【茨城県】関東総社繋ぎ 常陸国 1 常陸國總社宮
5月18日、茨城県石岡市に地球創生の関東の仲間たちが集まりました。目的は、常陸国の総社である常陸國總社宮で「関東総社繋ぎ」のご報告をする為です。
この日までに関東の仲間達は、5月5日に東京都内の千代田区(皇居の近く)で震度5弱の地震が起きたこと受けて、関東総鎮守である「神田明神」で神と対話し、日本を守る光岩で天と地の繋ぎ祈りもしてくれてましたので、神々から頂いたメッセージをもう一度、お読み下さい。
◎常陸國總社宮(茨城県石岡市総社二丁目8-1)
許可を得て、宮司さんのご先祖に感謝の祈りをさせて頂きました。
常陸國の事前調査のなかで妙見信仰と同じ北斗七星を使った祈りをしていたことがわかりましたが、この「星宮神社」がその証しであり、後から、本当の北斗七星の祈りの意味もわかりました。
「星宮神社」からは「いつの日か来てくれることを楽しみに待っておりました。どうぞよろしくお願い致します。」とお言葉を頂きました。
もうひとつ重要な発見は、愛宕神社(火の神)と厳島神社(水の神)をひとつの社で祀っていることです。
火の神と水の神を一緒に祀っている社を私も初めて見ましたが、この意味は火と水で、火水(カミ)という本来、自然神から生命を頂いていることに感謝する人たちがいたことを示していますので、とてもうれしい気持ちになりました。
本殿に向かう道の右手にずらっと並んでいる社は香丸稲荷神社を始め、愛染神社(染物の神、縁結びの神)と松尾神社(酒造の神)と祀っていますが、これらは全て秦氏が伝えた貴重な文化ですので、この地域では秦氏達がとても大切にされていたことを示しています。
本殿の右手には「十二末社」を祀っています。
左奥から、須佐之男命(スサノオウ)、大山祇命(オオヤマツミ)、猿田彦命(サルタヒコ)、高?命(タカオカミ)、経津主命(フツヌシ)、大己貴命(オオナムチ)、木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメ)、少彦名命(スクナヒコ)、菅原道真命、誉田別命(八幡神・応神天皇)、宇気母遅命(ウケモチ)、武甕槌命(タケミカヅチ)。
常陸国で行う神事は歴史から消えた古い時代にいた巫女達の思いを読み取り、その思いを愛に変える神事をすることが決まっていますので、総社の神様にご報告すると、「どうぞ、宜しくお願いします」と申されました。
社務所の神主さんからは、こんな話しも聞けました。
今年は香取さんと鹿島さんの十二年に一回のお祭りがある年でございまして、あのあちらの神様がお二人で海の上で出会われるというお祭りで、フツヌシノミコト様とタケミカズチノミコト様が海の上で出あわられたという、その神話をたどるようなお祭りですので、こちらの総社は関係はしていないんです。
御船祭(みふねさい)といい、鹿島神宮側では「 おんふねまつる」と書きまして、みふねさい、 あるいは、おふなまつりというふうに昔は言っていましたけど、 香取神宮の方では神幸祭(じんこうさい)という風に、「かみ・ さいわい・まつり」と言っています。
香取さんから鹿島さんに行かれる方は四月に終わっているのですけれども、今度は鹿島さんから香取さんのほうに向かわれるというのは九月の 一日にあります。ホームページ(鹿島神宮:http://
(常陸国の歴史調査のサニワ内容)
(天無神人)
今日の行き先は、「鹿島神宮 跡宮」と「大生おおう神社」だけでいいですか?
(調査員)
「高天原(たかまがはら)」を調べてみると、鹿島神宮の祭神タケミカズチには祭主の役割があって、高天原で天孫降臨と宇宙の神様をお祭りしてたという情報があり、鹿島神宮の敷地内の住宅街の中にその場所はあります。
いわれは正確には伝わってなくて、しばらく手が入っていなかった時期があったようで、最近また手を入れだしたというような情報があります。
位置関係は、鹿島神宮の鳥居をまっすぐ進むと突き当たりは森があってお社などは何もないんですが、森を突き抜けてまっすぐ海の方に線をひくと「高天原」という場所があり、鬼塚という、ちょっとこんもりしている塚があるらしいのです。
鹿島と香取には、タケミカズチとフツヌシがいるのですが、お二人とも斎主(いわいのぬし)という役割があるようで、何を祀っていたかというと、タケミカズチは高天原なので天孫族ですかね?
