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出雲国 六所神社の吉岡宮司が語る神の思い(2022年1月17日収録)

●啓示・神事・先祖祈り

今、みなさんがこちらの拝殿に上がる時に叩いた大きい方の太鼓を「動」と言い、もう一つの小さいほうを太鼓と呼びます。

動と太鼓で奏上しましたが、これは現代的に言うと「演奏」ですね。

我々は「奏上」という挙げるのですが、神様に言葉じゃなくて音楽で、音でお伝えするのが出雲の習わしです。

最初叩いたのが「入り申す」という意味の叩きかたです。

「入ってこられました。なんか変な人が、なんか来られました」そうすると神様「ん?」と見られるわけですわ。それで入り申す。

物事の始まりのときに、奏上する音楽です。

それから続けて叩きました音は、動と太鼓を叩きましたのが、言い方はいろいろありますけど、出雲楽ですので、大和のほうではやらない。

あと、動と太鼓を使うのはだいたいこの出雲地方だけです。岩見の方に行くと動だけです。

一本バチのところが多いです。

岡山の方は二本使うかもしれないけど、太鼓はないです。

出雲はなぜか、太鼓を付けるんです。

一人でやらなきゃいけない。

二人だとコンビでやる。三人で手拍子もあるんですけど、三人でやるとトリオでね。

どっかの音楽家みたいなんですけど、出雲は最低一人で動と太鼓をやります。

動とは前にもお話したかもしれませんが、動とは鼓動、心臓の音ですので、世界中人類共通の、動物も共通です。

お母さんの体内にいたときから聞いている音なので、こっちで叩くとね、一般的にいう七五三とか初宮詣で、赤ちゃんが初めてお参りになる。

神様にご挨拶参る時に叩きます。こっちにします。あっちで叩くとドキッとするので、心臓が止まるといけないので、こっちでやると寝ます。

最初は若いころは赤ちゃん起こしちゃいけんと思ってどうしようかなと思って、静かにたたいたんですが全然寝ます。

心臓の音にたぶん、リズムは皆さんそれぞれだと思いますけど、ちょっと叩いてみます。

ちょっとこの太鼓は派手ですが、奉納してもらったのでお高いみたいで、氏子さんがね奉納して下さったんです。

我々神主が演奏する時は、最初と最後は必ず柏を打ちます。柏の音でして、一般の方が神社にお参りになる時に、前で2回叩かれます。出雲大社は4つ。うちも昔は4つでした。

 

明治、戦後かな、大きくいうと明治時代に神社の祭式が全国バラバラなので、国家統一するなら、神社祭式も統一しようということになって統一されました。そのときに、二礼二拍手一拝。

私ら習った時は二拝二拍手二拝だった。何が違う?覚悟が違う。

私ら額づいて習ってますかわ、今の人は軽い。

時代によって中央で決められることで、一応は公式の場では我々もやりますが、地元では氏子さんは私の作法が変わると変ですから、親がやってたのと違ってもおかしいと思われたくないし、気持ちがこもらないので、昔から自分たちが慣れ親しんだ作法でやります。

なぜかっていうと、私は氏子さんがご貴殿に上がられるときは、二回の柏だと神さんが、太鼓と一緒で神様にご挨拶の意味なのです。

寝とられるかもしれないので、ピンポーン分かりやすくいうとお邪魔します。

それから願い事なり、感謝なりそれぞれですが申し上げる心の中でね。

それで次の二回の柏はよろしくという意味です。

柏手というのは響きでご挨拶です。

柏手だけで何かをするっていうのは余韻が短いので、気持ちがそんなにこもりませんが、それで出雲では笛を吹くんです。龍笛なんですけど、なぜ龍笛というと、龍は天と地を龍の鳴き声といわれています。

本当かどうかは知りません。それで龍笛っていう名が付いたようですね。

置く作法はね、直に、ここが歌口(口のところ)っていう笛が歌うところだから歌口、ここが一番大事なので、ここが地面じゃないけど、畳だけど、触れないようにこうやって、何かに置くんですけど、雅楽の人はこうやって更に高く枕を付けてこうやるんです。

歩いてるとゴロゴロって、私はドキドキしながらやらなきゃいけないので、あんまりしないけど、雅楽の人はこうやってやるかな?

お客さん入れといて、それは雅楽をされる人達の作法。私らはあんまりしない。気持ちは一緒です。

歌口は絶対に下に置かない。ここにいれとくと、置かないんだけど、ちょっと違うなってことで、中にはいますよ。

神楽をやっている人はここへ挿したり、ここに挿したりする人もいますけど、それも気持ちは一緒で、こんなことして歩かない。

刀じゃないのでこんなことしないし、気持ちが一緒で、作法が違うというだけで、それについてどうこう言っても始まらない。

気持ちさえ一緒ならいいので、私らは、本当はこれ袋をつけてるので、これコロコロするので、あんまりこうやって余韻をこれで神さんとお話しする。お話しするって失礼かな?

言葉は、出雲は昔は祝詞がないのです。

昔はね。私一応、神主養成所の教官をしているんですけど、そんなこと言うとどっかに、東京にあります一番上のピラミットが、、、何とか本庁。

そこから職を受けているんですけど、叱られるのであんまり大きな声ではいえませんが、録音に入ってないと思うけど^o^

私らが子供の頃は近所の「意宇六社(おうろくしゃ)」って六つ神社があるんですけど、みなさん話に明治生まれの人いかにも神主・檀さんって感じでね。

地面歩かれない。車か、人力車。

江戸時代はかご、お殿さん扱い、神さん扱いなんです。

そのくらいちょっと普通の生活をしてないと思われて、そんなに変わった生活はしてないんですけど、氏子さんたちはそう思っておられたんです。

だからそれ分かるので、それに添う生活をする心がけてはおります。

例えばね、これは今あまり言わなくなったんですけど、神仏習合時代があってそのあと、分けまして、本当はあまり良くないですね。

明治時代にあれは政治的、この話をするとまた長くなっちゃうけど、明治政府がやった策ですよね。

江戸時代まではお寺さんの過去帳っていうのかな?あれを戸籍代わりに使っていたので、明治政府はそれは嫌だと言って、一緒のことが嫌なので変えようとしました。

神社の氏子制度を使おうとして、神社を全部傘下に置こうとしたんです。

これも政府が神道は宗教かわかりませんけど、そういう感じの信仰を利用することの弊害、最たるものですけど、氏子札を配れって、全国の神社に命令したんです。

大きさも板の材料も寸法も厚さも各紋々も全部指定をして、お書きなさいと。

何を書くかというと、親の名前、誰々の子供で、お父さんとお母さん、名前でいつ生まれたか、裏に神主が証明をする。間違いない。

それをみなさんが持ってないといけない。それだけだと登録できませんよね?どうしたんでしょうね?

分かりませんけど。明治6.7年ぐらいだった、一年ちょっとでそれをやめになりました。ブーイング。日本国民、何を考えてるんだって、文句言われて、明治政府も撤回しました。

ごく短期間しかそれを発行してないんですけど、うちは発行してない。出雲はいうこと聞かない。昔から。出してるところもありますけどね。

素直なハイっていう神様のとこは出してますけど、ほとんどの人がそれを、氏子さんがね、希望しなかったんでしょうね。

それを戸籍代わりに使おうとして、神社に対しては、言うこと聞いたら、給料やる。お金あげます。

江戸時代までは各藩、松江藩がこくすうってあの旧霊標ですわ。

神社ごとに決めていて、それぞれ年に一回あったんです。それがなくなったので、神主がどうしようどうしようとなります。

なくなるとね、私生きてなかったから分からないですけどたぶんなくなったと思いますけど。

それでほとんどの神社が「よろしくお願いします」って、由緒書いて提出して、それ「んん」って言われながら何回も書き直して、合格すると格をもらえるんですよ。

神社に格付けをして。それは序列をつけて言うこと聞かせる。

ピラミットを作ると一番上に言うと一番下まで伝わるので、今でも政府も一緒のことをしています。

そういうのをやって神社に格を付けるんですけど、上の格がいいでしょ?給料いいから。

みんながね、あることないこと作り話をして由緒書きなんかを書いてます。

明治3年か大正ぐらいまで続いたんです。上げて下さい,上げてくださいって。それで神社のご祭神がだいぶ変わったんですよ。

出雲の場合は幸いに出雲の国風土記という奈良時代の本があったので、ご祭神は分かります。奈良時代のね、江戸時代も出雲は分かるんです。

出雲神社巡拝記っていうのを松江藩が作って、作るだけの需要があったんですね。お伊勢周りがブームになった時に、出雲でも出雲参りが流行になって、六社参り意宇六社も、それで今でいうガイドブックですよ。

