは沖縄本島を中心とした権力図に守られた信仰形態ですが、「琉球古神道」にはとても大事な神歴史が記録されていますし、その信仰のあとに中国からやってきた人たちが450年間ほど琉球王朝体制を続けました。

つまり、琉球王朝時代の前には、「うーとうとう「御唐、御唐)」の拝みをした人たちがいて、その前には、宮古島に残っているカニマンのルーツもありますが、後から来た支配者たちは過去の書物を全て燃やしたので今は何も残っていませんが、10年通い続けてやっと古い神のルーツにたどり着きそうな気がしています。

伊良部島でもうひとつ重要な発見は、数十年前まで身体にイレズミをしていた人たちが居たという事実です。
アイヌ民族と同じようなイレズミをした人たちは南方から渡ってきた人たちですが、素晴らしい信仰心を持っていたことを考えると、この人たちが伝えた信仰心が物部一族と同じ原始キリスト信仰を持っていたと思われますし、「ヒヌカン」や「アメノホアカリ」に繋がっている可能性があります。


では、もし、「アメノホアカリ」の信仰のルーツが宮古島に残っている信仰と同じだとすると・・・それが「ヒヌカン」だとすると・・・これまでの神事で降りた神メッセージで「大国主の子」という表現をした意味を考えると、大国主もアメノホアカリ信仰だったのかもしれません。

 

だって、それまで唯一、日本全体を制圧できたのは出雲系だけなのですから・・・。
今も、日本中に出雲系の神社は残っていますが、諏訪でも関東でも古いのに力が強くて消せない神力が残っているほどです。

本当のことをいうと、出雲系とか、物部系とか、沖縄ルートと言ってますが、実際に大きな神力を運んできたのは男ではなく、神巫ですが、その神巫女達の思いを紐解くのがもっとも難しいからこそ、こうやって重要な男神に確認をとりながら真実を探しているのです。

古事記には、ヤマトタケルがお兄さん(大碓皇子)を殺したという情報もありますが、それは違うと思います。
2013年の愛知神事で直接、お兄さんからお言葉を頂きましたが、お兄さんが猿投山の所に祀られてて、すごく身体が弱かった人だということがわかりました

本来なら次の世を引き継ぐべき景行天皇の長男が愛知まで来て亡くなり、そのまま祀られているのもおかしいと思いませんか?

宮内庁が正式に認めているなら、もうちょっと立派に扱うと思います。
これまでの流れからすると、景行天皇は百済系の天皇ではなく、アメノホアカリ系だとしたら、とても納得がいきますよね。

大国主の実態については、九州の先人たちの思いもあるのでまだ全てはお話しできませんが、日本神話を作りあげる上で天皇家に関わるもっとも重要な部分は九州に隠されていますので、全ての神事が終わって大神の許可が下りたら九州の紐解きができると思いますので、それまで情報の公開はお待ち下さい。

色々な推測を含めてお話ししましたが、歴史上、もっとも存在が不明確だと言われている人の一人であるヤマトタケルに直接、重要な事を聞いてみることにしましょう。

 

◎白鳥五陵(愛知県名古屋市熱田区の白鳥公園に隣接する古墳)
6世紀初頭に築造されたと考えられている前方後円墳で、法持寺のすぐ隣に位置する。かつては法持寺が管理していたが、明治9年(1876年)からは熱田神宮に、戦後は名古屋市に管理が移された。


(神口上)
上げ奉りまして神守りし事、この地の魂守りし事、心より感謝申し上げ奉り申す。
この地おわします魂の元、繋がりましてのこと、お言葉下されば感謝申し上げ奉り申す。
御おわしまするはこの魂、この地守りし繋がりし事、日本武尊とされておりまするが故に、
この魂に嘘・偽りなければ、その事お答え下れば神もとの繋がりとなりまして感謝申し上げ奉り申す。
御身、御働きたまいて、この世に伝わりし事、この魂のルーツ、命もとのルーツ明かされず、
明かす事無く言葉の意味変えられて伝えられているが故に、その元、おおもと正したまえとたまわり、
おおもと正しましのこと、言葉の重きかな儚きかなを弔いましてのこと、
心沈めさやかに合わせたまいて心お許しのこと、お答え下されば感謝申し上げ奉り申す。
思いはせたまいて神むしろ、思いはせたまいて神むしろ、山立て 国立て 思いはせたまいて、
この地治まりまするは国の為となりしこと、おわしたまいて時の権力重きこと、
これ影無きこと思惑いくばくもありきこと、それ彷徨いたまう御霊たちのひとつとなりし事、これ悲しかな。
問われること思いはせたまいて、国たまえの思いとなればこそ、
心一つに合わせたまいて国守りしの灯りほやかに全てのもと、
道筋たてまえまして明かしたまえしこと心より願いたまいまする。
宮簀姫様より、天火明命についてのことお聞きいたしましたが故に、
思いはきたまえしこと、天火明命の道筋たまいし、民族のもと地、同じとなればこそ、
また大国主のことまで言われるその思い、僅かなれどもお話し下されば幸いにございまする。
重き魂、治めし事、神守りの思いひとしめやかに儚きを持ちてたまいまする。
我、多きかな、大国主の魂持つ者、その明かしたまえてお教え下さいますれ。


