【吉岡一門】 12歳で正式な「頭領」の襲名披露宴
1895年(明治28年)に、富山県から北海道へ「小作農家500名」を連れて移住した「吉岡一門」の5代前の頭領の集団は、コメができる土壌を北海道中、探し回って▶️「芦別市常磐町」に移り住みました。
20年以上、かけて富山県から木や鉱物を運び込んで、職人を住まわせて作ったお屋敷は、今はありませんが、広さは、東京の迎賓館よりも高く、広さも吉岡本家の方が広い建物でした。
芦別市の面積は865 km²で当時は、日本一広い市でしたが、市町村合併が増えた結果、現在は、全国51位の広さです。
吉岡一門が北海道に移住することになった理由は、以下のとおり「明治政府の圧力」です。
1868年に、徳川幕府の江戸城を「無血開城」させた薩摩藩(鹿児島)と長州藩(山口県)は、「明治政府」を作り、徹底的に「アメリカ方式」に日本を変えてしまいました。
実は、この時、イギリスとフランスに行って勉強した人たちは、
「武士」は警察と同じだから「武士制度」を残し、「殿様は貴族と同じ」だから、イギリスとフランスを見習って「貴族制度」で民衆を守る国にするべきだ!
と言う意見を無視し、賄賂をアメリカからたくさんもらった人たちが、アメリカ式の「嘘の自由平等」をスローガンにして、殿様たちの領地を奪い、「武士制度」も同時に崩壊させました。
明治政府は、日本中の殿様たちの領地を「廃藩置県と名前だけ変えるだけだ」と言って殿様のご領地を奪い、賄賂をたくさんくれた殿様には大きな面積と海側を渡し、賄賂が少ない殿様には、山の中へ押し込んた結果が、▶️「五畿七道(ごきしちどう)」となり、北海道と沖縄は、まだ、日本国ではありませんでした。
函館に「五稜郭」を作り、アイヌを騙して北海道を奪ったあとに、「都道府県」になりました。
詳しくは、▶️「北海道の説明」を読み下さい。そこにも、「東京」「大阪」「京都」「富山」「福岡」と、日本を守った吉岡一門の大事な「富山」の名前が残っています。
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1946年(12歳)の時の「頭領の引き継ぎ書類」の中に、▶️「地主の歴史とは? 土地持ちがお金持ちになった理由」をコピーしたものが入っていて、読んでみましたが、頭に来ましたので、父に聞くとこう教えてくれました。
「俺は、この女の学者に会いに行って文句を言ったが、バカな女学者は「武士」の意味を知らないし、なぜ、「武士制度」が生まれたかも知らんかったから、俺が教えたんだ。
でもな、こういう学者が書いたものは記録に残るので、平民たちは、みんな何が正しいかを知らずに、国から金をもらっている学者が「国に都合のいい文章を書く見本だ」と思って読んでおけ!
本当の武士が、どういうものかを知っている男たちは、誰も書けないからこそ、こういう女の学者が記録を残すことになったのさ。
と父に教わりました。
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1971年1月10日の12歳の誕生日に、正式に「吉岡一門の統領」となった私は、「吉岡家の本家」で盛大な「お祝いの儀」が執り行われて160畳の座敷に溢れるほどの人たちが集まりました。
特に、「南朝の元武士」は、北海道の上川郡(上川留萌地方)、空知郡(石狩空知後志地方)に広がってコメ農家になっていたので「上座(かみざ)」に座り、それ以外の「北朝の武士」や役人たち(国会議員や市議会議員や市長や警察署長は、全て「下座(しもざ)」に座りました。
「最大の上座(かみざ)」である縁側に座布団を3枚重ねて座った12歳の私の横には、本家の祖母が座り、「侍女」としてすべての采配をしてくれました。
150名ほどのお膳がずらっと並びましたが、私のお膳だけは、亡くなった祖父の「頭領の御膳と食器」なので、「最高の黒の富山塗りの黒漆(うるし)」が塗られていて、龍と鳳凰の絵が金箔で貼られていて、祖母のお膳には濃い赤の最高のお膳で、鳳凰が金箔で貼られていました。
正式な宴会で座る場所を間違うと、「吉岡家のご先祖が許さない」ので、頭が痛くなるし、発狂する人も出るので、席を間違えた人は、吉岡家の本家の仏壇がある部屋へ行き、幅が3.6メートルもある大きな仏壇の前で「吉岡家の先祖に土下座して許可を得なければいけない」という厳格なルールが吉岡家の所作にはありますので、家に入れない300名以上の人たちは、真っ白な雪の上にお膳を置いて正座して食事していました。
料理を作ったり、お膳を運ぶのは女性の役目なのですが、「分家(ぶんけ)」の私の母でさえ私に近づくことはできないので、遠くから私を見ているだけでした。
私が「トイレに行きたい」と席を立って戻ってくると、祖母(吉岡あや)がこう言いました。
この新しい吉岡一門の頭領になった吉岡学という男は、武士も平民も同様に扱う初めての人間だし、これまで戦ってきた北朝と南朝の天皇家の因縁も全て収めてくれる男だから、今、この場で上座と下座を入れ替えるので、全員、お膳を持って立ちなさい!