それを由緒書きを各神社2年ぐらいかけて、いわゆる取材をして、藩が出すと公式ハンドブックになるので、ある商人に渡辺つねっていう人ですけどね。

大店、大きなお店の番頭さんクラスだと思いますけどね、やってくれって藩がスポンサーになって、発行はその人の名前で出して今でも手に入ります。版木あるとこ知ってますけどね、松江市館に今は入ってます。

個人の方が持っておられたんですけど、子孫の人が持っとられたんですけど、神社だと奉納だけど、博物館に収められました。なので今は増版は出来ます。

何回か彫り直してますわ、それは刷れば刷るほど擦り減りますし、炭が硬くなってだんだん字が太くなりますから、何回か削ったり修正したり、その修正の後も分かりますけど、そこの博物館に私いたので作った本人ですから、勝手に見てましたけど、うちのこともあったので、今インターネットで見れますし、ミミズが這ったような文字ですので、江戸時代だから、現代の文字にした物を作りました。

松江市は作りました。市長さんに「あなたの名前が残りますよ」って、議会もお金つけてもらわないとできないので、ほとんど売れませんからね。

役所が作った本っていうのは大体赤字になるので、財政官からボロクソに言われたんですけどね、私はガンッとして10年かかりましたけど説得するのに。

それは箱ものばかり作っていても、ここの撤退の要素もありますし、中の人も変わる。世の中の流れも変わるので、そんなもん変わってしまうかは、いらん。

それよりも歴史なり、由緒かな、なんでこういう風習があるとか、何でお天とうさんはこういう時、昔の人はどう考えていたかというのを記録しておかないと永久にわからなくなってしまう。

それから千寿の知恵にね、なんでこんなご馳走作るんだろう、何で正月にお供えするんだろう、これもほとんど分からなくなってしまう。

まぁ出雲は、まだまだおじいちゃんおばあちゃんが覚えているので、昔の料理やお供えするものをうちは熟せんって言って調理したものをお供えするので、9品ありますけどね。

これも明治政府がね、生モノを備えなさいって全国統一したんですよ。

いうこと聞かないんですよ、出雲はね、調査来ないですから。

うちも昔の真名井神社も昔、神魂神社も昔、熊野はどうかな?熊野の宮司同級生ですけどね、学校も一緒ですけど。彼はやってないかも知れないですね。

ちょっとお宮が大きくなるとね、なかなか自由に出来ないところもあってね。組織になってくるから。

出雲大社も年間のうちで正月ぐらいかな、熟せんと言われる。出雲大社の場合は公開しとられるのですが、インターネットでは見れませんよ。  

あそこの博物館、島根県立古代博物館の常設展のところに本が展示してある、見る人が見ると分かる。

レシピが書いてある。お供えのこういう風にお供えする本殿の中ですよ、本殿の中の神さんにどういう風にお供えするかっていうのが。

詳しくは絵ですから絵からどう読み取るか、読み取るんですよこれをねー。

んんーっていいながら、どうしたらわかるかっていうと、箸の向きで分かるんです。箸は手前に反対だと引っかかってしまう。手前に置くもんでしょ?向きがありますよね?

箸置きがあって、ははー、これはこの人が食べるんだって、箸のむきで。そうするとね、お供えするもので神様の向きが分かる。

ははー、神様はこっちを向きで座っとられるというか、向いておられるのが、出雲大社の本殿の中がわかります。

今は本とかネット上でいろいろ大社の神さんこっち向きだとかちゃんと証拠がある。

あれはこっち向きがどうのこうのっていうのは後から作った話ですので、昭和になってからの話、ほぼ嘘です。

江戸時代の、今出雲大社の宮司さんは千家さんですけど、江戸時代までは千家さんと北島さん両方そうですので、元々、出雲さんですから。

南北朝時代に天皇家が二つに南、北と別れたときに、どっちに付こうかな?どっちかにつかなきゃいけないので、兄弟で分かれてあっちとこっちで、それで千家と北島家という姓にして今でもその時のことをしてるのは出雲大社だけです。武士もやってますけどね。

武士も兄弟であっちとこっちで家が潰れないように。昔の人の知恵ですね。大体どっちかが殺されはしないだろうけど、隠居します。

大社は今でも両方、今でも向かって右側が北島家、向かって左側が千家、どっちが上位かというと神様の上位は向かって右側です。

向かって右側が上位です。神さんからいうと左、人間からいうと右です。右に出るものはって人間が言っているでしょ。

神様の場合は左に出るものはいない、神主用語は神さんから見た目で言いますので、こっち左足なんですよ。我々は。あっちが左。こっちが右なんです。

神さん目線ですのです。これね職人言葉ですね。

屋根の工事をする。瓦を下に神さんいますでしょ?

出雲の瓦は波打っているんですけど、この波で右山、左山って言うんですよ。向かって左に山があるのが右山って言うんです。左なのに。

出雲は今ほとんど石柱瓦になったので、そういう区別ないけど、古いお宅を見ると逆。たぶん風向きで自然にそうなったんだと思うんですけど、出雲から岡山から四国の松山は同じです。

風向き。お城はだいたいそうですので、松山城なんか行かれると同じ向きです、何が言いたかったかというと、右と左、職人さんが上から見て右山、左山っていうから職人いわゆる業界用語です。神さんも業界用語。

頭の中整理してお話をしないと、神主の言葉でしゃべると勘違いされるので、「さっき言われましたがねー」「あーごめんごめん」って言わなきゃいけないので、結構大変な世界ですわ。

「大社造り」っていうのは出雲大社が有名だから大社造りという名前になったけと、昔は言ってないですよ。

あれは近代になってから言い始めたのと同じです。 

神社の中心、本殿の中心はここのあたり真ん中の柱です。

9本柱ですので、これも弥生時代からあります。大体高い建物を建てるときは真ん中に芯木を立ててそれで囲うから9本になるんです。遺跡からもたくさんここら辺りに出ています。

昔、田和山遺跡っていう山の頂上に、建物跡が出た、それが9本だったので。「出雲大社の原型だ」ってどこかに書いてありますが、嘘ですよ。

私の先生だったのそれ、某大学の教授だったので、考古学の先生だったんですけど、「違いますら造りが違うでしょう」って言ったんだけど、「いや9本だー大社だー」それを報道がね、一面に書いたんですよ。

そしてらそれが定説になってしまってね、何年後かにまた来られて「先生言い過ぎでしょ」「ちょっとリップサービスが過ぎたんだね」今では言わなくなりました。

報道の力ってすごいですからねー。学術書では書きます。

9本柱ってある。高い建物を建てる時に飛躍的にどうもそうなるらしい。

これ4本ですけど、真ん中立ててますけど、このままじゃねぐらぐらするんですよ。三角形、ピラミットと一緒で、筋交いを入れてこうやると一番安定する。

正三角形が強いので、二等辺三角形でもいいけど、三角形ってなかなか崩れないですから、それをやるためには真ん中に入れて、それを結べば三角形が出来ますから、崩れない。

だから大社造りの本殿が倒れたって聞いたことがない。

震災の時にどっかの出雲大社の宮司が「倒れた」ってね、本殿じゃない拝殿ですけどね。

名前だけが先に出てしまうので、大社造りが倒れたことは過去にない。出雲大社は倒壊したっていう記録はあります。

これは高すぎたんです。わざとだという人もいるけど、出雲大社を建て替えると、ものすごい費用が掛かるので、材料もたくさんいるので、地元産の材料では無理だから、いろんなところから持ってくる。

そうするといろんな人が関わるので、経済効果抜群だから江戸幕府も将軍もやらせるんですよ。

わざと倒したんじゃないかってね、そんなことせんだろうとは、地元が怒ると思うんだけどね、まっ風が強い所ですから倒れても、48畳、今の建物の三倍くらいかな?

