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【記憶を消す薬】を飲むと記憶と体はどうなるか?私が渥美清さんを看取った!?

「昔の記憶」をどんどん思い出す日々ですが、実は、記憶を消す時に「どんな思いをいつまで消すのか」を決めて薬を飲むので、「記憶を消す薬」が切れるといろんな過去の感情も同時に思い出すので、頭に来たりイラつく時もあるので大変なんです。

記憶の設定をしないまま薬を飲むと、「左脳記憶が空っぽ」になって廃人になる危険な薬です。

(ペンタゴンで製造)

 

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2022年12月から体内の全ての毒素が抜ける「福寿塩」を毎日、飲み始めてからどんどん記憶を思い出していますが、ここ最近は、「昔の体の痛みや傷も、脳と細胞が思い出す」ことを確認しています。

▶️高波動「至高 福壽塩 500g」

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下の写真は、「私の腰の傷」ですが、私を傷付けたのは「財務省官僚の小指チンチン鈴木友康」で、ロシアのプーチン大統領に嘘の出張の電話をさせて、ロシアの帰りに飛行機から落とすために手足を縛り、口にティッシュをたくさん詰め込んで包帯を巻きつけてから「痛みを感じない薬」と「眠り薬」を飲ませて、左奥歯の詰め物を外して、電動ドリルで「GPS発信機」をねじこんだあと、瞬間接着剤で被せ物をくっつけてから「吉岡さんの元気なチンチンの秘訣を探ります」とうつ伏せにして腰に「OLFA社のカッター」で切り開こうとした傷の写真です。

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私は学生時代も、ダイエー時代も、官僚時代も、常に、「OLFA社のカッター」を2本ビジネスバックに忍ばせておき、「何かあった時のための対策」として持ち歩いていたので、私のビジネスバックの中から鈴木が抜き取って「財務省官僚の小指チンチン鈴木友康」に切られたことを思い出しましたが、そこで目が覚めたので何とか生きて戻れました。

 

「腰の傷の痛み」は無いですが、どうしてこんな骨が硬い場所を切るのか意味がわかりません。本当に、頭が悪い「明治大学 裏口入学の小指チンチン鈴木友康」です。

 

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この傷以外の痛みで思い出したことは、「左手首の骨を2本とも折った時の痛み」も思い出したので、昨日は左手首が異常にだるく腫れました。

 

当時、折れた骨は親指側の太い骨「橈骨(とうこつ)」と「尺骨」の両方を折って手術した二日後に首から三角巾で左手を吊りながら山に登る神事をしていたことも思い出しました。

 

さらに昔、「左足の親指の骨を折った時の痛み」も思い出したので、一日中、痛かったです。

 

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さらに、腰の骨を潰した記憶も思い出し、2007年(48歳)に350万円のスカイラインの新車が納車された翌日の夜中に、嬉しくて一人で山道のカーブを爆走してカーブを160kmで突っ込んでコントロールできずガードレールに激突して救急病院に運ばれたので「2日間で新車を廃車」にした時に「第二腰椎圧迫骨折」と診断されましたが、手術をしないで治せる日本一のスポーツドクターが札幌にいたので紹介してくれたおかげで、「ギブス」だけで終わりましたが痛みで思い出しました。

もう数ミリずれていたら下半身付随」だったそうで、ありがたく腰を使っています。

 

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どの事故にも「女」が絡んでいるので、「自分勝手で運が悪い女とは付き合わない」と心に決めたのに・・・、「私は運が良いしアゲマンなの!」と言った女は「韓国三世のスパイ女」だったし、私にバレた結果、鈴木友康が送った「バリ島無料招待旅行のチケット」でバリに行き、地元の人に食べられてしまいました。(カニバリズム)

 

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私は結婚前から妻も認める「女好き」ですが「仕事ができる人間」なので誰も正面切って文句を言う人はいませんが、「女の陰口のネタの宝庫」と呼ばれていたし、妻も、「女のことはどうでもいいけど、あなたに起きたことは全てあなたが蒔いた種でしょ!」と言われましたが、タネを世界に巻いた結果、たった198人ほどの子供がいるだけです。

 

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インドや大東亜連合の国王たちのお礼は、「女性を抱かせること」がお礼だし、受け取らないと失礼に当たるし、ほとんど男の子が生まれるのでとても大事に私の子供を次の国王として育ててくれています。

