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【内閣府】2回目の安倍晋三総理当選のパーティで麻生さんに渡した手紙・早坂茂三・巨人軍正力亨オーナー

今日のトップ画像の安倍晋三総理と、麻生太郎副総理が笑っている理由は、「しかし、吉岡さんは果てしない女好きだよな。」と麻生太郎副総理が言ったのに対して、「僕もあそこまでやる人とは知りませんでした。仕事もできるし、女の扱いもすごすぎだし、女にお金を使わなくても女から寄ってくるらしいので大変らしいですよ。」と安倍晋三総理が言い返すと、「俺がもし、吉岡さんの立場なら、きっと国会議員なんて辞めて田舎に戻って、桃源郷でも作るわ。」と話している時の写真です。

 

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安倍晋三総理の耳の中には、私にだけ聞こえる特別なマイクとスピーカーが入っているので、公の会見や、外交上の会話のアドバイスを24時間していたので、お二人の会話も全て聞こえていることを知っていての会話だとご理解下さい。(^^

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では、今日のテーマの「政治の裏側」と「世の中の裏側」のお話しをします。

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2012年(平成24年)12月26日、安倍晋三総理が二回目の首相に当選した日の夜に、安倍晋三首相から「東京の〇〇ホテルで首相就任祝いのパーティー」をするので吉岡さんも来て欲しいです」と言われて行きましたが、東京の会場には数千名もいたので早めに引き上げようと思っていましたが、なかなかご挨拶するタイミングがなかったので、ホテルの従業員に「半紙と筆ペン」をもらいお手紙を書いたのですが・・・

 

書き始めると「今までの思い」が溢れてきて涙の滴が落ちてに文字がにじんでしまったので捨てようとしていたところに麻生太郎副総理がやって来て、「吉岡さん、隠したその紙を見せろよ!」と取られて持ち帰られてしまいました。

 

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東京のパーティが終わったあと、私は札幌に戻っていた時に、今度は、麻生太郎副総理から電話があり、「来週、札幌市内のホテルで安倍晋三総理就任パーティが身内だけで開催されるからゆっくり会いにきて欲しい」と言われて行きましたが、やっぱり数百名規模のパーティだったので、黙って挨拶もせずに帰りましたが、あとでススキノのクラブから電話があり、最後の時間を3人だけで過ごしました。

 

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私が国仕事を「表舞台」で手伝ったのは1991年から1994年までですが、そのあと安倍晋三首相が「私の7つ特別上級国家公務員資格」をひとつにまとめて「内閣府の特別上級国家公務員」にしてくれたおかげで「首相と同じ権限を持つ人間」となり、「一生涯の資格」となりましたので、スピリチュアルな世界に身を置きながら、時々、首相たちの揉め事を「裏番頭」として電話で解決したり、防衛省の問題も電話で指示を出していました。

 

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ススキノのクラブで私が書いた手紙を取り出して読み直した麻生太郎副総理は、読むと手が震え出し、目から涙を流しながら、こう言いました。

 

 

おごっそうさん。(博多弁)

 

 

お母さんが博多出身の人だそうで、大事な人にだけ博多弁で話すそうですが、初めて二人で硬い握手をして私はパーティを出ました。

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<私が麻生太郎副総理に書いた手紙の内容>

 

麻生太郎副総理、今まで本当にありがとうございます。

 

安倍晋三さんを二度目の総理にするために、本当に心からのご支援とご尽力の結果が今日の当選となりましたので、私の役目はもうないと思いますので、これで私は身を引きます。

 

 

お二人にはたくさんの思い出があるからこそ、いろいろ話をしたいことは山ほどありますが、やはりもう私の手が届く人ではないので、また、いつか、お会い出きる日を楽しみに私の現実に戻って頑張って生きていこうと思います。

 

お二人ともお体に気をつけて、どうか、この日本を良くして下さい。

 

本当に、今までありがとうございます。

 

 

吉岡一門 頭領 吉岡学

 

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麻生太郎副総理が安倍晋三総理に私の手紙を見せた時、「読むと言葉が出てこない」と涙声で涙を流して黙って泣いていました。

