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【吉岡一門】「皇族の北朝派」は、今も日本国民を騙し続けています!!!

皆さんが「正しい」と思って子供達に教えていることは、日本の未来に必要なのかを考えたことはありますか?

仕事、お金、結婚、子育て、貯金、老後、健康の心配ばかりして、少ない収入と時間の中で、何を自分が大事にして物事を選んでいるのかを家族と話し合ったことはありますか?

そういうことを考えたことがない人たちのために、「正しい日本の歴史」をお伝えしますので、ぜひ、この機会に日本人として正しい生き方や考え方を学んで、未来の日本を作る子供たちに残せる「新しい価値観」を子供達と話し合って下さい。

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🔵北海道は、日本の全ての県の人間が住んだ混血種の土地

私が生まれた北海道芦別市常磐町の「吉岡一門」は、函館から開拓が始まった「明治政府」よりも早く北海道の現地調査に入ったので、アイヌと一緒にお米ができる土壌を北海道中、探し回り、大雪山山系の西側に良い土地があることを発見し、明治28年に北海道芦別市常磐町に入植し、アイヌと一緒に木を切り、田畑を開墾しました。

吉岡学のご先祖は、「日本中の武士のトップ」であり、「南朝のトップ」でもある「吉岡一門の武士の頭領」として、四代前の「吉岡宇右エ門頭領」長男 吉岡文吉頭領」と子供達の「長男 吉岡文吉、二男 吉岡大八郎、三男 吉岡菊蔵、四男 吉岡西蔵頭領、五男 吉岡興作」と小作農の家族500人以上を連れて北海道の上川地区、空知地区、石狩地区を開拓し、男たちはお米を作り、女たちは畑で野菜を作り始めました。

当時の北海道は土地を所有しない「アイヌたちの土地」でしたので、日本中の先住民の頭領の吉岡一門の頭領はアイヌと和合して一緒に開拓しましたが、「北朝の武士」は明治政府に協力し「五稜郭」を本拠地としてアイヌとの戦いが続き「コマシャインの戦い」や「シャクシャインの戦い」を起こし、、北海道の気が荒いアイヌたちはほとんど殺されてしまいました。

吉岡一門の先祖ルーツは、北海道と沖縄以外の日本中の先住民をまとめた「先住民の頭領」だからこそ、アイヌとは戦いをせずに一緒に仲良く暮らせるように「お米や野菜を一緒に作って仲良く暮らそう」とアイヌたちを仲間として受け入れて、明治政府のやり方に、徹底的に対抗しました。

▶️「日本の正しい天皇家のルーツと吉岡一門のルーツ」

明治政府が「北海道開拓史」を作る前に私の父に原稿の記載内容を確認しに来たのですが、刷り上がった原稿を見て、「これは、俺が教えたとおりではない!」と父は怒って追い返し、印刷前の荒刷り原稿を私に見せてくれました。

父が怒った最も大事なことは、日本人の全てに「先住民の血が入っている」ことを「北朝派の天皇家」の指示で削除していたからです。

▶️明治政府が作らせた「北海道開拓史

北海道の西側は大雪山系の水が豊かにあちこちに溢れているので、田畑を作るには適していたからこそ、「南朝の武士」と小作農たちは協力して大きな木を切り、アイヌも一緒に暮らせる「木の家」を建ててあげて家族として「助け合い」を実践しました。

ヒエやアワの茎で作った「チセ」と呼ばれるアイヌの家は、雨が吹き込んで濡れるとすぐに腐り、真冬も寒くて子供達は震えているからこそ、私の父の命令で北海道中の武士たちがアイヌの家を作ったことを感謝され、毎年、芦別市で行っていた旭川アイヌたちが真冬に生きた子グマを殺す「イヨマンテ(熊送り)」という子グマの魂を母親に返す儀式」に父と一緒に参加して熊の肉も食べましたので、北海道中のアイヌのエカシ(酋長)たちに野菜やお米を渡して感謝されました。

