【動画】【屋久島神事・動画】 2 東祈り(クリスタル岬)・屋久島自然館
益救神社の正式参拝が終わり、「東祈り」の場所を探しに移動しましたが、なかなか、道がわからず、一旦、昼食にして場所を探しました。
(昼食場所)▶️カレー茶房 ハイビスカス
●2021年8月7日 東祈り・クリスタル岬
仲間の情報で東には「クリスタル岬」があると聞きましたが、ガイドブックには載ってないので、情報公開しているサイトの写真を頼りに付近をぐるぐる探し回り、やっと見つけました。
↓ここからが、私の撮影。
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石灰岩質は鍾乳洞のように陥没する場所があり、左手のすぐ下に穴を見つけましたが、行けません。
先端部分を振り返ると、そこには人間が入れるくらいの大きな穴が空いていました。
穴の奥は大きく陥没しているとのこと。
最先端まで進み、「祈りの場所」を見つけました。いつも祈る場所は、神と通信しているのでわかるのです。この場所は、大昔の人たちが祈っていた場所です。
実際に、「クリスタル岬」に到着して祈りを始めると、すぐに、神メッセージがおりました。
しばらくすればわかると思うが、お前たちが祈っている場所には、たくさんの石灰岩質が変化している過程が、そこにある。
それは、海の中から隆起した時に、巨大な圧力が加わり、その断層の切れ目からあらゆるものが圧力によって変化したものだからこそ、この地表に出てくるものは、その一部である。
しかしながら、もっと強い圧力が内側、中心に向かっているからこそ、この中心に向かう方向には、水晶になるようなものが生まれて来るのである。
しかしながら、この段階的な圧力がなければ、この島自体が破壊してしまうからこそ、この東側に向いたこの断層の意味は、とても重要なのである。
海の底まで繋がる「この断層の力」こそが、この繋がりの大切なものであり、それは一番硬い、東側の、太平洋の断層の底を守る白い壁ともなっているのである。
そのことをわかってくれれば良い。
海の底から繋がる「強い頂きのような繋がり」の一部がここに出ているだけであるが、その中心の頂きとは違う壁が今、みんなが拝んでいる背中にあるのだ。
そのことを感じてわかっておくれ。
ありがとう、いつも見守っているからな。
男らしい強いエネルギーを感じるのが「東の祈り場所」です。
あとから現地ガイドに聞いた話ですが、この断層の切れ目に時々、水晶が見つかるそうです。
だから、地元で「クリスタル岬」と呼ばれるそうです。
●「屋久杉自然館」で重要な資料を発見!
http://www.yakusugi-museum.com/
実際に、屋久杉に触れたくて「屋久杉資料館」に行きましたが、全員が大きな発見をしました。
1、江戸時代から山で暮らし、屋久杉を切ることが収入の糧であり、植樹した杉の木は細く成長しないままなのは、日本全国の山々も屋久島も同じ状況です。
2、屋久島を歴史学者が調査した本を数冊読むと、山岳信仰に加え、沖縄のユタ・神人と同じシャーマンが祈りをしており、自然神に祈る人たちがたくさんいたことを発見しました。
そのあとに、法華経や真言宗や恵比寿信仰や神道が入り、混在した信仰形態が記録に残っています。
3、沖縄の住宅街によく見られる石敢當(いしがんとう、いしがんどう、せきかんとう、せっかんとう)の習慣もありました。
4、安房村では、床の間に「船神」を祀り、海のサンゴや丸い石を置くのは、伊豆諸島や沖縄と同じ形であり、命をつないでくれた「大巫女たちに対する感謝祈りの結果です。
5、浜降り(神幸祭)
屋久島の益救(やく)神社と栗生神社では、一対の王面を先頭に鎧武者と神輿で神社から浜へ行き、神力の回復を祈願するとあります。
海の向こうからやってきた海洋民族によって命が繋がったことに感謝するこの風習は、沖縄や奄美諸島、薩摩・大隈、茨城の海側で継承されていますが、大巫女たちへの感謝が大元の意味なのです。
以上の事実から、やっと私が推測していた歴史の裏付けが取れました。
「奄美諸島」は薩摩藩に侵略された時、それまで琉球王朝支配下であったのを裏切り、ヤマト側に加わることを条件に、三線のバチを箸に変え、泡盛に黒糖を入れて黒糖焼酎とした独自文化を残しましたが、ここ屋久島も同じように、一番最初に島津藩に侵略された結果、奄美諸島と屋久島周辺の島々は「鹿児島県」となったのです。
2009年2月、沖縄にあった精神文化や尊い魂をヤマトの地へ繋ぎ直すために「琉球大和つなぎ神事」を行いましたが、最後の最後まで確証が取れなかったのが「屋久島」でした。
歴史は常に、侵略側が書き換えてしまうからこそ、その土地に残る信仰形態やシャーマンたちにのみ、真実の思いが伝承されるものなのです。
今回の屋久島神事で、やっと、「琉球とヤマトの繋ぎが完成」することを心から感謝いたします。
さらに言えば、琉球王朝より古い三山時代や、按司の時代よりももっと古い時代に、「大巫女たちが繋いだ祈りの文化」であることを心ある人たちは覚えておいてください。
(他の資料)
※愛知県にも、古い時代に「二十二夜祈り」という女性たちだけで一晩中、命の繋がりを祈る習慣がありましたが、現代では、「男と女が命の繋がりを祈る習慣」が無くなっていることに気づいた人は行動して下さい。
次回に、続きます。
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