と言いました。
さあ、まなぶ、あとは、お前が号令を出しなさい。
上座と下座を無くして、北朝と南朝が和合する姿を先祖たちに見せてやりなさい!
と言われましたが、なんと言っていいのかわからず、こう言いました。
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今日、参加して下さった全ての皆様、今まで戦いをしてきた南朝と北朝の全ての武士の皆様、どちらも本当にご苦労様でした。
私が吉岡一門の武士の頭領になったからには、この日本国を平和に致しますので、どうぞ、お力をお貸し下さい。
吉岡一門に関わる全てのご先祖を含め、代表して心から感謝いたします。
さ、皆さん、上座の方は下座へ、下座の方は上座にお座り下さい。
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何名かの元武士の「北朝」の元武士は涙を流しながらお膳を持って「上座」に座り、「南朝の武士」は下座に座りました。
外の雪の上に座っていた国会議員や国家公務員たちは、私に向かって土下座してくれました。
調理場で全ての準備をしていた「小作」の家族とお子供達も、全員が、一列になって田んぼのあぜ道に並んで土下座してくれていました。
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元武士とお役人たちだけで500名くらい集まりましたし、北朝側の小作たちも全員一緒にあぜ道に土下座していたので、「やっと、南朝と北朝が和合できた」と号泣する人たちがたくさんいました。
しばらく、その様子を見ていた本家の祖母は、立ち上がってこう言いました。
お前たち、これまで本当に苦労をかけて、すまなかったね。
これは、私と私の亡くなった主人の足らぬことだと思うので、私もここで吉岡学に土下座させらもらいます!
さ、みなさん、もう一度、この新しい「吉岡一門の頭領の吉岡学」に土下座をお願いします。
その時、ばあちゃんがやった土下座は、頭を床まで下げておでこを付けたので、「どうぞ、私の首を切って下さい土下座」を見て私は怒りました。
婆ちゃん、それはダメだよ。
それだと僕が婆ちゃんを殺さないといけなくなってしまうから、普通の土下座に戻して!
すると、婆ちゃんは、隠していた小刀を私に渡して、
どうか、この場で私の命を奪って下さい!
本当は、お前の父さんが「頭領」になった時に殺されるべきだったのに、ここまで生かしてくれてありがとうね。
でも、今のお前の話を聞いて、自分がいかに足りないかがわかったので、頼むから殺しておくれ!
まなぶ!
いや、吉岡学頭領!
頼むから一発で私を殺しておくれよ!
もう、こんな惨めな生き方はしたくないので、どうか、よろしくお願いします。
と、また、おでこを床に擦り付けて泣いていました。
その姿を見た私の父も母も、親族全員も、同じようにおでこを床につけて土下座して、私がどうするかをチラチラ見ていました。
父は、小声で、「まなぶ、殺すな!殺すなよ!!」と言いますが、そんな簡単なことではありません。
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迷いました・・・・・。
吉岡一門の頭領になった人間は、負けた相手と妻と親と子供達を全員、切り殺して、「恨み」が残らないようにするのがルールなので、切ってもいいんだけど・・・と考えました。
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3段に積まれた座布団から降りて、縁側に座り、いい感じの太陽さんの日差しが見えたので、どっかり座り、タバコをふかしたくなったので、「婆ちゃん、タバコあれば持ってきて!」と頼みました。
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婆ちゃんは、さっと立ち上がって自分の囲炉裏の後ろの引き出しを開けて、タバコと高級なライターを持ってきて、私に火をつけてくれました。
婆ちゃんも一緒に、タバコを吹かそうよ!
いつも、婆ちゃんはキセルだけど、今日は僕に付き合ってタバコをふかして!
そう言うと、笑顔で縁側の横に座り、二人でタバコを吹かしました。
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いい天気だね、婆ちゃん。
こんな日に、もし、誰かが死んだら、お天道様に申し訳ないでしょ。
コメ農家は、お天道様次第なので、今日くらいは楽しく1日を過ごそうよ!