日本全体の日本海側に住んでいた「南朝の武士」が北海道の西半分に移住したあと、本州の太平洋側に住む「北朝の武士」たちは、「明治政府」に従ったのに給料がもらえなくなり、北海道の東側に移住しなければなくなりましたが、十勝平野を含めて北海道の東側は火山灰と塩分が多い土壌なので「水田ができる土地ではない」からこそ、「畑作や牧畜」を中心とした農業が広まりました。

最後に北海道に入った「北朝の武士」は、明治政府に騙されて京都の天皇家を守りに入った会津藩(南部藩)武士だったので、親を殺された子供達が白虎隊武士」となって自決しましたが、彼らに敬意を払って、吉岡一門の頭領である吉岡忠(父)が、北朝の南部藩武士たちを「芦別市野花南町」に入植する許可を出しました。

「芦別市野花南町に住んだ武士の中には、白虎隊の家系には、私の母方の祖父の「岩渕家」がいて、第一次大戦と第二次大戦の二度、戦地へ行き、陸軍の戦いで右足を失った「岩渕安治(私の祖父)」の男まさりの一人娘である私の母を嫁に貰ってくれと、祖父が一人で吉岡家の本家の祖父母に土下座した結果、結婚を許されて、私と兄が生まれて、「吉岡一門の頭領の母」となりました。

「吉岡一門の頭領」は天皇家よりも古い2300年以上前から日本を守った「先住民の頭領」だという証拠書類もあり、天皇家を影から支えてきた歴史的事実があるからこそ、「北朝」の武士たちに「コメができない農家は野菜や豆を作りなさい」と、私の父である「吉岡忠」が種を配って小作農たちと一緒に北海道中を指導してまわり、現在の農業が盛んな北海道になりました。

 

🔵「吉岡一門の頭領」に先住民の血が入っている証明

父は若い頃、天皇家からお願いされてアメリカ式の最先端の「DNA鑑定」のプロたちが何度も父の血液検査をした結果、先住民アイヌと同じ血が入っていることが証明されたのに、国も天皇家も一切、そのことを公開しませんでした。

その理由は、「天皇家は世界で初めて純粋な血の民族が作った国家」だと主張したからですが、世界のどこの国の人たちにも、必ず、「生住民の血」が入っているのに、どこの国も「国家制定時期の順位争い」があるため、先住民の血が入っていることを隠しています。

▶️英仏戦争

吉岡一門は、昔、何度も、イギリスとフランスの仲裁に入ったのに、兄弟喧嘩を繰り返すので、「両国の領地をもらう代わりに命を助ける」と決めた当時の「吉岡一族の頭領」は、イギリス女王陛下に「先住民の血が入っていることを公開しなさい」と伝えたそうですが、あいまいにされたと吉岡家の祖母が教えてくれました。

だからこそ、父は、自分の「DNA検査の控え」をコピーして、天皇家よりも古い一族であり、先住民の血が入っている証拠として私に託してくれたので、吉岡一門の頭領の日本刀と一緒に「ある場所」に隠しました。

 

日本中の「武士の頭領」に先住民の血が入っているということは、武士と交わった人たちも、武士と小作が交わった人たちも全ての日本人には、先住民の血が入っているという意味ですし、吉岡一門の先祖ルーツは、「朝鮮半島の高句麗国の王様」であり、中国全土をまとめた▶️三国時代の王様なので、世界のどの国よりも強くて血が濃い民族だからこそ、「Y染色体」を多く持っているので、アジア人同士だと「男の子」が生まれる確率が高い一族なのです。

 

🔵天皇家と武士が二つに分かれた大きな理由

「吉岡一門」の最強に腕が立つ武士たちは、2000年以上前から天皇家のそばについてお守りしていましたので、京都御所の西側にある「京都 護王神社」の敷地と、後ろの「近衛町」と現在の「京都府庁の敷地」の全てを所有していた書類もありますが、誰かがその事実を捻じ曲げて現在は、神社庁も手を出せない「国の管轄下」になっています。