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だから、インドも大東亜連合の国々も、何があっても日本に協力的だし、私が外務省の仕事を辞めたあと、安倍晋三首相にバトンタッチしたので、「鈴木友康の指示」で安倍晋三首相は殺されたのだと思います。

 

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世界中の国々が認める「経済成長が最も望める国がインド」だからこそ、私のインドのモディ首相との信頼は永遠に続く関係になりましたが、あとは、日本人が昔のように「アジア諸国の見本となる生き方」をすることかどうかが問題だと、ナレンドラ・モディ首相にも言われております。

ナレンドラ・モディ首相 1950年9月17日 (年齢 73歳)

 

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自分のことより国を守るために命をかけて戦った戦前の日本人教育の素晴らしさは、アジア諸国が日本を目指すテーマだとご本人が教えてくれたので、戦前の「大日本帝国憲法の教科書」を古本屋を探してたくさん送ったので、アジア諸国は日本を目ざして頑張っていることをどうぞ、平和ボケした日本人は思い出して下さい。

 

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官僚時代に国会議員が手を出せない「市立小学校の文部省予算」がたくさん余っていたので、

 

「日本人を育ててくれた大日本帝国憲法の授業をして下さる学校に返さなくてもいい寄付金を送りますのでご連絡下さい。」

 

と日本全国の市立小学校にFAXを送った結果、「埼玉県の春日部市立幸松小学校」からお礼のFAXをいただき、「ぜひ、そのお金をお願いしたいし、ぜひ、授業も見にきて下さい。」と書いてあったのでたっぷり文部省予算を使って学校を修復してもらってから「大日本帝国憲法の授業」を見せてもらいに行きました。

 

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「真実」から逃げない、言い訳をしない、素晴らしい瀬髙武夫校長は、「善悪は子供たちが考えていくものなので、親も教師も自分の価値観を一方的に押し付けることは間違いだと私は思います」と教えてくれた素晴らしい瀬髙武夫校長にお会いできて私も勇気をもらいました。

 

「北海道の小学校の校長だった人が定年後に自宅を開放して地域のつながりを作る活動をしてその名前を「笑楽好」にしたんですよ」と話したので、「笑楽好」という文字を使ってくれていますが、「苫小牧の笑楽好の好調(校長)」は自分勝手に日本を遊び呆けているので解散しましたが、私がその家を購入して「新しい形の未来教育の場」となる準備をしているところです。

 

まだ、私のブログを読んで下さっているのかな・・・?

 

▶️埼玉県の春日部市立幸松小学校のホームページ

 

 

 

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そういえば、ついでに思い出したので書きますが、なぜか、私が渥美清さんの最後を看取ることになった体験談を書いておきますね。

 

「男はつらいよ」の渥美 清(あつみ きよし、1928年〈昭和3年〉3月10日 – 1996年〈平成8年〉8月4日)は、日本のコメディアン、俳優、歌手。本名:田所 康雄(たどころ やすお)。

 

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この『男はつらいよ』シリーズで、柴又育ちのテキ屋で風来坊の主人公「車 寅次郎」を演じ、「寅さん」として広く国民的人気を博した昭和の名優の「渥美清さん」が亡くなる日に、いくら総務省の官僚が国民栄誉賞を持っていこうとしても断られたので、代わりに病院へ行ったことがあります。

 

1996年〈平成8年〉8月4日の渥美清さんが亡くなる日に、私が「国民栄誉賞の盾と賞状」を病室に持って行くとご家族が揃っていて、お手土産で買って行った「お饅頭」に感動したご家族が、渥美清さんの病室に入れてくれたので、最後にたくさん会話したことも思い出したので公開します。

 

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渥美清さん)お!誰だ!!俺は?

 

国民栄誉賞はいらないと言ったろ!!早く持って帰れ!!

 

でも、その饅頭だけは食わせろ!!

 

 

 

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渥美清さん)ところでお前はどこの誰だ?お前の名刺を見せろ!

 

ふふーん、国の官僚をしているのか、ろくなもんじゃないなあ。

 

冥土の土産に聞くけどよ、お前が人生で最高に感動した言葉があったら教えてくれ!俺は今、それを考えているところなのよ!!

 

 

吉岡)「人生で起きることは車窓の風景」と中村天風さんの本の言葉に感動した時と、あなたの映画を見た時も同じ感動を感じました。

それが一番の感動した映画でしたので、ご本人にお会いできて光栄です!

