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【吉岡一門】吉岡流 吉岡憲法 吉岡一門の頭領になるまでの道

私は日本で最後の「吉岡憲法 吉岡一門の頭領 吉岡学」でございます。

「吉岡一門の頭領」になるまでに、私が実際に、子供の頃から体験したことをここに記録します。

・・・・・・・

「3歳」で剣術の訓練が始まり、毎日、朝昼晩の食事の前に、両腕を1000回づつ振る訓練が始まりました。

それが、嫌なら「飯抜き」が条件だったので、真剣に朝昼晩、腕を振り続けました。

すぐに、腕の筋がつって、手で箸を持てず、普通にご飯を食べられない生活が続きましたが、1年間続けているうちに体ができてきて、やっと普通に箸でご飯が食べられるようになりました。

 

「4歳」になり、やっと腕が慣れた頃、朝昼晩のご飯の前の両腕の訓練が「2000回の訓練」になり、また、腕の筋がつって、手でご飯を食べられない生活が続きました。

「5歳」になると、「3000回の訓練」になりましたので、痛みはありますが、腕の筋肉だけは太くなり、痛みに慣れるのも早くなりました。

なぜ、父は、ここまでして私を苦しめるのかと悩みましたが、

お前は次男だから、長男のバックアップ要員だし、吉岡一門が背負っている命の責任だ。次男は、何があっても長男を支える役目で生まれてきたので、俺も子供の頃からそうしてきた。」と父は教えてくれました。

「長男」である兄も小学生になると一緒に剣術の訓練が始まりましたが、「腕が痛い、面白くない」と家の中に戻ることが許され、「長男のバックアップ要員」である私は、「もし、お前が剣術の訓練をやめたら一生、飯は食わせないから、すぐに家を出ていけ!」と言われたので、無我夢中で毎日、朝昼晩3000回づつ、腕を振る訓練を耐え抜き、「6歳」から木刀を持って腕を振る訓練に変わりました。

腕の痛みは、木刀の重さが加わるのでさらに激痛となりましたが、普通にしていても肘が外側に開いてしまうのを確信した父は、「もう少しだな」と笑っていました。

 

毎日毎日、朝昼晩と木刀を持って訓練をしているので、身体中から汗が流れて体が熱くてたまりませんので、真夏は水をかぶって訓練し、汗が湯気に変わるくらい体全体が熱くなります。

真冬のマイナス30度を超える日は、逆に、吹雪の雪がヒラヒラ落ちてくるのを1枚づつ狙って切る訓練をするので、上半身を裸にして、熱さで私の体の周りの雪が1mほど円形に溶けるほど全身から湯気が出ていました。

時間を忘れて木刀を振り回していると、どんどん無心になり時間を忘れてしまうので、家族の食事も終わり、食事は全て食べられてしまうので、水を飲んで空腹を我慢し、お昼ご飯をアルミ鍋で自分で作るように母に言われました。

 

吉岡家のルールでは、ご飯の時間に「席につかない人間のご飯は食べてしまってよいルール」で、家族の食事が終わったあとは、一切、母も作ってくれないので、今の子供達の自分勝手なルールを許す親の気持ちは信じられません。

アルミ鍋

母は、「男は女より上だから、女がやる仕事は男もできないとダメなのさ!」と言いはり、自分は田んぼのあぜ道で寝ているのに、お風呂の掃除と風呂焚き、家の中の掃き掃除、拭き掃除と、3度の食事も全て私の仕事になりました。

ポンプ

木製のお風呂

小学校にも行かせてもらえず、国からもらった教科書も教科書さえもらえない小作たちに配る父だったので、兄と母と父の古い破れた教科書を夜中に、親が寝てからローソクの日で読んでいました。

夜中にトレイに起きた父は、「暗かったら懐中電灯を使ってもいいか、明るくして一瞬で覚えて、覚えられないページだけを懐中電灯を付けて覚えなさい。俺も、そうやって教科書を丸々暗記したからな!」と言って寝てしまいました。

 

「7歳」になり、初めて本物の日本刀(中刀)を手に持った時、腕の痛みが無くなり、今までの辛い訓練が、刀の重さに耐えられる体を作る訓練だったのだとよくわかりました。

大刀(だいとう・たいとう)は1m以上あるので、馬の上から人を切る時に使いますし、吉岡一文字の正式な大刀は、1.5mもあるので、よくこんなものを振り回せたのかを父に聞くとこう教えてくれました。

最も長い「大刀は馬に乗っている時に、振り回す刀だから長いが、その前には、薙刀(なぎなた)を持って売り回すので、日本刀の訓練が終わったら、薙刀の訓練も自分で覚えろよ!