「南北朝時代」に天皇家が二分したことにより、天皇家を守っていた「吉岡一門の下級武士」たちも二つに割れてしまい、太平洋側の「北朝の武士」と日本海側の「南朝の武士」に分かれてしまいました。

 

江戸時代の徳川幕府を終わらせて新しく作った「明治政府」は、西にいる天皇を東に迎えて国民の意識と新しい方向へ変えさせるため2度に渡り、に明治天皇を東京に迎えしましたが、「飯がまずい」とすぐに帰られたので、京都の野菜とお米を運んで明治天皇を幽閉して、「京の都」に戻れないようにしてから国民に、江戸城は明治天皇がお住まいになる「皇居」となったと国民に知らせました。

この話は、私の祖父の吉岡西蔵が20年かけて日本一大きい武家屋敷を作った北海道芦別市の「吉岡御殿の新築祝い」に、「明治天皇一家」が来た際、直接、聞いた話だと父に教わり、祖父が「上座の左」に立ち、明治天皇が「下座の右」に立った写真も見せてくれました。

🔵江戸城に入った明治天皇についての資料
明治天皇が江戸城に入城したのは、東京と改称されてから約2か月後のこと。ただし、その時点で江戸城が皇居になると発表されたわけではありません。東京を首都に据えることは規定路線だったのですが、天皇の住まいが京都から東京に変わることを発表したら、京都市民の猛反発にあうこと必至。そのため、新政府は天皇が地方へ外出する「行幸」という名目にして、天皇を江戸城へ迎え入れます。
最初の行幸の際は、天皇はわずか2か月しか江戸城に滞在しておらず、翌年明治2年(1869)に2度目の東京行幸を実行し、江戸城が天皇の住まい兼政務の場になることが世間に示されました。このとき「東京城」は「皇城」へと名を変えています。ちなみに、都を移すことを「遷都」と言いますが、明治新政府は結局一度も「東京が首都である(京都はもう都ではない)」とは発表していないため、「東京奠都(都を定めるという意味)」と呼ばれることもあります。ただし結論的には、天皇の江戸城入城をもって、東京に遷都したという事実は変わらないでしょう。

徳川幕府を倒した明治政府は、アメリカから「もう戦争は起きないので武士制度は廃止すべきだ」と言われ、「武士の力」を弱めるために刀を奪う「廃刀令」を交付したり、各藩の代わりに武士に払っていた国家公務員の給料を無くしたり、日本全国の藩の土地と資産を没収する代わりに、藩主だけを「知事」にして多額の賄賂を渡して明治政府の指示に従うように日本全国の武士たちをないがしろにしました。

 

🔵新しい国作りの「新政府」に協力した西郷隆盛は、仲間に裏切られた!

長州藩と手を組み、「新政府擁立」に協力した薩摩藩(鹿児島県)の西郷隆盛は、長州藩(山口県)の武士をないがしろにする方針を受け入れられず薩摩藩に戻り、武士の復活のために戦いましたが、長州藩(山口県)が九州の貧乏武士にお金を渡して裏切らせ、九州の中央部で仲間の武士たちに追われて西郷隆盛を自害させ、日本全国の武士の奮起を潰しました。

戦いを好まず、国民の安全を守るために働いていた「南朝の富山藩(吉岡藩)の武士」は、このままでは日本の武士に希望を持たせられないと、北海道へ移住する決意をして、長男と家族を北海道へ送り出しました。

「北朝の武士たちにも一緒に行かないか?」と、吉岡家の頭領が伝令を出しましたが、「南朝の言うことには従わない」と明治政府に従った結果、武士として生きる方法がなくなったため、北朝の武士たちも「北海道の東側」に移住することになったのです。

 

🔵北海道だけは「明治政府」の言うことを聞かない「武士の国」だった!