明日死ぬのか、誰かに殺されるのかはわからんけど、僕は婆ちゃんを殺さないよ!
だって、大好きだもん!
だから、どうか、お天道様が決めた寿命が来る日まで生きて、僕に必要なことを教えて下さい。
さあ、ご飯も味噌汁も冷えたので、もう一度、温めてみんなで食べましょう!
それと、さっきからずっと、土下座してくれている小作のみなさん、本当に吉岡一門をいつも守り支えてくれてありがとうございます。
今日は、僕が主役の日なので、「今日は無礼講」とします。
だから、一緒にこの地面に大きな鍋を持ってきて、冷えた食事を温め直して、一緒に食べましょうよ!
もう、「小作とか地主の時代」ではないけれど、きっと、僕が死ぬまで支えてくれると思うので、どうか、今日くらいは一緒に食事をしましょうよ!
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でも、小作たちは絶対に顔を上げずに土下座したままでした。
すると、本家の婆ちゃんが立ちがってこう言いました。
お前たち!
この「吉岡学頭領」の命令が聞けないのかい!!
さあ、さっさと大きな鍋を持ってきて、火を起こして、ご飯も料理も味噌汁もおかずも一緒に温めなさい!
立ちあがらないなら、私が薙刀(ナギナタ)で全員、お前たちの子供や妻を殺すよ!!
早く立ちがって料理の準備をしなさい!!!
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さすが、本家の婆ちゃんです。
声は大きいし、体はでかいし、きっぷもいいですが、怒らせたら大変なのはみんな知っているので、吉岡家の親戚全員、男女とも、急いで直径3mもある大きな鉄鍋を3個、庭に準備してくれました。
温まった料理を私が柄杓でお椀に盛って小作たちに先に配ると、全員が「うれし涙で味がわからん!」と泣いていました。
食べ物をもらう人の数がどんどん増えたので、「1km先まで吉岡家の頭領が食い物をくれる!」と並んでいたぞと父があとで教えてくれました。
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みなさんに食事を配ったあと、婆ちゃんが囲炉裏に座って私を呼びました。
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お前、「最高の頭領」だね!
だからこれ、私からプレゼントするわ!
これはね、私の夫のお前の爺ちゃんが、私に結婚祝いでくれたライターなのさ。
男はね、大事な席でタバコをふかして酒を飲むことが多いので、これを使いなさい。
このライターはへ、世界で最高級品と言われている「デュポン社(フランス)」のライターで、この赤と青と黒の漆器は、吉岡一族がいる富山県からフランスに送って造らせたものなのさ。
フランスにも「漆(うるし)」はあるそうだけど、赤と青の色が富山県の方が綺麗なので、たくさん欲しいとフランスの職人が言ったので、私が富山県の親戚に言って漆(うるし)を送らせて造ったのさ。
私の爺ちゃんは、「小作たち」を大事にする人だったし、タバコも大好きな人だったから、お前も爺ちゃんと同じに「デュポンのライター」を使いなさい。
もし落としたり、無くしたりしても、すぐにフランスから送らせるから壊れたら言いなさいね!
そう言って婆ちゃんがくれたライターは、赤のデュポンのライターでした。
「どうせなら、黒か青がいいなあ」と言うと、その場でフランスの職人に電話して、流暢に、フランス語で「青と黒のデュポンライター」を注文してくれました。
すごいね、婆ちゃん、外国語も話せるの?
当然でしょ!外国の職人は頭が悪いので、通訳を通しても理解できないことが多いので、自分で覚えたほうが早いから、一人で本で勉強したさ。
あとは、イギリスのブリティッシュイングリッシュの英語と、アメリカ英語も話せるよ!
あとは、韓国語と、中国語も話せるかな。
全部一緒に勉強したら、きちんと脳みそが覚えるものだって、外国語を話せる天皇家の人たちに聞いたのさ。
え!婆ちゃんは、天皇にもあったの?
当然でしょ!
毎年、皇居に桜が咲く時に行う「円遊会」は、吉岡一門を招待して行う大事な行事として、天皇家から招待状が来るのさ。
まあ、あんたの父親が結婚したあとは、「あんたバカな女(妻)を連れてくと、吉岡一門の恥だから」と、自分一人で行くようになったけどね。
お前が成人したら天皇家から「円遊会」の招待状が来ると思うけど、行く気はあるかい?
行ってみたい気持ちもあるけど、偉い人に気を使うのは面倒だなあ。
あなた、何を言っているのさ!