 

 

渥美清さん)うまい例え話をするものだなあ?

お前、君は顔いいし、背丈もあるので、役者か?モデルか?

 

 

吉岡)いえ、私はダイエーというスーパーの店員で、国の仕事をタダで手伝っている吉岡学と言いますが、実は、「武士の吉岡一門の最後の頭領」なんです。

 

 

渥美清さん)こりゃあ、また上手く話を切られたわ!!!

 

さすが、吉岡一門の頭領だわ!!

 

なあ、お前、役者になれよ!!俺が監督を紹介してやる!!

 

黒澤監督なんて、どうだ?

 

今、電話してやるわ!

 

黒澤も、面白いやつを探していたからな!!

 

 

吉岡)もし私が役者になっても、黒澤明監督の言うとおりには話せない人間ですので、喧嘩になると思うので絶対に無理だと思います。

 

アメリカへ行った時に有名なVIPたちにも「役者になれ!」と言われましたし、ウオルトディズニーの監督にも言われましたが、「カメラテスト」で台本に無いことをベラベラ言うのでクビになりましたので、きっと、黒澤監督も怒るし無理だと思います!!

 

 

渥美清さん)お前!!いいわ!絶対にいい!!!

こりゃあ、黒澤監督が探していた男だわ。

 

お前、黒澤が作った「生きる」って映画を知っているか?

 

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映画『生きる』(いきる)は、1952年に公開された日本映画で監督は黒澤明、主演は志村喬。モノクロ、スタンダード、143分。東宝創立20周年記念映画。無為に日々を過ごしていた市役所の課長が、胃癌で余命幾ばくもないことを知り、己の「生きる」意味を求め、市民公園の整備に注ぐ姿が描かれている。

 

 

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吉岡)はい、見ました。「子供の頃の自分と同じ」だと思って見ていると、涙が止まらなくてタオル1本がベチャベチャになったほど、感動しました。

 

確か、1952年の映画だと思いましたが、北海道の開拓者たちはもっと厳しい生活をしていたし、今は豊かになりましたが、「絶対に忘れてはいけない日本が苦しみから立ち上がった大事なきっかけの映画」だと思います。

 

黒澤明監督作品は全部見ましたが、武士の戦いのシーンが「甘い!」と思ったので、ご本人に言ってもいいですかね?

 

 

渥美清さん)そうか、わかるか・・・、お前みたいな若造でも感動させるならいい映画なんだな?

 

実は、俺は「生きる」を見てないんだよ。

 

だって、俺は黒澤明監督の作品はほとんど見たんだが、「暗い」ので嫌いなんだ!

 

本人と酒を飲んだ時はいつもこの話で殴り合いになるので、よく撮影の時に黒澤が休むのは、俺のパンチが効いたからよ!!(^^)

 

まあ、お前からも言ってやれ!!!

 

お前の映画は「暗い」ってな!!!

 

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そう言うと、携帯電話で黒澤明監督に事情を話してから、電話を私に代わり話すと、まず、こう言われました。

 

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黒澤 明(または黒沢 明、くろさわ あきら、1910年〈明治43年〉3月23日 – 1998年〈平成10年〉9月6日)は、日本の映画監督・脚本家・映画プロデューサー。位階は従三位。

 

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黒澤明監督:お前、よく渥美清に会えたな?

 

あいつは、昔から人に会うのが嫌な奴だし、貧乏だったので、「今のお前のままでいいから帽子をかぶってカバンを持って立ってろ!」と言って、周りの役者たちに目一杯、話をさせた映画が当たったので、「客の心理」は何が受けるか俺もわからんが、どうやって渥美清にコンタクトを取ったんだ?

 

 

吉岡)はい、ただ「国民栄誉賞」を渡したいので、手土産に美味しいお饅頭を買って持ってきたら奥様とスタッフが病室のドアを開けてくれたので、何も余計なトークはしていません。

 

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黒澤明監督)お前、役者になれ!!いや、絶対になれ!俺がお前を売ってやるわ!!

 

いいぞ、役者は!!

 

女も抱き放題だし、高い酒も飲み放題だし、お金持ちになれるぞ!!

 

 

吉岡)あのう、黒澤明監督、まだ、私の顔も見てないし、どんな奴かも知らないのに、どうしてそんなことを言えるんですか?