 

そこから「8歳」になるまでは「中刀」を振る訓練に変わりましたが、「ゆっくり刀を振る回数は100回づつにしろ」と言われて、持ち方や腕の振り方を教えてくれました。

気を抜いて、よそ見をしている時、周りに日本刀をぶつけてしまったので、「真剣にやってないな!」と本気のビンタを喰らって、「命のやりとりをする日本刀を持ったら、一切、気を抜くな!」と怒られました。

重くて長い日本刀をゆっくり振ると、腕がツルし、筋肉も伸びてしまうので、両腕がダラんとしたまま、手が上がらない生活になりました。

また、手でご飯を食べられないので、お茶碗と味噌汁椀を床に置いてもらい、口で食べる生活をしていると、「お前は犬みたいだね」と母と兄は笑いますので、自分の涙の塩加減でご飯を食べる生活が続きました。

 

半年もすると、体の筋肉は慣れてくるので、父は正式に「吉岡一門の型」をいくつか教えてくれましたが、こうも言われました。

「もともと吉岡一門は、日本中の豪族の集まりだから、決まった型は無い。

一人一人が自分で編み出した型を書いた書物があるので、それを全部覚えて、最後は自分で自分なりの型を生み出しなさい。

それができた時は、俺と日本刀で本気の勝負の時だから、負けたらお前をぶった切るから気を抜かずに訓練しろよ!」

と言われて、さらに真剣になりました。

 

気温が30度近い真夏でも、全てが凍るマイナス30度の真冬でも、「日本刀の訓練」は続きますが、実際に、日本刀を持つ時は、「母と兄がいない時が条件」だったので、誰よりも早く起きて訓練するか、全員が寝静まってから訓練するのが日課でした。

小学校は、入学式だけしか行かせてもらえず、綺麗な洋服も小作の子供達に渡す母だったので、ボロボロの従兄弟の「お下がり」をハサミで切って、自分で縫い合わせてズボンやシャツの形にして着ていました。

父が生み出した型も、祖父が生み出した型も「吉岡一門の巻物」に書いてあるので、それを頭で覚えて外で訓練して、自分に合う型をいくつか生み出して、書いておきました。

 

実際に、自分の型で人が切れるのかわからないので、野良猫や野良犬にそっと向かっていって、「気の勝負」を挑みました。

すると、数十匹の「野良犬の親分」が私を見て、走って向かってきたので、とっさに体が動き、綺麗に首を切り落としたのですが、畑の隅に埋める準備をしている時に父に見つかり、犬の首の切り口を見て「ボツボツ勝負の時期が近づいたな、訓練をサボるなよ!」と顔は笑っていますが、目はの奥は恐ろしく怖い目だったのを忘れられません。

 

8歳の夏の朝、母が兄を連れて家を出たので、「さ、日本刀で本気の勝負だ!』と、父は納屋に隠してあった自分の刀を3本持ってきて、私用には中刀(ちゅうとう)と小刀(しょうとう)の2本を持たされました。

「正式には3本持つのがルールなんだが、お前はまだ体が小さいので、2本で十分だ、長い大刀(だいとう)を持てるかどうか、持ってみろ!」と渡されました。

腰に紐で止めて後ろは引きずるし、背中に縛ると、鞘(さや)から抜けないほど長いのを見て、「本来、大刀は馬に乗ったまま敵を殺す刀だし、これより長い薙刀もあるんだぞ!」と、薙刀を触らせてくれましたが、手に持った瞬間、人の顔がたくんさん見えたので、手を離して落としました。

 

一発、思いっきりビンタをされたあと、「この薙刀で切った奴らの供養は、まだ済んで無いから、それ魂を感じたんだな。

でも、どんな理由があっても、刃物を持ったら手を離すな!

歯がこぼれるし、刀を手から離した瞬間に敵に殺されるので、何があって手を離すな!」と怒られました。

刃こぼれした歯を砥石で研いでいる間、「両手で薙刀と大刀を振り回す訓練をしていろ!」と言われので、小屋や納屋に当たらないように真剣に振り回し、体の重心をどこに置くのか、どうやって相手を殺すのかをイメージしながら訓練を続けていました。

その姿を見た父の目に火が付いたようで、「お前の薙刀と俺の小刀で勝負だ!」とすぐに本気勝負になりましたが、私にスキが無いので、中刀に持ち替えて真剣勝負になりました。

でも、私の薙刀の扱いがうまかったせいか、一切、打ち込めず、「お前も中刀を持て!」と言われて、正式な真剣勝負になりました。

 

「真剣勝負をする時の型」を教わり、座り所作、立ち所作、を習ったあと、すぐに「さ、俺を切り殺してみろ!」と父の目が変わりました。

 

「始め!」と声が掛かったら、相手が「参りました」を言うまで、絶対に気を抜くなよ!

相手が参りましたを言うまでは、本気で相手を切り殺しなさい。

致命傷のままでは痛くて苦しいので、一気に首を落として楽にしてあげなさい。

さ、勝負だ!

 

父が編み出した「円月殺法」は、映画会社の大映の片岡孝夫(15代目片岡仁左衛)と、田村正和の二人が家にやってきて、「一部だけなら映画にしてもいいが、全ての型は、吉岡憲法の巻物に書いてあるので、絶対に公開禁止の条件で、教えた」と話ししてくれました。

田村正和

片岡孝夫(15代目片岡仁左衛)

 

円月殺法

 

 

父は自慢の「円月殺法」で攻めてきて、「切り込めるならいつでも来い!」と言ったので、一気に走り込んでジャンプして空中から父の頭数センチで刀を止めて着地しました。

何が起きたかわからず父は、「もう一度!勝負だ!」と3本勝負をしましたが、3本とも私が勝ったので、父は正座して「参りました」と言ったあと、泣いていました。

 

「これで正式に、お前が吉岡一門の頭領となった。

だから、あとで全ての巻物と、吉岡一門だけの秘密を教えるから一晩で覚えろ!」

と数本の巻物と、たくさんの書物を見せてくれました。

つづく

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