北海道に入植した南朝と北朝の武士たちは、お互いに食べるものがないので北朝と南朝の武士が協力して山林を開拓して田畑を作りましたし、武士同士の揉め事が起きると「吉岡一門の頭領」、つまり、「日本中の武士の頭領」である吉岡家の頭領がお金と食料で力を合わせて北海道を自力で開拓したので、明治政府も天皇家も「吉岡一門の頭領」にだけは逆らえず、私が岡山理科大学に行くことになり、芦別市を離れた1977年まで日本刀を隠し持った農家の元武士全員が、警察の代わりに悪い人間を「成敗」していた時代でした。

だからこそ、多くの武士たちから日本国憲法よりも尊い、「吉岡憲法」と呼ばれるようになったのです。

 

もともと天皇家を守るために「剣術」の訓練をした理由は、アメリカや中国やロシアから「庶民の安全を守るため」ですので、自分から人を切り殺すことは絶対にしません。

今の警察と自衛隊を合わせたような役目が「武士」ですので、読み書きや数学にも長けていたので日本中で学校の代わりになる「寺子屋」を開く武士もたくさんいました。

私の祖父の吉岡西蔵頭領は、最初に芦別市常磐町に▶️「班渓神社」を自費で作り、人が死んで手を合わせる場所がないと庶民が困るだろうと、▶️浄土真宗の「光明寺」というお寺も作って「寺子屋」を始めたので、私の幼稚園時代はお寺の住職が「寺子屋の先生」でした。

班渓神社

光明寺

つまり、日本の武士は「警察と自衛隊と学校の先生」を兼ねていたので、庶民からはとても尊敬されていた時代が長く続き、1977年まで日本の平和を陰ながら守っていたのです。

 

🔵世界の植民地政策を止めるために、1941年に参戦した大東亜戦争(第二次世界大戦)が起きた理由

天皇家が日本国を守るために武士に命令を出す時は、「吉岡一門の頭領」が全国の武士に「伝令」を出して国を守るために一緒に戦うことを誓い合いますので、中国に勝った「日清戦争」や、ロシアに勝った「日露戦争」、そして、世界中を植民地にしようとしたイギリやフランスやアメリカを抑えるための「第一次大戦」にも武士が出兵して、多くの武士が命を落としながらも戦いに勝利して、アジアの小国の植民地化を止めました。

その結果、安倍晋三首相の祖父の岸信介さんが「環太平洋 大東亜連合」という小国の繋がりを作ったおかげで、日本はアジア最大の協力者となり、アジア諸国から日本国は尊敬されたのです。

大東亜戦争の終戦後、岸信介首相は北海道の吉岡家の本家に一人でやってきて、「多くの武士を死なせたお詫び」を吉岡家の仏壇の前で土下座して泣いていたことを父から聞きました。

1941年に「大東亜戦争」が始まるまで、アメリカは日本に運ばれる石油タンカーを攻撃したり、食料を運ぶ船荷を撃沈したり、工業製品の部品を詰んだ船を撃沈したので、「威嚇のためビラ」を配る飛行機をハワイに向けて飛ばしましたが、護衛の戦闘機は数機しかいなかったし、真珠湾に止めていた船は廃船が決まっていた船ばかりだし、事前に、電報とモールス信号で「威嚇だから日本をいじめるな!」と電報を送ったのに「届いていない」と日本を騙して「真珠湾攻撃」をさせたアメリカは、戦争になる前から「日本植民地化計画」、つまり、「日本人弱体化計画」を作っていたので、終戦後、すぐに大日本帝国憲法を違憲だと主張し、アメリカに都合のいい「新日本憲法」を作らせたのです。