ニニギノミコトとか天から降りていらっしゃる方たちをお祀りしていて、フツヌシは香取の側高神社(そばたかじんじゃ)でお祀りをしていたと言われています。香取の側高神社の縁起を見ると、タケミカズチが鹿島の高天原という場所でお祀りしてました、と出てきます。
縁起の上では、鹿島のタケミカズチが高天原に降ろした神様を香取の側高神社にお越しいただいてフツヌシがお祭りしていたと書かれています。
加えて、物部さんが書いた神話・先代旧事本紀には、忌部氏の船のご一団が海を渡って安房国に入ってきて香取方面に移ったとすれば、香取地方であがってきている名前がアメノフトダマで、鹿島では、アメノコヤネです。
神話の上では、アメノフトダマとアメノコヤネのお二人が、祭事のボスです。
ただし、鹿島・香取の地ではお二人の名前が挙がってこずに、むしろ、神話の上では武勇の功績で有名なフツヌシ・タケミカズチというお二人の名前があがり、調べると武勇で有名なお二人が実はお祀りもしっかりやっていましたというのが、神話と土地を比べるとつながらない部分です。
あともうひとつ、常陸国とか千葉のあたりには、辰の神様とか、北斗七星のように星の神様が多く降りてきているとよく言われています。
アメノミナカヌシとタカミムスビ・カミムスビは造化の三神と言われていますが、古神道の考え方では造化というよりも、北(きた)と辰(たつ)の北辰の方で、北の方にいらっしゃる神々という考え方もあるようです。
北極星を指してアメノミナカヌシとする考え方もありますが、大きく北の方位を司っているっていう考え方のようです。
北辰の意味は、中国に太一(たいいつ)という考え方があって、太一というのは「陰」と「陽」を、二つの力を調整する力というふうに言われています。アメノミナカヌシの陰の姿が妙見大菩薩で、よく絵では「月」と「太陽」を両手に持っている姿で描かれています。
(天無神人)
神事の目的には何段階かありますが、今回、一番触りたいのは一番下にある最も古い巫女が持っていた本来の神の力を知ることで、この力を表に出すことが一番の目的です。
その次に出雲族が入ってきているので、出雲族と巫女たちは一緒に入った可能性もないとは言いきれませんが、出雲族の分の話しも当然、出ると思います。
ヤマトタケルが大国主に言われてやって来た先住民の思いもあり、九州の思いもあるので神事でその分を聞くと、違う男の視点が出る可能性もあります。
ただ、女性たちが持ってきた神の意味、力、役目はどこにも書かれていないので、これを引っ張りだすのが一番難しいですね。
鹿島・香取の神社内にはあまりその痕跡がないので、逆に周りから思いを見つけていくと出てくる感じがします。
今回は鹿島・香取の本殿の優先順位はすごく低いし、多分、鹿島・香取は表祭りの形としてでかい神宮を二つ作っていますが、その形になるまでには何層にも重ねられた影の思いがあるはずです。
だからこそ、一番最初の跡宮の巫女に、何をどの手順で行えばいいかを聞くのもひとつですね。
ちょっと気になるのは「高天原」と言われているところが、もしかしたらその女性たちが繋いだ可能性があります。
宇宙から「天降ろし」をしているのであれば、そのエネルギーで神事の道ができます。
鹿島神宮の元宮である「大生神社」は、一般にはどう言われているのですか?
