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納屋に隠した刀を母が振り回した日

小学4年生になった頃、学校から家に戻ると、母が納屋の前で、「日本刀」を振り回していました。

どうしたのか聞いてみると・・・

今日は、とっても頭に来たことがあったので、お前の木刀を振り回していたんだけど、納屋にぶつけて折れたので、父さんが隠していた「日本刀」を持ってきて、今、相手を切る練習をしているところなのさ。

 

だから、邪魔をしないで下がっていなさい。

何があったから知らないけど、母が誰かを「日本刀」で切ると、僕も父も兄も困ることになるので、頼むから相手を殺そうなんて思わないで!

私が誰かを切り殺しても、お前たちの何が困るのさ!

 

父さんならいくらでもセックス相手がいるから、妻の代わりなんていくらでもいるけど、お前たちが困る理由なんて、ないでしょ!

えーとね、あ!そうだ!

 

「ご飯を作る人」がいないと、僕たち男は困るんだよ!

 

だから、その刀で人を斬るのはやめて!

ほら、やっぱり、そんなもんでしょ。

 

「ご飯を作る女」なんていくらでもいるし、お前には小学1年生からご飯の炊き方を教えているので、最低のことならできるでしょ!

 

煮るか、焼くか、炒めるだけで野菜は食べれられるから、自分で作って食べなさい!

 

私は、あんたたちの「料理女」じゃないんだよ!

 

いい加減、頭にきたので、お前も斬り殺すよ!

 

ダメだ・・・この人、もう目が完全にイッテるので、もう一言でも口にしようものなら、日本刀を持って向かってくるので対応策を考えました。

・・・・・・・・・・・・

そうだ!水責めだ!

台所に走り、バケツ

2杯に水をたっぷり入れて、後ろから思いっきりバケツの水をぶっかけると・・・・

お前、本気で私に喧嘩を売っているのかい?

 

本気なのかい?

 

じゃあ、いいよ、お前の分のもう一本の日本刀を持ってくるから勝負しようじゃないか!

 

どっちが勝っても負けても、どうせ、人間は死ぬんだから今、死んでも問題ないさ!

 

さ!やるよ!ほら、この刀を持ちなさい!

 

渡された刀は、刃渡60センチの片手で素振りする「練習用の刀」だったので・・・

これは、あんまり「卑怯」だと思います。

 

どうせやるなら、同じ「刃渡の刀」を持ってきて下さい!

 

この刀ならどうやっても母を殺すことはできませんが、母は一撃で僕を殺せますので、理不尽です!

 

母は、そんな理不尽な人じゃないと思ったけど、違うんですか!?

じゃあ、いいよ、持ってきてやるさ!

 

お前、私に勝とうなんて思うんじゃないよ!

 

お前が見ていないところで、いつもこの刀で練習をしていたので、お前なんて、一振りで倒せるから、覚悟しなさい!

さあ、やるよ!!構えなさい!!

 

二人が向き合って、剣道の所作の膝を曲げて相手を見つめ、意識があった時に立ち上がり、声を出して踏み込めば、「殺し合い」の始まりです。

僕は母は切りたくないけど、もし、本気で切ってきた時の「返し技」を思い出して、構えていました。

 

早く切りなさいよ!早く切りなさい!

 

あんたが一歩、踏み込んでくれないと、私からは踏み込めないでしょ!

 

どうして?

僕は自分を産んでくれた母を切ることはできないけど、母に切り込まれたら、その「返し技」をしないといけないので、どこを切るかを考えているだけです。

さあ、母、どうぞ!!!お好きに切り込んでください!

・・・・・・・・・・・・・・

しばらくお互いの目を見つめあっていましたが、なかなか母が切り込まないので、どうするか悩んでいると、母の目から涙が出ているのを見つけました。

母、どうして泣いているの?

切りたいなら、ズバッと切ればいいでしょ。

もし、僕に切り込んでも、僕はきっと死なないから大丈夫だと思うよ!

それより、僕は「返し技」で母をなるべく傷つけないところを切るので、少し痛いけど我慢してね!

さあ、どうぞ!!思いっきり切り込んでください!

・・・・・・・・・・・・・

母の体が震え出して、大粒の涙が頬をつたい、母はその場に泣き伏せました。

 

ダメだあ、やっぱり自分が産んだ子は、自分で殺せないわ・・・。

お前を産んだ時、すぐ殺しておけば良かった・・・。

赤ちゃんなのに、「つむじ」は3つあるし、年を取るたびに、頭のつむじの数も増えて7つあるし、勘もいいし、ここにいない人の話もいるかのように話すし、、、私、でも、やっぱりダメだあ・・・。

どうして、こんな子を産んでしまったんだろう・・・。

これは私の「過去世の罪」を問われているのかい?

あんたなら、わかるでしょ!

あんたを作った神様に聞いて、教えてよ!

私もう、辛くて我慢できないのさ。

だから、お前を殺して自分も死のうと思ったのに、体が動かないし、可愛いあんたの子供の頃を思い出すし、もう、辛いし苦しいし、涙は溢れるし、もう嫌だ!!!!早く殺して!!!

 

自分を産んでくれた母がここまで苦しんでいるのなら、やっぱり、自分で身を隠して死ぬしかないと思いましたが、どうしてもっと早く私を殺さなかったかを母に聞いてみました。

あんたは生まれた時から言葉を話すし、誰にも話してないことまでペラペラ人前で話すので、父さんも私も、さすがに疲れたのさ。

父さんは、可愛すぎて殺せないから、「私に殺せ!」と言うけど、そんな簡単なもんじゃないでしょ!

