1. HOME
  2. ブログ
  3. 1998年〜2023年 解脱の真理・地球創生神事 
  4. なぜ、”人間勉強”と”命の勉強”が大事なのか?

なぜ、”人間勉強”と”命の勉強”が大事なのか?

地球を救う為には「人間が変わらなければいけない」ことはご存知だと思いますので、どう人間が変わるべきなのか?をお話しいたします。

まず、人間には「意識と肉体という二種類の学び」が、誰にでも必ずあります。

意識の世界は個人が自由に発想したり創造することが許される世界だからこそ、あらゆる神の概念を創造した結果、世界中に様々な宗教が生まれ、さらに同一の神思想ではない概念世界は精神世界として宗教を超えるエネルギーとなって様々な概念を作り出しました。

神や仏の心を学ぶ場所はたくんさんありますが個人が追求したい世界を突き詰めた結果、どこがゴールなのかを気づいていない人たちもまだたくさんいらっしゃいますが、人間の妄想や創造をかきたてる大きな原動力は何なのでしょうか?

多くの人の場合、自分の目の前に起きている現実のことやこれまで自分が体験してきたことに対して心が満足していないことがキッカケや原因となっています。

神の視点から現実を考える「精神世界」と人間として愛される生き方の目的は、本来、同じはずなのですが、ゴール設定が「愛や歓び」になっていない人たちの多くは「現実を上手に生きる為の正しい知識が不足」していることをとても感じます.

私自身、これまで全国の勉強会やセッションでいろんな人達から様々な体験をお聞きして、どういう思いで、今、生きているかを肌身で感じているからこそ、皆様にお伝えさせていただきます。

神の言葉が聞こえたり、先祖の声が聞こえるようになると、多くの人は彷徨うように見えない世界を追い求めますが、私にとっては「まだ、あまり知られていないひとつの現実世界」としか感じていません。

なので、見えない世界の全てを理解したがる人たちには、「ひとつの神や先祖の思いを知ったらその概念を自分なりに理解して、現実(周りの人)が喜びになるように努力して生きて下さい」と言い続けてきました。

だって、どれだけ見えない世界で素晴らしい感動的な体験をしても、まだ、ほとんどの人が理解できない世界なんですもの、知らない人たちから見ればその人が一人の人間として美しいか、素晴らしいか、尊敬できる人か?でしか判断できないからです。

心が美しければ、必ず、表情や態度や雰囲気に出ますので周りにも素敵な人たちが集まりますが、心の奥底に解放できない闇を持った人が作り笑いをしてコアな仲間を集めてもストイックな世界へ行くだけでので、私はそれは大嫌いなんです。

まだ周りの人が理解できない情報を先に知っているのなら、よけいに現実世界の人達を喜びにするように生きなければいけないはずですし、いつまでたっても進級しない子供のように同じところをグルグル回りながら自己満足を求めている人間になって欲しくないからこそ、お伝えしています。

誰もが望む世の中がもしあるとしたら、それはまず、「あなたがあなたを大好きな世界」のはずですし、さらにあなたは周りの全ての人を慈しみ、感謝が溢れてたまらないほど感動し感謝して生きているはずですよね!

見えない先祖が全ての人の後ろにずらっと並んで見守っていることをもし知っているのなら、自分にも当然、ずらっと並んだ先祖や神様たちがいますので誰も優劣で比べたり、誰かを苦しめたい存在などいないことにも気づくはずです。

ではなぜ、私たち人間には苦しみや葛藤があるのでしょうか?

そのゴールに気付いていない人たちは、まだ、自分を愛しきれていないだけですし、他人を信じることがまだできないからこそ、「信じる」ことの学びの過程なのだと思って下さい。

「信じる」、このことを全ての人が愛に溢れて笑顔で言えるようになったのなら、当然、時代は素敵な方向に向かっていきますが、「ダメだ!こんなことをしてはいけない!」という人たちほど誰かを責めるような表現をしているようではそれは学びの途中なのだと自覚して下さい。

どんなに正しい思ったことでも、もし誰かを責めたのなら、必ず、自分も責められる「覚悟」は必要です。

人間同士は、お互いの長所短所を認め合って生きるのが「人間の摂理」ですし、まだ、お互いに不完全だからこそ、こうして人間に生まれて知り合う人たちと愛と感謝を学ぶために出会っている時間なのだと気づいて自分をさらに成長させて下さい。

全ての人間は神の思いを実現するために生まれてきたからこそ、自分が喜びや感謝に溢れ、他人に喜ばれるような生き方を選ぶ権利は誰にでも平等にあります。

あなたが生きる意味を変えれば見えない世界の情報も一気に変わりますし、自分を見つめていない部分を問われるような言葉が聞こえたりすることも、必ず減ります!

自分を認めること、そして、他人を認めることでしか、魂の成長はありません。

何度も何度も繰り返される「生きることの命の学び」をあなたは何度、繰り返したかによってどういう役目の人になるかが決まるのです。

最初は自分のために生きる!、それができたら、次に、他人のために生きる!ある程度、他人のために生きたら、また、自分のために一生懸命に生きて、また次に、他人のために生きるんです。この繰り返しが、人生なんです!

