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体に溜まった「化学薬品」や「記憶を消す薬」を除去する方法

今、私は「昔の記憶」をどんどん思い出す日々ですが、実は記憶を消す時に「どんな思いをいつまで消すのか」を決めて薬を飲むので、「記憶を消す薬」が切れるといろんな過去の感情も同時に思い出すので、頭に来たりイラつく時もあるので大変なんです。

 

記憶の設定をしないまま「記憶を消す薬」を飲むと、「左脳記憶が空っぽ」になって廃人になる危険な薬ですが、製造した元の菌は「日本酒を作るお酒の酵母菌で「酒母(しゅぼ)と呼ばれているものです。(ペンタゴンの地下で製造30ccで100万円)

 

2022年12月から体内の全ての毒素が抜ける「福寿塩」を毎日、飲み始めてからどんどん記憶を思い出していますが、ここ最近は、「昔の体の痛みや傷も、脳と細胞が思い出す」ことを確認しています。

▶️高波動「至高 福壽塩 500g」

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体に溜まった化学薬品や飲み続けている「薬の副作用の毒」を吐き出す食べ物は「酢味噌」ですので、皆さんもぜひ、毎日、お食べ下さい。

 

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下の写真は、「私の腰の傷」ですが、私を傷付けたのは「明治大学裏口入学の財務省の小指チンチン鈴木友康」です。

最後に彼に会ったのは、「ロシアのプーチン大統領が危篤です!」と嘘の電話を誰かにかけさせたようで、ロシアまで行くとプーチンは「別に何でもないよ」と言うので騙されたことが分かり、二人でウオッカをがぶ飲みしながらいろんな話をしました。

 

 

ロシアの帰りの飛行機に乗り込むと、「財務省の小指チンチン鈴木友康」が乗っていて、「お疲れ様です。ビールで乾杯しましょう!』と外国製のマズイビール私に薬を飲ませたので、そのビールの中に「痛みを感じない薬」と「眠り薬」が入っていたのだと思います。

プーチンとお酒を飲んだので早く眠りたいと思っていたし、喉が渇いて仕方がなかったからです。

 

顔の周りで大きな音がするので目を開けてみると、手と足はロープで縛られているし、口にティッシュをたくさん詰め込んで包帯を巻きつけて「左奥歯の詰め」をペンチで外して電動ドリルで「極小のGPS発信機」をねじこんだあと、瞬間接着剤で被せ物をくっつけてから、「吉岡さんの元気なチンチンの秘訣を探ります」と、うつ伏せにして、腰に「OLFA社のカッター」で切り開こうとした「切られた傷の記憶」を体が思い出して出てきた写真です。

 

記憶を消す薬は、脳と体の細胞の両方に効く危険な薬なのです。

私は学生時代も、ダイエー時代も、官僚時代も、常に、「OLFA社のカッター」を2本ビジネスバックに忍ばせておき、「何かあった時のための対策」として持ち歩いていたので、私のビジネスバックの中から盗んで切られたことを思い出しました。

 

カッターでスパッと切れたので「腰の傷の痛み」は無いですが、オチンチンの秘訣を知るのにどうしてこんな骨が硬い場所を切るのか意味がわかりません。本当に、頭が悪い「明治大学裏口入学の小指チンチン鈴木友康」です。

この傷以外の痛みで思い出したことは、「左手首の骨を2本とも折った時の痛み」も思い出したので、昨日は左手首が異常にだるく腫れました。

当時、折れた骨は親指側の太い骨「橈骨(とうこつ)」と「尺骨」の両方を折って手術した二日後に、首から三角巾で左手を吊りながら山に登る神事をしていたことを思い出しました。

 

さらに昔、「左足の甲の骨を折った時の痛み」も思い出したので、一日中、とても足が痛かったです。

さらに、「腰の骨を潰した記憶」も思い出し、1993年(34歳)で350万円の新車のスカイラインが納車された翌日の夜中に、嬉しくて一人で山道のカーブを爆走してカーブを160kmでガードレールに突っ込んでしまいました。

「2日間で新車を廃車」にして救急病院に運ばれたとき、「第二腰椎圧迫骨折」と診断されましたが、手術をしないで治せる日本一のスポーツドクターが札幌にいたので紹介してくれたおかげで、「ギブス」だけで終わりましたが「痛み」で事故の記憶も思い出しました。

あと数ミリずれていたら下半身付随」とドクターに言われたので、今もありがたく腰を使っています。

 

