【防衛省】「関東東海大地震」と「戦争」が同時に起きた時の対策はどうしますか?
30代の時に、〇〇首相に「防衛省の特別統合幕僚長」を任命されたので、防衛省の「統合幕僚長」に挨拶に伺った時、「ある想定」の質問しました。
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吉岡)あのう、質問なんですが、昔から言われている「関東東海大地震」の可能性がどんどん上がっているといろんなマスコミや雑誌で騒がれていますが、緊急時は、「どういう防衛上の作戦指示」を出すのか教えて下さい。
統幕)大地震の時の対応は十分やっていますのでご安心下さい。
東京都を始め関東6県に地震が起きた場合と、東海地方に地震が起きた場合の「人員配置」や、どこにどれくらいの「救援物資」を運ぶかのは、毎年、マニュアルを確認して修正変更していますので、吉岡特別統合幕僚長のお力を借りる必要はないので、どうぞ、普段のダイエーさんで物を売って頑張って下さい。
国の防衛は、私たち自衛隊が守るので、何も心配ないですよ!!
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そうとうイラつきましたが、押さえ気味に・・・
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吉岡)あのう、私が質問した意図は、「大地震と戦争」が同時に起きた時の対応のことを聞いているんですよ。
まさか、「大地震と戦争が同時に起きる」なんて、考えたことはないとか言いませんよね?
起きるか起きないかではなく、十分、あり得ることだとわかるでしょ。
だって、もし私が中国の首相で日本を本気で手に入れたいのなら、大地震で日本が混乱しているチャンスを逃すわけないですもの。
だからその緊急時の対応を教えて下さいと聞いているだけなので、早く答えて下さいよ!
統幕)吉岡さん、それはちょっと考えすぎじゃないですか?
この安全な日本で戦争が起きるなんて、誰も考えていませんよ。
それを証明するかのように、1945年の終戦以来、日本は戦争をしていませんし、世界だって小さな小競り合い以外に大きな国同士の戦争なんて起きると誰も思っていませんよ。
もしかして、吉岡さんは、「左翼主義者」ですか?
いやあ、まずいなあ・・・。こんなことがもしバレたら、私は天皇陛下に顔向けできませんし、もしどこかの団体に影響を受けているなら宗教を変えるか、思想を変えたほうが良いと思いますよ。
見るからにお若いのにいくつもの「国の仕事」をされていると聞いていましたが、まさか「防衛省のトップ」である私の統合幕僚長のさらに「上の資格」を与えるなんて〇〇首相も頭がおかしくなったのかなあ?
今日のお話は私の腹で収めておきますし、「特別統合幕僚長」と言う役職も認めますが、これから防衛省内をぐるっと全てご案内いたしますので、もう二度とここには出入りしないで下さい。
では、私は忙しいので失礼します。
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私は子供の頃から短期なので、母に言われたとおり怒るまで10秒待ちましたが、怒りが全く止まりません。
言いたいことを一人で言って部屋を出て行こうとする統合幕僚長の背中に向かってこう言いました。
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吉岡)おい!待てこら!!待てよ!!〇〇統幕!!!戻ってきてここに座りなさい!!!
いいか、俺がさっき言ったことをもう一度言うので、耳の穴をかっぽじって聞きなさい。
俺がお前に聞いたことは、「大地震と戦争がもし同時に起きた場合」は防衛省としてどう対処するのかを質問したのに、「人員配置????救援物資」だと???笑わせるなよ!!!!
いいか、この新聞の記事を見てみろよ!
戦後間も無く、大地震が起きたので日本中が混乱している時に、「この情報」は隠されてしまったんだが、俺は調べて持ってきたぞ!!!!
日本国民が知らないうちに勝手に情報が消されたことにも腹が立つが、俺が自分で調べて見つけてここにコピーを持ってきたので、まず、この新聞記事に目を通せ!!!
「大地震」が先で、そのあとに、他国が日本の領土を取ろうとする「戦争」を仕掛けてきたらどうするのかを統幕のお前に聞いたのに、なんて失礼な言い方を上司の俺にするんだ!!
俺は、年は若くてもダイエーのスーパーの定員をしながらでも、子供の頃からこの「日本の国防」を最も考えている人間だし、俺の祖父は「陸軍中佐」で、戦争にも二回も行ったのに知らんのか!!
「陸軍中佐の岩淵安治」を調べてみろ!!!
そして、さっき言った「地震対策のマニュアル」があるのなら、今すぐここにもってこい!!!さあ、今すぐやれ!!!
これは「上官命令」なので、逆らえば「上官反逆罪」で懲罰房へ入れるぞ!
