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【吉岡一門】 皇族や宮内庁の関係者達を追求します!

8歳で「吉岡一門の武士の頭領」となった吉岡学は、父から驚愕の事実を知らされました。

日本を建国したのは、「天皇家」だと教科書やもいろんな書物に書いてありますが、実は、事実は全く違うと父から学びました

1971年1月10日に12歳になり、吉岡学が正式に元服の祝いをした日、父が先祖地である富山県に報告の電話を入れると、

「富山県の最後の吉岡一門の家は財産を食い潰したので、今後は、北海道に最後の頭領がいる場所が、「吉岡一門の本拠地」となる。

正式な吉岡一門の引き継ぎの書類は、今日、届くはずなので、あとはよろしく頼む!」

と重要機密文書が送られてきて、父も愕然としていました。

 

8歳で本家の次の家長(従兄弟2名)と真剣で戦い、勝った私は、「吉岡一門の家長」となり、同時に、「吉岡一門の頭領」になっていましたが、まだ、元服する年齢ではないと、芦別市だけの秘密にしていました。

富山県から送られてきた「吉岡一門の極秘資料」と、父が持っていた「頭領だけの引き継ぎ書」は、天皇家と吉岡一門との関わりが正確に記録されていて、同じものが天皇家にも保管されていると父から教わりました。

 

お前がいつか、大人になって「吉岡一門の恥」を終わらせたら、この事実を表に出してもいいからな!

だってな、これは天皇家も認めている事実だし、吉岡一門の血が入ってなかったら、今の天皇家はないんだぞ!

だから、「吉岡一門の恥」をいつか終わらせたら自信を持って世の中に公開しなさい。

 

お前が大人になる時に、世の中がどうなっているかはわからんが、天皇家を支えてきた「吉岡一族の血筋の事実」を消すことはできんのだ。

まあ、北朝の武士や国の関係者たちは、いかにして南朝の俺たち吉岡一門を表から消すかを考えているが、どんな嘘ついても事実は変えることはできんのさ。

 

だから、天皇の「次の世継ぎ問題」が定期的に起きるだろう?

あれはな、「吉岡一門の頭領の許可」がないと、天皇家には男の子が生まれないようになっているのさ。

それは、我が一族の大母である「卑弥呼の神力」だから誰も変えることなど、できるわけないんだぞ!

 

もし、天皇家や宮内庁がお前に対して失礼なことをしたり、吉岡一門のことをないがしろにするようなことがあれば、全ての事実を公開しなさい。

お前は、生まれた時から頭が良いから、この5本の巻物と、この分厚い証拠書類全てを一晩で、覚えなさい。

俺の頭領の時代は、終わったから、明日の朝、全てを燃やすので、今夜、一晩で寝ないで覚えなさい。

・・・・・・・

そう言われた私は、太いローソクを3本立てて、必死に全てのページをめくり、頭の中に入れました。

小学1年生の時に、小学6年生までの教科書を全て覚えてから中学3年生までの教科書も全て覚えましたが、それ以上に、難しい漢字が多かったので、国語辞典と漢和辞典を見ながら、頭に入れました。

 

5本の巻物の内容を読むと、凄すぎて、今まで学校の教科書に書いてあることの嘘が多くて驚きました。

やっぱり、「共産党の教育委員会」の左寄りの学校へ行かなくて、本当に良かったと思いました。

 

皆さんのためにここに、天皇家に関する事実だけを列記します。

1、吉岡一門の血筋は、日本中をまとめた豪族の親分であり、九州に住み、中国からやってきた「卑弥呼」と血を結び、生まれた男の子を「神武天皇」とし、「武力と神力の和合の証」としての名前をつけました。

 

2、そのあと、朝鮮半島からやってきた現在の天皇家一団は、倭国、つまり、今の日本をまとめた吉岡一門の先祖と話し合い、「戦いをしないこと」を条件に、吉岡一門の武力と卑弥呼の神力で天皇家を支える約束をしたので、初代は、吉岡一門と卑弥呼の子である「神武天皇」が初代天皇となり、「日の出ずる国 日本」という名前に変えました。

 

