【農林水産省】地球上で農業生産に利用できる土地は陸地面積の10%
9月3日に公開したブログに、「地球上で農業生産に利用できる土地は陸地面積の10%」の情報を出しましたが、この面積では、1950年当時の人口である「25億人」を養うのがやっとなのですが、それ以上、人間を減らさないと人類がいなくなることは、ご存じでしょうか?
「食料の量と人間の数のバランス」は、とっくに壊れているからこそ、今の「日本の農業の問題」を食品を買う人たちには知ってほしいのでお伝えします。
「日本の農業の事態」を体験談でお話しします。
まず、「無農薬農業」しかなかった日本に、「農薬」が初めて入ったのは、1945年に戦争が終わった10年後の「1955年」です。
戦後の日本に「食糧」を供給したのはアメリカですが、牛や動物の食べ物を缶詰にしたり、牛乳に混ぜたりして「食品加工物」として「無料配布」した時代がありました。
戦後の日本は、日本中が貧乏なうえに、残った全ての食べ物や資源さえ、「アメリカ」に管理されていた日本が、なぜ、「農薬」を製造販売できたのでしょうか?
その答えは、日本軍の「軍事化学研究所」を利用して、アメリカの科学者たちが「劇薬」を使って、あらゆる虫を殺せる「農薬(農業用薬品)」を製造したからです。
一番、最初は、日本中の田畑を持つ農家に、「農協」を通して「農薬(農業用薬品)」を「無料配布」しました。
「農協」は、農家ごとの「耕作作付け面積」を管理していたので、個人個人の面積に合わせて、「害虫駆除剤」の名目で、必要な量の「農薬」を無料で渡し、散布するよう徹底しました。
散布した農家は、その年にいた全ての害虫が死に、生産量が一気に上がって収入が増えたため、翌年は、全ての農家が「害虫駆除剤」をもっと欲しいと「農協」に言いました。
戦後の「農協」は、アメリカ軍に「食品全てを管理されていた」ので、輸入と販売の全ての品目をチェックされ、「日本人の体が健康になるものは全て輸入禁止」にされました。
その代わりに、アメリカで生産した「遺伝子組み合え小麦」や「遺伝子組み合え種子」、家畜用の飼料などを日本人の食料用に流通させるために「農協」を通して販売させたのです。
全ての農家に行き渡った「害虫駆除剤」は、害虫被害もなく、大きな成果をあげてたので、収穫量を1.3倍から1.5倍になりました。
収入が増えた農家はもっと「害虫駆除剤」を使いたいと要求し、翌年は「害虫駆除剤」を蒔いたはずなのに、「害虫駆除剤」の効果が出ず、「もっと強い害虫駆除剤」を欲しいと「農協」に言いました。
この要求の結果、毎年、新しい強力な「害虫駆除剤」が発売され、あらゆる虫や「微生物」を殺すための「害虫駆除剤」が全国の農家で使われ続けました。
5年間、新しい「害虫駆除剤」使用した家には、農協が「健康確認」の名目で、農家の家を訪ねて、「新生児に異常が無いか?」を国に報告しました。
毎年、全国で農家の新生児に、奇形や手足が無い子供たちが生まれた数字を見て、初めて国は、「害虫駆除剤=農薬」の恐ろしさを知り、「販売中止」にしました。
新生児の「3割」に奇形児が生まれたので、学校に「特殊学級」をできました。
奇形児が生まれた農家たちは、国を訴訟し、医者の「診断書」を欲しがりましたが、医療業界も「同じ穴のムジナ」で、多額のお金がアメリカから渡っていたので、日本中の誰一人、「害虫駆除剤=農薬」による奇形児とは診断書に書けませんでした。
もし、そんな「診断書」を書けば、一生、医者として生きていくことができないからこそ、「農薬」の売り先が減ったアメリカは、「アメリカ包囲網 第二弾」として、日本の医療業界にアメリカ産の「大量の薬」を買う契約を、「日米和平条約」の裏取引(官僚取引)で契約したのです。
🔴天無神人の実体験談
当時、「奇形児」が生まれたら「国に報告する義務」が医者にはあったので、町内の父の知り合いの農家の「二家族に奇形児が3名」生まれましたが、国から原因追求のため、東京に送りますと言われ、「飛行機で運んでいる間に亡くなりました」と電話がありました。
当時の実態は、東京の軍関係の病院で、奇形児をバラバラにして、農薬がどこに効いているかを実態報告し、新しい農薬の開発データとして活かされました。
国からは、ほんのわずかな一人1万円だけ送られてきて、全てのことは無かったことにして下さいと言われたそうです。
次に出た「農薬」は、薬品が外傷に出ない成分に薬を変えて、精神・内臓・反射神経・血液循環・生殖能力の機能を下げて、周りの人と接触能力を低下させる「抗うつ剤」の反対の成分を入れたのです。
だから今、鬱や引きこもりがひどくなると、「精神安定剤・抗うつ剤・睡眠薬」をセットで飲ませるのです。
これが全て、農薬に入れた薬を一時的に、逆に作用させる成分であることは、まともな医者なら誰でも知っている事実です。
だからこそ、現在も「医療と薬はセット」でなければ「医療行為」をしませんし、そこに群がる多額のお金は、また、アメリカに消えている仕組みが、今もあることを覚えておいて下さい。
これが、日米安全保障条約の「裏条約」に書かれている内容なので、毎年、日本が輸入する農薬の量と、医療の輸入薬の量をチェックされていたのです!