(調査員)
鹿島神宮は、もともと大生神社のところにあって、そこから今の鹿島神宮のところにもっていったとされています。
(天無神人)
元伊勢の度会氏や物部氏が祀っていた神は「アメノホヒカリ」なので、もしかするとその可能性もあるかなと思っているんだけれど、僕の中では、ここに来た人たちが持ってきたものかもしれないとも思っています。
鹿島神宮の跡宮も男が押さえ込んでいると思うんだよねえ・・・大生神社も男が押さえ込んでいると思うんだ・・・。
だから、何か持っていかないと・・・封印を解く鍵を持っていかないと・・・。
今回の神事は、出雲の番持ちとしてお詫びと統合だと思っていますが、謝ることばかりではないでしょう。
出雲族は、最初に来ていた秦氏を全部潰したわけじゃないですからね。
出雲族と協力したり知恵を分け合ったりうまくやっていますし、出雲族が来た時に、物部一族も入っている可能性もあります。
でも、出雲と物部は同等ではないですよ、物部のほうが先に来ていますからね。
その後に出雲族が来て、物部のものを吸収しています。
ある意味では、そこで女性の思いが消えているので女性の思いを押しつぶしている分、出雲の男神が一歩下がる必要がありますね。
総社の神主さんが話していた鹿島と香取で「男の和合点」を意味する神事をやっていることは大切ですが、今回は、さらにその下にある押しつぶされた女性達の思いを出さないといけないので、出雲番の人たちはそのことを意識をしなければなりません。
出雲の男神分をちょっと引くと女性たちがおしゃべりしてしやすいのは、出雲神が巫女たちを吸収しているからだと思います。
(調査員)
Wikipediaの内容では、古事記には登場せずに日本書紀にのみ登場するフツヌシ・タケミカズチは、「まつろわぬ鬼神」などをことごとく平定し、草木や石までも平らげたが、星の神の「カガセオ」だけは服従しなかったので、シトリガミ・タケハズチを使わし懐柔したとしています。
第二の一章では天津神となっており、フツヌシ・タケミカズチがまず高天原にいるアメノカガセオ・別名を天津甕星という悪い神を誅してから天原中津国を平定したとなっています。
天津甕星を制する祭主をする神を「斎の大人」と言い、この神は東国の「香取の地」においでになるということなんです。香取って、香取神宮の場所に、天孫族からみれば鬼神とされた星の神様がいらっしゃったという意味です。
(天無神人)
「鬼」は抵抗した先住民の意味になるなので、「高天原」は忌部の斎場かもしれません。
この部分は、多分、鹿島の親分が反抗してきた先住民をまとめたんだと思います。
鹿島と香取と息栖は、それぞれ入ったタイミングが違うと思われます。
鹿島が最初に全部の先住民を制圧したからこそ一番強いのだと思いますし、先住民と言われている中には物部の方達もおり、巫女たちもいたと思います。
この判断が一番正しいと思いますが、この事を跡宮の巫女に聞けばいいんじゃないかな?
(調査員)
「先代旧事本紀」という物部さんが書いた日本神話の中にいろいろな人が登場するのですけれども、先住民の人の呼び名と伊勢系の人の呼び名と、なぜ名前が違うんだろうと思いました。
ただ、この名前とこの名前は同一人物で、統合される前の呼び名と統合された後の呼び名と使い分けがあって、それが何の説明書きもなく文章にポンポンポンと現れるんですねえ。
その前提を考えるとすれば、先代旧事本紀を作った当時の人は同じ人を指しているけれども、どういう意味合い・ニュアンスなのか分った上で呼び分けているという気がしました。
このレベルの呼び名の違いは、何か物事を隠すというよりも、知識としてはこの呼び名とこの呼び名の人は同一人物と分っているので、統合前・統合後、服従したかどうかの意味合いを名前で表現しているような気がしました。
タケミカズチとフツヌシが、先代旧事本紀に出てくるのは「国譲り」っていう場面で出てくるんですが、アマハラナカツクニは天照大神の子どもが統べる国だということで、タケミカズチ・フツヌシの二人が使わされて、タケミナカタとかが出てきていろいろなことがあるんですけれど、結局、出雲の大国主は「根の国」に戻って、出雲の大物主と事代主というのが反旗を翻さずに天孫族に統合・従って行くんですね。
その直後の文章に出てくる人物たちは、天津族と争わずに服従していた人たちの名前がずらずらずらと出てくるんですけれども、お祀りをするという役割を持つ人物として、忌部氏のボス・アマノフトダマと、中臣氏のボス・アメノコヤネの二人の名前が急に出てきます。
統合して名前が変わったとすれば、出雲の大物主・事代主は、アマノフトダマ・アメノコヤネになったんじゃないかなと感じます。
けれども、実際に鹿島・香取に行った時には二人の名前はあまり目立たず、むしろ、タケミカズチ・フツヌシの名前が大きく出てきて、かつ、その二人は武勇の名前もありますが、実際には祭祀の中心的な役割を果たしている記述が目につきます。
フツヌシ・タケミカズチは元々は出雲の方から来ている可能性もあります。