三本柱、三本の柱を束ねて立ってた証拠が出てきた。あれ絵がね、昔あって、学者は「あり得ない」って、本物が出てきたんで柱が、「ホントだった」。いわゆる定説という学説の定説はね、ほとんどがあっているんでしょうけど、半分疑った方がいい。

理由がちゃんとしてればいいけど、あり得ないっていうのはあり得ないので、あることもあるので、この建築の中心の柱が一番外に出てるんですよ。

一番っていうか外に出ている。四角形があると、壁の面じゃなくて柱より飛び出ている。

壁より飛び出ている。そうすると屋根はこうかけるので、棟って言うんですけど、下から見たら、うなぎって言うんですよ。これを支えるための柱で、最初にいる。

これがしっかりしてないといけないので、胸脇柱は外に出てれば出てるほど強いんですよ。屋根をしっかり支えている。だから一番出ているのは神魂(かもす)神社です。

一番現存する大社造りでは世界最古、信長の頃、古文書が残っていて、雷が落ちて、本殿ではないよ。木に。

神魂神社、燃えているです。即刻建て直されたんですけどね、大変だという記録があるので、それ以降っていうことがわかります。

信長の頃が一番古いです。

ほとんど壁から出ている。時代が下ってくると新しくなってくると中に入って、外に出てるとね、引っかかってしょうがないんですよ。

掃除するのに。使い勝手が優先されるのでね。一番中が使い勝手がいいのが出雲大社。まっ江戸時代ですから柱がね。

邪魔にならないように作ってあります。掃除が楽です。何とかロボットの掃除機でも楽にできます。

人間が考えることですので、昔の人が。うちは出っ張ったのが名残がありますけど、何で外に出したのかっていうよりも、使い勝手の方を優先してしまうとそうなります。

伊勢神宮は違いますよ。作りが違うので、あれは横長、倉庫と言われています。

倉庫の建て方の形式になっている。大社造りは倉庫かもしれないけど、物見やぐらのように高いです。

これなぜか?出雲地方湿気が多いので、高床じゃないともたないんですよ。だから高い。

うちはおまけに石垣まで組んである。川があるので、湿気が多いから。子供は下で遊んでます。

よその神社は玉がある。垣根を作った。入っちゃだめよって意味。

うち石垣があるから登ってたら見えるもんね。コラって。猫も登りませんからね。たまに登っているのかもしれないけど、人目を避け登ってるかも、うちはそういう意味ではオープンですので、神社の造りが下から覗けれるし、よそはたぶんどこも見れない。あの末社さんも同じ造りになっている。真ん中の柱がないけどね。4本だけど。

何が一緒かっていうと、柱の形が違う。丸でしょ?真ん丸でしょ?上は。答え言ってしまったけど、床があるんですけど、床より上は丸いんです。

床から下は後から覗かれると八角形。これが大社造りの秘密。建築やっとられる何とかっていう、建築学のなんとかかんとかという偉い先生も気が付かん上ばっかり見てる。足下を見てない。

学者はほとんど知らない。業界人の方が知っている。八角形には意味がある。建築やっとられる方宗教のことはあんまりプロじゃないのでね、八角形には、意味があるんですよ。

天皇陛下が即位されたときに、最初にお出ましになる幕がこれ、あれ八角形。

聖徳太子の夢殿も八角形。八に意味がある。八というか八角形に意味が。六も意味が。

これは昔、2回目の人話聞いたっていう人がいるかもしれないけど、六は八に鍋蓋をかけたのが六という字です。

出雲系の神様と言われる一般に言われるのは、神社の門。社門。神門といったり、社門といったりしますけど、神門というと神様の門ですので、うちの場合399柱神さんがおられるので、毎日変えてても余る。

うちの場合は社門。一柱でお祀りしとられるとこは神門かもしれないけど、ほぼどこの神社も社門なのです。

その一。ニ。三。四。五。六角形。亀甲紋。亀甲紋っていう言い方は、中国の言い方ですけどね。亀の甲羅。

雪の結晶も一緒。ハチの巣も一緒。橋を作る時に、橋のパイプ六角形です。

これも三角形の集合体なので、ほぼ正三角形くっつけると、自然界で一番強い形と言われている一般的に。段ボールもですからね。段ボールもグニャッとなるけど、ちゃんとしたやつは六角形ですから。

ハチの巣がなんでわざわざ六角形でなんで作るかというと、あれが一番強いから、自然になったんでしょう。。

雪の結晶も一番安定してるって、最初は丸。水滴だから丸でしょ。

六という数字は日本人というか世界、よその国でもあると思うんだけど、あんまりこんなこと神主でいう人いないので、調べられない。調べられると面白いかも。

ピラミッドの中にもあるのかもしれない。ピラミッドは三角が有名だからね。

六所神社の六は、八百万(やおよろず)の神様をまとめる出雲の総社だから、六所って名前になりました。

室町時代に室町幕府が「総社って名前をやめろ」「六所神社という名前にしろ」「六は全ての神様をまとめる字だからいいだろう」、言い方は知りません。昔の言葉は知らないので。

たぶんそういう意味で命令です。

だから全国の総社は東京だと大国魂神社?これも以前は六所神社です。神奈川、相模の国は今でも六所神社を使っておられますね。

全国で昔のまま総社が六所神社を使っているのは20社ぐらいしかなくなりました。

一緒の名前ってね、個性がない。現代的にいうと。今神社の名前って登記すればいいので、変えとられる所も結構あります。わけも分からん名前、しっかり考えさせるために、そうしとられるのかもしれないけど、私もわからんなぁ。

なんでこういう名前かなっていうお宮もいますけど、それは今はフリーなのでうまく逃げますね。

ご祭神が変わるのはあまりよくない。さっきお話した明治政府が強硬に変えさせたとまでは言わなかったけど、変えさせたんですよ。合格しなかったから。

中央の神様、必ずやったんですよ。入れなかったのはね、結構ある。

熊野大社はガンとして入れなかった。佐賀神社もやだって。

あそこ猿田彦さんを入れなさいって神祇官かな?が命令してる。

命令してもね、やだって言っても殺されるわけではないので、ずっと最後まで抵抗したの。

熊野大社も最後まで抵抗したの。督促状が何通も残っています。一応専門なので。古文書調べて、えーこんなにきてる。よっぽどやだったんだな。早く出せ早く出せってきてるんですけどね。

熊野大社だから抵抗出来たのかもしれないけど、出雲大社は言われてないみたいです。

何ででしょうね?記録はないので。燃やされたのかもしれない。ちょっと分からない。さすがに手を出さなかったのかな?

うちらはまぁ、大社みたいなものだから、あんまり言われてない。

元々399出雲の神様の集合体ですので、中央の神様もうすでに入っているので、今更、何を言っているんだって感じです。

それは総社だから。

奈良時代に当時の政府がね、中央の神様と一緒に連れてきてるので、国司って今でいう県知氏です。

地方からの門部の大君って、奥家さんも来ていますけど、万葉集に歌う和歌、ここで読んだ歌が残ってますけど、連れてきて、任命されているので、来るとき一人で寂しいですもんねー。都から神さんが来るからかもしれない。

出雲地方は出雲の国風土記の頃に来てますので、中央の神様もすでにおられます。うちはそれに従って中に入るんです。

祝詞はね、399の神さんの名前を奏上してると、それで終わるので、奏上している総社もありますよ。

岡山の備中かな?備前かな?どっちかの総社さんは巻子でのこと、巻き物にしないと、書けませんこんなの、祝詞ってこんなのね、写真で見るとこうでしょ?

無理だ。巻き物が残っているんです。うちは残ってなくてね。残念ですけどね。

残っていたら読まないといけないから、ものは考えようっていう、幸いね、出雲と出雲の国風土記があるんで、分かりますので、作ろうと思えば作れますけど、やってません。

ただ、お祭りは奈良時代のお祭りをしています。

中国からうちは勅使がきてましたので、天皇陛下の遣いがお供え物を。

これも南北朝時代に来れなくなって、争っていますからね。

大変なことになりますから、余暇らぬ下っ端がいるとたぶん言うでしょう、外で天皇さんは出れなくなったので、勅使もこれなくなった。敵だといじめるでしょうからね。それで名代、変わりの役を立てます。

これも古文書で綸旨、天皇さんの命令した綸旨って言うんですけど、が残っています。

誰が任命されたかというと、熊野大納言、熊野大社の宮司さん大納言が命じられて熊野大社からここまで行列でお祭り、旧暦でいうと3月15日、今は新暦になりましたので、出雲は月後れにしますから4月の15日にしています。

そうしないとお供え物が一カ月ズレるとね、畑で採れるもの違ってきますので、それで9品が決まってるので、作れませんから。

大体出雲地方は月後れ。約一カ月ずらして、旧暦でやる時にカレンダーに書けませんから、今年はいつだ?って話になってスケジュールが立たないので、出雲地方は大体ひと月遅れでほぼ合います。

75人の行列で、ゆう川沿いをずっと下って来られます。それの絵を描いたのがご本殿の中にあって、書かれていて、いました。過去形。今は拝殿に掛け軸にしています。

出雲大社のとこの古代歴史博物館、島根県立古代歴史博物館に預かってもらっています。何年かに一回展示をしています。クドキなんかでも去年やったかな?