「人体に影響が少ない農薬」を日本人の研究者たちが開発できたのは、それから10年後でした。
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🔴注意🔴
当時のお母さんたちが望む健康的な食事の第一歩として「粉ミルク」を定着させてから「動物性ホルモン」を大量に入れた「遺伝子操作」をした結果、現代の女の子のオッパイは異常にデカくなり、お尻も反り上がった「四つ足動物」の体に変わり、肉食が好きで、思考も理性がない本能的が女性が増えました。
「遺伝操作」の目的は、産んだ子供にすぐ出ると問題になるため、隔世遺伝で効果が出る遺伝子にしたため、当時の孫たち、つまり、今の10代、20代女性は、異常にオッパイが発達した子供が増えた反面、同世代の男の子たちは、「女性に興味が出ない遺伝子操作」をしたため、オナニーさえしない男の子たちが増えています。
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このあと、日本が所属している農林水産物・食品(EPA/FTA契約)を覆す、アメリカ利益を優先した「WTO」問題になったのです。(トランプ政権の時代)
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「土地微生物」や「昆虫たち」を殺しまくったあとの田畑に撒く「害虫駆除剤=農薬」が手に入らなくった農家の収入は、一気に、1/3〜1/5以下になりました。
農業の収入だけでは生活できないので、夫も妻も働きに出ながら農家を続ける「兼業農家」が、一気にこの時代に増えました。
アメリカは、日本を植民地化するために「日本の食物自給率を下げること」が目的だったからこそ、第一段階は成功しました。
「劇薬の農薬」を売れなくなったはずなのに、日米和平条約と同時に行う「官僚たちの裏条約」には、「20年間、農薬をアメリカから買うことが条件」になっていたため、日本の農業は、どんどん疲弊し、田畑を手放す人も増えました。(離職農家が増えた)
原材料が安い「化学薬品」で作ったアメリカ産の「害虫駆除剤=農薬」は、「土地の微生物」が全て死んで「栄養素の循環」が全くできない土地になったのを確認してから、アメリカは、化学薬品で作った「化学肥料」を大量に販売しました。
それまでの収益を改善する結果になったため、日本の農業は「農薬と化学肥料なしではできない農業」になってしまいました。
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私は大人になってから実際に、「農薬を作っていた科学者」に直接、会って話しを聞きましたが、「害虫駆除剤=農薬と化学肥料」は、生体反応が逆なだけで、元になる化学薬品は同じだと教えてくれました。
つまり、「農薬と化学肥料」をセットで売り、順番に繰り返し購入させる仕組みが、日本に定着したのが、今の「日本の農業」を落とし込む、無知な消費者に買わせる仕組みが出来上がったのです。
これが、日本の農業の「食料自給率」を低下させた戦略であり、これがの「アメリカ包囲網 100年計画」の実態です。
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当時、日本国の倉庫(農協倉庫)には、大量の「アメリカ産の農薬」が貯まっていったので、どこかの国に販売したいと考えた結果、「1970年の大阪万博」が企画が立ち上がりました。
戦後の日本を導く役目の「総理大臣、官僚、国会議員、農協」は、秘密裏に、この計画を実行に移しました。
1945年の終戦後、日本国内の食糧難のボロボロの姿は、世界中にテレビで放送されていたので、誰もが「日本がもう一度、復興する」などとは思っていませんでした。
その思いを利用し、「世界の首脳陣を無料」で日本へ招待し、同行する人の条件として、「農業関係者の代表」を連れてくるよう伝えました。
大阪万博の表向きのテーマは、「人類の進歩と調和」です。
世界の国に合わせたパビリオンを建設し、あなたの国の文化を紹介させて下さいと伝え、現地語を話せる女性通訳をパビリオンごとに用意し、世界の人たちを迎える準備は完璧にできました。
総入場者数:6,421万8,770人(うち外国人約170万人)
本来の「裏の目的」は、「劇薬の農薬を世界へばら撒くビジネスチャンス」と捉えた総理大臣、官僚、国会議員、農協の関係者は、積極的に世界の首脳たちに「劇薬の農薬」を売りつけました。
「最初は、無料でお試し下さい。効果が出たら大量に買って下さい。」と、日本がやられたようにセールストークも練習して契約させ、一気に、日本中の農協倉庫にあった「アメリカ産の劇薬の農薬」を売り払いました。
最も、多く買ったのは、害虫被害が多かった「中国」ですので、彼らはその逆襲として、「劇薬で作った野菜」を日本へ逆輸入したのです。