「吉岡一門の頭領」が行けば、天皇も皇族も、お前に土下座するんだよ!
当然でしょ!
天皇家に子種を入れて、男の子をたくさん産ませたからこそ、今も、天皇家は続いているんだよ!
天皇家の男たちは、子種が少ないので、吉岡一門のお米と野菜も送ってあげているけど、やっぱり、先祖の問題だと思うなあ。
「吉岡一門に感謝が足りない」と思うから、いつか、お前が天皇に会った時は、ガッチリ言ってやりなさいね!
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祖母から頂いたデュポンライターは、黒は父にプレゼントして、赤は、母にプレゼントしました。
なぜ、吉岡一門がフランスと関わりがあるのかを祖母に聞くと、こう教えてくれました。
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いいかい、吉岡一門が「日本の天皇家」をずっと裏で支えているのは、父さんに聞いたかい?
じゃあさ、その天皇家の子供達が、フランスとイギリスに行って留学する意味は教わったかい?
じゃあ、私が話してあげようね。
フランスもイギリスも、もともとはひとつの国だったのに、兄弟がお城と財産の取り合いで揉めたので、イギリスの娘をフランスに嫁に出したのに、それを嫌がった「ジャンヌダルク」とかいう女のせいで戦争になったのさ。
大きな戦争になったので、その仲裁役として、日本の天皇と一緒に、吉岡一門の強い武士たちが刀を持ってイギリスとフランスに行って、「仲良くしなさい!」と言って戦争をやめさせたのさ。
だからね、イギリスとフランスの領土も、全ての植民地の土地も、すべて「吉岡一門」の持ち物なのさ。
だって、「日本国の領地(山・土地・水・湖)」も全て吉岡一門の土地だし、タダで天皇家に貸しているだけだから、国は、吉岡一族からは税金は、取れないのさ。
もし、国がお前の土地から税金を取ったら、日本国全部の貸した土地代を請求していいからね!
よく「吉岡一門のルーツ」のことを勝手に書いてある書物があるけど、全部、嘘だし、宮本武蔵がどうとか、佐々木小次郎がどうとか書いてる本も全部読んだけど、全て嘘だから気にするんじゃないよ!
まあ、庶民が真実を知る日は来ないかもしれないけどね!(^^
それとね、「アメリカ領土」も植民地も全て、「吉岡一門の持ち物」だって知ってるかい?
まあ、このことは次にゆっくり話してあげるから、婆ちゃんと一緒に日本酒で乾杯しようよ。
お前を見ていると、亡くなった主人に思えてくるのさ。
きっぷいいし、たんかも貼るし、刀を持たせると敵なしだったので、今のお前と同じさ。
それと、あんたはまだ、外子(そとこ)はいないのかい?
男はね、外に何人の女がいてもいいし、もし子供ができれば、金を渡せば女は一人で育てるものさ!
「吉岡一門の頭領」は、金は持っているので結婚して欲しい女たちはたくさん来るけど、エッチはしていいし、子供も何人作ってもいいけど、「嫁」にする女だけは気をつけなさいね。
あんたのお母さんの岩渕家の父親は、北朝の岩手県の武士だから、本当は芦別市には住めなかったんだけど、戦争で2度、戦った「傷痍軍人」だから、私の夫が芦別市野花南町に住む許可を出したのさ。
そしたら、女一人しか産めない嫁だったので、頭を下げて私にお願いに来たので、吉岡一門の嫁にする許可をだしたのさ。
あの女は頭はいいけど、ズル賢いから気をつけなさいね。
でも、岩渕家の爺ちゃんは、本当に頭がいいし、日本刀も持たすと20名、30名と人を斬り殺せる人間だから、「吉岡一門の武士の頭領」としては頼まれたら嫌とは言えないでしょ。
まあ、もし、「女ごと」で困ったことがあれば、私に言いなさいね。
私も出戻りで吉岡家に嫁いだので、必死に男を6名産んだから夫の吉岡西蔵さんは、とても私を大事にしてくれたんだよ!
それとね、賢い女は「吉岡の種」をもらって他の男と結婚して、女の子が大きくなったら吉岡の男と交わらせて子を残すか、男だったらバックアップ要員として私が受け入れるので、どんどん外子を作りなさいね。
嫁は、選んで選んで選んでから、「辛抱強い女」にしなさい。
さあ、少しだけ日本酒で乾杯して、お前の膝枕で寝させてちょうだい。
・・・・・
これが1971年1月10日、気温マイナス37度の12歳の誕生日に、吉岡一門 頭領の正式な襲名披露の日の出来事でした。