この事実は、全てアメリカが隠していた「国防極秘ファイル」に書いてある書類を30年前に私もアメリカまで見に行きましたし、現在ではアメリカで一般公開されていますので、「公の事実」として認められているのに、日本人だけが真実を知りません。

 

🔵今上天皇と秋篠宮と三人で会って話した内容

日本の未来を考えた時に不安だったので、私は仲間の官僚に頼んで、現在の「今上天皇と秋篠宮」を呼びだしてもらい、安い居酒屋の隅で話をしたことがあります。

高級なお店に行くと、必ず、政府高官や政治家たちがいるからですが、二人とも私より年下なので、名前を呼び捨てで付き合いました。

 

吉岡)まず、確認したいんだけど、二人のどちらかの「種」に、私の父の「吉岡忠の血」が入っていると父に聞いたんだけど、君たちは聞いているかな?

二人とも「聞いてはいない」と答えました。

秋篠宮文仁)でも、僕も、どうせ、今の母の子ではないと聞いているので、それ以上、追求しても意味がないと思います。

徳仁(なるひと)僕の先祖は「百済」と聞いていますが違うと思い、自分で宮内庁の資料を調べましたが、誰かが一番、大事な血筋の書類を隠したようで確認できませんでした。

 

吉岡)じゃあ、二人とも「南朝」の血が入っていることは聞いているかい?

二人とも、うなづく。

 

吉岡)僕が「南朝の武士」の最後の統領なので、君たちとは兄弟になるんだよ。

もしかすると、二人ともに僕の父の血が入っているかもしれないから、DNA検査をしてご覧よ。

二人ともうなづき、「すぐにやります」と言ってくれて、私の血をその場で針で抜いて渡して一緒に調べてもらいました。

 

吉岡)ちなみに、表には絶対に出ない話だけど、皇位継承順位の一番最初に、「吉岡家は宮家」として登録されているし、皇位継承順位は「吉岡家」が一番トップなので、次に天皇になる時には、僕に連絡を頂戴ね!

秋篠宮文仁)そんなこと、あるんですかねえ。じゃあ、それは僕が調べてみます。「宮家の母方」を担当する人たちに聞けば、すぐにわかると思います。

 

吉岡)そうなの?天皇家は、「男系」で繋いでいる血じゃないの?

徳仁(なるひと)天皇家は、表では「男系の血」で選びますが、裏では「母方の血」で皇位継承順位が決まるので、調べればすぐにわかると思います。

確か、女性の皇位継承を担当しているのは、「〇〇〇家」だと思うので聞いてみますね。

〇〇〇家は、いつも、女性ばかり生まれるので、早く男の子が生まれないと「宮家」として外されて財産を没収されるのですぐに調べますね。

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この結果は、私の父の血が、三人と共に入っている確率は99.9%でしたし、宮家の女性たちが守っている資料の中に「吉岡家は常に、皇位継承第一位」と書いてあったので驚いたと、二人から連絡をもらいました。

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この事実を宮内庁長官が知らされていない理由は、「男の天皇」に何かあった場合は、女性たちだけが守り続けてきた「皇位継承順位第一位の血」を入れて産めば、日本国家は安泰だと「卑弥呼の時代」からの言い伝えられているそうです。

 

つまり、吉岡一門の日本の母親は「卑弥呼」であり、その名前を「天照大神」と変えているだけだと覚えておいて下さい。

当然、父親は吉岡一門の頭領となった「先住民の頭領」であり、その子供が「神武天皇」です。

 

もし、この事実を隠蔽する人たちが私の行動や情報を邪魔する動きを見せたなら、世界の首相たちや国王たちに連絡をとって、日本の天皇家の実態を公開しますので、早めに、「裏切り者の財務省官僚の鈴木◯康」を処罰してから連絡下さい。

 

ちなみに、大東亜戦争に負けるまで日本神道の神札は「神武天皇」だったのに、「アメリカ寄りの神社庁」は「神武天皇の神札」を焼き払い、「天照大神」という神札に書き換えたので、私が2024年に「神武天皇の神札」を発売しますのでお楽しみに!