 

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麻生副総理は、「吉岡学さん、マスコミ受けや、議員受けがいい言葉を話す奴はたくさんいるが、吉岡学さんが書いた言葉は身に染みるから、今もこうして大切に背広の内ポケットに入れておいて、迷った時には読み返しているんだ。

本当に、ありがとな。おごっそう。」と言われ、私も泣いてしまいました。

 

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いつも、余計なことを語らず、ズバッと本音しか言わない麻生太郎さんだったからこそ、「副総理」をお願いしたのは私ですので、お二人の思いの深さに涙が溢れました。

 

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最初に麻生太郎元総理にお会いして副総理をお願いする時も、「俺は嘘は言わんし、言いたいことははっきり言うけど、そんな俺でもいいのか?」と聞いたほど心がまっすぐな人ですし、地元に戻ればものすごいお金持ちの御坊ちゃまなのに、相手に余計な気遣いをさせない素敵な紳士でした。

 

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たくさんの政治家を首相にするために、「表の秘書」とは別な仕事を私が動いてしていましたが、「吉岡学」という名前が表に出るとまずいとお願いしたので、どの国会議員も「吉岡学という呼び名を口にしない暗黙のルール」ができていたので、別な呼び名として「首相専用の裏番頭」という”あだ名”がついてすべての政党の政治家に広まったのでとても恥ずかしいことでした。

 

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「裏番頭」と呼ばれた理由は、政治家が扱うお金の流れと意味を全て理解しているし、もし、「お金の流れのトンネルが詰まる」と1本の電話で揉め事を解決できる人間だし、「すべての省庁の人脈と裏事情」と、「日本国の裏事情」と、「世界の政治家と国王の裏事情」を知っている人間だったからこそ、「首相専門の裏番頭」と呼ばれた時代がありました。

 

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政治家に関わる時はミスをすればあっという間に消されますので、本気でやらないと「命取り」になることを早く覚えないといけない仕事なので、今、「政治家」をしている人や「秘書」たちは、マーゴおばちゃんが仕掛けた大きなバブルに日本は巻き込まれますので、「金融政策と裏金」も大きく動くので、取り扱いを間違うと首をくくることになる覚悟を持って「国会議員の秘書の仕事」をして下さい。

 

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田中角栄首相を支えた秘書はSPも兼ねていたので「12人」もいましたが、もっと難しい「裏の番頭」が「早坂茂三さんだったのですが、田中角栄さんが捕まる前に早坂茂三さんに「秘書を今すぐやめろ!お前は首だ!」と言ったほど、田中角栄首相がもっとも信頼していた人が、早坂茂三さんでした。

 

 

突然、議員秘書を辞めさせられたあと、私に電話がかかってきて、「急に秘書を辞めたので暇でやることがない」とぼやいたので対策を考えました。

 

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「早坂茂三さんほど政治の裏表を理解している素晴らしい人はいない」と政治家の誰もが口にしていた人なので、私もできることを真剣に探しました。

 

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あれだけ「裏」で活躍した人なら、ボツボツ「表で活躍してもいい時期」だと思ったので、社長会に来ていた「TBSの社長」に電話をすると、

「番組を1本作るだけでも正力オーナーの許可がいるので自分で許可を取って下さい」

と、携帯の電話番号を教えてくれました。

 

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テレビ局の管理は「総務省」なので、「総務省の特別上級国家公務員」という名刺を作り、正力亨オーナーに会いに行きました。

 

 

▶️正力亨オーナー(1918年-2011年)・読売巨人軍球団オーナー

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吉岡)私はこういう者ですので、少しだけお話をさせて下さい。(名刺を渡す)

 

 

正力オーナー)あー、やっときたか・・・、「マーゴ」から君のことは聞いているよ。

 

いつ来るかと、首を長くして待っていたんだ。

 

今日はどんな面白い話のネタを持ってきたんだい?

