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究極の幸せや喜びは思考によってのみ得られるもの

リンク先(grape): 的を射たダライ・ラマの『幸福論』に驚く声が続出 「そんなハッキリいうとは」「深い…」

 

ダライ・ラマ法王 は、2月11日に ダラムサラ の公邸で行われた講演にて、ドラッグ、アルコール、お金から幸せは得られない、また宗教への信仰心から得られるものでもない、究極の幸せや喜びは思考によってのみ得られるもので、頭脳を使い科学的に考えことが重要、神仏に祈る必要もないと説かれました。

ドラッグやアルコールやお金から幸せは得られません。究極の幸せや喜びは、思考によってのみ得られるのです。そして、宗教への信仰心から得られるものでもないのです。

信仰するのではなく、考えなければなりません。我々人間の頭脳を使い、科学的に考えなければなりません。神様や仏様に祈る必要はないのです。

その点において、釈尊は非常に賢明でした。「私は人々の苦しみを取り除くことはできません。私は人々の否定的な感情を洗い流すこともできません。私は私自身の心の平穏を人々に与えることもできません」。

釈尊は、ご自身の経験を元にした心の平穏を得る方法を、ただお示しになったのです。素晴らしいですね。

1人の人間としての釈尊であり、神様ではありません。

この言葉の真意は、宗教や祈ることが悪いとか、お金が悪いとかの意味ではなく、自分が幸せを感じるために考えて、色々やってみることが大事だという意味です。

釈迦は、自分で祈ることが幸せだと気づいただけのことで、それを教えとして唯物主義にしたかった訳ではありません。

私は昔、釈迦に直接、聞きましたが、釈迦は、死ぬギリギリまで悩んでいました。彼の悩みはこうでした。

私だけ、なぜ裕福な家に生まれたのだろう?

私は何も不満を感じていなかったが、民の苦しみを知った時、知らなかったこと、つまり、「無知」こそ、無慈悲だと自分は感じたのです。
それから自分に何ができるかインド中を探し回り、自分が感じたことを民に伝えていました。

どんどん民は求めることが大きくなり、その要求に答えることが苦悩になってきました。

私は、民の思いを知ることや、その思いを背負うことが私の運命なのかと、悩みました。

悩んで、悩んで、悩んだあげく・・・

疲れて、菩提樹の樹の下に横になり、そのまま天へ召されました。

その瞬間、わかったのです。

これが、幸せだと。

自分が感じる幸せ(平穏)を得た人は、その幸せを誰かと「共有」したくなるものだからこそ、その共有方法は、時代によって大きく変わっています。
宗教に宗教に所属していることが幸せなのか?
地球創生SNSに所属していることが幸せなのか?
違いますよね?
あなたが思った幸せを共有するための仲間が、地球創生SNSにいるだけです。
だからこそ、常に、「自分の幸せ」をよく考えることが大事だという意味です。
もし迷った時は・・・

1、自分の幸せは何か?を自分で確認して下さい。
2、自分の感じる「幸せを誰と共有したいか?」も考えてみて下さい。
3、自分の幸せをたくさんの人と感じたい人は、どんどん地球創生SNSで発信して下さい。

私は、皆さんと、幸せを共有することが幸せなのです。

 

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