3、天皇家の血筋の男子は短命だったので、定期的に、吉岡一門の男の血を入れることで現在の天皇家は続いています。

ちなみに、吉岡学は今の今上天皇と兄弟であり、私の父は、寬仁親王(髭の天皇)と兄弟であり、昭和天皇は私の祖父と兄弟です。このことを証明する正式な書類は、あるところに隠してあります。

 

4、天皇家が南朝と北朝に別れた理由は、吉岡一門の子供と、天皇家の男女の血筋の子供を交互に継続することで、天皇家の血筋が絶えないようにしていたことを▶️両統迭立(りょうとうてつりつ)のルールを破り、後醍醐天皇が次の天皇となる時期に、弟の光厳天皇が勝手に三種の神器を渡さず即位したため、天皇家が二つの別れ、「南北朝時代」が始まりました。

結果的には、あとで正当な順番は「南朝だ」と認め、北朝は下がりましたが、裏金をたくさん使った北朝の天皇家は、現在も、南朝の天皇の邪魔をして吉岡一門の存在も表から消しています。

 

5、私の父の時代までは、毎年、数回、天皇・皇族たちと会い、「神武天皇」の神札を父が書き、それを天皇から譲り受ける儀式を行い、宮内庁から全国の神社と庶民たちに配っていたのをやめさせたのもアメリカのGHQなのです。

この事実を記録した極秘書類は、ある場所に保管されているので、日本神道の神社が祀る神札は「天照大神」ではなく、「神武天皇の神札」が神社や神棚の中心に祀るのが正しい祀り方です。

いずれ、吉岡一門の最後の頭領の私が「神武天皇」の神札を全国に販売します。

 

2023年に、私が京都御所の西側にある「護王神社」を訪ねると、いつの間にか、吉岡一族の持ち物だった土地・建物が奪われていので名誉宮司を追求しましたが、「そんな事実はない」とが言い張り、金をつかまされて名誉宮司になったことがわかりました。

京都 護王神社の裏の「近衛町」は全て天皇家を守る吉岡一門の土地であり、それを勝手に奪うとは、私は許せません。

吉岡一門の先祖に対して申し訳が立たないので、宮内庁長官を通して正式に陳情しますので、ご覚悟下さい。

後日、現在の神社庁のトップから確認してもらっても、「護王神社」のことだけは、誰かの指示で手を出せないと言われました。

・・・・・・・・・

日本の天皇家は、ずっと、「南朝の天皇」と「北朝の天皇」が交代で天皇になることが暗黙のルールですが、今の今上天皇の次の世継ぎの問題で揉めている理由も、吉岡一門を蔑ろにしていることが原因です。

吉岡一門の先祖たちが、絶対に許すわけがありません。

・・・・・・・・・

正当な「南朝の天皇」を教えます。

南朝初代天皇:後醍醐天皇 

2代天皇:後村上天皇 

3代天皇:長慶天皇 

4代天皇:後亀山天皇 ここ迄が南朝時代です。

 

後南朝時代は、

(1)小倉宮恒敦親王(後亀山天皇の子)

(2)小倉宮聖承親王(小倉宮恒承の子)

(3)金蔵主(後亀山天皇の弟)

(4)自天王

(5)南天皇

(6)西陣南帝 ここ迄が後南朝時代になります。

金蔵主が後南朝初代であり、4代で終わります。

 

現在に繋がる系譜としては、明治、大正天皇の2代は南朝に理解があり、御霊の世界での南北朝融和を望んでおられました。

しかし、昭和天皇から現在に至るまでは、南朝方天皇家を完全無視の状態が続いております。

以上が南北朝、後南朝時代の概略です。

 

天皇家と皇族、そして、宮内庁長官が正式な形に戻さないのなら、この情報を世界に公開し、「日本の恥」を世界の国家元首たちに出して正します。

 

現在の第126代 今上天皇よりも、吉岡一門の先祖は古く、その証拠書類もありますので、今以上に日本の天皇の歴史は長い証明にもなるものが実際にあります。

一般の皆様は、北朝方の嘘を広めるために作られて「古事記」よりも、真実を書き残した「日本書紀」をどうぞ、お読みになり、名前を変えて吉岡一門のことが書かれていることをご確認ください。

 

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