それが、30年前の「食糧不足の日本」で売られた中国野菜や米なのです。
大阪万博で一気に有名人になった「岡本太郎」は、この目的を知らず、安いお金で知名度が上がるからと、希望のシンボルとなる「太陽の塔」のデザインを制作しました。
「大阪EXPO’70」を大成功に収めた「総理大臣、官僚、国会議員、農協」たちは、パーティーの席で岡本太郎に、この話をしてしまい、一気に、岡本太郎は怒り出し、会場をあとにして、全てのマスコミにこの内容を訴えました。
NHKも含む全ての民放に出演し、「俺は騙された!」と訴えた部分の動画はカットされ、「大阪EXPO’70」の立役者として利用され、最後は、「彼は狂った」とマスコミに情報を流されて、知名度を落とされ、その後も一切、彼を擁護しようとした企業や個人を政治的に押さえつけて潰しました。
それでも言うことを聞かない人間は、大阪ヤクザに100万円渡して、「張本人を消しなさい」と指示を出したのも、政治家です。
ここまでして、全ての情報を国が管理し隠した理由は、日本が世界と戦うために必要な「外貨」を得るためだったのです。
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もう一人、「アメリカに騙された男」がいます。
誰もがご存じの「田中角栄」ですが、彼が捕まるまでに取引をした「ロッキード社」は、軍事作の飛行機を作る会社だからこそ、「裏金」を田中角栄にたくさん渡して、「日本人のために使いなさい」と裏金を渡した記録動画や録音を保存し、最後は「アメリカ国内のニュース」で流して、田中角栄を失脚させることに成功しました。
しかし、田中角栄は、この企みを全て見抜きながら、自分が犠牲になってでも国会議員たちに全てのお金を渡して、「都会の土地を買い続けなさい!」と大金を渡し続けました。
ご本人にも「霊視」で聞いたことがありますが、彼はロッキード社からもらったお金は一切、自分のためには使わず、全て「地方の国会議員」に渡して、地域の都市相場の価値を大きく高めるために購入させて、「大阪EXPO’70」で世界に認知させた「大阪や東京の土地」を、世界の大富豪たちに高く売りつけました。
その結果、東京の土地の価格はニューヨークと同じになり、日本の土地の価値を「株」に変えて、優良企業や証券会社に売りつける商売を海外に売った結果、日本経済は大きく成長したのです。
だから、私は「田中角栄の覚悟に尊敬の念」を惜しまないのです。真実を知ってから物事を正しく判断して下さい。
●田中角栄 – 野次る反角栄の団体に向かってぶった演説
●田中角栄 1972年 街頭演説
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<<<重要な話し>>>
🔴「耕作放棄地」が増えた理由は、「農薬と化学肥料」を使うことで、お米の生産量が2倍になったので、「米余り」になった対策として、20年以上、国から作付け面積別に「4割以上コメを作らないよう補助金が出た」ので、「収入にならない田んぼは放置した結果」なのです。
🔵「農業利権」と呼ばれる農家出身の国会議員の1/10は、「無農薬農業を復活しよう!」と叫びますが、必ず、農薬メーカーと化学肥料メーカーから多額の献金を受けるので、農業関係国会議員は、絶対に、「無農薬農業」を推奨しません。
だからこそ、一人一人が自分で考えて、「無農薬農業」を自分で始めるしかないのです!
日本が現在の「国家の安全」を手に入れるまでには、多くの人の犠牲や悔しい思いもありますが、大事なことは、世界と対等に戦える国にならなければ、いつでも世界は日本を植民地化しようと狙っているのです。
世の中の真実を知らない愚かな人たちは、実現することもできない「理想論」だけを口にする左翼の人たち同じですので、堂々と、自分の主張を実現しながら国や地域を運営してみて下さい。
「自衛隊」に対して文句を言う人もいますが、「国防」に守られながら「平和主義」や「自己主張」をできるのは、世界で唯一、個人を擁護する「日本国憲法と天皇」のおかげだと勉強してから発言して下さい。
私は今日、このことをお話しした理由は、本当に「未来を考えて行動できる大人たち」に行動して欲しいからです。
自分で「本当のこと」を調べもせず、誤った情報を鵜呑みにして語るバカな大人たちに混じって、「自分勝手なことを言うバカな大人」を子供たちは絶対に信用しません。
あなたが「本当の大人」なら、子供たちに厳しい現実と過去を教えてから、その中をどう生き抜いたかを語り、そのうえで、「自分達の理想は自分の手で実現しろ!」と教えてあげて下さい。
覚悟を持った「本気の日本人」が、過去を問わず、他人を問わず、希望を発信する人たちが増えることだけを願ってお伝えしています。
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