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<実際に、国に隠された新聞報道の記事>
https://www.yomiuri.co.jp/national/20231207-OYT1T50085/
注)あとで私がネットに公開する指示を「読売新聞」に出しました。
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「隠された地震」太平洋戦争の末期、三重・愛知・静岡を津波が襲い1200人超犠牲か…公表されず
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1944年(昭和19年)12月に紀伊半島沖を震源に発生した「昭和東南海地震」から、7日で79年を迎える。三重、愛知、静岡県を津波が襲い、1200人以上が犠牲になったとされるが、太平洋戦争の末期で被害はほとんど公表されず、「隠された地震」と呼ばれる。当時は海軍の訓練中で、戦後に被災者から聞き取りを進めた三重県紀北町の植村明さん(94)は、被害の記録をまとめた冊子を約30年ぶりに再発行する。「二度と繰り返してはいけない」との思いを込めて――。(根岸詠子)
墨塗りのはがき
ガタガタと音が響き、部屋の裸電球が大きく揺れた。
44年12月7日、海軍飛行予科練習生だった植村さんは、山口県の防府海軍通信学校(防府市)にいた。マグニチュード7・9の地震は、約400キロ・メートル離れた山口県にも達した。
戦時の情報管制で被害はほとんど報道されず、自宅のある三重県紀北町の状況も分からなかった。
ただ、気になることがあった。植村さんの母親は筆まめで、月に2~3度、はがきが届いていた。地震後の便りに、墨で塗りつぶされた箇所が複数あった。
45年8月、終戦。
汽車とバスを乗り継ぎ、紀北町に隣接する尾鷲市までたどり着いた時、初めて母に電話をした。そして、自宅が津波に襲われたこと、その2か月後に4歳上の姉が病死したことを聞かされた。受話器の向こうで、母は泣いた。
言葉が出なかった。同時に、墨で塗られたはがきの意味に気づいた。戦時中は、兵士への手紙が検閲された。「津波のことや、姉の死が書かれていたが、上官が塗りつぶしたのだろう。戦意をそがないようにと……」
海軍時代、熊野市出身の練習生にも、同じく墨塗りのはがきが届いていたことを思い出した。
風化させず
古里の三重県紀北町に着くと、海岸沿いに立っていた立派な旅館は姿を消していた。海岸は陥没し、近くで2人が亡くなったと聞いた。
自宅の土壁には、目の高さまで津波が押し寄せた跡が生々しく残っていた。3人で暮らしていた母、2歳上の姉、妹が、津波で潮水にぬれた畳を運び出し、日に干したのだと想像すると、「あの時、すぐにでも帰って手伝いたかった」と胸が痛んだ。
「戦争は、津波の被害も姉の死も伝えてくれなかった。それでも文句も言えない。本当に恐ろしい時代だった」と振り返る。
復員後は小学校の教員になり、退職後は郷土史研究会の一員として研究に没頭した。
地震から50年となった1994年には、地域住民ら約40人から地震・津波の体験談を聞き取り、研究会の記念誌にまとめた。「大きい波が三つぐらいきた」「海水が流れ落ちるときは滝のようだった」「引き潮になると海の底が見えた」。生々しい証言が記された。
研究会は今月7日、記念誌を再発行する。発生から79年となり、植村さんは「近いうちに再び地震が起こるのではないか」との思いが離れなくなっていたという。
「体験談を語ってくれた人たちは、みな他界した」。植村さんは、そうつぶやいた。それでも、いや、だからこそ、「多くの人に読んでもらい、自分の命を守れるよう、大災害に備えてほしい」と願っている。
冊子は研究会の会員らに配布するほか、紀北町の海山郷土資料館で閲覧できる。問い合わせは同資料館(0597・36・1948)。
◆昭和東南海地震 =1944年12月7日午後1時36分に発生した。地震の規模を示すマグニチュードは7・9と推定される。内閣府などによると、全壊家屋は2万6130戸。津波の被害は特に三重県沿岸に集中した。南海トラフを震源域とする地震は、おおむね100~150年間隔で発生。昭和東南海地震の前には、1854年(安政元年)に、東海地震と南海地震が発生している。
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こんな事実さえ知らされていない日本国民は、本当に国を動かしている「北朝のバカども」のことなので皆さんは驚くと思いますが、国防の最も重要な防衛省に「地震が起きた時の人員マニュアル」も、「物資運搬のマニュアル」も、「有事(戦争)が起きた時のマニュアル」も、日本を守る防衛省には「一切のマニュアルがない」うえに、「もし何か問題が起きれば国会で決めるので私達は指示待ちです」と陸海空の幕僚長たちが電話で答えたので、3人とも思いっきり往復ビンタをしてやるために緊急招集しました。
もし、誰かがもう一言、バカなことを言えば、「国家反逆罪」にして銃で撃ち殺して「死刑宣告」してやろうかくらい私は怒っていました。(そこまでの権限は与えられています)
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吉岡)全てをまとめる「統幕」のお前は役立たずの統幕なので、部下の「陸海空の幕僚長」をいますぐここに緊急で呼び寄せろ!