 

いろんな奴に、札幌で行っている「吉岡学の社長会」に出た方がいいですよ、と言われていたんだが、もうこの年だから札幌まで行くのも大変なので、君が来るのを待っていたんだ。

 

だから、今日はゆっくりしていってくれたまえ。

 

 

・・・・・高そうなバーボンの口を開ける・・・・

 

 

吉岡)正力オーナーは、私より41歳も年上なのに、どうしてそんなに長く巨人軍の監督をしているんですか?

 

 

正力オーナー)まず、その質問か?じゃあ、正直に答えよう。

 

話の前に、この美味しいバーボンで「乾杯」させてくれ!

 

 

俺の父親は富山県出身の農家の息子なので、吉岡学さんが「南朝の頭領」になったと聞いた時は驚いたんだぞ!

 

「12歳で吉岡一門の頭領」なんて、さすがにすごい訓練をしてきたんだろうなあ。

 

これは感謝の印で買っておいた最高級のバーボンなので、1杯飲んだらこのボトルを持って帰りなさい。

 

 

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正力亨オーナー)俺は15歳も年下の「マーゴ」に騙されて「WarGam(戦争ゲーム)」に乗ってしまったのさ。

 

だってな、あの女、俺が銀座のクラブで飲んでいる時に、テーブルの下から顔だけ出して会ったばかりの俺の「チンポをすぐに咥える女」なので、頭がおかしいと思ったが、フェラが美味かったのでつい精子を出してしまって、話を聞くしかなかったのさ。

 

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マーゴはな、今回の「WarGam(戦争ゲーム)」はとても大きな戦争になるし、「昭和天皇も乗ったのよ!」と言うので、それを聞いたら乗るしかないだろう!

 

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でもあとでわかったんだが、「昭和天皇(北朝)は日本が負ける方に乗った」ので大儲けしたが、バランスが悪いということで、「南朝の俺は、日本が勝つ方に乗ったのは俺だけだったみたい」で、あとから莫大な請求書が送られてきたので、早々、「巨人軍のオーナー」を降りるわけにはいかなかったのさ。

 

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1945年に「大東亜戦争」には負けたが、最後まで一緒に戦ってくれた台湾出身の王貞治を見つけて巨人軍に入れたのは、「台湾の人たちに俺の申し訳ない」という気持ちの表れさ。

 

俺も、俺の父親も富山県の「南朝の武士」の意地があるので、一度負けた戦いは勝つまでやるしかないので、「日本が勝つほうに賭けた分の借金」が大きすぎたので大変だったのさ。

 

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だから、「WarGam(戦争ゲーム)」に負けた分を取り返すために、今度は、「マーゴの野球賭博」に手を出したんだが、これもなかなか難しくてなあ・・・。

 

 

長嶋と王がいた時は良かったんだが、同じ南朝の熊本県出身の「川上哲治」を監督にしてやったのに、最初はなかなか勝てんので苦労したんだぞ!

 

正力亨オーナー)「野球賭博」は難しくてなあ、勝ったり負けたりするスポーツなので、「WarGam(戦争ゲーム)」みたいに一気に結果が出ないのでやっと最近、借金を返したばかりなんだ。

 

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そんな俺に何を頼みたいんだ?

 

みんな言っていたが、「吉岡さんが動く時は大きな策略を持って裏から日本を動かしているので、絶対に乗らないと損なので乗った方がいい」とみんなが言っていたが、俺は何をすればいいんだ?

 

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ここで日本ために、アメリカと戦ってくれた田中角栄首相を支えた「早坂茂三さん」の話を出して「番組の枠」をもらい、日本のために「裏」で働いた時のことを話すと、盛り上がりすぎて用意した最高級バーボンのボトルを二人で開けてしまうほど、お酒が強い人でした。

 

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TBSの番組編成はコマーシャルがびっしり入っていたほど人気なので、「朝6:45からニュースが流れる前の6時からならやっている「時事放談」の枠なら取れます」と現場のプロデューサーに確認できたので、そこで番組の枠を「早坂茂三さん」を出演させる特別な時間を作ってもらい、田中角栄首相は、アメリカのロッキード社に嵌められてビデオを撮られた話をしてもらい、初めて真実を世の中に公開してくれました。