出せば出すほど巻き物はね傷むので、ボロボロボロッてね。今の絵の具じゃないですので、粉、お化粧の粉です。天花粉みたいなものですからね。

乾燥するとポロポロなるので、あんまり広げない方がよくって、私は写真を撮っているので、写真はFacebookに上げたことがあります。

ご覧になって、ブログにも上げたかもしれないけど、精密じゃないです。

私の腕で撮ったものだからピントは甘いですけど、雰囲気は分かります。行列の絵が書かれていました。文化財に指定されていますけどね。75人の行列。

もう持ち物も全部分かっています。古文書に書いてあるので、そう古い行事が残っているので、変えれないっていう面もありますわね。

中央が何言おうが、昔から先祖がやってきたことをね、何で変えるんですか?いやです。だいたいいつも断ります。

古い事を大事にしてるっていうかね、ずっと続けてきてることはね、よっぽど体に良くないこととかね、なんか変なことは変えた方がいいけど、全然問題ないことは変えないほうが、地域にあっているので、地域の風土に合っているやり方だし、食べ物もお供え物も地元産ですから、一番採れやすいし、美味しいし、料理しますから一番おいしい料理の仕方が分かっているのは地元ですから、それをお供えして後で直会で頂く。

神さんがお食べになったものと同じものを頂くことによって、おかげを頂くということですので、本殿なんかお供えしたら下げて頂きます。 

それが「直会(なおらい)です。直に会う。

しんじんきょしょく神さんと一緒のもを食べることがお陰様。これは神社に限らず出雲地方は結構あります。

そこに藁蛇、荒神さんですけどね、荒神さんにお供えするのは、小豆飯、赤飯じゃないです。もち米じゃなくてただ米って、まぁ白米を炊いたもの。小豆と一緒に。見た目赤飯ですけどね。

お赤飯とは言わない。小豆飯って言います。必ず荒神さんにはお供えするもの。

それを少しお供えしますので、重箱で毎年当番が変わるので、年によっていろんな味がします。美味しいですよ。塩っけがね違うんですよ。塩分が。美味しいです。

それで皆さんそれを頂きに来られます。小豆飯が目当てかもしれないけど、昔の人は小豆はものすごくご馳走だったもので、だから小豆の料理っていうのは盆、正月とお祭りの時ぐらいにしか小豆は使ってないですね。出雲の古文書に出てくる。

大変貴重なものだったんでしょうねー。今でも貴重だけど、あれはおばあちゃんたちが縁側でポンポンポンって叩いてね、今ほとんど見なくなりましたけど、手間暇は掛かるっていう。自分たちが大事に大事に育てたものを、保存がきくので一年中食べれる。

何かのいわゆる晴れの日ですわ、めでたい時に頂く、ということだったんでしょうたぶん。いつでも食べれる現代になったら、なんか有難みが少し薄れてきてるかもしれないけど、それでもお祝い事では赤飯皆さん食べられる。まぁその流れの一旦かもしれません。

さっき奏楽の話をしたので、どう?太鼓は。種類が多くて、2曲しかやらなかったけど、神主は中央の学校を出たり、養成所に行って資格がもらえても、出雲では神主とは言われません。

これができないと一人前じゃないので、私帰った時言われました。「お前はまだ半人前だ」って。いわゆるバタバタ役でもやっておけ、お供えしたりね、見習いですわ。

袴の色も違いますし、白と青ですけどね、それは出雲では半人前です。叩けて一人前。吹けて一人前なんです。やっと一人前。一人前で一応教官してます。教えています。

太鼓も笛も教えてますけど、笛は昔たぶん石笛ですね、それをなんというかというと、菱木(ひしぎ)という風に言いますけどね、ピーっという神降ろしという風に一般には言われてます、耳が痛くならないように。

今のが入り申すの笛バージョンです。これね、人間の生活。人類が最初に、お父さんお母さんから子供が生まれる、神様も一緒ですけどね。最初に仲間を作る家族、家族が外で暮らせないので、寝るところがない。何を一番大事にしたかっていうと、火なんですよね。

これは縄文時代獣がたくさんいるので、火を必ず絶やさないようにしないといけない、食事を作る調理をするにも火が大事ですから、今でも出雲大社は灯を絶やされません。

大社って国造さんね。代を変わるときに、代替わりって言われないんですよ。火を継ぐ、火継ぎ。この儀式をするのが大国の神主です。大社さんが代を代わられるときは、あんまりいい話じゃないけどね、ちょっと最近弱られたっていうときには、出雲の方がこっちに来られるんです。

次の代に。もしお亡くなりになったら伝令が飛んできます。そうすると代替わり神事を神魂神社の本殿の中でします。今でもやります。公開してないですよ。本殿の中ですからね。報道にでも言えば何月何日絶対きますからね。そんなことしたら賑やかでいけないので、秘密儀になさいますけど、

そのときに大事にされるのが、水と歯固めの石なんですけどね、真名井の滝って?真名井の滝の石を使う。真名井の滝は国造さんが使われる水だっていうことで、江戸時代には行列が絶えなかった。と書かれています。

さっき申し上げた出雲神社巡拝記にそう書かれてます。万病を治すと言ってね。今はねちょっとこっちの工場みたいのができて、あんまりよろしくないんだけど、そうめん流しもしていたりしてね、民間の土地になってしまったので、そういうことになったんだよね、滝は今でもあります。

きれいな水が、触蟹がいますので水はきれいです。中腹ですけど、何でこんなとこに水が湧くんかと思われる高さにあります。涸れないのかなって、この滝が出雲大社の北島国造さんとこの池のある所に、あれは元々大社本殿の真裏にあったんです。滝を持ってこられています。

松江藩の松平という殿様が大社を大きくしてあげようといってね、本殿の真後ろには北島国造さんのお宅があったんです。今スサノオ、誰のお宮、今お宮が建っていますけど、あそこ北島さんのお宅だった所です。絵図が残っているので、違うって本当です。

引っ越ししてくれって、神社の向かって右側に引っ越したときに滝も一緒に水を引いとられるそうです。ずっと上の方なので、そこを引っ越しをされるときに、整地にされますよね?出雲大社を拡張工事をするときに、石垣を組む。その石垣を取った時に、取る時に、取ったらメノウが出てきた。勾玉が出てきた。翡翠の。

それと銅。宝物殿今でもご本殿の中にありますけど、祭司を元々やっていたところ。国造さんだからいいですよね、そういうところ。我々だったらちょっと。はばかられる。それも日記が出てきて、発見した時に日記が出て、松江藩もびっくり仰天で、どうしようって。

それで北島国造さんとこの事務官のトップさくさって言うんだけどね。今さくさっていうと八柳姫の宮司がさくさですけど、国造さん出雲さんが大社に大和朝廷がここに都を作ってしまったので、こっちにいると親分二人になりますから、自分は身を引かれて大社に行かれたんですけど、意宇六社の神主の先祖はついていっているんですよ。

お一人で行くわけにはいかないので、護衛なのか身の回りのお世話なのか?それともお手伝いなのか?それは分からないですけど、その子孫が最後まで残っていたので、うちは絶えてしまったので大社の方に行ったのは、姓を変えてます。内緒です。同じだとまずいのでね。

いろいろ問題があるから。姓は変えてますけど、姓をそのまま使っているのがさくさ。ついこの前までご子孫がおられました。今は東京に行って、事務官のトップ、事務官って神主の、国造さんって別格ですので、神様と一緒ですから。

神主のトップをさくさ是清さんだったかな?という人がものすごく頭のいい人で、交流があった人だったみたいで、学問がものすごい松江藩も「お願いします」頼むぐらい、見てもらったら、「これは大社のもんだ」ってことで本殿に、事なきを得て、そのときの驚きの日記、そのさくささんの日記帳が残っていたのでこれ読むことできます。

一般の書店には売ってないけどね、国立国家図書館ではたぶん、ネットで公開してるかどうかはわからんけど本はあります。読まれるといい。

一家の中心は「火」です。だから火継。火を継ぐってことを一家一族を引き継ぐ。国造さんトップで、我々そのピラミットの底辺ですから、国造さんに何かあったら大変ですので、千家さんと北島さん堪えない仕組みができてます。