どんな他の仕事よりも優先することなので、1時間以内に来ない奴はクビにするとすぐに伝えろ!!
もし、3人が1時間以内に揃わなかった時は、お前(討幕)をクビにするから、自分の首を洗って待っていろ!!さ、いけ!!!!
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結果、ギリギリ1時間以内で陸海空の3名の幕僚長が集まりましたが、討幕と同じで「指示待ち」だったので、ダイエーの部下よりも低い統制力だとわかり、情けなくなりました。
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ここからが私の出番なので、3名の統幕とあらゆる書類類を持って来させて、「日本中の武器と人員の配置図」を作り、日本海側のどこから中国が攻めてくるかの攻略図を約120枚ほど書き上げました。
さらに「先に地震が来た時の人員配置図」とそのあとに中国が攻めてきた時の「対中国応戦マニュアル」と、今、日本にあるすべての武器と装備リストを見ながら作戦を練ろうとして、持ってきた武器の弾薬のリストは20年前のものだったので、火薬は湿気って使えないものもあるし、鉄砲の玉も十発のうち2、3発は不発弾なので爆発する事故も起きていると報告がありました。
「すべてのマニュアル」は24時間で一人で作り上げましたが、問題は、武器弾薬が足りなすぎたので、「新しい武器と弾薬」を作りながら、陸海空の装備で何が不足しているのかを考えました。
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当時から日米安保条約はありましたので、お互いの国の武器弾薬のリストは交換していましたが、あまりにも日本の装備が古かったので、戦争に勝てるものはないと分かったので、全く新しい「防衛装備庁」という組織を作り、自衛隊の中で理系で出世している奴と、外注出来る会社のスタッフを後日、招集してアメリカにはないジェット戦闘機や、中国にない武器や、世界でまだ装備されていない武器を「防衛装備庁」に作る指示を出して、札幌の社長会で会った社長たちに武器の部品の製造を作らせました。
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それが、「現在の防衛省のマニュアル」になっています。
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私が最優先したことは、「緊急時の物資は都道府県と市町村で準備している」ので、民間ができない軍事に関して徹底的に調べ上げて、日本中の駐屯地の武器の配置数と、弾薬の数、それと兵隊の数を調べ上げて「平時と有事の違いの行動マニュアル」も作りましたし、「環境装備庁」で新しく「日本製の武器と弾薬」を作ることを決めたので、「社長会」にきていた製図業の全ての企業に仕事を発注しました。
ちなみに、災害時に残る通信手段は、NTTドコモしか残らないと思って下さい。
注)日本は「武器の製造と販売」は法律で禁じられていますが、「部品の製造は問題ない」ので幾つもの一部上場企業の仕事として注文を入れたので、「30年分の防衛省予算」は全て使い切りました。
今、国会で揉めているのは、防衛省だけでなく各省庁で毎年抜かれていた30年先予算を抜いた「賄賂金」をどう揉み消すのかを揉めているので「パーティ券問題」は表の問題で、裏では「賄賂の渡しあい」をしている時期なのです。
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注)海上自衛隊で潜水艦に乗る人間は、「36時間の営倉訓練」というものがあります。
縦横高さ各1メートルの鉄の檻に入れられて、潜水艦の巨大エンジンの奥に「1人だけ入る場所」があり、36時間放置する訓練をパスしないと潜水艦には乗れません。
子供の頃に押し入れに入れられた人間でも「36時間」はきついと大概の大人は泣き叫びますが、この訓練をパスしないと冷静に潜水艦で仕事はできないので、とても厳しい訓練を行なって潜水艦に乗っている自衛隊員がいます。
「現場主義」の私ですので当然、自分から「36時間の営倉訓練」に入り、鍵を閉めてもらい、冷静に溜まっていた頭の中の問題を全てクリアできたので良い体験の時間でした。
どうぞ、現代の親御さんも、「言うことを聞かない子供」は押し入れに36時間放置してみて下さい。(虐待にならない程度に)
ちなみに私の母は私を「押し入れ」に押し込んで、扉の隙間を全てガムテープで止めて、「息ができなくて死ねばいいのに!」と言ったくらいやばい人だったので、「記憶を消す薬」を飲ませて忘れさせました。