1. HOME
  2. ブログ
  3. ◆天皇家を支え続けた吉岡一門頭領の秘伝
  4. 祖父の教え:攻撃する前に祈る日本軍隊の「最後の歌」

祖父の教え:攻撃する前に祈る日本軍隊の「最後の歌」

30代のサラリーマンの頃、居酒屋で隣の席にいた80歳前後の先輩数名が楽しく飲みながら、「戦争の話」をしていたので興味あり、聞き耳を立てていると怒られました。

おい!お前!他人の会話に聞き耳を立てるなんて失礼だぞ!

申し訳ありません、先輩!

 

僕は子供の頃から祖父に戦争の話を聞いていたので、とても懐かしく聞かせてもらいながら、亡くなった祖父のことを思い出していたんです。

何!お前の爺さんは、戦争に行ったのか?

 

どの戦争に行ったんだ?

第一次大戦と、大東亜戦争の2回、戦争に行っています。

 

そして、2回目の戦争の時に、右足に弾が当たって、太ももからバッサリ、切られています。

何!傷痍軍人か?それは、すまなかったな。

お前の爺さんも、ご苦労されたんだな・・・。

はい、とても戦争の辛すぎた話をたくさん聞かせてもらいましたが、「本当は話してはいけないことだ」と言いながら、僕にだけには全部、話してくれました。

何!お前の爺さんは、孫のお前に、「戦争の体験談」を話したのか?本当か?

はい、「もし、この話がバレたら俺は殺されるんだ」と言いながら、「大事な戦争体験を後世に語り継げないことが悔しいので孫の私にだけ伝え残し、いつか、話しても良い時期が来たら、伝え残して欲しい」と言われました。

そうか、お前の爺さんは賢い人だったんだな・・・。

 

俺たちは今、戦後50年目の「戦争体験者の集まり」があったので、北海道中の仲間と集まった二次会なんだ。

 

でもみんなお前が言う通り、日本軍の戦争における大事な話を後世に伝え残せないことが悔しいと、さっきまで泣いていたばかりなんだ。

 

お前は、どこまで話しを聞いているんだ?

多分、戦争の良いも悪いも、全て教えてくれたと思います。

 

二度と、戦争なんかするなよ!と言いながら、もし、戦争が起きたら、一番最初に敵兵を殺しにいく覚悟を教えてくれました。

 

家には、「銃剣が2本」ありましたし、そのどちらにも天皇家の「菊花紋」が入っているので、その銃剣を持つ意味を教えてもらいました。

何???菊花紋入りの銃剣だと!??

そんなもの知らんな!本当にあるのか?

はい、実物を見せてもらいましたし、その「菊花紋入りの銃剣」を持っている人間は、いつも先頭に立ち、一番最初に敵に向かう役目だと教えてもらいました。

お前の爺さんは、陸軍だろ?

陸軍以外はそんな「菊花紋入りの銃剣」の話なんか、知らんぞ!お前、知ってるか?

おい、俺は空軍だったが、先輩将校に見せてもらったことがあるぞ!

 

その刀を持つには、ただ喧嘩に強いだけでなく、周りの仲間たちから「人として尊敬される人間」にしか渡されないので、俺の先輩将校も、一緒に戦った仲間からその銃剣を託されたと教えてくれたほど、「名誉な銃剣」だと言っていたぞ!

 

それも、2本も持っているんだろう?

 

その人は相当、頭がいいし、その上、「人格者」だと思うな。

 

あの銃剣を売った奴がいたらしいが、1本100万円から150万円くらいで売買されていたそうだ。

 

あの銃剣を持っている家族は、一生、周りの人たちから尊敬されるから家族も大事にしていた代物さ。

そうなんですか・・・うちのじいちゃんは、そんな話は一切してくれないし、勲章もいくつも持っていたのに、銃剣の話も、勲章の話も、家族にも誰にも話さず、一緒に住んでいない孫の僕にだけ教えてくれました。

すまんが、お前の爺さんの階級は覚えているか?

確か、実際の階級は「上等兵」だと言っていましたが、天皇に2回、直接、お会いした時に、「二階級特進」のさらに「二階級特進」になったので、周りの将校たちからお前は「将校」だと言われたそうです。

 

でも、僕のじいちゃんは、照れ屋なので、「そんなものいるかい!」と言って、将校の勲章は返したそうです。

 

それと「名誉軍人」の勲章もいくつかもらったそうですが、邪魔くさいと言って、ひとつだけ持ってきた勲章を僕にだけ見せてくれました。

将校さんかい・・・。偉い爺さんだな・・・。

俺たちとは全く住む世界が違う人間だなあ。

そんなことないと思います!

