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<特別討幕>阪神・淡路大震災から23年

1995年(平成7年)1月17日の「阪神・淡路大震災」から23年目、震災当時に5000名以上の方が圧迫死されたほど激しく揺れた地震でした。

 

 

当時、私は(株)ダイエーの東京本社に勤務しておりましたので、地震が起きた早朝5時46分52秒は、千葉県のアパートで出勤の準備をしながらテレビのスイッチを入れて初めて地震発生を知りました。

 

朝6:30の電車に乗りながら浜松町の本社までの道のりで考えたことは、妻が、震源地の淡路島に行っているからでした。

 

仲間たちとセミナーを終えて、淡路島のプライベートホテルに泊まっていることは知っていましたが連絡も取れず、ただただ安否を気にするしかできない90分の通勤時間でした。

 

 

しかし、本社ビルに入ると、関西一円に広がるダイエーの店舗の状況が逐一入り、本社スタッフは全員が交代で神戸へ出向き、お店の立て直しと地域の人が求める物資の供給体制を整えるため、チーム編成がすぐに出来上がりました。

 

私は1月17日から1週間後の第二陣として三ノ宮に入りましたが、学生時代に何度も通ったお店も駅前の様子も全く違い、歩く人の全ての顔から血の気が引いているのを見て驚きました。

 

古いビルのアスベストが喉に刺さりチクチクするのでマスクを買い求めたり、全ての交通機関が泊まっているので、ポートアイランドのお店まで徒歩で歩いた記憶があります。

 

唯一、学生時代の知人のお父さんが三ノ宮の駅前でお店を出していたので様子を聴きに行くと、震災直後から起きている人の心の荒れた様子を全て聴き、驚きました。

 

ニュースでは絶対に流れないとんでもないことがたくさん起きていることを知りましたが、それを誰かに話したことはありません。

 

唯一、震災直後に起きる恐ろしいことへの対応策は、東日本大地震の時に地球創生SNSの仲間が茨城県にいたので、逐一、状況を聴きながらアドバイスをしていました。

 

私たち人間の脳は、過去の辛いことを忘れるようにできていますので、悲しみを乗り越えて、現在、神戸も復興していますが、人の心の中にできた傷は消えることがありません。

 

怪我や病気は治っても、誰にも言えない死ぬまで抱える辛い心が癒されますことを心からお祈りさせて頂きます。

 

我が身に降りかからなかったとしても、これから何が起きるかわからない地震列島の日本ですので、生き残った人たちが知恵と愛情を持って助け合えるためにも、「人と人の繋がり」はもっとも大切なことだからこそ、どうぞ、親兄弟と同じように「隣人」を大切にして下さい。

 

「命を助け合う仲間」がいることで救われる命があることを、女性たちは特に子供に教えて欲しいと心から願います。

 

23年前の御霊たちの鎮魂と、そのご家族の心の癒しが希望になるよう心から祈ります。

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