それでも大変ですので、火を守らないと。今は熊野大社にね、燧臼(ひきりうす)と燧杵(ひきりきね)を受けに来られ、餅が今年は出来が悪いとか言って、観光行事がされますけどね、観光ですから。古文書を読んでるものからだと観光です。

昔は神魂神社でやっとられたけど、神魂神社っていうか、国造さんのお宅が神魂の裾野にあったんです、館が。明治時代までありましよ。そこでやっとられた行事で、熊野大社の氏子さんの亀太夫っていう人が燧臼と燧杵をもって大場にきて、国造さんにあげた。国造さんは「うん、ご苦労」どういったかわからんよ。

お付きの者が、今はね出来が悪いとか色が悪いとか言って面白おかしく言ってた、昔はお餅を供えに持ってくるんじゃなくて、ブリを持ってきてます。

ブリ。時期は寒い時期ですので、12月ですのでブリを文句つけてないです。そっちが本当です。ものすごい俗っぽいですよね。ほぼ芸能になっていますけど、意味合いはその火の元である杵と臼を年に一回貰う。

ようは大場から持っていかれるので、お礼です。ブリこっちで取れないので、ものすごいご馳走ですよ。ちょっと小さいなって言ったかもしれないけど、ご馳走を持ってきとられたようです。

火がある所を何というかというと、台所です。台所を預かるのが女性です。女将さんです。台所にあるのが釜戸ですからね、釜戸を清めることが一家を清めることになります。

今ほとんどやりませんけど、年末に氏子さんの家を全部回ります。お祓いをして、釜戸、竈(くど)、っていうんですけどね、通じます?良かった。ほとんど若い人には通じないので。

いわゆる釜戸を祓います。なくなりました。一軒もないです。くどはなくなって、ガス・炊飯器になった、コンロになっているので、台所に入りますから女性たちはね、掃除してないですからいいですよ、こっちで拝んでくださいって、床の間に案内されるんですけど、床の間をお祓いするわけにも、じゃなくってというお話をしないと、拝めないのでね。

お祓いできないので、事の分けをお話すると、じゃあここら辺りでって次のお部屋でね、座布団持ってこられる。座布団いいですから。米と塩くださいって言って、米と塩をもらってそっちの方向を向いてお祓いをします。

今はね、そうやって私が行くと年に一回行くと、皆さん掃除をしないといけないので、どうも大変なようで、鍵をしとられる家庭もね防犯上でしょうけど、昔は神主と坊さんはフリーでね、こんちわーって郵便屋さんもだろうけど、入れたもので、おられないときもトコトコ神棚に行ったり、床の間行ったり台所に行ったり拝んだもんです。

今行ったら不法侵入ですので、ほとんど鍵がされるようになりました。入れないので、郵便ポストに入れておくのも何かへんだし。最初やってましたよ。外から拝んでましたよ。気持ちが乗らないので、それで今は、神社で拝んでその時使うのがこの御幣なんです。

古い人は釜払いで、おじいちゃんおばあちゃんは釜払いでっていうんだけど、意味は家浄幣(けじょう)家を清める。あそこに書いてあるけど、出雲ではなまって「う」を発音しないけじょで、学問の本には解除と書いてけじょ。当て字です。意味お祓いだもん、解除じゃないんで、偉い先生がね、解除とされると辞書に乗ったりするんだけど、意味はそういう家を清める。

年末にだいたいして、お正月に神様が「この御幣がないと餅がつけません」ってね、一応檀さんですので、「檀さんいつきてもらえますか?」忙しいなんて言えませんので、氏子さん全部周ってましたから大変なんですよ、天気の具合でね。

一日に歩ける件数が変わってくるので予定たちませんから、何時にとか大変なことですから、それでほとんどの神社、どこもやってたんですけど、ほとんどの神社ではお宮で拝んで、これを受けに来てもらう。

自分で家の台所に、この上のところを臼にね立ててね、最初蒸してね、セイロで蒸していれますでしょ?立ててね、しめ縄を貼るので、それからつかれます。見たことないけどね。つかれ方は爺さんから聞いてます。ちゃんと作れよ、これで守られるからな。ははぁ。

で家浄。良かったらどうぞ。お清めです。家を清める、全体を清めてくれるので、これをもとすけがすむと台所に皆さん立てとかれる。恵比寿さん大国さんお祀りしているとこも全国的に多いけど、出雲ではね家浄です。

昨日なんか売布さん行かれた?あうとさんのところはお祓いの神様、瀬織津姫。

この御幣は荒神さんの時に荒神の御祭りの時に作るんですけど、水神米っていうんです。水の神様で井戸とか川、人間が水のおかげを受ける所に立てとく。この辺りにはこれを立てとくのはそこの水を大切にしているところだから踏んじゃいけませんよ。

地域の人が大事にしているところ、そこは水が湧くとこだったり、そこの水を何かに使っとられたり、井戸のあるところに立てられているので、今井戸は蓋しておられるとこが結構あるので、蓋とると踏むと落ちますので、気を付けてそういう面で目印にもなりますけど。

年一回拝みますので、行って拝むところもあるんですけど、水はものすごく大切。人間は水分をたくさんあるから、水は大事に。私は子供の頃、山登りする時にはまず水のありかを先輩から教えてもらいました。昔ペットボトルはないですからね。水のありかを知っていないと、湧くところをね。山登り大変危険です。

それから火の起こし方を習いました。共同作業をするときにね、これは雨が降ってても火をおこさないと、凍え死んでしまうので、冬山はどうやっておこすかは今日は実演できませんが、ないので前歴ないけど、ライター持っていればいいけど、ライターなんてないので昔は、こうやってやるとそれこそ火起こし、これも時間さえかければ後は乾燥したものがあればいいけどね、なかなか乾燥したものってないので、ある方法で起こすんですけどね。雷じゃないよ。

これ御幣っていうのはね、全国共通だけど、意味があってね、これは神社にあるので、作る時はこう、前に前にやられます。金ぺいも前に前に。向こうへ向かっていかないで、こっち向いてねって神さんからね、神さんが正面がこっち、着物も後ろで合わせないですからね。これが正式。

ただ立ててると風が吹いたりすると、ひらひらなるので、それはもう自然だから全然問題ないです。一番最初作る時はそうします。しまわれるときはね伸ばして半分に折れますからね。

水神さんはこれそういう風に作ると、井戸とか川に立てとくとすぐになくなってしまう、自然に帰ってしまうと言えばそれまでだけど、出来るだけ強いように作ります。これは飾りと言えば飾りだけど、水神はこういう形が多いです。九州の方に行くとまたちょっと違いますけどね。こっち地域性があるので、出雲だとこれ。よそはあんまり出さない。

お札ちょうだいって来られる人はいるけど、御幣ちょうだいって言ったらまずいません。意味がそうなので折船作られればいいと思う。

それで下を折っているのはこれも昔のやり方で、御幣なんで、竹を割いて、竹は実と皮と分けてます。実と皮の境目にいれると開かない。90度変えてこうやって切ると竹ってそんなもんですから。こうやっとけば何年たってもこのままです。

竹は切る時の時期があって、昔の人の言い方は竹8月、旧暦の8月。8月以降だいたいお正月くらいまで、この間にタケノコが出てくる、準備する前に養分が一番溜まっている時期です。その間に竹は切ります。

寒の水。この大寒とかね、そろそろかね、寒の水につけると色がさめないんです。緑が。3年ぐらいたっても緑、5年経ったらさすがに色が褪せてきますけど、千寿の知恵だし、寒の水っていうのは昔からいろんなとこで使いますけどね、菌が付かない。腐らない。

農家の人達は野菜とかつけられてシャキッとしますけどね。凍らせるわけじゃないけど、雑菌がどうもいなくなるんですね。だから色も褪せない。これ本当に知恵ですので、使われるといいと思います。ただね寒の水がどこにも、水道水だとちょっとね、川の水が一番いい。井戸の水は暖かいので、冬は暖かいので。

おられない間に面白い話します。

「有」という字のお話はしましたっけ?由緒がきあげちょらんね。「有」という字ですけど、「有」は十と月を組み合わせたのが「有」。十月神有り月。この印を目当てに神様はお集まりになります。この有の紋を付けている神社は神有のお祭りをします。室町時代の本には神様は最初にうちに来られます。

いまは出雲大社になっていますけど、室町時代の本には最初に一日早く、最初は一日早くされましたのでね、なぜか知らんけど、10月10日です。お祀りは11日ですけどね、私祖父から聞いているのはうちに来られてちょっと休憩させるって言ってた神さんを。

