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北海道ダイエー人事課長による暗殺指示事件

現在の「株式会社ダイエー」は、1991年3月1日-「北海道ダイエー株式会社」を吸収合併をしました

同時に、「北海道ダイエー労働組合」と「全ダイエー労働組合」も合併することになり、お互いの会社の労働条件を比べて従業員に不利益が発生しないように全ての労働条件を見比べて、「北海道ダイエーの中央執行委員7名」が細かい作業をしました。

 

「委員長・福委員長・書記長の役員の三役」は、人事課との交渉の顔なので、「平中央執行委員4名」をまとめていた私が細部に渡るまで労働条件を見比べて、過去の賃金闘争の結果から全ダイエーと違う労働条件を勝ち取ったものを全てお金の価値に置き換えて全ダイエーの事務局と交渉する材料にしました。

 

北海道にしかない労働条件は「暖房手当」ですが、北海道の暖房手当を作ったのは最も左寄りの郵便局の組合の「全逓(ぜんてい)」ですが、その委員長は私の妻の父親だったので詳しく話を聞きました。

10年以上、北海道と本州の気温差を調べあげて国に申請し続けた結果、国が北海道だけの「暖房手当」を認めてくれて公務員なら月々5万円から8万円の補助金が付きました。

 

北海道の中小企業も地方公務員の「暖房手当」に準じた手当を支給しているので、灯油代、洋服代、冬タイヤ代、窓や家の補修費用にあてられたのでとて助かる「暖房手当」でした。

 

株式会社ダイエーは一部上場企業で本社が大阪なので「北海道の暖房手当」の意味がわからず、「北海道の暖房手当を出すなら本州はクーラー手当を出せ!」と揉めたので、私が「暖房手当」の名称を変えて全ダイエーとの賃金格差を埋めるために「地域手当」と名称を変えて都会との賃金格差を埋める対策をしたので、東京や大阪以外の日本のローカル都市で働く人たちにも喜ばれた手当でした。

 

ダイエー労働組合とのもうひとつ大きな賃金格差は、1986年に制定された「雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律」として「男女雇用機会均等法」が施行されましたが、給与が低い女性に合わせる企業が多いなか、私が言い張って男性の給与を下げずに女性の給与を上げる「男女雇用格差補正金」を勝ち取ったので、これを簡単に飛ばされると北海道ダイエーの給与は下がるので、最後まで徹底的に戦いました。

 

普通は子供がいない世帯なら、「ダブルインカムノーキッズ」と言われるほど良いことばかりだと思われますが、夫婦二人が働けば二つの会社に勤めるので、「冠婚葬祭費」も「接待費」も2倍かかるし、休みが違えばダブルに使うお金が必要なので、私が言い張って勝ち取った「手当」なのでそう簡単には譲れません。

 

「全ダイエー労働組合」と「北海道ダイエー労働組合」との初めての顔合わせは一言間違うと喧嘩になる空気の中、3次会までお互いのターゲットを決めて本音を引き出す個人交渉をしたので、殴りたい気持ちを抑えて先輩たちが言いたいことを聞いてから、ひとつひとつの言葉を切り崩して本音を引き出す担当だったので、「全ダイエー労働組合」の中央執行委員全員からはとても嫌われました。

 

酒が入った力を借りて、「全ダイエー労働組合の書記長」が私の首のネクタイを掴んで「お前!生意気だ!」と怒鳴ったので、思いっきりその手を捻って背負い投げをしてやったので、しばらく私は「裏の作戦担当」にされたほど全員が私を殴りたいのを我慢した飲み会でした。

 

「事務局折衝」は両方の「書記長」が担当しますが、同期入社で仲が良いので丸く収めようとしますが、私だけが認めないので、私と同じ「平中執4名」で三役の説得を跳ね返す交渉術を伝授したので、北海道ダイエー労働組合は最後まで揉めていました。

 

会社としてみれば、「北海道ダイエーは全ダイエーの子会社」なので、中内功社長が合併すると言えばすぐに決まりましたが、従業員の給与を守るのは「労働組合しかできない」ので、私だけ最後の最後まで対等合併にこだわったので、会社は合併しても組合は合併しないという「1社2労組」になる覚悟で最後まで揉めました。