 

🔵現在の天皇家が持っている「三種の神器」は、偽物です。

本州の太平洋側に住んでいる「北朝」の武士たちは、「南朝」のことを根に持っていますが、その理由は室町時代に天皇家の争いである▶️「南北朝時代」に足利尊氏に騙された光厳天皇が、次に渡すべき▶️「三種の神器」を渡さないで勝手に即位したため、後醍醐天皇が怒り、神武天皇時代から持っていた「古い三種の神器」を掲げて「本来の天皇家は南朝である!」と宣言したことにより、天皇家が二つに割れた時代のことです。

南北朝の争いは最終的に、「北朝派の皇族」が「三種の神器」を返さなかった事実を認めたので「南北朝統一」になりましたが、私が官僚の仕事をしている時に、日銀の三重野康総裁が天皇家が隠しているあらゆる書物を調べた結果、「昭和天皇が持っている三種の神器が偽物」だと私に教えてくれたので、「吉岡一門」が後醍醐天皇から託された本物の古い「三種の神器」を見つけて「ある場所」に隠すことにしました。

日銀の三重野泰総裁がそこまでしてくれた理由は、自分の先祖は「北朝」であり、天皇家が隠していた書物を読むと、光厳天皇を騙した「足利尊氏が自分のルーツ」だとわかったので、本物の「三種の神器」を必死に探し当てて隠してくれたのです。

「三種の神器」を隠した理由は、現在も日本国民を騙し続けている「北朝派の皇族と北朝の武士」に奪われないためですし、もし、世界中で戦争が起きた時は「世界で最も古い国のトップが戦争停止命令を出せる」と国連条約に書いてありますので、もし戦争が日本に影響を及ぼす場合は、天皇ではなく、私が国連を通して世界に「戦争停止命令」を出せば解決できるからです。

 

そのことを面白く思わない「北朝派の皇族」たちが問題なので、私以外は絶対に開けることができないようにしてありますのでご安心下さい。

「本物の三種の神器」を使って祈りをしないと、天皇家を守る卑弥呼の神力が下がり続け、皇族に鬱や精神病や怪我や事故が増えますので、天皇家も必死に探していますが、「裏切り者の鈴木◯康」が財務省官僚にいる間は表に公開しませんので、「北朝派の皇族」たちは1日も早く彼を捕まえて国訴し、これまで日本から抜き取った一族の資産を全て没収してから私にご連絡下さい。

なお、「鈴木◯康」は別名を3つ持っていますので「偽物」を捕まえても意味はありませんので、どうぞ、戸籍を調べて追求して下さい。

連絡先:地球創生スタッフ初野 oasisinfo@earthtscu.jp

 

 

🔵「日本人弱体化計画」を変えるのは、女性たちの役目です!

私は、30代の官僚時代に、アメリカが隠していた「日本人弱体化計画」の実物の書類をジョン・ボルトン国家安全保障問題担当大統領補佐官と一緒に見たので、「自分が父から教わった通りだ」と確信し、労働組合を辞めたあと、世界126ケ国を飛び周り、表にはでない「戦争をしないための国交条約」をたくさん結びました。

しかし、現在も日本国の税金で働く「国家公務員」が日本を裏切り、日米和平条約を書き換えて「日本人弱体化計画」を遂行するために多くの政治家や宗教家や官僚たちやヤクザに金を渡して動かしていますので、どうか、正しい日本にするために本気で動ける人たちは、財務省官僚の鈴◯友康を告訴して追求して下さい。

私もできることは努力しておりますが、記憶が消えている部分もあるうえに、官僚内部には入れないので、上級国家公務員を子供にもつ親たちにお願い申し上げます。

日本国と子供達の未来を本気で考える大人がいることを願ってお伝えしております。

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