で池があったんですよこっちに。ごく超っていって埋めてしまったんですけど、池で足を神さん足があるんだーって思ってね。子供の頃に。昔の旅人は大体宿につくと足を休ませる。草鞋を脱いでね、たぶんそういう感覚なんでしょうね。うち休憩なんだってね、って子供の頃聞いてました。

最初に集まられるところという風にね、それはなぜかというと大人になってから、書かれていて伊勢神宮に神宮文庫という図書館があります。そこに佐賀大社、佐田神社の縁起を書いた本があります。そこにうちが登場しているんです。

出雲の総社六所に最初にとまられるのは、なぜかというと、総社だから。出雲の国に神さん入られるのに総社に挨拶せんわけにもいかないので、ということで総社に集まられてから佐賀大社に行かれるという風に室町時代の本には書かれています。

神様がどうやって来られるかも書いてあって、船に乗って来られます。海じゃないよ。空から来られます。

ノアの箱舟と一緒で昔のちょっと考えること似てるんですよね。雲がたぶん船だと思うんですよ。出雲って役のたつ出雲でね、曇ってたくさんあるので、刻々と変わりますから流れるので、船と思えば船、神様持ってこられるお土産まで書いてあるんです。

お発ちになる時にもお土産あげるんですよ。十五層のお土産積んでお帰りになります。何だと思います?饅頭じゃないですよ。薬です。食べる薬。

うち、ぼっとん便所なので、文化庁が掘らせてくれないんです。ここ掘ると出てくるので、奈良時代が。下水ダメなんですよ。何とかしてよっていうんだけどね。

私は破るわけにはいかないので、私の次の代はやるかもしれんけど、呼びつけられますので、何回も呼びつけられて、近所の人が掘られたときに、「何やっているんだー」って、東京まで呼ばれました。

「君が地元だろうが」「いやいや生活優先ですわ」っていまだと笑い話ですけどね。当時は公務員ですから、首をかけて、そこまでは言わないけど、教育長連れていきました。叱られ役で、それは冗談ですけどね。だから下水掘れなくてね、やってないんですけど、いずれはやらんといけないけど。

わたしまだ朝ごはん食べてなくて、必ずね朝はね音楽を奏して、神さんにご挨拶して、それで一時間かかるので、曲目が多いですから、さっきは入り申しですけど。種類がたくさんあるんですよ。それでお祀りになるので、祝詞は総社ないですから。

舞じゃなくてご祈祷の時に鈴を鳴らします。これも音で拝みます。

今の音楽は神様にプレゼントをするときに「どうぞ」終わる時は「よろしくね」っていう

気持ちを込めて叩かないといけないからね、通じるか通じないかはね、私は通じてるつもり。

これから出雲で奏楽を聞かれるときは太鼓だったり笛でも、どんな気持ちでやっておられるのかっていうのを想像して一緒におられると、気持ちがよくなります。絶対。

単純に聞いてるんじゃなくてね、音に意味があるのでそうしてください。

ありがとうございます。

 

午後の会話(2回目)

青幡佐久佐日古命(あおはたさくさひこのみこと)日本書紀や出雲国風土記荷しか出てこない青幡佐草日古命。青幡は「青によし」と一緒で青って素晴らしいっていう意味で、幡は機織りの幡。佐久佐日古も咲き草、佐天(サティン)のいい国、小さい国ってことですけど佐久佐。素晴らしい草の命です。日古ですから男性ですけど、出雲の国風土記にしか出てこない神様です。

元々ここら辺り、さくさっていうところなんです。大きな草って書いて大草(さくさ)と読むんです。これ出雲の国風土記に地名伝承で出てきます。大きなっていうのも佐久と一緒で幸いの佐久。意味は同じく。

元々言葉は音(おん)で後から漢字を当ててるので、いろんな字を当ててます。江戸時代も古文書も一緒ですよ。だからいろんな神様の名前があるのは、音(おん)で音ですから、字とするといろんな字、大国主さんもスサノオさんもいろんな字を当てています。

素晴らしい草、さくさっていうのは、出雲の国風土記でさくさという地名伝承、なぜそうついたかというのは書いてない、こっちの方向に電信柱がありますけど、あの先に小さな祠があります。

今は八幡さんをお祀りしてますけど、もともとあそこは八束水臣津野命(やつかみずおみつののみこと)これも出雲の国風土記しか出てこないけど、出雲の国を引いてこられた。出雲の国は小さくてまだ若いから余っている土地があったら引っ張ってこようってニニギ神話があるんですけど、韓半島とか能登半島のところから引っ張ってくるんですけどね。

中国大陸から。それは古代の地形の形成を空から見て、島根半島がそれでくっついてできたということを現わしている物語。西側の端っこにあるのが出雲大社、東側は地図でいうと右側の端あるのが美保神社。どちらも海から引っ張ってきた神様です。

おそらく人の交流を現わしたっていう歴史的にはね、それから出雲っていうのは江戸時代、明治もですけど日本海っていうのはかなり荒れた海、今頃から日本海側からザッブンザッブン、今に火山が爆発して大変みたいだけど、太平洋側は。日本海はそうでなくてもザッブンザッブン、だから魚は美味しいです。鍛えられて。青魚は多いです。

そういう海を航海、縄文時代から航海はしてますので、丸太船から。難破することがよくある。帆かけ船なんかでは。出雲の漁師さんたちは優しいんですよ。助けに。言葉通じなかったでしょうけど、助けています。江戸時代にもその風習というか伝統というかな?

民族性は引き継がれていて、松江藩には長屋ができた、外国の人達を助けた人達が一時的に住まいする長屋がずっと八軒屋っていってね、八軒。軒が八つ八軒屋町、絵図にも残っている、今地名でも残っている松江大橋の南側が大体そうです。

食事もしっかり、元気になったらどうぞお帰り下さい。お土産持たせて、今でいうとロシアか、昔でいうとソビエトからは、お礼が江戸時代まできています。お礼。手紙なのか物なのかちょっと忘れましたけどね。届いてます。下関も美保神社も外国からいろんなものが奉納されています。たぶんそういう助けたのか。

あそこは風待ち港ですので荒れた時に湾の中に入って嵐が通過するのを待ったとこですので、交流のこの出雲では盛んだったところ。能登半島のところあっちは加賀の国。船がきて定宿が決まっていて、加賀屋って。地名まで地名を使った定宿が今でもあります。

船は北前船は沖の島の方を通りますけど、でかいですのでこっちには寄れないから沖合で停泊して小船で美保の先まで入ってきてますが、そのときにお土産というかどういうのかな?船って作ってね下こんな風にくりぬいて作りますけど、そのままだと錘がいるんです。

錘に出雲からの北海道の方までいきますけど、何を使ったかというと石を入れるんですよ。これ粽石(ちまきいし)というんですけど、ちょっとこっちの方から特産品です。江戸幕府にも奉納してますけど、粽石を乗せてそれを売って、原石じゃなくって狛犬、これ粽石。

時間が経つとこういう苔が付きます。さらに風化すると、しっぽがこうあったんですけどだんだん短く、これの変わりがあそこの随身門のところに、こちらにあるこっちのは作った人の名前が書いてないですけど、こっちには作った人の名前が書いてあって、これは石工さんが書いた江戸時代の名工。伊衛門っていう人ですけどね。揖夜神社も同じ作者です。

特徴があるんです。しっぽが乗っているんですね。関東ないんです。今ネットの時代では狛犬って言いますでしょ?出雲は狛犬って言わないんです。唐獅子と言います。獅子です。犬の顔じゃない。カールしています。あうんです。下の顎がなくなっていますけど、くっつけようと思ってやってもらったけど、限界があって。

時代を見るとこの唐獅子は出雲型の唐獅子というのは時代が分かります。ここ(しっぽ)が丸っこいのは古い、上が丸いのは。ここが平らになるのは新しい。明治に近くなる。江戸幕末になる。という特徴があるのと、後ろ足が丈夫なんですよ。太い。

だんだん華奢になっていきます。かっこよくなる。これ実用的な形。どういうポーズかというと、いつでも襲い掛かれるウーと言って、門番なので神社の入口にあります。エジプトでいうとスフィンクス。あれはこうやってますけどね。ライオン。ライオンと一緒ですので、猫も一緒です。ワンっじゃない。わんこちゃんもいますけどね、八重垣神社はのとこはわんこちゃん、めったにないですね。ほとんどがこの形。