自分のため、親のため、好きな人のため、そして次に、世の中のために働いてこそ、地球のためになります。

大地の地球を愛するように、自分の足元(目の前の現実や過去の思い)を完全な愛にする努力をして下さい。

誰もが持っている「子供の視点」に気づくために私の子供の頃の体験をお話しをしておきましょう。

私は生まれながらの霊感体質人間ですが、それが異常なことだと思ったのは中学生になってからでした。

それまでは、「ただ理解できない人がいるだけだ」と思ったので、自分が傷つくこともありませんでした。

親も周りの大人たちも兄弟も親戚も、近所のおばちゃんやおじちゃんさえも、見ているだけでどんな思いを抱えているかを感じていましたが、それを良い悪いで判断はしていませんでした。

善悪や罪の意識で考え始めたのは、テレビで伝えられる言葉に反応して「いやだわ~」とか、「どうしてあんなことするんだろうね?」と言っている大人たちの言葉や学校や誰かに教えられた善悪の概念から学んだ気がします。

個人的な感覚からすると「本来、世の中に善悪など無いこと」や「誰も悪いことをしたい人などいない」と思っていた子供なのに偶然、他人を傷つけてしまった時は初めて「人を傷つける痛み」を知り、落ち込みました。

なぜこんなことをしてしまったのだろう?そんなつもりじゃなかったのに・・・

相手がどう思っているかも体中で感じていたのに誰も私を責めないからこそ、余計に人に相談はできず悩みました。

私が子供の頃から「相談される人」だったこともよけいに相談できない理由だったからかもしれません。

まだ知らない恋愛話しや親との問題や先生に対する対応を、同級生から相談されるような子供でした。

「そんなのわかんないよ!」とは言えない性格なので、相手が何を苦しんでいるかをよく聞き、一緒に問題解決の方法を見つける努力をしてきました。

頼られるのは学生時代も社会人になっても変わらず、時にはまったく知らない人が突然、私に質問してきましたが、それでも精一杯、自分が思う解決策を伝えてきました。

いろんな人には相談されるのに自分の悩みを「相談したことがない子供」は、常に、自分を自分で高めなければいけないと思い、一人でいろんな人の話しを聞くようになりました。

何かを教えている先生に会うと、「先生は自分の仕事をどう思ってるの?」と質問したことがあるほどです。

小学生の頃から母親に納得いくまで何度もしつこく聞くタイプでしたので、親が答えられない場合は世の中の大人たちに聞くことにしていました。

中学1年生になると、戦争体験をした祖父とおじさんに生の戦争の様子を聞きに何度も通いましたが、私がつっこんだ質問すると、必ず、言葉を濁して話せなく時があります。

その瞬間、どんなことがそこで起きていたかを映像で見ていましたし、こんなことを本当にしてたの?こんな状況をただ見ていたの?と戸惑いながら、大人たちが戦争の本当のことを言えない理由が理解できました。

同じ人間として尊敬していた人たちだからこそ、なぜ、こんなに苦しい体験をして笑って生活できるのかも不思議でたまりませんでした。

自分が知らないことがたくさん世の中にはあって、苦しんでいる人もいれば、苦しめる人もいる。

自分はそのどちらの大人になるかもまだわからない・・・

自分をいつも自制して、良い人間として生き続けることができるだろうか?

もし失敗して他人を傷つけたら牢屋に入れられて、親も苦しむだろうな・・・とか色々考えました。

なぜ、世の中に人を裁く善悪や罪の概念があるかがわからかったので中学生の時に図書館へ行ってあらゆる宗教の本や聖書を読み、ドストエフスキーの罪と罰も読みましたが、読めば読むほど腹が立ってきました。

こんなことを神様は決めていない!、人が人を裁くことを神様は良しとしているはずがないと、なぜか無性に腹が立ってたまらなくなりました。

中学二年になった頃には、「もう生きるのをやめよう」と決意し、自殺を試みましたが、死ぬことさえできませんでした。

神様たちは私の体を硬直させて、自分のしたいことをやめさせようと何度もしたからです。

もう自分の体さえ思い通りにならないことを知った私は、「死ぬこともできないなら、毎日、いつ死んでもいいくらい必死に生きてやる!」と決めて、一人でツッパリの人生を歩み始めました。

自虐的な意味ではなく、本気で生きる決意ができたのもこの中学生の体験があったからですが、親にも先生たちにも言えない心の中の葛藤があなたの周りの中学生の心の中でも起きていることを知って下さい。

親を感謝していたし親を大切に思う気持ちがあったからこそ決して言葉にはしませんでしたが、子供達は必死に何かのテーマで苦しみもがいているからこそ、そこに気づいてあげる大人たちが必要なのです。

学校は知識と集団生活を学ぶ場だと思いますが、その人間関係の中にも生きることをあきらめたくなるほど辛い思いをしている子供達がたくさんいます。 どうか、そういう子供達のアンテナをキャッチできる人たちは、相談にのってあげて下さい。

一人でも多くの子供達が、自ら命を絶つことをしないためにお願いします。

命の問題や性の問題、そして、社会へ出て生きぬくためにはどんなことを知っておけばいいのか、もっと素直に本音で話せる大人たちが増えれば、子供達の目は輝いて未来に希望を持てるようになると思います。

親になったあなたも自分だけの価値観や概念で子供を育てるのではなく、もっと広く大きな視点で世の中に起きている全てのことに対処できる子供にするためにあなた自身が目に見えない「神仏の考え方」と同時に「人間勉強」を学ぶ必要があると思いませんか?

あなたが変われば、世界が変わります!!!

今日より明日、より大きな広い心を持った大人たちが増えることを願って皆様にお伝えさせていただきます。

 

アーカイブ