 

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田中角栄首相がロッキード社からもらった「ピーナッツ」と呼ばれた現金は、そのまま日本の政治家に渡した記録も残していたので、「賄賂には当たらない」とマルサの課長に確認しましたが、結局、外務省指示でマスコミ報道を操作されて逮捕される事件になりました。

 

こんなバカなことを考えるのは、「財務省の小指チンチン鈴木友康親子」ですし、そこに加担した国会議員と裏切った秘書たちもいたので、田中角栄首相は一切の真実を語らなかったからこそ、私は早坂茂三さんの本当のことを話してもらいたかったのです。

 

国家公務員にお金を渡して陥れる「贈賄罪」の罪に問われるべき「鈴木友康親子」をどうして国は、追求しないのでしょうかね?どこの部署にも真面目な人はいますが、同時に、金で白を黒にする人間もたくさんいるのが、「国家公務員」という仕事ですので、「収入が安定しているだけ」で国家公務員にする親が多いのでお気をつけ下さい。

 

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私が正力亨オーナーに会ったのは1991年で、「時事放談」が30年目を迎える1987年3月29日に同タイトルでの放送を終了し、以後は『日曜放談』に改題して、同年4月5日から1992年3月29日まで放送した最後の特番として「時事放談 特別番組」の枠を取ってもらい、「早坂茂三さん」が1回だけと言ったのに視聴率が高かったので3回も連続放送してもらいました。

 

 

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1991年当時、私は32歳、正力亨オーナーは73歳、早坂茂三さんは61歳のチームでしたが、3回の特番を取り終えると、「俺は、実家の函館に戻って畑を耕す」と言ったあと、73歳で亡くなりました。

 

 

 

▶️真面目に政治の話をやりとりしている日本で唯一の番組「時事放談(TBS)」

 

 

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「早坂茂三さん」という人は、ヤクザごとにも強いし、国家警察の裏表にも顔が効くし、世界の政治家たちにも顔が効く男でしたが、彼に初めて会った時も私のことを誰かに聞いていたようで、こう言われました。

 

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早坂さん)俺は自分が一番賢いと思っていたが、吉岡学さんのことを色々調べてみると、もうその言葉は言えなくなったんだぞ!

 

どうして君は、そんなに頭の回転が速いのかコツを教えてくれ!

 

 

吉岡)私は早寝早起きして健康的な生活を送っているように見える真面目なサラリーマンですが、実際は、全くその逆に生きた結果なのでしょうかねえ?

 

 

早坂さん)俺だけじゃなく、誰もが言っていたが、吉岡さんはいつ寝てるんだろう?と、どの政治家たちも言っていたぞ!

 

だから、君が健康的な生活をしていると思っている人間は一人もいないはずだぞ!

 

だって、いつ電話してもすぐに出るし、電話の横で女の喘ぎ声がしているから寝てるんじゃなくて、いつもいろんな女と一緒にいる男だと有名だぞ!

 

だから、俺くらいには嘘はつくな!

 

俺と吉岡さんは、一緒に国と田中角栄を支えた戦友なんだからな!

 

と言って下さいました。

 

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最後に早坂さんにお会いした時に言われた言葉

 

いいか、吉岡さん、国会議員という奴は、「1期・2期はションベンたれ小僧」、「3期4期はあまちゃん」、「5期6期で目が出て花が咲き」、「7期を超えたら邪魔者扱い」されて、10期を迎える頃にはバケモノよ!!