中でお話した柱をご覧になると、上が丸いでしょ?床から下が八角形。見えます?「何でこんなことしたんだ」って、昔の人はね意味があって、出雲大社は一本柱じゃない対であるんですけど、神魂神社は上から下まで一本柱。一本の柱で作るにはなかなか難しいので。大工さん大変だと思うんですよ。差し込むにはこちらの方が差し込みやすいという建築上のこともあるかもしれませんけども、八角形には意味があって、天皇陛下のお出ましになる聖徳太子、古代の人達は八という形に意味を持っ。、

あそこにあるのは木の車ですけど、ゴムがない時代、鉄もない時代の木の輪っかです。これは山から切って運び出すときに、もうゴムあったと思うんですけどね、わざわざこんなので出すんです。出雲の人はねー、便利な方がいいと思うんだけど。昔ながらにこういうことする。現代人は引っ張れません、重くて。これは社務所の二階につるしてありました。

今、建て替えましたけど、天井はぐってみたら出てきたの。誰も知らなかった。前々前回ぐらいのだいぶ昔の船具の時に使ったものを大事に取っておいた分で、又つるすのもね、つるしても良かったかもしれんけど。私の親父は外に出しました。風化しません。やっぱり出雲高いので、乾燥してるから木が湿気を持たないんです。さらさらしてます。

この砂は。ここは湿気がたくさんあるから水になってますけど、土がここにずっと置いておくと、ほんと粉になって(?)だから地鎮祭するときには本殿の下の砂を持っていって、埋めます。そうすると氏子さん「有難い、有り難い」これは元は川から持ってきています。すくって今取れません。

川がコンクリートで側を固めたり、遺跡を作ったりするので、昔はアユが上がってました。鮭も上がってたね。鮭はどうかなって思うけど鮎は私子供の頃捕りましたんで、確かにあれを遡上してきてました。すごいきれいな砂ですんで、今川砂買うとものすごい高いんですよ。昔は氏子さんが、川行って年に一回10月のお祭りの時に全氏子さんがおいこってわかります?

「いっか」一つの荷、一荷づつ氏子さんが持ってこられる。今できないので、だいぶ基礎が見えてきてる。そろそろ入れないといけないけど、今は川砂は荒いんですよ。昔はもっとさらさらしてる。これ下の方は本当の粉です。ふーってやるとふーって飛ぶ。そういう話。よその神社ではしない。

こういう末社さんでも八角形です。上はまるで下は八角形。揖夜もだったと思う。揖夜もこうやってみないとわからない。大工さんが分かっていて、よそではないでしょうね。大工さん面倒だからねー、あまり人は見ないです。これは対であるからいいんですけど、それくらいあたりは大工さんも見れば分かる。見どころっていうのはガイドブックには書かなかったですけど、あんまり書くとねみなさん悪さ書きされるので書かないです。

これが一番新しいので、菅原道真。これをやられた大工さんはやってないです。昭和40年代ぐらいかな?古くなったので作り変えられたんですけど、元々はこの前の山に古天神古墳、文化財に史跡に指定されてましたが、降る天神、天神さんが降るって、菅原道真の墓だという全国伝承地いっぱいありますからね、その地のひとつ。ここは元々あったんですけど、ゆうがわにかかっている橋が木の橋だったので、私の子供の頃、大水が出ると洪水になると流されるんですよ。

それでなかなかお金もかかるので橋は、流れ橋にしたむくはし。歩くの大変ですよ。現代人なかなか歩けないです。「水が出るぞッ」と言ったら、ロープを向こうに結んでいるのを放してこっち引っ張ればきますので、水が引いたら向こうへ。という仕掛けをしてました。

けどお祭りの日に雨が降ると向こうに渡れないので、ンンーっていって明治時代の人が、明治だと思うんですけど江戸じゃないと思うけど、ハッキリ何年っていうのは書いてなくって、境内に。ごせんだされた。

今は子供天神、子供だけが祭りをします。学問の神様ですもんね。正月に餅をついて、氏子さん一軒一軒からもち米を出してもらって、それをついて、こんな大きな餅にぺったんこのを2枚ね。合わせて担いで氏子さんの全部周るんですが、そうすると今でいうとお年玉が子供だから。小学校1年生から中学校3年生まで、子供が来たらねーご苦労さんって渡しますよね。

だからお金持ちなんですよ。子供会の方が自治会よりお金持ちなんですよ。うらやましいけどねー。自分たちがやってた頃はそんなのあんま思わなかったけど、自治会の役員してみると「何で子供がそんな金持っているんだろう」ぐらい持ってます。

子供はその会計は大人は絶対口を出さない、子供たちが会計を管理します。自分たちで集めて、後で餅を切って全部戻すんで、配ってやるんですけど、この頂いたご祝儀、頂いたお金を自分たちが使えるんです。で、昔はスーパーマーケットなんてなかったから、ここら辺りはお店がなかったので、ちょっと行かないといけないけど、学校ではあんまりお店に入っちゃダメって禁止されてたけど、そのお祭りの時だけは校長先生も許す。

子供たちが相談して今年のおやつは何にしようって、行事の後は自分たちでおやつ食べるので、なんにしよう。自分たちで決めるんです。「今年は美味しそうなの食べてるなー」って大人側から見てる。それはね、成人儀礼のひとつです。

子供たちが地域の中で大人になっていく一つを経験させる。会計も自分たちに持たせて中学校2年生が会計、3年生が威張ってるだけ殿様みたいに。2年生だから中学校2年生に早くなりたくて、大きくなったらやるんだーってね、あれを買ってこれを買ってってそういう楽しみがありました。今子供が少なくなってね、維持が大変なんですけど、正月のそれと夏休みには習字をします。

書道。学問の神様ですので、天神さんっていうのは25日がお祭りなんです。菅原道真の命日が25日なので、全国どこの天神さんも25日にお祭りをやる。7月、8月の25日が多いです。もう8月夏休み期間だから、8月25日にやります。

これもね昔は学校を夏休みだからいいんだけど、大人が休めなくなって、昔は地域の祭りっていうと会社なんかも休ませてくれてたんだけど、今休めないので、土曜日日曜日になってしまうので、いっぺんなくなりかけたんですけどね。

祭りがなくなるよりかはいい。やってます。そのときも夏休みですから、みんなで集まって習字して食べることが楽しみですからね。おやつ何にしようって自分たちで相談をします。今頃袋に入ったお菓子なんですけどね。昔はあんなのなかったですから。

紙袋付きでかん袋って言ってましたけどね。駄菓子屋のおばちゃんにおまけって言ってもらったりして食べる。で分け与えるのは上級生。んっんってありがとうございます。それで上下関係っていうか社会の組織の入り口だわね。社会生活をするうえで先輩後輩もあるし、でやってます。だからこの地域の子供たちは行儀いいですよ。喧嘩しません。

先輩怖いので、お菓子ももらえなくなるし、そういう風習は残した方がいいんだけど、なかなかもう今おやつどこでも買える時代になってあまり有難みがないのかもしれない。ほとんどペットボトルにジュースですもん、最近の子供は。夏休み喉が乾くから。こんなもん買うのかーおやつじゃなくなったんでね、時代と共に変わっていきますわ。

しめ縄はもう地域性があって、いろんなの。これはごく一般的なもの右苗左苗、右にこうやるのと、左にこうやるのとかしめ縄ってあるんですよ。これは単純な片方だけの。これ餅縄じゃないとなかなかできない。長くないと見栄えにならない。

お米のはね短いし柔らかいので、今もち米を作る農家が少なくなってね、神社はしめ縄たくさん作らないといけないので、米はいいけど藁が欲しいんだけど、農家はほとんどなくなってうちの神社の役員さんが責任を持って作ってくださってます。大量に。14日がほとんどさんって言って福徳神さんのお囃子をする日だったので、種類はいろいろあります。こもじめってこう長いこのたれをずーっと繋いで、お相撲さんの。こもだるって分かります?