 

それに、「女」は10歳の時から飽きるほど抱いてきたし、今も10人くらいの女は常時いるので、もう手一杯なんです。

 

それに、酒も外務省官僚をしているので、高い酒ばかり飲んでいるので糖尿病にならない薬を飲んでいるほどなんです。

 

さらに、私は「武士の吉岡一門の最後の頭領」で、「日本国の資産は全て吉岡一門の資産」なので、生活できるだけのお金があれば十分だと思える人間なので、「たくさんのお金を欲しいと思ったことはない人間です。

 

だから、国の仕事も無償でやっている、「ただのアルバイト」なんです。

 

そんな人間を役者にしても、面白くないと思いますよ!

 

 

 

黒澤明監督)何!!あの吉岡一文字の刀を振り回す、「武士の吉岡一門の最後の頭領」だと!!!

 

だったら、お前、余計に俺が最後に「本当の武士の映画」を作るから、出ろ!!それなら文句ないだろう!!

 

 

吉岡)だ、か、ら・・・、黒澤監督、聞いて下さいよ!

 

私が有名になると「北朝のバカな武士」たちが刀を持って「果たし合い」にくるので、小学生の頃から何人斬り殺したのかわからないほど人を切り殺したので、絶対に有名になってはいけない人間なんです。わかって下さいよ!

 

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黒澤明監督)お前、本当に「吉岡流 吉岡憲法 吉岡一門の武士」なんだな・・・、そうか、それは仕方がないかな・・・。

 

だったらよう、最後に「俺の頼み」を聞いてくれ!!

 

俺は持病持ちでそんなに命も長くないので、俺を「介錯」してくれよ!

 

俺も腹を切るので、どうだ?俺を「介錯」してくれるか?

 

 

吉岡)あのう黒澤監督、「介錯をする人間」は、最も信頼がおける「盟友」に頼むものなので、私はあなたのことはただの映画の監督としてしか知らないので、私が切ると「魂が悲しみます」ので切れません。

 

どうぞ、今まで泣かした女たちの中で、目一杯、あなたを憎んでいる「女に介錯」を任せてはいかがですか?

 

 

黒澤明監督)それは、やっぱり、妻だろうなあ・・・たくさん泣かせたからなあ・・・。

 

いや、待て待て、お前は話がうますぎるので、やっぱり、何かの舞台に出てやってみろよ!!

 

全く売れなくてもいいので、俺の全財産を注ぎ込んで映画を作るから、俺に最後の映画を作らせろ!!!

 

 

吉岡)黒澤明監督、あのう、失礼を承知で言いますが、知り合いのマルサの課長から、「黒澤晃監督は映画に金を使いすぎて税金を払っていないので、どうにかしてもらえませんかねえ?」と来る前に言われてきたので、今の話はなしにしましょうね!!

 

死ぬ前に、税金くらいは払いましょうよ!!!

 

それが、「世界の黒澤明監督」だと私は思いますので、全部綺麗に払い終わったら、また誘って下さい。では、失礼します。

 

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こんなやりとりを渥美清さんのベットの上で話していたので、大笑いしながら涙を流して泣いてくれました。

 

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渥美清)吉岡さんよう、お前という人間はスケールがデカすぎて、まともなのか、変態なのか、わからなくなってきたわ。

 

でも、俺が今までの人生で会ったことない人間に最後に会えたのは、最高の思い出だ!ありがとうな!

 

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なあ、吉岡さん、タバコ、持ってるか?

 

医者には止められているんだが、俺はきっと「今日死ぬ」とわかるんだ・・・。

 

だから、最後の1服をさせてくれ!

 

頼む!吉岡さん、人生最後のお願いだ!!

 

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「本当に死ぬ覚悟をしている人」だとわかったので、後ろで見ていた家族もうなずいたので、持っていたセブンスターに火を付けて、口にくわえさせると、ゆっくり息を吸って煙を吐き出しながら・・・

 

 

やっぱりタバコはうまいなあ、なあ、吉岡さん!!!

 

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ありがとうな・・・、本当に今までありがとうな・・・。

 

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病室には家族が少人数だけいましたが、最後の最後まで私の手を離さなかったので、付き添い続けた女性に、「この手を握って一緒に魂を送って下さい」と言って「魂を送るお別れの言葉」を唱えました。

 

すると、目を瞑った渥美清さんが、私の手と付き添いの女性の手の両方をギュッと握って静かに目を閉じて、息を引き取りました。

 

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吉岡)最後の最後まで演技していたのですかねえ?