もう、なんでこんな目に私たちが合わないといけないの?

お前が子供の頃から何度も順番を決めて、寝ている時に殺そうとしたけど、どんな刃物を刺しても死なないし、どんな固い物をぶつけても壊れるし、毎回、交代交代であんたを殺す順番を決めていたので、今日は「私の番」なのさ。

やりたくないけど、順番だから、今日は私の番なの!!!

あー、嫌だ!また、失敗した!!!

 

そんないろんな方法を試したんだね、ご苦労様です。

だったら、ご飯を食べさせないで放っておけば、そのうち死ぬでしょ!

どうして、そういう方法を取らなかったの?

 

お前ねえ、うちは「農家」だよ!

それに、「武士」なんだよ!

その家の子が、空腹で死んだとなっちゃあ、先祖も怒るし、親族の笑い物になるのさ。

昔は、相手と殺し合う前に、「腹、八部目」の料理を出してから切り殺したものだから、お前を空腹で死なせることは「吉岡家の恥」になるので、それはできないのさ!

それなら、自分がもっと小さい赤ちゃんの時に、川か池にドボンと落とせば良かったのに、どうしてしなかったの?

 

そんなこと、何度も試したさ!

でもね、その落とす寸前になると、お前のことが可愛くて申し訳なくて、涙が溢れて落とせないのさ。

何度、一緒に川に落として死のうかと悩んだけど、体が硬直して無理だったのさ。

父さんも試してみたけど、同じように体を硬直させられて、同じように可愛いお前の姿が頭に思い浮かぶので、落とせないと帰ってきたのさ。

 

でも、もっといろんな方法があると思うけど、そんなに「殺したい息子」なのに、なぜ、一生懸命に生きる方法や、「生き抜く知恵」を教えてくれたの?

何も教えず、放置しておけば、警察に捕まるか、ヤクザに殺されるまで放っておけば良かったでしょ!

それは、あんたが自分を信じてるより、私たちのほうがあんたを信じてるからさ!

 

私たちは毎晩、お前のことを話し合っていたけど、どうやっても殺せないから「恥をかかない人間」にだけはしてあげようと決めたのさ。

だから、幼稚園の頃から厳しく育てたけど、お前は一度、教えると完全に覚えるので、怒ることもできないし、その理由も見つからないので、もう、自分たちの限界を感じていたのさ。

だから、お前にみたいな「サイボーグみたいな人間」を作った神様の意思を信じることにしたのさ。

私たち夫婦を苦しめるだけなら、もっと他の方法があると思うけど、お前はきっと、「何か大きなことをしなければいけない」からこそ、そんな「サイボーグの体」になったのだと、私たちは受け入れたのさ。

だから、それからは毎日、お前が寝てから「神様、ご先祖様」ってお願いしたり、お礼を言うようになったんだよ。

お前を見ていると、本当に、死んだじいちゃんやばあちゃんの顔が出てくるし、「思えば通じる体験」もしたので、お前、本当に神様と仏様に通じているんだねえ。

ありがたい子供だけど、育てるのは苦しいし、周りの人たちはお前を「天童」とか言って会話しないし、私たち夫婦はバカにされるんだよ!

 

「ケダモノを産んだ夫婦」だってね!

 

でも、決めたのさ・・・。

お前が自分で社会へ出て行くまでは、どんなことがあっても支えようと決めたのさ!

毎日、お前が「死にたい、死にたい」と泣いているのは知ってたさ。

でも、私たちは手も足も出せない世界だから、夜中にお前が悲鳴をあげて泣いていても、無視するしかないのさ。

朝まで大声で泣いていた日もあるし、布団がべっしょり濡れて大汗を書いた日もあるし、部屋の電気の玉が全部破裂した時もあったけど、それでもお前が、「自分で生きる道」を見つけることだけを信じることにしたのさ。

だから、ごめんよ!

もう殺し合いはしないけど、自分でどう生きるか決まったら、私たちに言ってよね。

少しは、「親の役目」もさせてちょうだいね・・・。

ここまでの10年も楽しかったから、もう、10年くらいはこの家にいてね!

・・・・・・・・

この言葉を聞いた時、本当に「お二人が苦しんでいたこと」を知り、自分が情けなくなりましたが、毎日、死にたいのは変わりませんでした。

 

でも、普通にご飯を食べて、トイレに行って、学校に行って、1日も早くこの家から出ることだけを考えるようになりました。

「生きているだけで親を苦しませている人間」は、いない方がいいと思いましたが、急にいなくなれば、また、悲しむと思ったので、「自分一人で生きていける人間」になるまで辛抱することにしました。

結局、18歳で家を出て、岡山県の大学に行き、自分で就職先を決めて北海道に戻りましたが、その報告をしに行った時の両親の顔は、嬉しい反面、困っていたのを感じたので、やはり、本州にそのまま住めば良かったと思ったこともありました。

でも、私は自分を育ててくれた「最後の死に場所」を「裏の山」と決めているので、あの山神様に抱かれて死にたいと思って今も生きています。

どうか、みなさん、自分の親や子供たちが、何を考えているかなんて、完全にわかることはいないと思いますが、「親が子供を大事に思う気持ち」は同じなので、甘えずに一人で生きて下さい。

母が本気で日本刀を振り回していたのを見た近所の人が、警察に通報したので、納屋にあった日本刀は全て没収されてしまいました。

本気で殺せなかった息子を生かそうと決めた両親に、心から感謝致します。

「命の繋がり」を作ってくれたご先祖様たちにも、本当に、ありがとうございます。

 

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