 

「私は武士」なので自分から手を出したことはないですが、相手が1人でも10人でも必ず、勝つ戦い方を身につけているので、相手が手を出すまで怒らせて、最後に相手が出した手と足の骨を折るかヒビを入れるので、誰も私に触れる人間はいません。

 

北海道ダイエーでは、私の同期入社の男を刃物で切り刻んでいた「魚屋のマネージャーの左耳を半分切り落とした事件」があったので、誰もが私を敬遠するので喧嘩なんてしたことありませんし、殴り合う前に勝負は決まります。

 

18歳から自衛隊に入り「陸将補」として日本中の駐屯地を回った時も、「戦いの訓練」をしている猛者もたくさんいるので、「訓練」と称して私に勝負を挑む人間がたくさんいたので、殺さない程度に軽くケガをさせたので、誰もが私の実力を知っているので文句は言いますが手出しはしません。

 

私が労働組合の中央執行委員になった1989年から「セクハラパワハラ問題」を会社が言い出しましたが、私はそんな勝手な風潮には踊らされず、「オッパイもケツも私が触らないと怒る女」もいるので、「毎朝のご挨拶」でした。

男なら当然、ミスをして謝らなければ「ビンタ」なので、全てのお店のアルバイトをまとめていた指導員として「親にも叩かれたことがない」と泣く女ほど思いっきりビンタをしてやるのでm「親から感謝の電話」がきたほど「厳しい躾」をする人間です。

 

本来は親が子供に教えなければいけない「所作やマナー」を私が代わりに教えているのでお金をもらってもいいはずなのに、「文句を言う母親」が来た時には、お茶を飲みながら母親の所作のひとつひとつの間違いを細かく指摘するので、

「お母さん、あなたはきちんと親に躾されなかったのですね。もし娘さんがお金持ちの家に嫁いだら相当苦労するので厳しく教えているだけですが、もしご不満ならどうぞ、娘さんを連れて家に帰って下さい」

と言う私なので人事課が何と言おうと、店長課長が何と言おうと私は引きません。

 

そんな私が嫌なら私を首にすればいいだけだし、「いつでも辞めてやる覚悟」で働いているので、最後は必ず中内功社長から電話が来て「俺が謝れば終わるのか?」と聞かれますが、

「どうせ、私がタダでやった仕事を正当に評価をする気がない人から謝られても嫌なので、ヨーカードーに行きます!」

と言って電話を切ってやるので、どんな問題でも最後は丸く治ります。

 

「自衛隊は命を賭けて殺し合う仕事」なのに、そんな自衛隊にも「セクハラ・パワハラ」が厳しくされていたので、「俺だけは別だ」と部下たちには徹底していますが、「セクハラ・パワハラの根本的な問題の理由」を知らない人間が拡大解釈している事案も多いので、私は明確に「辞めたいならいつでも辞めろ!」と部下達には言います。

 

仲間に殴られたりビンタされたくらいで文句を言う親の場合は、こう言います。

 

「私たちは日本を守るために敵を殺す訓練を毎日している自衛隊員なので、もしご両親がこの日本を自分の息子娘に守らせたくないのならすぐに辞表を出させて下さい。

毎日厳しい訓練をすれば、当然、ストレスも溜まるので上司部下の問題や同僚とも気が合わない奴もいるので、やりたいだけ喧嘩させて最後に喧嘩両成敗にしているので、もし、このルールが嫌ならすぐに息子さんに電話して自衛隊を辞めさせて下さい。」

と言い続けた人間だし、そんな気配を感じさせる部下には、徹底的に話して納得するまで喧嘩を付き合ってやるので、私の部下で辞めた奴はいません。

 

大概、自衛隊を辞める奴は「最初の入隊動機」があやふやでお金がいいだけで入っているので、早く辞めてくれたほうが自衛隊のためになります。

 

「1990年に特別統合幕僚長」になってもパレードやお祝いの席には行かない人間なので、定年を迎えた部下だけの送別会には美味しい酒を持って行き、いろんな不満や愚痴を聞いてやる人間です。