 

うちのじいちゃんは、どんな時でも隊列の一番前にいたし、いざ、戦いに行って、敵軍が見える場所に着くと、全員で正座して、敵兵に祈った話も教えてくれました。

何?その話しを聞いたのか?

どこまで話したんだ?爺さんは?

全部、教えてくれました。

 

第一次大戦の時は、敵兵が銃を構えているのに、どこの戦地へ行っても、日本軍は、勝手に敵に弾を打ち込むことはしない」と教えてくれました。

 

まず、先頭の将校が立ち、その将校が一礼して正座すると、数百名いる部隊全部が正座して、土下座するそうですね。

 

そこに呼ばれるのは、敵兵に向けて、「感謝と追悼のラッパ」を鳴らし、敵兵をこれから撃ち殺すことを「産んでくれたお母さん」たちにお詫びの祈りをするんだと話してくれました。

 

そのラッパを鳴らす人にも実際に、会ったことがあるし、その時にしか鳴らさないラッパを聴かせてもらったので、部隊全員が泣きながら相手のご両親たちに手を合わせていたと聞きました。

 

本当は、戦争なんて無いほうがいいんだが、俺たち兵隊は家族を守るために戦いに来ているので、どんなことがあっても勝たなきゃダメなんだ。

 

「戦いたく無い奴もたくさんいるし、できれば逃げ出したい奴もたくさんいるからこそ、自分達の恐怖を越えるためにも、敵兵たちのお母さんにお詫びするんだ」と教えてくれました。

 

実際は、一番後ろに高級将校が仁王立ちして居て、逃げる兵隊を撃ち殺すので、何名もの兵隊がションベンをちびっていたそうです。

 

だからこそ、ラッパのあとは、いつも爺ちゃんが将校に呼ばれて、一番前に座り、自分が持っている菊花紋入りの銃剣を前において、「天皇様と日本のために命を捧げます!」と大声で言ってから土下座したそうです。

 

そんな目の前に敵兵がいるのに、殺されないのかを聞いた時、爺ちゃんはこう教えてくれました。

 

第一次大戦の頃の最初は、いろんな国の奴らと戦ったので、その祈りの時に発砲されて殺された奴もいたが、それは「名誉の死」なんだ。

 

俺たち日本兵は、自分達から仕掛けた戦争は一度もしたことはないし、決して、戦いたくないのだ!という意思をその祈りで示すことが、「日本陸軍の伝統」だと教えてくれました。

おい!お前は陸軍だろ?

そんな体験はあったのか?

俺は確かに陸軍だが、ものすごい数の兵隊が一斉に並んで正座するので、一番前で何が起きたかなんて知るわけないさ!

 

でもな、その敵兵に正座して、いる時にしか歌わない「歌」があるんだが、思い出せないなあ・・・。

僕は、何度か、その歌を聞いたことがあります。

 

本当はその歌を歌うことも、敵兵に正座して祈った事実も、一切、口外してはいけないとGHQに言われたそうですが、年に一度、一緒に戦った「同期の桜」の人たちが爺ちゃんの家にやってくるので、その時、お酒を飲みながら、「最後の歌」を歌ってくれました。

 

本当は、これから亡くなる人間のための「決起の歌」なんだが、GHQがそんな歌は無いというし、戦争に負けて悔しいし、嘘ばかりをテレビで流されるので、「最後の歌」に名前を変えさせたと爺ちゃんが話してくれました。

 

節は覚えていないので、歌えませんが、確か・・・♪♪♪♪♪

 

これから死にに行くことをどうか、お母さん、お父さん、お許し下さい。

 

そして、兄弟姉妹のみんなも、本当に申し訳ない。

 

先祖たちも神様たちにも、本当に申し訳ない。

 

と繰り返して歌う歌だったと思います。

 

「天皇様の名前」が出て来なかったので、どうして天皇様の名前がないのかを聞くと・・・、

 

全員の心の中と、天に昇った亡くなった奴らを見守って祈ってくれているのが「天皇様」なので、決して、天皇様のお名前は口にしてはいけないと教えてくれました。

 

よくテレビで「天皇万歳!」と手を挙げている映像が流れているが、あれは、これから死にに行く兵隊たち、つまり、自分の子供たちの命をどうか、天へ送って下さい!と、家族たちの思いで自然発生した掛け声で、誰も死にに行く兵隊は「天皇万歳!」とは言わないんだぞと教えてくれました。

 

戦争に負けたあと、GHQがテレビで流すために作った「作り物」だと、うちの爺ちゃんは泣きながら教えてくれました。

 

これから死にに行く子供たちを送り出す母親たちの気持ちがわかるからこそ、俺たち兵隊は、敵兵のお母さんに対して申し訳ない気持ちで、「正座して祈り」をするんだと教えてくれました。

 

それが、テレビで真逆に放送されたのを見た時、俺だけじゃなく、日本にいるすべての「生き残りの兵隊たち」が泣いたことも教えてくれました。

・・・・・・・・・・。

 

そうかあ、お前の爺さんはそこまで教えてくれたのか・・・。

 

「GHQから戦争体験を語るべからず」と命令が出ていたので、少しでも話すと憲兵に捕まるので、誰も話せなかったのさ。

 

唯一、歌えるのが、年に一度の「戦争体験者だけの集まり」なので、さっきの集会の時に、全員で歌ってきたところなんだ。

 

その部分は、今でもテレビでカットされるし、子供や孫たちに、その歌があったことさえ、話すことを禁じられていたんだぞ!

