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6/23 沖縄慰霊祭 正午の黙祷をお願いします

毎年6月23日は、第二次大戦で「沖縄戦」が終わった日を【慰霊の日】として全国で追悼式が行われていますが、沖縄戦での犠牲者は、日米軍人も合わせると20万人余りとされ、うち北海道出身者は約1万人を超え、沖縄県を除く都道府県の中で最も多い戦没者が出ています。

 

遺族らでつくる北海道沖縄会は、1965年に慰霊碑を建立。2011年に護国神社に移設し、慰霊祭を続けています。

2008年に行った沖縄・出雲・伊勢の本来のアマテラスの思いをつなぐ「アマテラス神事」で偶然、私が見つけたパナタガーの奥の岩場の隙間に隠れるように生活していた当時の兵隊さんと地元の家族の様子を見たからこそ、戦死したおじのことを思い出しながら沖縄戦の亡くなった人たちの思いにただただ感謝をさせて頂きました。

私の父の長男が沖縄戦で戦死していますので、今年は護国神社で黙祷を捧げたいと思っています。

全国の皆様の今の日本を守る為に戦ってくれたたくさんの御霊に鎮魂祈りをお願いいたします。

【慰霊の日】

1945年4月1日にアメリカ軍の沖縄本島上陸によって本格的に開始された沖縄戦は、第32軍司令官牛島満大将(当時は中将)をはじめとする司令部が自決した日をもって組織的戦闘が終結したとされている。

この自決がいつあったのかについては、6月22日説と6月23日説があり、現在、沖縄県では6月23日説を採用している。どちらが本当に自決があった日であるかについては議論があり、1961年に当時の琉球政府が慰霊の日を定めた際にも、当初は6月22日としていたものを、1965年に6月23日に改めた経緯もある。

現在は1974年に制定された「沖縄県慰霊の日を定める条例」により、「我が県が、第二次世界大戦において多くの尊い生命、財産及び文化的遺産を失つた冷厳な歴史的事実にかんがみ、これを厳粛に受けとめ、戦争による惨禍が再び起こることのないよう、人類普遍の願いである恒久の平和を希求するとともに戦没者の霊を慰めるため(条例第1条)」、6月23日を「慰霊の日」と定めている。

一方で、司令部が壊滅してもそれを知らされなかった兵士たちが抵抗を続けたため、散発的な戦闘は司令部自決の日以降も続いた。このため、慰霊の日を司令官自決の日と定めることに対して疑問を投げかける立場もある。

たとえば沖縄市では、慰霊の日を休日とする一方で、同年9月7日に降伏文書への調印が行なわれたことから、同日を「沖縄市民平和の日」(市民平和の日)[3]と定めている。

1962年から、この日には沖縄県が主催する沖縄全戦没者慰霊祭が行なわれ、沖縄戦犠牲者の遺族やその子孫などが集まり、式典中の正午には黙祷が捧げられる。また、この日は沖縄県平和祈念資料館やひめゆり平和祈念資料館が入場無料となる。

一般住民を巻き込み、20万あまりの尊い命と財産や、沖縄の文化財、自然がことごとく奪われた沖縄戦は、太平洋戦争で、唯一、日本国内の一般住民が地上戦を体験したという、まさに地獄そのものでした。沖縄戦における20万人を越す戦死者のうち、約半数に近い、じつに9万4000人余りの戦死者が、兵隊以外の一般県民や子供です。

この沖縄戦で、沖縄防衛第三十二軍司令官牛島満中将と同参謀長の長勇中将が糸満の摩文仁で自決した日が昭和20年6月23日の未明とされているのです。そしてこの日を、日本軍の組織的戦闘が終結した節目としてとらえ、沖縄慰霊の日が制定されました。

この6月23日の「慰霊の日」、沖縄戦の戦没者の霊を慰めて平和を祈る日として、本土復帰前は「休日」と定め、各行政機関や学校、企業に定着していましたが、1972年の本土復帰後は当然日本の法律が適用となって「慰霊の日」は「休日」としての法的根拠が無くなってしまったのです。

しかし1991年、地方自治法が改正され、「慰霊の日」を「休日」と定める県条例が公布された事によって正式に「慰霊の日」は「休日」と定められました。この間、「休日」として法的な根拠の無い時期もありましたが、毎年々々、6月23日は沖縄県の公休日とされてきたのです。

もちろん今でも、県庁や各市町村役場、公立の小・中学校、高校などは「公休日」です。一方最近の民間企業では、この日を休業日とする会社はめったに見られなくなっています。それだけ、経済面では内地との関係が密になっていると言うことなのでしょう。

●沖縄本島●

平成29年沖縄全戦没者追悼式 

平成29年6月23日(金曜日)午前11時50分から午後0時40分

平和祈念公園(沖縄県糸満市摩文仁)

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