(ヤマトタケルの言葉)
重きこと、これ多きこと、計らいて国の抱えし事のため、働きなくばこれ国治まらず、
我のこと、問われし者おるならば、それ悲しと我思う。
国の為、世の為、儚き民の思いの為にと心合わせよと、鉄則の力を束ねる為に奔走し、
東へ西へ動きたまいて南下し、またその熊襲(くまそ)の地よりいずきました先祖の弔いの思いが大きく肩にのしかかり、
おわします国たまえて守りし神魂の、大国主と呼ばれし魂の者より命をうけ
儚きかな一族を連れたまいて奔走いたしまするは、時におりて、
物部の力も借りながら時におり、住吉の力も借りながら、
安曇の地のもとの思いはせたまえと思いまして、
大国主の思いと合わせたまいて、我、奔走いたしましてございまする。
国もと改め世となればこそ、敵国、哀れなき力・制圧かけるならばと国戻る事無く、
亡き母の地守りし事、これ、民連れて歩くは故郷捨てるも同じく、
母の地守りし安曇の母に繋がりし事、大元の魂束ねよと、ことごとく合わせし事、
これ、天叢雲の思いと束ねたまいて剣を渡され、神の導き争いなくば、
その名を消したまえて国守れよと言われし役目、儚きこと。
おわします兄じゃの思いもあればこそ、御意を湧く身体病になること大きい故、
我、その身に変えて国を束ねし役目、仰せつかりし事、束ねし民の思い口にすることなく、
治め守りし敵国の思いに八つ裂きの心持ながらも、争いの心ではなく説き伏せのこと思いはせたまいて、
国守り奔走して参りましてございまする。
伊吹山の件、国改めの世となりし民、力を貸すと手を合わせし仲間の裏切りとなりしこと、
哀しき思いは世の制圧に負け、身を翻し敵国側に付くもの現れし事、悲しむはお鷲む事、
我が妻たちなればこそ、思いの霊を繋ぐは妻のいる地と母のいる地。
父の思いを明かせずは、誰も同じと思いし事、剣の思いし合わせの民たちの心を汲みたまえて、
守りし天叢雲剣の思い、古き民の思いとなればこそ、熊襲の大家の血をひくものなればこそ
大国主の思いと同じなればこそ、儚きかな世の憐み汲み取りましてのこと、
民・百姓争いに巻き込まれず生き延びる為にと働きましてございまする。
内世鏡のなすなべことに、鏡を作りたまえと我願いまする。
世の特権・武力ならずんば、力におきて治る事はできず。
世の心、和平と命と食べ物と親子信頼繋がりし、守りし事の思い、はかばかしく、
世の民に伝えたまえと我、願いますればこそ、世の為、働きたまえとわれ申す。


(吉岡の説明)
これで、わかりましたね。
はっきり、母の地は北九州の安曇の地、そして、父は熊襲の出身であることを明かしてくれました。
実は、大国主も九州の出であり、九州の一国の王でしたし、日本武尊も同じ九州の一国の王の子でしたので、国家安泰を願うのは同じ思いだったのでしょうね。
伊吹山で蛇に噛まれて死んだとされている意味も、ご理解頂けたと思います。
先住民の地を引くヤマトタケルは、日本中の先住民をまとめて戦うのではなく、新しい勢力を受け入れながら国家安泰の為に日本中を兄の代わりに奔走したことも話してくれました。
これまで秘められてたヤマトタケルのお言葉を頂けたことに心から感謝いたしますと共に、この意思を受けて、日本国家の安泰の為にお働き下さいます皆様が、大きな愛の心で過去の思いを愛に転換する行動をして下さることを願っております。
引き続き、5月18日に行いました常陸国神事ではこれまで世に出る事がなかった重要な神巫女の思いを公開いたしますが、全ての思いは繋がっていて、日本国の国家安泰と世界平和へ向けて過去の囚われを超える愛の段階へ皆様が進んで下さる事を願っているとご理解の上、先人達の思いを噛み締めて地球創生の感謝の祈りをお願いいたします。

 

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