 

よくお前の爺さんは、そんな話しをしてくれたな?

 

憲兵に呼び出しをくらったり、殴られた話はしなかったか?

うちの祖父は、そうとう偉い人たちを知っていたせいか、家に何度も憲兵がやって来た時、最後の最後に、その上官に電話して文句を言うと、「富良野中隊の上官全員」が家の前にやってきて、全員が土下座したそうです。

 

うちの爺ちゃんは、右足が1本無いので「傷痍軍人」ですし、その「傷痍軍人」の兵隊さんたちと、上官たちの苦しみを聞くために、天皇様から許可を頂いて「内緒の命令」で、無料の特別な電話回線が家に引かれていました。

 

大東亜戦争のあとは、生き残った人たちの苦しい声が毎日のように日本全国から電話が鳴るので、夜中でも爺ちゃんは起きてその電話に出ていましたが、足が悪いので起きるまでに時間がかかるからと、毎日、ソファで寝ると決めたことも教えてくれました。

 

夜になると、殺した相手の顔や死んだ仲間たちの顔が出てくるので、眠れない人たちが多いからこそ、爺ちゃんがその人たちの家族に言えない思いを聞き続けたと聞いています。

富良野中隊の将校たちが、全員、「一人の兵隊」にお詫びしに行った話は聞いているぞ!

 

それがお前の爺さんなのか?

名前は何という人なんだ?

 

芦別市野花南町に住む明治生まれの「岩渕安治」と言いまして、満84歳で亡くなりました。

あの、岩渕さんのお孫さんかい?

 

・・・・・・・・・・・

 

いやあ、それはすまなかったなあ。

 

俺たち一兵卒が会える人じゃないと、俺の上官たちが教えてくれたほど有名だったぞ!

 

もし、一生のうちにお会いできるなら会いたいと思っていたが、その人のお孫さんに今日の終戦記念日に会えるとは、これもご縁だな!

 

おい、お孫さんよ!一緒に乾杯するべ!

 

お前のおじいちゃんも、きっと、今、ここにいると思うので、一緒に乾杯して、戦争で亡くなった奴らと一緒に追悼しようぜ!

 

そしてよ、今日を皮切りに、俺たちが初めてこの居酒屋で「最後の歌」を歌おうぜ!

 

これが最初で最後の歌になるかもしれんが、お前のお爺さんの徳のおかげで、きっと、許してくれると思うんだ!

 

さあ、みんな立ち上がれ!!肩を組んで歌おうぜ!

最初は「小さな声」で歌っていましたが、どんどん調子がついてきて大きな声になると、広い居酒屋のあちこちで一緒に歌いながら泣いている元軍人さんたちがたくさんいました。

帰ろうとしていた元軍人さんたちも戻ってきて、肩を組み、大きな声で何度も何度も歌いながら涙を流していました。

歌い終わると、最後にこう教えてくれました。

いいか、これだけは覚えておけよ!

 

俺は「空軍」だったからわかるが、日本軍は、いつも、敵の本部には直接、弾を落とさなかったんだぞ!

 

本部にはたくさんの兵隊がいるので、落とせばたくさん亡くなるから、その横にある広い広っぱに弾を落とすことが「空のルール」だったんだ。

 

だから、日本は一度も戦争を仕掛けたことはないし、決して、民間人を巻きぞえにするような攻撃は一度もしていないんだぞ!

 

そのルールを破ったのは、「アメリカ軍」だけだし、世界の飛行機乗りたちは、アメリカは「最低の国だ」とみんな言っていたんだぞ!

 

このことも、絶対に口にしてはいけない話だったが、今日は特別だから、いつか、世の中に伝えていい時期が来たら、お前から世の中に伝えておくれ!

 

日本は、一度も、自分から戦争を始めたことはないし、決して、民間人を攻撃したこともない!!!

 

最後の最後まで、親と天皇様に感謝して死んでいったのが日本兵だと覚えておいてくれな!!

 

じゃあな、今日はありがとう!!!

日本を守るために戦ってくれた英霊たちの魂たちに送ります。

 

アーカイブ

Translate »