大物主→アマノフトダマ→タケミカズチかフツヌシという具合に、フツヌシ・タケミカズチは武勇の功績もありますが、祭祀の中心という役割があります。
ニギハヤヒを調べた時に、国譲りっぽいことが同じように出てきて、神武天皇が統制のおり、ナガスネヒコを制圧するのに大変だったんだけど、ナガスネヒコはニギハヤヒの配下に合って天孫族にお使えしていますよということを神武天皇に言ったのですが、神武天皇はその証拠を示せということで、天孫族だけが持っている矢を神武天皇に見せたら確かに天孫族のものだということで認めたんだけど、ニギハヤヒの方がナガスネヒコを自分の部下を心が悪いということで討伐して、自分がニギハヤヒの方から神武天皇の方に政権を譲ったという話があって、出雲の国と同じような統合させる話が出てきました。
(天無神人)
国譲りで言われている話というのが、大きくは出雲神の分を伊勢神に預けたような形で説明されているけれど、もしかすると関東は関東での国譲り、九州は九州での国譲りと、関西に新しくメイン基地が動いた時の国譲りの意味が違う可能性があるなと今、聞いてて思いました。
だからこそ常陸国は、出雲の方々に譲った分の話がすごく大事に残っているんでしょう。
その後の伊勢の話と一緒にされているけれども、出雲神がまとめる時に起きたいろいろなそこにいた民たちの思いというのが一色多にされている気がするので、日本神話に書かれているものを全部そのままスライドさせる必要はないと思います。
逆にこの地で起きたことをもっとシンプルに聞いた方がいいと思います。
両方の思いを持ちすぎると、逆に混乱しますよ。
少なくとも物部も忌部も中臣も、それ以外の方々もたくさん来ているのは確かで、東側経由できているからこそ、この方々についてきた巫女たちが大事なのです。
実は初めて言いますが、鹿島と香取と息栖はそれぞれ違う民族が祀った社だとすると、その東国三社自体を納めて、おさえつけて体制を変えていったという流れが大きくあるのです。
以前の神事で調べた時に、男神の話にひっぱられているなと感じていたんですが、一方で忌部氏の流れで調べてみると、神巫女の名前が挙がってきます。もしかしたら、三つの領主はうまくやっていたのかもしれません。
先住民とは戦ったけれども、それぞれいろいろなルーツが違うのに「この日本国に神をたてろ!」という同じ啓示を受けている可能性があるので、その思いで上手にやったという話が前提にあるのかもしれません。
戦ったという話ではないかもしれないので、そのことを巫女によく聞いた方がいいですね。
鹿島神宮跡宮の巫女様のところで聞くのは、この土地に入ってきた民族の順番ですか?
先住民、秦、物部、出雲、中臣、忌部・・・安房族のことはちょっと強いですが物部一族と呼ばれる一団にはいくつもの部族が一緒に入っていますからね。
(調査員)
□北斗七星と神々について
仏説北斗七星延命経 (属星・干支)中国名(固有名) 先代旧事本紀・古神道の神々
①貪狼星(どんろうせい)(子年) 天枢星(ドゥーベ) 天八降魂尊
②巨門星(こもんせい) (丑年、亥年)天?星(メラク) 天三降魂尊 出雲系の神々も②の説
③禄存星(ろくそんせい)(寅年、戌年)天?星(フェクダ) 天五十合魂尊
④文曲星(ぶんきょく) (卯年、酉年)天権星(メグレズ) 天八百日魂尊
⑤廉貞星(れんていせい)(辰年、申年)玉衡星(アリオト) 天八十萬魂尊
⑥武曲星(ぶきょくせい)(巳年、未年)開陽星(ミザール) 高皇産霊尊
⑦破軍星(はぐんせい) (午年) 搖光星(ベネトナシュ)神皇産霊尊 武甕槌大神も⑦の説
*⑦が柄杓の柄の部分の星
□北辰の神:妙見大菩薩(天之御中主)について
妙見大菩薩はよく「日」と「月」を両手に持つ仏尊として描かれます。その姿は、「陰」と「陽」を調和する太一(たいいつ)を表します。
□四方拝
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E6%96%B9%E6%8B%9D
(天無神人)
これらを整理すると、全ての元が分りました。天皇が正月に行う四方拝の話も含めて、今の全ての神事は、後から男たちが書き換えたものだと思われます。
さらにこの日、諏訪神事で「出雲神の子」と魂記憶が出た女性に、タケミカヅチ、タケミナカタ、フツヌシの三つの神様が降りましたが、神が名前を明かして降りる意味は、この三神が「出雲神の子」であることを明確にした意味と、今回の常陸国の神事で出雲の一族がやるべきことがあるからです。
(参考)
○タケミカヅチ・・・鹿島神宮と春日大社の主祭神、雷神、剣の神、相撲の神(和合の神)
○フツヌシ・・・・・香取神宮の主祭神、物部氏の祭神、中臣氏の祭神
○タケミナカタ・・・諏訪大社の主祭神、大国主の子、諏訪神党の氏神(神(じん)氏・諏訪氏・他田氏・保科氏など)、母は沼河比売(奴奈川姫)
ここまでの情報は全て男達によって書かれた歴史の表舞台の話しによる推測ですが、実際に、闇に隠された女性達の本当の思いを「鹿島神宮の跡宮」の大巫女達に伺いに行きましょう!
つづく