 

どの事故にも「女」が絡んでいるので、「自分勝手で運が悪い女とは付き合わない」と心に決めたのに、「私は運が良いしアゲマンなの!」と言った女は「韓国三世のスパイ女」だったと分かったので会うのをやめましたが、私にバレたので鈴木友康が送った「バリ島無料招待旅行のチケット」でバリに行き、地元の人に食べられてしまいました。(カニバリズム)

 

私は結婚前から妻も認める「女好き」ですが「仕事ができる人間」なので誰も正面切って文句を言う人はいませんが、「女の陰口のネタの宝庫」とも呼ばれていたし、妻にも「女のことはどうでもいいけど、あなたに起きたことは全てあなたが蒔いた種でしょ!」と言われました。

私がタネを世界中に巻いた結果、インドと大東亜連合だけで198人の子供がいるくらい世界にも日本にもたくさん子供は生まれています。

インドや大東亜連合の国王たちの最大の信頼のお礼は、「妻や側室や女性を抱かせること」がお礼なので受け取らないと失礼に当たるし、私はほとんど「男の子が生まれる」ので、インドのモディ首相は私の子供は「次の国王」として育ててくれています。

 

 

インドも大東亜連合の国々も、永年の私との信頼が厚いし、たくさん私の子供が産まれているので、何があっても日本には協力的だし、私が外務省の仕事を手伝うのを辞めたあとは「安倍晋三首相」にバトンタッチしたので、「鈴木友康の指示」で警護のSPも入れ替えられたし、「殺す瞬間を記録」の残すようにマスコミもたくさん写真を撮らせて、安倍晋三首相は殺されたのだと思います。

 

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インドは、1990年代から世界中の国々が認める「経済成長が最も望める国がインド」だったからこそ、私のインドのモディ首相との信頼はたくさんの息子や娘を通して永遠に続く関係になりましたが、あとは、日本人が昔のように「アジア諸国の見本となる生き方を日本人がするかどうかです」と、インド国王のナレンドラ・モディ首相にも言われました。

ナレンドラ・モディ首相 1950年9月17日 (年齢 73歳)

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モディ首相は、自分のことより国を守るために命をかけて戦った「戦前の日本人教育の素晴らしさはアジア諸国が日本を目指すテーマだとご本人が教えてくれたので、「戦前の大日本帝国憲法の教科書」を古本屋を探してたくさん送ったので、アジア諸国は日本を目ざして頑張っていることをどうぞ、平和ボケした日本人は思い出して下さい。

 

 

官僚時代に国会議員が手を出せない「市立小学校の文部省予算」がたくさん余っていたので、「日本人を育ててくれた大日本帝国憲法の授業をして下さる学校に返さなくてもいい寄付金を作りますのでご連絡下さい。」と日本全国の市立小学校にFAXを送った結果、「埼玉県の春日部市立幸松小学校」からお礼のFAXをいただき、「ぜひ、そのお金をお願いしたいし、ぜひ、授業も見にきて下さい。」とFAXに書いてあったのでたっぷり文部省予算を使って学校を修復してから、「大日本帝国憲法の授業」を見せてもらいました。

 

「真実」から逃げない、言い訳をしないことをモットーにしている瀬髙武夫校長は、「善悪は子供たちが考えていくものなので、親も教師も自分の価値観を一方的に押し付けることは間違いだと私は思います」と教えてくれ他のでお会いできて私も勇気をもらいました。

「北海道の小学校の校長だった知り合いが定年後、自宅を開放して地域のつながりを作る活動の名前を「笑楽好(しょうがっこう」にしたんですよ」と話したので、「笑楽好」という文字を使ってくれていますが、「苫小牧の笑楽好の好調(校長)」は借金を抱えて自分勝手に日本を遊び呆けているので私がその家を購入して「新しい形の未来教育の場」となる準備をしているところです。

まだ、瀬髙武夫校長は私のブログを読んで下さっているのかな・・・?国を守る強い精神性を育てるのは、「学校教育と家庭教育」ですので親御さんたちは自分でも学ぶことをお勧めします。

 

▶️埼玉県の春日部市立幸松小学校のホームページ

 

「大日本帝国憲法」の教科書の1ページに書いてあったこと。

女性は、生理をもって「女」と認め、結婚できるし、正式に、「側室」としも認められ、子を残せば、男の子なら5万円、女なら1万円を国から支給される。

 

 

 

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