あれを伸ばしたみたいなもんです。こもじめっていうんですけど、これは民俗学的にいうと床の間にお供えをしていたが、床の間がにぎやかになりすぎて乗せるもの、親戚から持ってこられたりして、乗せるとこがない。本来の正月の飾りより出来ないと持ち上げてます。

敷いてたこもの。で締めにして、床の間の下に下げていたものをそれを上にあげたんですね。それでそこに掛けるんです。お供え物を大根とか人参とかスルメとか昆布とかお供え、ブラブラじゃなくちゃんと敷物。これも出雲独特だと思う。出雲大社もやりますよ。やりますけどあまり皆さん関心がないみたいで話題にはならない。それもやるところが減ってね、

一時、氏子さんに作ってもらってたんですけど、だが割が難しくてなかなか教えないんです。人に教えないです。秘密の技。元々はうちで教えてた。しょうがないからうちでやってます。やってもらうことはありがたいことで、氏子さんも丁寧に作られるから。

本当にきれいなのができるんですけど、継ぐことが難しいですね。その家でしかできないってことになると一生懸命かもしれないけど、なかなかねーそれも難しいので今。代を代わるとね。

年代が違いすぎていて、このままだと困るなーと思って、今我が家で代を継いでます。神主はね覚えないとだめなので。うちぐらいなもんかもしれないですね、神主がしめ縄、何種類もあるので、右綯えと左綯えを合わせてこうやって、永代綱っていうんですけど、やるのが大体神さんのが神前、神の前と書いて永代綱が多いです。

右からとか左からとかねー、観光客さんは関心があるんですねあれ、観光パンフレットに書いてあるから。出雲大社は反対だとか、あれ反対じゃないので、出雲大社あの有名なでかいのは拝殿ですからね。拝殿と結婚式場というかあっちなので、本殿にかかってるこんなもんですよ。

本殿のしめ縄、これ藁じゃなくって真菰です。まこもで作ってある。見た目ほぼ一緒。真菰固いんですよ。手の皮が相当厚くないと切れます。真菰もね、川で昔はたくさんあったんだけど、今取れなくなって、今の大社のは作っとられますわ。

元末なので、元末っていうのはそっちが地面でしょ?だから元なんです。スーッとなるから元末で、末に伸びる。締めの場合は元末って言うんですけど、それが神社はほぼそうなっていると思います。ただ正月のしめ縄これも少なくなりましたけどね、氏子さんたち、だいたいマーケットに売れてる時代なので自分でやらないから、チャンポンになっているんですけど、昔はよく聞かれました。「どっちが右でしたっけー」よく聞かれました。

「それはねーお宅はね」家の向きって一軒一軒違うので、ほぼ南を向いてるのが多いですけど、ここ南向くとね川はこっちから流れますよね、でいいんですよ。これが熊野大社の方からだと南北に流れてくるのでそうすると家南向きに建てると横に流れていきます。

何を言いたいかというとね、農家は水が大切なので、水が流れてくる上流は上です。そっちに向けて戻す手、反対向きに建てると逆になります。だよって教えて、子供の頃だよなんて、ですよ。それはそこのお爺さんやお婆さんに、子供の頃から歩いてますので大体覚えています。あのお爺ちゃんこう言ってたなって、覚えてるので「そうなんですかー」

水の流れと気の流れと一緒で発育もその方角に向かって行くんですよ。これを間違ったら全然違うくなる。摂理なんですよね。

そうなんです。これも気候も一緒で、雲の流れも一緒なんですけど、中国で風水でいうと南に山があるでしょ?北に山がある。こっちの方から川が流れているんですよ。これは風水で最高なんですよ。気が流れる。こういう風に。こっちに壁があって、この平野は実りが多い。気が流れるって言っても科学的にいうと電気が発生するらしいです。

科学的にいうとね。そうするとね静電気持ってますからねみんな。その気を感じる人も、昔の人は感じてたんでしょうけど、現代人ではなかなか感じないと、まっ気分良くなるのはそのせいですから。自分たちは歩いててなんかこっち良い所じゃない?あれは気が流れてる感じるのです。

そういうところ昔の人は選んで、ここ前の山には西百塚、東百塚って200以上の古墳があるんです。この山には。ボッコボッコ。でっかい古墳じゃないよ。ちっこいのが。古墳時代からその古墳が作れるとか200以上あるけど、大集落あったところ。

大集落があったってことはお米がここたくさんできたので、食べ物があった。出雲に4つある谷に出雲の国風土記の奈良時代の本に書かれて4つあるんですけど、そのうちのひとつはこの茶臼山。

現代の名前は茶臼山、近畿にも茶臼山ってありますけどね、古代は神野備野(かんなびぬ)です。のと書きます。かんなびやまじゃなくて、かんな、なは野なのでびは備わる、神が備わっている。神様がおられる、普通は山ですけどここは低いので、我々は野山って言うんですよ。

山というより野山。「今日は野山の手入れだ」っていうとだいたい低い山。これも死語になってくるからいかんけど、山にもいろいろランクがあってね、生活に身近な山は野山っていう。

昔は風呂の下に薪を、野山の枝打ちをしてストックしといて、名札をつけといてね、共同作業でやりますので、「自分が取った分だ」って、冬になるとそれを乾燥するので、自分のとこだけよそのを取ったら大変なことになりますけどね。

そうしないと一か所でやると早いもん勝ちで持ってって下げられてしまうのでちゃんと名札を付けてやってたもんです。今はもう風呂もガスになってしまってのでそんなことしなくなったけど、そういう生活に身近な山を野山、食べ物とかなんかもたくさんあるのでね。

今、子供上がらないですわ。山に。山が荒れるんですよ。山ってどういうのが一番いいと思います?戦後はね造林をたくさんしたんですよ。家を建てないといけないし、橋を作らなきゃいけないから杉とか松をいっぱい植林したんです。檜もね。ダメなんですよ。

山がもたない。これね雑木が一番いい、雑なのが一番いい。自然に落ちていく鳥が運んできて、それが育ったのが一番絶対に山崩れ起こさない。ここら辺り山崩れ起こしたことがない。該当者がいたら申し訳ないけど、だいたい山崩れ中国地方もあったんだけど開発してるところですね。

植林をしているところ。杉と檜は両方植えとけばまだいいです。なぜかというと杉は根が浅いんですね。横に張る。檜は縦に根が張るので、これをチャンポンで植えとくと持つんです。

杉と檜はお互いにお天とうさんに近づこうと思うので、競争するんです。どっちかが勝つんですよ。それで山は順番に杉と檜でそれを人間が行うからと次またそれが自然循環だったものが、人間の都合でここは杉林にしよう。ここはヒノキ林にしようってやってしまったから山がダメになってしまったので、水もちも悪くなっていった。

縦長が多いと水持ちがいいので川の流れ出る水も調整してくれるので、洪水が少なかったです。今はね土ごと流してしまう。だから川が埋まるんですよね。川が汚くなって海が汚くなってしまうので、荒らしといた方が一回ね、荒らしといた方がいいかもしれないですね。

自然に還って。東京だとどこが一番いいかというと明治神宮。明治神宮は一切手を加えないので、これ全国から木を奉納してもらって、全国の木があります。手入れしませんからね。神さんの木だからっていうわけじゃないと思うけど、植物学者が戦後野原だった時に加わっている。そういう雑種をあそこが一番循環している。

木を勉強するならあそこが一番。伊勢もいいですけどね、伊勢大木が多いから。見ても分からん。なんの木だろう?明治神宮こんな木だから分かりやすい。

今の子供たち木の名前知りませんからね。教育委員会にいたので、子供たち山に連れてって「この杉がなー」「杉ってどれ?」えって「松は?」んん?って、松ぼっくり見せれば分かるけど。

「杉は花粉症がいるだろう?」「はいっ」「その元だ」って覚えさせなきゃいけないので、私らの頃は杉の実で鉄砲作って、知っとられます?いい音が鳴る。ちょっと細い。

空気鉄砲って言って社務所の前に草がわざとつけてあるんですが、雨が落ちる所に緑の龍の木をやる。あれは青い実がなるけど、あれは太いのでポーンっていい音がしますよ。当ったら痛い。もうあんな遊びしなくなったけどね、遊んだもんですわ。今ちょうどなってますね。冬場の遊びに。

自然とねそろそろ椿、花が咲きます。いま山茶花が終わった。うち山茶花たくさん植えてますけど、山茶花ね赤と白とピンクと植えたんですけど、ピンクが一番先に咲きますよ。

改良品種だから。強いのは赤が一番強い。枯れません。やっぱり改良するたびに弱くなっていくみたいで椿は強いですので、寒いのに元気よく咲きます。春になったなー天神さんだからねー梅の木が餅は作りません。あれは太宰府天満宮です。拝んで下さい。

頭がよくなります。これNHKの地方局でたびたび冬場の担いできた子供がここでやる夕方のニュースで、今年は去年もコロナでやらないので、放送局も困るかもしれない。そっちゅう出ます。子供だけの祭りって珍しいんですよね。

出雲大社の国造さんにお祭りでよく会うので、里帰りされるのでこっちのほうに来られるんですよね。「君のとこいいなー子供がお祭りで」「そうですか」って、大社やらないので、子供らがどうもうらやましい。

以上

吉岡宮司、貴重なお話をありがとうございます。

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