だから、定年した奴らでも私のやり方が好きだと言ってくれる奴もいるし、「お前は最後の最後に日本国のために死ねるか?」といつも聞く人間なので、私を嫌いな防衛省幹部の人間とは違い、現場で私と飲みたい奴はたくさんいるのでそれが上司の仕事だと思っています。

 

自衛隊員が訓練中に起きることは「一般の法律は適用されない」のに、「何を甘いことを言っているのか!」と統合幕僚長や幕僚長幹部たちを私はビンタしたり蹴り倒すので、私が防衛省に行くとよく乱闘になるので、最近は電話するだけで勝手に切られてしまうほど「ビビり屋」が多いので呆れます。

 

普段は優しくて穏便に物事を冷静にこなす人間ですが、一度琴線に触れる発言をした奴には、

「やるならいつでもやってやろうじゃないか!オイ!立てよ!!」

と言う私なので、誰も席を立ちません。

 

まあ立てば、必ず、足の骨を折られるか、腕の骨が折れるか、目が見えなくなるかなので、怪我をした人間ほど「辞めろ!辞めろ!殺されるぞ!」と牽制してくれるので、最近は本気の戦いは少ないのが残念です。

 

実際に敵を殺すための訓練をしている人間に、ゴチャゴチャ理屈が通るわけもなく、「ただの殺し合い」なので、相手より先に敵を殺せない人間は必ず怪我をするか死ぬので、「防衛省幹部の言うことは聞くな!俺の言うことだけ聞いて動け!」と言ってあります。

 

それが統合幕僚長よりも偉い立場の人間の仕事なので、日本国のために命をかけられない人間は死ぬしかない仕事だし、「自衛隊員が逃げれば、お前の家族が殺されるんだぞ!」と私は教えています。

 

現場では正式な職位は教えないので、「鬼軍曹」とか「エロ軍曹」とか呼ばれていますが、最高の褒め言葉なので「現場大好き人間の上司」です。

 

給与のために防衛省の仕事をしているわけではないので、日本国を守るために命を捧げて亡くなった英霊たちに恥じない自衛官を育てるのが私の仕事なので、ヤンキーでも暴走族でもケンカ大将でもバカでも誰でもいいので、親に口答えする奴らはどんどん自衛隊に入隊させて下さい。

 

親が教えられない大事なことを私の部下たちが教えるし、ご先祖が戦争に行って亡くなった人たちのご家族が自衛隊に入隊すると、戦争で亡くなった御霊たちがしっかり子供たちを守るので、街中で変なことをしている馬鹿者たちと比べると、確実に貯金は貯まるし、結婚相手も見つかる仕事なので、おすすめです。

 

男にモテないブサイクな娘でも体力さえあれば自衛隊に女も必要なので、どうぞ、無駄な金を賭けて衣装代や化粧品代をかけさせて遊ばせておくくらいなら「自衛隊」に送り込んで下さい。

 

優しく女性自衛官が教えてくれるので、生きる意味も価値も生まれる仕事なので、私は金持ちのバカ息子やバカ娘たちに「自衛官の体験」をさせるように「社長会」で伝えたので、無理やり行かせて結果、子供達が変わったと喜ばれました。

 

私はダイエーの社員の時でも、労働組合の中央施行委員の時でも、自衛隊の時でも、キャリア官僚の時でも、仕事のポイントは同じだし、私の部下には厳しく正当な評価をするので、「ビンタは普通」です。

 

不思議ですが、なぜか私にビンタをされた人間は涙を流して泣くほど感動するらしく、ヤクザでも、世界のVIPたちも、一部上場企業の社長たちも同じ反応だったので、「愛情ビンタ」と呼ばれています。

 

グーで殴ったことはないほどすぐに揉め事は終わりますが、「私を殺しに来たヤクザ」だけはドスで滅多刺しにするか、「チャカ」で心臓を打つか、コメカミか耳に弾を打ち込むので即死です。

 

だから、北海道ダイエーの人事課の課長を本州に「ご栄転」させてやったお礼が「ヤクザのヒットマン」だったので、きっちり始末はつけさせました。

 

平和ボケしたみなさん、あなたはどうでもいいので、子供たちを自衛隊に入れて下さい。

 

「石の上にも3年」、北海道の自衛官になれば、私の部下がきっちり指導させてもらいます。

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