 

それでも居続ける国会議員は「たぬき議員」と呼ぶんだよ!と教えてもらい、大笑いしました。

 

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実際のところ、今の日本の政治家でまともな国会議員は「1割」くらいしらいませんが、それでも「定数」まではバカでも受かる法律があるので、国会議員も県議会銀も、市議会議員も、「国民の数に比例して人数を減らしたほうが良い」と私は思います。

 

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日本全国の田舎は過疎化しているので、市町村議員や町会議員の数を市民や町民の人口比率で計算すれば、ほとんど、一人か二人でいいはずなので、無駄な税金を払いたくない人は、まず、「議員定数削減の緊急動議」を出して可決させれば、すぐに国会議員の数は減らせます。

 

この方法は「違法」ではありませんし、自分で書いた紙を持って「緊急動議!」と叫んで、市議会議員の会議室へ入ると、議員たちは、緊急動議の内容を声を出して読まなければいけないという法律があるので違法ではないのです。

 

どこの市町村でも、市民が町議会や市議会の会議に「緊急動議」を出せる法律になっていますので、ぜひ、自分で手紙を書いて、「人口比率にあった人数に議員を減らす緊急動議」を出して下さい。

できれば過半数の賛成を得られるように、上手に退職予定の市議会議員と結託を組んで、知り合いの議員たちに根回しをしてからやって下さい。

 

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「自分の町の利権者」に文句を言うのは気が引けると思いますが、もう、いいだけ年をくって物覚えが悪い爺さんたちに、市長や町長や議員をさせてお金を渡す意味はないので、若い世代でやる気のある人は、仲間を集めて自分の町を支えるために一緒に死んでくれる仲間を何名持てるかだと思いますので、どうぞ、頑張って下さい。

 

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世の中を変えるのは、「若い世代の新しい価値観」次第ですので、「温故知新」を実践しながら、自分が住む町を自分たちの手で改善して住みやすくして下さい。

 

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「人の繋がりよりもお金が大事」と思った人たちが住む「都会」は、悪魔とゾンビと嘘つきが集まる場所ですので、どうぞ、「住みづらい都会」なんて目指さずに、田舎の心優しい若い女性を見つけて子供を作り、命を守る食べ物を一緒に作って自分の町を再生して下さい。

 

 

「北海道」はそれができる「唯一の土地」ですので、札幌市以外の田舎に住んで、土地の人たちと交流して本音で話せる仲間を作って下さい。

 

私が国の官僚の仕事を終えた1994年から「自分を育ててくれた北海道に恩返しをしたい」と思ったので、北海道の横道孝弘知事に「特別上級国家公務員の名刺」と「安倍首相の名刺」を見せて、未来の北海道のために何ができるか「特別対策室」を作り、若手の北海道庁の役人たちを集めて細い指示を出して何度も話し合いをして、「日本は小さい、北海道は大きい」と「北海道はでっかい道」の二つのスローガンを作り、北海道の14の支庁(振興局)から北海道観光のスローガンにしてもらいました。

 

横路孝弘知事

 

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北海道は、本州の人たちと違って「江戸時代の武士の戦いの因縁の話」を繰り返し話す老人もいないし、若い世代のやる気を失わせるような老人もいないのが北海道という土地ですし、その理由はまだ「100年ちょっと」しか経っていないので「土地のカルマが全く無い綺麗な街」なのです。

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最後に、これから未来を作る若者たちへ「吉岡一門に伝わっている温故知新」言葉の意味をお伝えしますので、先人から学ぶ意味で自己研鑽して下さい。

 

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「温故知新」の正しい意味

 

「温故知新」という言葉を最初に口にしたのは「吉岡一門の頭領」だったので、日本の学者に「四文字熟語」に加えさせましたが、それができた理由は、「四文字熟語」を最初に作ったのも、吉岡一門の頭領だからです。

 

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「温故知新」の意味は、「古きを尋ね、新しきを知る」という意味が一般的ですが、もっと深い意味は、自分を暖かく育ててくれた先祖たちの想いを大切に学びながら、新しい発想と知恵を出して、新しい時代を導け!」というのが意味があります。

 

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国立図書館に行けば、「温故知新書」という本があり、「前田家蔵本の複製」と出ていますが、前田家は「加賀藩」であり、加賀藩は、「富山藩(吉岡藩)の一部」でしたので、「吉岡一門の書物」を学んだ前田家が残したものとして国立図書館に保管されていますので、ぜひ、吉岡一門の頭領たちが日本国をどう動かしてきたのかの知恵を自分で勉強して下さい。

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