さすが、役者の中の役者ですねえ・・・。

 

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付き添いの女性)はい、やっぱり、最後まで役者でしたね(^^)

本当にありがとうございます、吉岡学さん・・・。

 

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ご家族も一緒にいたので、本当に最後まで笑って生きたことを感謝して下さいました。

 

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俺は無宗教だから「戒名はつけるな」「最期は家族だけで看取ること」「世間には荼毘に付したあと、知らせること」「騒ぎになったときは、長男の健太郎ひとりで対応すること」という渥美清さんの遺言により、家族だけで仏式の密葬を行い、遺体は東京都荒川区内の町屋斎場で荼毘(ダビ)に付されたが、私にどうしてもきて欲しいと電話があり、一晩、一緒にご家族と過ごした思い出があります。

 

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ご家族には、「俺は死ぬ最後に男は辛いよ!と言って死ぬ」と言っていたそうで、病室の中にビデオカメラもマイクもあって全ての会話を録画していましたが、私は「絶対に表に出てはいけない人間」だとご理解頂いて、ご家族だけで最後に過ごした時間を録画したビデオを見て毎日泣いて笑っていますと、付き添いの女性からお電話を頂きました。

 

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渥美清さんとの最後の動画は、フーテンの寅さんの山田洋次監督や主演者にだけにはコピーして送ったそうですが、ウイキペディアには、一切、私の名前は出ていないので感謝しております。

 

▶️渥美清さんのウイキペディア

 

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家族だけの葬儀に来ていた黒澤監督に頼まれて一度だけ撮影現場に行きましたが、それがリメイク版の「生きる」で黒澤明監督とノーベル賞作家のカズオ・イシグロの撮影だったので、通行人で出た記憶があります。

 

あとで他の役者が教えてくれたのですが、黒澤明監督はテーマだけ与えて「全て役者のアドリブ」で映画を作るらしいので、フィルムがとても長く使うので赤字になると教えてくれました。

私が出ていれば、きっと、「一発OK」をもらえると思うのですが、まあ、「あとの祭り」でした。

 

逆に、カズオ・イシグロ監督は、細かくうるさいことを言う人だったので結局、通行人で終わりました。

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あとで、マーゴおばちゃんに「通行人で黒澤監督の映画に出たよ」と言うと、

 

「早く言ってくれればあなたを主演にしたのに、バカね!

まあ、吉岡学さんのことだから、きっと主役は断ると思うので、アカデミー賞でも与えておきましょうかね。

 

私も黒澤明監督の映画は暗いので好きじゃないけど、アカデミー賞は、私が審査員のトップだし、たくさん映画にお金を払っているので文句を言う人は誰もいないからアカデミー賞は確定よ!」

と言ったとおりになりました。

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こんな流れになったのも何かのご縁ですので、付き添いの女性の思いを表に出したいと思って「これから一人で生きる新しい生活を始めると思いますが何か欲しいものはありますか?」尋ねると、過去の思い出は過去なので、新しい家に引っ越して「壁掛け時計」がないので欲しいです」と言われたので国民栄誉賞の記念に「壁掛け時計」を正式に受け取ってもらいました。

 

 国民栄誉賞表彰式で橋本龍太郎首相(右)から記念の盾を受け取る故渥美清さんの長男・田所健太郎さん(中央)。左は倍賞千恵子さん(東京・首相官邸)(1996年09月03日) 【時事通信社】

 

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人生は、何が起きるかわかりません。

 

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良いことも悪いことも色々たくさんおきますが、全部忘れたのにこうやって思い出すのも、神様、いや、「吉岡一門のご先祖様」がどうしても「北朝の裏切りを許さない」ようなので、「吉岡一門の真実の歴史」を表に出して欲しいと感じています。

 

だから今、12歳で頭領になった時に一晩で全て覚えたことや思い出したいろんなことをまとめながら、記憶を思い出す作業として毎日ブログを書き続けていますので、いつかは、「真実の日本の歴史 吉岡一門頭領の体験談」を本にしたいし、「いつか、映画になったらいいな」、と思っていますので実力とお金がある監督さん、どうぞ、よろしくお願いします!

 

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